polar night bird

香りの記録

113.チベットの薬草(圣香海螺藏香水)

登山を始めると、その極めて未熟な熟練度合に関わらず高山地帯の香りに興味が湧く様になった。

しかし、以前富士山に登った際は終始香りを楽しむ場合ではなく、その他の大体の山でも嗅覚に向ける余裕が無くなるのが正直な所だ。

神奈川県の大山でさえ息絶え絶えの現状である、高山植物の香りなどは雲の上の憧れの香りであった。

 

ところで、以前チベットの香水を買った。

チベットというと密教的な香りが多いのかと思ったが、Taobaoでは観光者向けの様なカジュアルな香水も売っていた。

(宗教的な場面で使う香りは一部では老山白檀の香油を使っているようである。)

その中でパッケージからして古そうな「圣香海螺藏香水」を買った。

香りのバリエーションは4~5種類ほどあり、今回は「金色浓香」なるシグネチャーに近い位置に思える香りを選んだ。

※色々試行したがどのルートでも商品代の5倍ほど送料がかかったため、個人ではなく複数での共同購入をお勧めする。

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箱やTaobao上にある説明を読むと、

チベットで売られているロングセラー香水

サフラン、ナルド松、沈香、樟脳、白檀などの貴重なチベットの香料やハーブを使用

・香りが長時間続く

・100%チベットの薬用天然原料使用なので人体に優しい

という謳い文句で売られている様だった。

それらの真偽を問う様な無粋なことはこのブログではしないが、所感を残してみたい。

 

 

圣香海螺藏香水「金色浓香」

 

パッケージには

サンダルウッド、蔵紅花(どうやらサフランのことらしい)、ジャスミン、レジン(おそらくアンバーやベンゾインなど)、甘松、沈香、丁子、その他チベットのハーブ

と記載がある。

 

肌に吹きかけると同時に、ジャスミンのまろやかさと、茶褐色の半透明なベタ付きを持つ樹脂のガムの様な甘さが潰れて平面的に放出された。その縁にはミント的な緑の清涼感と、油っぽい重みを含んだ鋭利な柑橘系を思わせる酸味が、微弱な電磁波の様に振動している。色で言えば、先程の茶褐色に鮮やかなオレンジを強めた様である。さらにその先の最先端部に関しては、結露の様な透明な瑞々しさが粒になって漂っている。

出だしは中々強めの香り立ちだった。

一方、その中心に目を向けると質感が大きく異なっていた。そこは縁とは対照的に乾いており、一瞬ぽっかりと空いた空洞の様にも感じられた。

しかし実際は空洞とはその逆で、ひとたび引くとそこには一際太い緑の茎が通っているようであった。その香りは軋みの強い、キク科を思わせる濃い緑の繊維ばった縦の線で感じられる。それは終始全く動じずに中央に根を下ろしていた。

茎のようなワイルドな緑この鮮烈な緑の一端はガルバナムだろうか。樹脂特有の透明な弾力と汁感がじわじわと滲み出て縁のガムの様な甘さに続いている。

一方で茎の香りの中間層には乾燥した草葉のかさつきが堆積している。かさつきがあるものの、全体的には密度が高い。その強固さは鉱物のような固形感にも思えた。

時間が経つにつれてその茎は全体に広がる様に伸びて行った。外側に行くにしたがって細くなり、枝分かれ、針金のような網目を形成してゆく。

冒頭からそれの外側に接続していたガムの様な部分は、バルーンガムのように盛り上がりながら、強めの甘味が下へと移動して行った。そこにも張り巡らされている針金の様な茎を通過すると、それに分断された茶褐色の蜜が一度に滴り落ち、針金に絡まったものは自身の粘り気でぶら下がっていた。

ただ、この滴った蜜にも、微弱な電磁波の様な振動が感じられた。その振動は終始全体に広がっている様だった。茎の緑と汁気のある甘みにはコントラストはあるものの、いずれも振動により縁がごく細かな、同じ形の波線を描いている。それが、この香り達は1つの大きな植物なのではないかと思わせた。

 

 

さて、ここに来て中心の菊の茎の香りが縁に纏う緑と柑橘めいた甘酸っぱさを併せ持つ匂いは以前どこかで嗅いだ様な気がしてきた。

 

夏に長野の千畳敷カールに登ったのだが、そこの中腹付近でハイマツに出会った。

もっさりと辺りに低く繁茂するハイマツの枝葉に鼻を近づけると、大気中の上に抜けるような澄んだ冷たい水蒸気に混ざって、柑橘系のような爽やかな水分の弾ける甘さとハーブめいたこってりした青みと酸味が感じられた。一方でそれらの奥にある松らしい油ぽい暗緑色はしっとりと地面に根差している。

天候の影響もあっただろうが、私はここまでハイマツの香りが鮮やかであるとは思わず、最初はどこかに花が咲いているのかと思いこんで辺りを見回した。そしてその正体を突き止めた後はわざとしきりに岩に手を付いて、休むふりをしてその匂いを楽しんだのであった。

香りを吸い込む最中は何かに守られている様で、時間を忘れて安心した。

 

その染み出るような柑橘に近い木の油っぽさが、金色浓香の表層に見出せる匂いにとても似ていたのである。

この香水は巷のニッチ香水の様な香りや構成の複雑さがあるわけでは無い。そこから不思議と高地の厳粛で清浄な空気も想起されるのは生産国と思い出のバイアスかもしれない。

 

しかし、香りは確かに異国の知高地に植生する知らない薬草を思わせた。

中央に生える、キク科を思わせる厳しい環境に耐え得るであろう軋んでしなる強い緑の幹から無数に細い枝が伸び張り巡らされている。

先端に生える葉や木の実は肉厚で、そのハリのある皮の内にも、植物が生成した油脂や蜜や水分と言った栄養が一心に蓄えられている。

と、この様に、体内で行われる生命力の強い凝縮と放出が全体への振動となって感じられるのである。

そして自分はとても小さな生き物で、その薬草の茎をまるで登山の様に登っている。その途上で薬草から滲み出る油や汁、茎や葉の栄養を享受している様な気分になってきた。

口や顔中に薬草の成分が付着してベタついている。ただそれはただ粘着質に纏わりつくわけではなく、確実に私の体内に染み渡り、なお微弱な振動をしているのである。

 

その甘みは、時間を経るごとに外縁から徐々に軽い質量になっていた。その表層はカラメルのようなやや乾いた香ばしく優しい褐色に色付いている。

一方で道標の様に中心に延びていた茎の緑はいつしか縁の方へ遠ざかっていた。平地に舞い戻ったと言う事だろうか。そこにかつての鉱物の様な硬さは無く、香りは楕円のフォルムを水平に倒した様な形で影の様に広がっていた。

ラスト以降は中心と縁の香りの位置が反転しており、樹脂や脂身のある甘みや酸味はすっかり自分の体内に収まってしまった様だった。

それら香りの一群は樹脂の様な表面の艶と透明な固形感により中心に纏められ、縁を内側に巻き込んでいる。それも時間が経つごとに皮膚に張り付く跡の様に薄くなって行き、やがて消えた。

 

 

もしかしたら我々が山だと思って登っているものも、どこかの生き物から見れば小さな植物なのかもしれない。

 

色々と考えていたらいつの間にか年が明けていた。外は賑わっている。

家族と過ごす者、大切な人と並んで歩く者、私の様な1人であてもなく彷徨う者。

 

ハイマツの香りの記憶は郷愁の様に私を襲う。

今一度金色浓香の香りを嗅いだら、まだ見ぬ植物の匂いに出会いに何処かへ帰りたくなって来た。

 

 

 

 

112.心にレザー≪M VQ2(Puredistance) ≫

厚手のレザージャケットに憧れがある。

幼少期に夢中になったメタルバンドやハードロックバンドではお決まりのアイテムである。他にもパイロットやバイカー等、かつてなりたかったがなれなかった者達は皆厚ぼったいレザーのジャケットを着こなしていた。

レザー香水も私の中ではそれに分類される。

憧れと一握りの自虐を着込むための香水がレザーノートであった。

 

Puredistance がMの後継として『M VQ2』を発表してから暫く経った。レザー香水とは言え、前身とは全く違うアプローチに様々なレビューが見えた。

冒頭の理由でレザーは冷静に嗅げないところがあるが、漸く落ち着いた今、私も所感を書いて行きたい。

 

トップ:オレンジブロッサム、ピンクペッパー、ラベンダー

ミドル:シプリオールオイル、パインタール、ジャスミンサンバック、シナモン

ベース:トンカビーン、テキサスシダー、パチュリ、バニラ、ラブダナム

となっている。

冒頭は全ての香料にピントの合った様な全体がパリッとした色味で開始されるのが最近のピュアディスタンスらしかった。次の瞬間には黒紫色の木の実の瑞々しさが点在して弾け拡散し、土台付近に大きな楕円を作って行った。その拡散の上に分離して乗る様に透明なオレンジ色のやや粘性のあるシロップめいたこっくりとした甘さが滑って行くのだが、このオレンジ色の飴部分の上方はグラデーションを描く様にシャープな酸味に繋がって行く。その部分の、微細で鋭い粒子の流れはややケミカルな早い速度であり、鉄などのインダストリアルな金属を思わせた。飴の部分は早々にその下の木の実の香りと混ざり合い、全体を液体的な滑らかな質感に均して行った。

そしてその香りの先端から徐々に水蒸気じみた微細な粒子の香りが立ち上がり、やがて下に降りてくる。それはややスモーキーで灰色めいた苦味が混ざっている。機械のエンジンが起動と共に吹き上がらせる蒸気と煙の様でもあった。その先端は仄かにガソリン的なケミカルな圧を伴っているものの、勿論実際はそれらよりはずっとクリーンな透明さである。

一方でそれらの奥に収まる形になった冒頭の粘度のある暖色めいた甘さは丁度広がった木の実の香りに重なる様に土台にぴったりと張り付く様に大きく広がりきり、全体像が見えなくなっていた。最奥で均一に広げられた木の実と暖色の暗い甘さにはパチュリやシプリオールだろうか、粒の大きさや配列は同じながらそれらとはまた違ったしっとりと重い清涼感を伴う甘さが繋ぎとなっている。ある程度の湿潤感を最奥に留めておりレザーのこっくりとした有機的な甘さを彷彿とさせた。

煙はその香り全体の縁を旋回する様に吹き流れてゆく。動線を追っていると、革の表面にコーティングがなされてゆく様に煙との境目にきめ細かい光沢が生まれて行き、それにより、鼻の前の香りのフォルムが明らかになって行く。

光沢の波は緩やかなカーブを描いていた。動物や有機的な物のそれというよりは、正確に引かれた幾何学的な滑らかさのある曲線である。曲線の端は柔らかな弧を描いた後垂直に緩やかな等速で下へと降りて行く。相変わらず全体像は把握できないが、嗅覚の移動と共にこの緩急が不規則に繰り返された。ただ、プロポーションは無機質であるものの、質感はほぼ同じサイズの細かい粒で構成されているが故に押せば動き反発するしなやかさがある。

 

そこで私は、弾力の強いレザーシートの自動車のイメージを覚えた。新車らしいまだ溶剤の香りの残る清潔な内装の、クラシカルな丸みを帯びたボディの新車である。自分のものになり初めて入れるエンジンと吐かれる排気ガスの不思議と清らかな振動と香り(本来そんな事はないが…)。

そんな自動車を遠目から眺めるのではなく、至近距離で堪能し尽くす様な質感であった。

 

全体に回る煙が過ぎ去ると共に、表層のしなやかさは徐々に堅くなり、金属質な光沢を伴う固形感に変わって行った。香りの先端に煙の残り香のシャープな酸味がデジタルの粒の様に敷き詰められている事でこの均整のある金属質のボディと光沢が出来ている様であった。

その装甲の奥には、トップで見た甘い香りの群れが整然と配置されている様に確認できるが、それらに触れることは距離的に難しかった。ただ、それより手前にはまだレザーの香りを担っていたしっとりとした甘さの柔軟性のあるシートが感じられる。それらはトップで見た甘さと金属質の酸味の関係性を踏襲しグラデーションで緩やかに繋がっている。鼻が主軸で追えるのはメタリックで滑らかな曲線だが、ふと脇見をするとレザーシートに投げ出されそれに抱き抱えられることになる。

それはレースコースの様でもあり緊張感がありそうな所であるが、そこには不思議な心地良いリラックス感があった。

『M VQ2』は、普段であれば皮膚の外側に着込むであろうレザーを内側に抱き込んで香る。

普段硬質な記号を伴いがちなレザーの別の面、その包容力や柔らかな柔軟性を見た気がした。

 

煙は現れたり嗅覚のフレームの外へ行ったりと終始動き回っている様であった。

こうしてラストまでその煙と共に主軸の香りを追ってみたものの、ついぞその大きな全体像を把握できるまで離れることが出来なかった。だが、あえてその全てを一度に知らずに細部をなぞる事で全体を想像して行く作業もまた快楽である。

 

レザーも金属質の装甲も、やがて漂う煙の水蒸気の中に溶け込んでいった。煙の印影かはたまた余韻か、仄かに残ったレザーの暗い甘さと不透明な圧迫感が煙の清浄な白い線のやや斜めの背後に付いて走って行き、やがて消えた。

 

 

さて、スムーズな曲線美の他に『M VQ2』に常に感じていたのは無機質さであった。

旧版の『M』に関しては、中盤にレザーの様相になる気がしているが、それは肌に近い部分にあり、伸縮性のあるウェアラブルな革を思わせた。

それと比較して、『M VQ2』に関しては、革を彷彿とさせる部分の鼻との距離の遠さと動きの少なさ(他の香りの群れと比較して)からも、それとは対照的な、レザーが内に向いた空間的な印象を持ったのであった。

半ば無理やり007のと絡めて言えば、ボンドやQと言った生き物というよりやはり自動車のアストンマーティンを連想する。

序盤〜中盤の、気体的な香りが空間内を通り過ぎ香りの表層を撫でて行くことでレーダーの様にそれらのプロポーションが浮き上がってくる描写や、光沢のデジタル感は何やらQに改良された様な近未来的なハイテクさを思わせた。

 

自動車を彷彿とする香水はあまり出会った事がなかったため、自動車好きとしては嬉しくもあり、変なバイアスを心配する所でもある。

 

 

この記事を書き終わった後、M VQ2の残り香と共に少し上野を散歩をした。

少しだけハードボイルドで行きたい時、上野ほどその願いを汲んでくれる街はない様に思えた。

そしてよく覗く輸入品の店の季節外れのレザージャケットを試着して、結局買わずに帰った。

 

 

puredistancejapan e-store

 

111.雪解けの記憶<Essence du Sérail(Sous le Manteau)>

去年から今年の頭にかけて随分環境が変化した。

 

登山を始めたのも変化の一つであり、去年の秋口には城山と高尾山を案内してもらった。

その城山から高尾山に向かう登りの道で、ある香りに遭遇した。

それは濃い菫色の葡萄の果実めいた瑞々しさとオシロイバナネロリの鈴のような丸く明るい甘さで、ススキに満ちた山肌のひなびた風情と辺りの草木の乾いた香りとは明らかに異質に感じられた。

その不意に現れ至る場所で転がる様に鼻を掠める艶のある華やかさは禁欲的な山行には些か不釣り合いで、己の浮き足立った気分が顕現した様にも感じて正体を突きとめるまで集中できなかった。

その香りの主は後に『葛』の花の香りだと判明したのだが、ある日何とは無しにSous le ManteauのEssence du Sérailを吹いた際、媚薬のイメージより先にその香りとそれに伴う山の記憶が喚起されたのだった。

所感は以下。

 

トップ:イランイラン、ベルガモット

ミドル:オレンジブロッサム、ピーチ、プラム、ヘリオトロープジャスミン、スズラン、ローズ

ベース:サンダルウッド、アンブレット、バニラ

となっている。

冒頭は曇天のような灰色めいた乳白色の色味が広がるが、それはある所から上には拡散されずに中腹にジワリと留まった。そこを縫うように、紫色のとろみのある内にくぐもるような粉っぽさのある露が溢れ出し、中央部に伝って流れてゆく。それはオレンジフラワーの明るい透明な甘味に抱き込まれたフルーツ等による濃い葡萄のような凝縮する酸味を持った甘露でもあり、表面に纏う白い粉っぽさはイランイランの薬草めいた有機的な甘さとライラックの様な、半音浮ついた様な仄かなえぐ味と花粉めいた圧力がある。それら花の花粉がこの露の重さを作り出しており、拡散せずに重力のままに一方向に移動している様だった。時折最奥におそらく合成香料の金属質のニュアンスが走るのだが、それの残す余韻が先程の紫色の露と混ざり合う事で血の様な質感として感じられた。この血流の様な流れは主軸の香りとは終始違うスピードで全体を旋回していた様に思う。

引き続きトップノートの動きを眺めていると、露が垂れる先の、まだ剥き出しではない透明で肌の様なパウダリーさのある滑らかなベースノートが作り出す中央部が谷の様に窪んでいると気付いた。露はそこにゆっくりと溜まって行く。

その谷間を覗くと、底に行くに従って色の陰影は深まり、薄暗くしっとりとした湿潤感が全体を満たしていた。露に含まれていた、彩度の高いピーチやプラムの甘酸っぱい熟した果実の重い水気を含んだ香りが光沢の様に香りの表面に時折顔を出すため照り返しの様な印象を受ける。それらを見ているとやはり微弱に水面を揺らす露は変わらぬとろみと重さを感じさせた。

いつしか露は谷間に注がれ切るが、ラストまでそこに留まる訳ではなかった。

ベースノートの土台に溜まるトップ〜ミドルの香りはそのきめ細かい軽い白い粉を固めて作られた様な質感の土台に徐々に染み入り、その湿潤感をもって厚い雪を溶かす様に混ざり合っていた。

白と紫色が混ざり合い、まだその個体と液体の狭間のペーストの中にサンダルウッドやアンブレットの粒感を感じさせる質感となり、境界線を曖昧にして行く。

時間が経つと共にまだ混ざり切らずに認識できる黒紫色の露の特徴はレイヤーを反転させた様に己が混ざり溶かしていたベースノートの粉っぽさの裏側に感じられる様になった。ムスクベースであるのだが不透明で温かみのある、ぬっと内に籠る様なある種奥まった汗ばんだ場所で香る体重の様な香りたち方を見せていた。

ラストに近付くと、いつしか露は混ざり切り雪解けのみぞれは地面に染み入り切ったのだろうか、ダウナーさを柔らかく軽く拡散させ始めたサンダルウッドの乳白色の軽い粉めいた質感の中に、かつての紫色が熟し枯れかけた花の褐色めいた色合いを強めて感じられる様になった。未だ白い花の気配がかなり上方にうっすらと認識できる。これらは混ざりきらなかったものの痕跡なのか、これからやって来る春の気配なのかは分からない。

これらラストの香りはトップ〜ミドルの様なレイヤーが分かる香りの群れではなく、大きな一つの層に集約されている様にも見えた。それらは一つになった細胞の様に細かく曲線を描く縁をお互いに差し入れる形で繋がっている。そのお陰で全体の香りが粒子の中で均一に地面に伏しほとんど動きは分からなくなっていた。

雪解けのミドルの結果として用意された様にも思える静かなラストであった。

 

人はしばしば終焉だけを目指しがちである。しかし、ゆっくりと時間をかけてお互いの雪を溶かし合うその時間自体もまた、芯まで染み入る程に濃厚で甘やかなのではないか。などと思える香りである。

香り自体が直接身体に作用こそしないが、確かにこれは「媚薬」的に感じた。少なくとも私がこの匂いを嗅ぐ際は自分とは違うスピードの何かが私の精神との境界線を超え背中に衣擦れの様に流れる気分がするのである。

 

 

Essence du Sérailを腹部に付けた2度目の日、そんな事を考えながら電車に揺られて帰った。

 

さて、個人的にはEssence du Sérailはどうも自分にとって秘めておきたいプライベートな記憶と結びついてしまうらしかった。

そこに溺れるのも楽しそうではあるのだが、それに気付いた後に2度着込んだ私は更に喚起される記憶を増やしたくなる強欲な人間であったという事であった。

 

薄暗い自宅に帰ると、昼下がりであるにも関わらずすぐに眠気が襲い、いつもと変わらない自分の匂いの布団にくるまって眠った。

 

 

sous le manteau ™

110.低血圧なグルマン、あるいは私の肌の香り《ECCENTRICITY(JMP Artisan Perfumes)》

少し前、形容し難い心ここにあらずな状態が続いていた。

心地良かったが、浮世を離れ過ぎて仕事に支障があった。

もしかしたら先の聞香会のために砂糖を抜き過ぎたのかと思い、一度しっかりと糖分を摂取して脳を現に戻そうと喫茶店に向かった。

 

その日初めて入った地下の喫茶店では、黒い色のシャツを着込んだぼんやりとした1人客は私だけであった。

カウンターに座ってカフェオレを頼むと、古いバーの様な照明と喫煙可能の喫茶店特有のヤニと煙の乾いた苦味で壁がもったりと内側に膨張して感じられる独特の匂いが迎えた。店内のカップル達は何故テラス席のある輝度の高いカフェに行かなかったのか不思議に思えた。

 

この日身に付けていたのはポーランドの香水ブランド、JMP Artisan Perfumes のECCENTRICITYだった。

ちょうどコーヒー類の所謂グルマンの香水なのだが、厳密にグルマンと言えるのかは分からない、グルマンとスキンフレグランスの間にある様な所が妙に気になって折に触れて使っていた。

カフェオレを待つ間、それを改めて探ってみることにした。

所感は以下。

(シュルレアリスムを引用している香りらしい。ただ、それを絡めると長くなるため敢えて一切考えずに記録に残す。タイトルとの関係も一旦は考えない)

 

ECCENTRICITY

トップ:カラメル、ローズ、チェリー、ジャスミン、ココナッツ

ミドル:サンダルウッド、バニラ、カプチーノ、アーモンド、バター

ベース:ホワイトムスク、アンバーグリス

 

トップから一気にカラメルの効いたカプチーノの香りが中心に広がる。カプチーノは既にバニラやアーモンド、ココナッツ、バターの舌の内側に籠る様なスイーツを想起させる不透明な白色の甘みとミルクの表面に張られた薄膜の様なこっくりとした油脂感によって結構な加糖と泡立ちがなされている様に感じられる。が、同時にその泡立つ甘さの奥に淹れたてのコーヒーのカリカリとした香ばしい暗色の苦味も伴っているために、甘さのテンションはこれ以上は高まらない。

その下にチェリーの、これもまた暗色の甘酸っぱいペーストが満遍なく引かれている。動きはほとんど無く、フルーティーなコーヒーの酸味とも感じられる。ベースの現代的なアンバーグリスもまたこの甘さに最初から加担しており、そのややべたついた茶褐色のシロップは、白いもったりとした無機質なカップの縁の零れたコーヒーの筋を思わせた。

確かに美味しそうなグルマンであるはずなのだが、その写実的な描写ゆえか、やや薄暗く沈んで堆積するダウナーな始まり方である。

一方でこのカプチーノの香りの奥には木質の低調なテンションが、カプチーノとは距離をおいた別軸で走っている様にも感じられた。サンダルウッドだろうか。だいたいベースであるサンダルウッドがミドルに配置されているのも面白い。この木の手触りは爪を立てれば跡が付く程度に柔らかくやや粒子感があるが、サンダルウッドによくある甘さは控えめである。その上を時折薬めいた清涼感のあるローズがまるで関係のない様に澄まして通り過ぎる。そこの清涼感同士が交差すると誰かのつけているモダンニッチなコロンの様に香りが一瞬舞い上がった。

この異なる二者が対峙する様を俯瞰する状況はしばらく続く。他人事を眺めるには丁度良い距離である。

だが、時間的にミドルに近付いた頃、ここへ来て柔らかな物言わぬ木として認識していた最奥に、ちりちりとした繊細な粒子を感じられる様になった。

甘いコーヒーの揃えられたダウナーさとはやや異質である。血の通った、うすくその奥の呼吸と脈が伝わる様な有機的な抑揚をもって漂っている様に、まるで何かの皮膚の様に感じられる。

それを知った途端、コーヒーに絞られていた薄暗い視野が開けると共に、遠くで併置されていたとばかり思っていたコーヒーとその皮膚が自分の肌の上で一気に距離を縮めて重なり合ってしまった。

全貌に光が当てられた今、トップで具体的に描写され尽くしたはずの「コーヒー」はどこにもなく、あるのは私の肌のみであった。

そこにはムスクの軽さを纏い、乳白色の圧のある柔らかな油脂感が湯気の様に上層に立ち込めている。飲み物というより人肌に近い温度であった。

その湯気の下にはアンバーグリスらしい暗褐色のカラメルの香ばしい甘さが敷かれている。辛うじてその上澄に小さな球体として感じるかつてコーヒーであったであろう苦味は、カラメルの煮詰まった甘さへとジリジリと染み込む様なグラデーションを描いて繋がってはいたが、それもコーヒーではなく汗ばんで焼けた肌の表面に走る塩気の粒子となって肌の上に角を立てていた。

カラメルが遠退くとその下から再び顔を覗かせるローズとジャスミンはトップに比べたらはっきりと主軸として香るが、具体的な個々というよりは、束になり表面が外向きにややシャープに突出する蜜のような甘いニュアンスを持った抽象的な線として全体を横断している。その外縁には温かくベビーパウダーめいたきめ細かいパウダリーなムスクが肌と一体化している様に定着している。

それを聞いていると、確かに自分の肌であるのだが自分を通して誰か他人のそれを嗅いでいる様な感覚に陥った。おそらく冒頭でも感じたバターの様な質感の透明なニュアンスが未だ嗅覚と香りの間に残っているためである。それが常に距離感を助長させ、一貫した低調さに繋がっている。

やがてコーヒーの香りはそのジャスミンとローズの層を濾過する様に通り過ぎ、ムスクに取り込まれて行く。油脂のニュアンスは水分を抜かれて苦味を増しており、仄かに塩気の細かな三角形を底に残しながらそれ以上染み込まずに肌の上に止まっていた。

ラスト以降は汗が引く様にジャスミンとローズも肌の奥へと遠ざかった。残るのは甘めのパウダリーなムスクと乳白色の内に巻く様な圧、そしてそれの中で粉々になって満遍なく沈澱する乾燥した豆の苦味の粒だけになった。

時折思い出した様にアーモンドと塩気の効いたニュアンスが表層に香るが、鼻を近づけると煙の様に揺らいでしまった。

 

 

コーヒーと肌。香りの中で通常であれば全くの別物である二者の境界線が溶けている。

コーヒーが私になったのか。あるいは私自身がコーヒーになったのだろうか。

コーヒーを覗く時、コーヒーもまたこちらを覗いている。という事か。

そんな下らないことを考えてしまった。

 

トップからの変化と構成がトリッキーで、やはり今の作家香水らしい作品だと感じた。

ただその変化も常ににダウナーな調子に終始するので、私の様な深読みする孤独と暇さえなければ男性も付けやすい甘さ控えめのグルマンとして日常使いできるだろう。

 

 

このタイミングで出てきたカフェオレはカクテルの様に二層に分かれており、喉に流し込むと立体的な甘味と共に洋酒の蕩ける香りが口に広がった。

頭を冴えさせるために訪れたのに、またぼんやりとした真綿に沈んで行く様だった。

カップル達の少し弾む張りのある声音が丁度音楽の様になって行き、暫し聴き入った。

 

About JMP Artisan Perfumes

 

 

109.香木の霊魂(香木7種のレポート)

麻布香雅堂にて開催されたイベントで、今更ながらほぼ初めてしっかりと香木を聞いた。

月の初め辺りに香道の展示を見てからというもの香木への機運が強まっており、今回然る殿上人のお陰でイベントを知り幸運にも予約が成功して今日を迎えた。

私はこの日がとても楽しみで、砂糖と化学物質の摂取をかなり控えたりと脳と嗅覚の浄化と養生に勤しんで臨んだのだった。

 

会では7種類の香木を聞いた。

テーマは「苦」であった。

初めてであるため、嗅ぎ分けや銘柄当ては考えず香木の香りのみに専念する事にした。

五味の識別も出来ない様な、専ら香水ばかりを嗅ぐ者が香水の文法で香木の幽玄さを語る恐れ多さは強く感じている。が、この感動が冷めないうちに下記に所感を残したい。

香道経験者は素人門外漢の一感想として温かく見守って欲しいし、未経験者はあまり参考にしないで欲しい。

 

①面白(伽羅)

まろやかな動物的な酸味のある厚めの層を潜ると、横に流れるミルキーな甘味のある暗いグレーに乳白色がかかった層がある。その中にシナモンめいた明滅が局所的に凝縮したような形で均等に配置され流れている。これは通常でも茶色の鮮やかな点として現れ認識できるのだが、香りを極限まで吸い込むほどに周囲の甘さが嗅覚によって引き延ばされる力によって外側に引っ張られるように拡大して感じられる。

全体的に横に流れる層が堆積されている様な印象を受けた。

高温で焚くと甘味の立ち上がり方がぐっとふくよかに迫ってくる。柔らかな温風のようで、意識的に吸い込もうとしなくても形が良く分かる。香りの縁のグラデーションが柔らかくなり、中心部のちりついた茶色の部分との境目がやや曖昧になっていた様に感じた。

優しい聖なる動物、あるいは温帯の太陽のようでもある温かさだった。

 

②志(伽羅)

こちらはちりつきが表層と底に掛かっており、それに挟まれた滑らかな中心部はほの暗く沈着であり、あまり動きはない。終始①とは対照的なクールな温度であり、スパイスの粒子に似たちりつきと中心の境界にはどこかヒノキやシダーウッドなどの木の幹の清涼感が仄かに感じられた。

高温で焚くと、沈着なテンションはそのままながらより運動が明確に感じられた。苦味的なちりつきが一層一本の平たい帯の様に繋がって感じられれ、それが繋がったまま動いているのだが、やがて上から中心を突き抜けゆっくり下へ降りて行く様な動きをしている事に気づく事が出来た。

断崖に走る太古の地層を見ている気分になった。

 

③春霞(緑油伽羅)

最も西洋的というか現代的な香水にも近い香りの運動であった。焚く前から香りが感じられ、その際は華やかなきめの細かい白い粉が軽く縦に流れる。どこか歌舞伎的な艶を感じた。

これを焚くと、白いまったりとしたミルキーな流れの中にミントの様な甘味のある柔らかな緑がかった香りが螺旋状に広がってくる。この筋の輪郭にはちりついたスパイス感が縁取っており、その先端の微弱な鋭角さが筋のコントラストを強めている。その華やかさに和の飴玉のような質感も覚えつつ、この運動のある種の派手さに①や②には無い「水」的なものを感じた。ただ動きが明確さの軽快さに気を取られて層の縦軸の観察まで手が回らなかった。

 

④雪間の草(羅国)

樹脂化があまりされておらず、やや若いものらしい。

伽羅と変わって全体のフォルムが丸いと感じた。暗い色のこくのある酸味の皮の中には、甘味の中にハーブめいた緑がかった苦味がある。この点は③に通ずるが、こちらは中心が柔らかな乳白色に満たされており、安定しておりあまり動かない。全体的に淡い緑色の強い色合いで明度が高く、①や②の様な重みは弱いがプロポーションの丸みと優しさで言えば1番印象に強い。

 

⑤朧月夜(真南蛮)

こちらも丸いフォルムに感じた。中心は甘めのスパイス的な小さな明滅を感じられ、やや暗い重厚感がある。層の境界他のものに比べて明確ではなく、中心部の甘さは伽羅に似ていたがもう少しシナモンの様な温かな体温の部分が緑めいており清涼感がある。中心は汗ばむようなじわじわとした湿度で、明滅はその動きと合わせて絞られて染み出す様に動いている。

高温で焚くと、丸いフォルムの中心に、茶褐色の粒子が幹のように太い幅で縦に走る様に感じた。高温で焚いた際のフォルムの変化が一番顕著で驚いた。

 

⑥柴の戸(寸門多羅)

ややしょっぱみの様なニュアンスのあるちりつきがあり、こちらは角の丸い三角形を思わせた。暗い色合いのスパイス様の明滅は中心を三角形に取り巻く太い線状になってベルトコンベア的に均一なスピードで絶えず回っている。ちりつきにフォーカスするとシャクシャクとした涼しい質感をしており、そこに切り込まれた細かい間隔で確認できる溝は、なぞると殊の外深く刻まれた凹凸になっていることが分かった。

中心はやや狭く④に似た乳白色のやや閉塞感のある香りが詰まっている。どこか緑がかった甘味は中心に行けば行くほどしっかりとした質量になっていた。

 

⑦あから橘(赤栴檀)

何の木か分からないと言った所で興味津々な種類であった。実際焚く前から明らかに沈香の香りではない爽やかな酸味がある。

焚かれた香りはフランキンセンス的な柑橘系を思わせる明度の高いシャープな拡散を見せた。全体的にも柑橘系の花粉の粒子の細かさに近い粒が全体に散らばって漂っている。

フォルムは伽羅に近い、横に流れる層の堆積に感じられた。最奥は伽羅の乳白色に近い重さと滑らかさを感じたが、やはり全体が粒子的で軽かった。

 

 

以上である。

個人的には②の辺りで目に入る光が多くなった様な覚醒感を感じて印象深かった。

「苦」とは何なんだろうと考えてみたが、私の知覚においてはスパイス的なちりつきの事なのかもしれない。他の香りは面で大きく動くが、このちりつきはやはり粒的な小刻みな動きをするため、香水の運動に慣れ親しんだ者としては動きとしてのニュアンスが掴みやすかった。

 

 

香木の香りを聞く事は生き物の最奥の魂魄の香りを聞いている様な気分であった。

 

途中その途方も無さに放心しかけたが、いつの間にか何百年も経て巡り会えた木々の魂に触れる幸福感に包まれていた。

人の香りを吸い込むのはその人の霊魂(エスプリ)を吸い込む事だと誰かが言っていたが、それが今なら何となく分かる。

聞香で香木の最深部に触れようと丁寧に注意深くその香りの質を聞いて自分と溶け合わせてゆく喜びは、人を愛した時のそれに似ているのかもしれない。

 

書き切らない事も沢山あるが、今日は良い経験をした1日だった。

明日からの人生もまた香りを聞く様に丁寧に聞いて行けるだろうか。

ただ、今は今日1日の香気に浸っていたい。

 

108.ロシアの記憶《Ladanika(Ладаника)》ロシアニッチ香水レポート

世の中が今の様になる直前にロシアのインディ香水と作家事情が気になった事があり、Ladanika(Ладаника)からサンプルを購入していた。

その後今のような状況となり、どうやっても香水へマイナスな印象を与えかねないと感じて公表のタイミングを逃していたのだった。

が、戦争は良くないにしろ、第三者の国の者が当事者国の個人や文化と戦争を全て結び付けて忖度して語るのもまた野蛮な行為である。

私は昔からロシアの文化や料理や映画が大好きであり、これは今後も簡単には変わらないだろう。(ペリメニは自作するし、トルストイは10代の頃のバイブルで、映画『太陽に灼かれて』や『ミトン』、『霧の中のハリネズミ』などは最高だと思う)

という事でレポートを公開したい。

 

さて、Ladanika(Ладаника)はロシアの調香師達がロシアにまつわるテーマで香水を作成するプロジェクトで、ロシア全体のニッチ香水の発展や作家の認知に繋げるのがねらいの1つらしい(私とGoogle翻訳による解釈だから本当はどうか分からない)。

サイトからは各調香師達のプロフィールやブランドにも飛べる様になっている。

香水に関してはやはり意図的であろうが、各調香師は「ロシア土産」を思わせるだいたい同じグレードの香料を使用してライトに作成されており、そこがむしろ香料自体の良し悪しに左右される事なくコンポジションや作家の調香のエッセンスを楽しめた気がして、各作家が個人ブランドで展開するフルスロットルの作品を聞いてみたくなった。

 

まずサンプルを10種取り寄せてみた。

以下にレポートとして軽い所感を残したい。

(和訳はGoogle翻訳と私であるのでおそらく正確ではない)

 

①Аленушкины сказки(アリョヌシュカのお伽噺)

主にキッチュないちごキャンディーの香りで、日本人でもノスタルジーを感じる者は多いだろう。しかしこの香りで目を見張るのはミルクを初めとした動物性の香りである。濡れたキャンディーを包むその生っぽい温度のアニマリックさは他になく無臭で無防備であどけなく、透明感を保ったイチゴのケミカルな果汁感で湿る事で飴を舐めている人間の吐息や気配の様に近くで香る。不思議と安心するその香りの主はお伽噺に聞き入る我が子か、それともあの頃の自分自身か。

 

②Темные аллеи(暗い路地)

徐にフルーツの香りが立ちはだかるが、その先にはそれとはややズレたような白い無機質な道が通っている。それが通り過ぎた後は外縁が干された草の様な茶色いカサカサした香りのリンデンの圧のある緑がかった香りが中心になるが、そこでもやはり無機質な酸味を伴った滑らかにコーティングされた金属質を仄かに感じる。書き割り的な動きと情景的なズレが忘れられない香りだが、ロシア人的にはリアルな路地の香りだというレビューを見た。本当に?

 

③Вальс цветов(花のワルツ)

おそらく調香師の中で一番年長であり、旧ソ連時代から調香をされている作家の作品。クラシカル香水らしくアルデヒドジャスミンの上物の口紅の様な滑らかさから始まり、ライラックやイランイランなどの花々がメロンの様な丸い汁感をもって軽快なスピードで回りながら混ざり合う。そこから徐々に緑とシクラメンのクールに走る楕円状のスパイシーさが中心から開いて行く様は、花がその蕾を開く直前の一瞬を見ているようでもあった。

 

④Березовый сок(白樺の樹液)

一本縦に伸びる明るく爽やかな苦味のある木と、そこから大ぶりなバーチリーフのシャープな緑の香りが外側に広がっている。寒冷地の暖かな朝の様な爽やかさの中木から発される透明な蒸気の様なスモーキーさの中を進むと、甘さの控えめな樹液が露玉を作っているのが分かる。そのほのかな温かさを感じようと近付くと葉の苦味が影となり、幹の部分と一気に距離が縮まる。自分も樹液となって木の幹に抱きついている様な感覚を覚えた。

 

⑤Подмосковные вечера(モスクワの夜)

近くで香るベチバーと干し草のむせかえる様な香りは吸い込むとその先に柔らかなクローバーやリンデンの薄緑色、さらに最奥には甘酸っぱい小ぶりな木の実の濃く凝縮された色が受け止めている。辺りにはリンデンから派生したミルクめいた霧状の優しい乳白色の壁が敷かれており、それは一見不動であるが、いつの間にかそれに全てが霞んで行く。ロシアというと雪のイメージしかなかったが、寒冷な地域で育つ強い緑の香りも豊かな国なのかと考えられた。

 

⑥Русская сказка(ロシアのおとぎ話)

スモーキーな毛皮の香りが森の緑めいたベリーの香りに覆い被さっている。そのベリーに注視すると感じられる蜜めいた香りはアニマリックさを肉厚に、大柄に見せて行く。そのせいなのか紅茶や茶葉が含まれているからか、毛皮の中のベリーや花の香りは暗い色のコクのあるやや苦めの液体の中に沈んで行く。全体を通して常になんらかの動物性の生っぽい気配が漂い、それが妙に異国的に感じた。

 

⑦Русская Матрешка(ロシアのマトリョーシカ人形)

鮮烈なベリー系の香りとくっきりとした茎感を持った緑の中に柔らかなグルテンの様な内側に籠る香りが奥から広がって来る。それらの間には薄いガーゼめいた布が柔らかく噛まされている。その後は蜂蜜に似た熱を持った甘さが湧き上がると同時に放射状に広がるリンゴの発酵感やシード系の苦味などの香り達がほっこりと内側に抱き込められて人の手の温かさに似た温度で香る。様々な味が飛び交う賑やかな香り。

 

⑧Казачий Дон(コサックドン)

光を抱き込んだウォータリーな明るく透明な紫色の渦の底には頭をもたげたタバコと草の苦味のちりつき、鉄めいた重みが沈んでいる。半音上がったバイオレットリーフの心地よいエグ味が周囲に馴染むとミルキーな甘味に溶け込んだ緑の香りが押し寄せて全体が浸される。その中にゆっくり甘みが落ちて行くと同時にタバコのスモーキーさが澄んだ明度を保ったまま上がって来る。ドンは川の名の様だが、明るく澄んだ川なのだろうか(敢えて調べない事にする)。

 

⑨Кот Баюн(キャットバイウン)

ロシアのおとぎ話に出て来る巨大な猫の事らしい。猫好き国の猫の香りという事で興味深い。

プルーンの様な暗褐色の甘味は熟成したコニャックの様なとろつきと浮遊感を醸し出す。ただジャムのブラウンシュガーの様な香ばしく空気を含んだ甘味とざらつきが甘過ぎない。そこへ徐々に乾いた渋味が仄かに加わり始めるとプルーンが混ざり合い、酩酊の中で見る幻影の様に湿潤な動物の輪郭をぼんやりと形作って行く。色味がチェシャ猫の様であるが彼よりずっと沈着で老練な猫の様に思えた。

 

⑩Баба Яга(バーバヤーガ)

こちらもお伽噺に出てくる山姥?魔女?らしい。しかし不幸にも紛失してしまった。また発見されたら改めて所感をのこしたい。

(この銘だけが消えるというのも何やら意味深である)

 

 

総じてロシアの記憶のノスタルジックな部分に着目したアプローチが多かった様に思う。触れば崩れてしまいそうな浮遊感を持つ香りたちは、旧社会主義圏の可愛らしいヴィンテージ皿を思い出させた。

また、しばしばアニマリック香の使い方や表現の仕方が欧米よりもアジア圏に近いものが見られたのも大変興味深かった。やはりロシアはアジアなのだな。と感じた。

 

今、ロシアの香水作家も厳しい立ち位置らしい。この混乱が収束した時、ロシアが、そしてそのインディ香水シーンがどうなっているかは日本人の私には予想できない。

しかしこの興味深いプロジェクトや個性豊かな作家達の活動はどうにか続いてほしい。そしてロシア香水の魅力を更に知って行きたい。様々な表情を堪らなく見たいのだ。

 

そんな願いを胸に、今晩もロシアレストランのスンガリーで覚えたロシアンティーの再現に精を出している。

 

ladanika.ru

107.日傘の中のトロピカル《ALOHA LEI(fūm)》

春の冴えない頭を凝縮した様な週末である。

すっかり辺りは草花の香りに溢れ、正午になれば厚着を後悔する様な陽気になる。

その月の連休の最後の日は水辺のカフェのテラス席で虚無な老人よろしく薄ぼんやりと湖畔の風に当たって過ごした。

自分の働きぶりにしては珍しくかなり多忙を極めており、あらゆる情報にうんざりしていた。

そんな状況だと、カフェの何も考えていなさそうなピアノのBGMも何だかありがたく思えて来る。

 

普段なら疲れと香水の使用頻度は反比例するものなのだが、今年はここまで疲れている中でも、自然と手が伸びる香水があった。

アメリカのパフューマリー、fūmのALOHA LEIである。

ALOHA LEIという名の通り、プルメリアがモチーフの中心になっている。

普段は南国モチーフのものは大きな理由がない限り手を出さない(なぜなら夏の昼間が苦手だから)。しかしこの香りは南国らしからぬクールさとビターさがあり、そこに見事にはまってしまったのであった。

説明は後ほどするとして、所感は以下。

 

トップは優しく柔らかな質感のパウダリーな白い花の香りで始まる。基本はフランジパニ的な肉厚な白い花であるものの、そこに含まれるどこかフリージアに似た緑の生温かさによって温度は低めに感じた。その粉質は白い花の持つ鮮烈に迫る様な動物的な香りと言うよりは周りに纏う花粉のみヘリオトロープやバイオレット等に近い、ベビーパウダーめいた角のない内向きに丸まる様な香りである。

おそらくこれは徐々に回し入れられた様に混ざり始めるミルキーな香りも原因なのだろう。

ミルクもまた動物的なまろやかさのある液体ではなく、カルダモンなどのクールなスパイスが微量に溶け込み脂肪分の低いラクトン的な粉末感を帯びて認識できる。それらは一定の速度を保ちながら花粉の間を流れていた。その運動は低い位置を崩さず、何の抵抗も受けずに抑揚無く横に流れている様にも感じられた。

例えれば、オシロイバナの種の中の粉の様な奥まり方である。

また、丁度今の季節、沈丁花の花の香りに遭遇したとする。明るく拡散する春めいた香りの下方に何やら広く時間を超越している様に大きく横に流れる、粉っぽい下への圧のある乳白色の帯が感じられる時のその香りにも似ている。

そしてその乳白色のラクトンが流れ続けることで、その重さが全体を落ち着いた調子にクールダウンさせつつうっすら白くぼやけている様にも見え、主軸の花の香りとの間に何らかの距離がある様なフィルターとしても感じられた。

さて、やがてその無垢で甘みのあるパウダリーの白い花の香りの一群は丸い形として落ち着いた。

その間ラクトンはやや水気を増して流れている。その水分が徐々に中心部に溜まって来ることで、中心部はラクトンと花粉が混ざり合い瑞々しく仄かに朱色に色付いた甘い香りに変化しており、何やら口に含んだり噛んでみたい気持ちが沸き起こる様な果肉の固形感となっていた。それは南国の野生的なフルーツの様であり、マンゴーやパイナップル、ライチの類の果汁が明るくジューシーに拡散する果物というよりは、ラクトンの低調な運動のおかげかしっとりとした果肉の甘さが控えめなグァバやパパイヤを彷彿とさせる。

その周囲に注意を向けると、ジャスミンネロリの圧の強い濃厚な花粉やその中にある内側に入り込むようなえぐみ等の従来白い花の記号になる花の香りが最上層を通って中心部の果肉を輪郭として縁取り始めていた。それらの花粉は外側へ真っ直ぐ伸びており、先端になる程にムスク的な人肌に近い香りに変化している様であった。その最端を経て後ろを振り返ると、相変わらず周囲を流れ続けるラクトンの水脈には日焼け止めを塗った肌の乾燥感や粉っぽさの様な仄かなケミカルさのある細かい網目のフィルターが掛かっている事に気が付いた。これがトップで感じた距離を作っていたのかもしれない。

そのパウダリーな縁には徐々に若い緑の香りが混ざり始める。大きな柑橘の皮の裏側の酸味と渋みと柔らかく密な綿の様な質感である。それらはラクトンの流れに流されつつ、尾を引く様に局所に残像を残しながら動いている。

ここまで流れを見ていると、香り全体が極まる前に常に互いをクールダウンさせながら運動を続けている様に感じられた。白い花は白い花として極まる前にラクトンによりクールダウンさせられ、ラクトンもまたスパイスやパウダリーなベールによってミルキーになりすぎる事はなく、またそれらは逆に冷め切って運動を止めることも無い。

暑い日に見つけた日陰、海辺のパラソルの中。春に吹く冷たさの残る風。夏の夜。そんな常に暑さを感じる中でその陽射しからはぎりぎりに逃れられた時のグレーなリラックスした気分とその中で暑さで沸騰した状態からゆっくりとクールダウンしてゆく自分の身体と頭の状態を彷彿とさせた。

この敢えてどこにも振り切らずにグレーな状態を静かに維持する構成はどこか都会的であり、とても今のアメリカ香水だとも感じた。

ALOHA LEIはアンニュイな休日に最適だと思う。実際私は毎回週末に使っている。

 

因みにALOHA LEIの香りの変化だけでなく、fūm fragranceの香水全体に感じる引き算的なアプローチには好感を持てる。

fūmの調香師のMiss Laylaは料理人でもあるらしい。それを聞いてこのfūm特有の香りのミニマルさが何となく腑に落ちた。

丁度良い素材をシンプルに絞り込んで丁寧に作られた料理を食べている気分になるのだ。だからこそ、その中に現れる素材の組み合わせの癖やノイズも自然に味わえた。

香りを文章化する際に味覚的な形容が似合うのもそれが理由なのだろうか。

(Miss Laylaは味覚の共感覚も持っているらしいが、そこを関連付けて語るのはまたの機会にしたい)

 

 

春は頭が働かないが、それは不思議と精神には心地良い。

結局この日は辺りが夜の気温になるまでテラス席にいた。

 

 

fūm - ART FOR YOUR NOSE

 

Miss Laylaのインタビュー記事もあった。

Meet Miss Layla of FŪM AKA: Fūm Fragrances in North Hollywood - Voyage LA Magazine | LA City Guide

Conversation with Miss Layla of Fūm Fragrances |