polar night bird

香りの記録

86.アーモンドの花《ALMOND(Ortigia)》

ラクレットの店で、こってりしたチーズのスイス料理の後に、アーモンドフレーバーのエスプレッソを飲んだ。

 

なんだか今年は香水でも植物系ミルクと並んでアーモンドが気になっている。

いくつかのブランドでもその傾向はぼちぼち見られている。

 

そのきっかけのあった日は、漸く仕事終わりにミッドタウン内の香りものを調査しに向かっていた。

オープン当初は遊園地さながらの混みようだったが、

それから約一ヶ月、平日の夕方は辛うじて幾分か落ち着いた混み方になってきた。

日本初上陸の店舗が多いと聞いていたのでどんな香水があるかと楽しみにして行ったところ、ルームスプレーばかりが目立って香水が見つからなかった。

このまま見つからなかったら潔く帰ろうと思いながら3階を回っていたら、雑貨屋のTempoの前を通りがかった。

すると、奥の棚にOrtigia(オルティージャ)というシチリアの香水ブランドの商品が揃っていた。

見慣れない顔だ。

何でもまだ卸す先が他に見つかっていないそうで、現在Tempoの店にしかないものだという。南青山にも店舗があるらしいが、そちらにもあるのだろうか。

 

香りはその鮮やかなパッケージデザインとは予想外に甘さが控えめであっさりとしており、香り立ちは締まっていた。ミドルレンジにしばしば見られる金属的な軋みがこのブランドに関しては良い意味でのアクセントになっていたように思う。

(因みにシチリアのサボテンの香りのフィコ・デ・インディアが一番人気だそうで、何となくフエギアのラテン感と通じるものがあった気がした。)

 

私がその中で一番気になった銘がALMONDだった。その名の通りアーモンドの花の香りらしいが、他の香りと比べて明らかに香りのトーンが違ったので興味を持った。

 

所感は以下。

 

 

アーモンド(ALMOND)

→トップはユリなどに通じる鼻に抜ける直線めいた筋感とそれに乗ったグリーン、そして奥には油脂めいた滑らかな層を感じる事が出来る。

ムエットだとその表情がはっきり分かるのだが、肌に乗せるとすぐに染み込み、端的に言えばハンドクリーム類のような香り立ちになる。香水でこのようなアプローチのものは珍しいと思った。

若干スズランのようにも思える緑の含まれた甘さが軽やかに上層で香り、それは深くは根差していない。やがてイリスやバイオレットのような柔らかなパウダリーさも奥から広がって来るのだが、それはどこかに漂ってしまう軽さというよりはやはり全体に感じるオイリーな液状感が香り立ちがしっとりと肌の上に定着させている。しかし、矛盾している表現だが、ベース自体は不思議と軽く、その部分が香りを支えている訳ではない。

各自が各自で肌に定着し各々その深度も違う印象だった。

その部分にフォーカスすると、アーモンドという名前からの先入観からだろうか、煎ったナッツのクリスピーさもあるが、この時点では何より茹でたピーナッツやアーモンドを噛んだ時の、あのやや湿った弾力のある歯ごたえとナッツのオイルが香りと共に口の中に染み渡るようなコクを最奥に覚えた。

ミドルに近付くにつれて、その辺りから感じ始める肌に張り付くような位置でこごもるジャスミンとバニラのような香りを始めとして、香りの塊全てに潤った透明なコーティングがされているような感覚を覚えた。

そこにフォーカスしていると、インセンスやフランキンセンスのような清廉に弾ける香りが奥からやってくる。由来はウッド系なのだろう。透明なコートにある時は反射し、ある時は混ざり合いながら広がって行くため、透明なコーティングの潤いは拡張されてゆく。

その一連の有りようはキリッとした軟水のような質感で、これから甘くなっていくだろうと思っていた分ミドルでそのような表情を見せるとは思いもよらなかった。

終盤になると透明なコーティングは消え始め、その透明なまとまりから解放されたパウダリーなベビーパウダーのような香りが地面にひろがって行く。そのラストもまたミドルで現れたウッドの清潔な香りと相まるものの、依然クリーム状の香り方をしていた。

アーモンドというとグルマン的な甘さのある先入観があったが、それに反して終始分かりやすい甘さは無かった。あるとしてもあくまで植物的な、生感のある甘さだった。

 さて、後程Fragranticaで公開されている調香を調べると、

アーモンド、パウダリーアコード、アーモンドフラワー、アーモンドツリー

とストイックにアーモンドで構成されていた。

ではあのいくつかの花のような香りはスズランやイリスではなかったのか。

実際に嗅いだことはないが、アーモンドの花は杏仁の香りがするらしい。それを聞くと、トップからの油脂感とスズランの様な香りはバラ科のアーモンドの花由来だったのかと納得できた。

 

 因みにOrtigiaの香りは香水だけでなくパフュームオイルから石鹸、クリスタルパフュームまで良心的な価格で広くバリエーション展開をしていた。

Almondに関しては、いずれその中の一つは買っておきたいと思った。

 

 

 

アーモンドというとやはりローストしていたり、チョコレートの中に入っているものを想像してしまいがちだったが、この香水を知って印象が大きく変わったのだった。

当たり前だがアーモンドもまた植物なのだ。

 

スイス料理屋で飲んだエスプレッソのアーモンドはフレーバーらしいアーモンドの香りだった。

しかし飲み干す時の一瞬、その中に仄かにアーモンドの花のような香りを見つけて少し嬉しくなった。

 

 

 

 

 

https://www.ortigiasicilia.com/

 

※ Tempoの他の雑貨と並ぶOrtigaは肉眼で見てほしい気もする。

tempo23.com

 

85.夜のゆりかご《NOUN(Bogue Profumo)》

f:id:mawaru0:20180416234608j:image

 

 

夜が長い。

少し前までは銀座や新宿に足繁く通っていたが、今は何だか歩く気になれず早々に家に帰るようになった。

 

この職業になってから初めて迎える春だ。

私は深まった春が得意ではない。

その日は特に、会社周辺の会社員達の疲弊やそれらの群衆に紛れた正気ではないような浮ついた気配が生温かい空気と共に顔に纏わり付いてくるようだった。

 

仕事が終わるや否や早くこの場所から遠ざかろうと急いで電車に乗り、うんざりしながら帰路の人気のない道に入り込んだ。

 

 

その日は試香の所感を残そうとBogue ProfumoのNOUNを付けていた。

Bogue Profumoは海外では軒並み評価の高い新鋭ブランドだ。

私はまだこのブランドを総括できる言葉を持っていない。しかし、古典的な製法と熟成したヴィンテージ香料が一見古風にも思えるが、その実クラシカルの皮を纏った、最前衛の香りだとは分かる。

 NOUNもまた複雑な香りであるがブランドの中では比較的付けやすい。

案外暑くも寒くもない今の時期に合う珍しい香りだと思う。

 

所感は以下。

 

 NOUN

→最初ボトルを開けるまで、どこかカビっぽい香りを感じたが全く心配なかった。

トップはライム、ユズ、オレンジなどのトップらしいジューシーな甘みのある柑橘系の香りがプチグレンの爽やかな苦みに抱えられながらまとまった調子で現れる。グリーンはミント、プチグレン、バジル、など甘さを引き立てる類の香りが担っており、その茂った葉に乗せられた果汁が上から降り注いで来るような独特の広がらなさが、明るい香りである調香なはずなのに夜の先の見えない暗闇を彷彿とさせて印象的だった。

奥まで吸い込むと、仄かにベンゾインのようなガルバナムやレジン系の凝縮された質感の底に行き着く。この段階でややパウダリーに香るミドルの花々や層の厚いベースの存在がこれからの香りの舞台の輪郭を作り込んでいるのが分かる。

それは先ほど言ったように何か優しいものに「抱えられる」といった感覚で、どこか柔らかい狭い空間で広い空間の切り取られた一部分をメランコリックに享受しているような(決して悪い気分ではない)感覚だった。

徐々にオレンジのキャンディーのような甘酸っぱさを残したグリーンの中に時折それと交代する様にミドルのイランイランとジャスミンの気配を感じられるようになってきた。それは明らかにトップの植物とは属性の違う(同じ植物だが)、優しいが確かに動物的な血の通い方をしており、現れるとそちらに意識が行ってしまう。

ここまでのトップは例えれば深い夜空とどこかで茂る濃緑の葉的な風景が抽象的に描かれているが、ミドルに差し掛かるにつれて新しい描写が加えられてゆく。

 序盤からあったパウダリーさがクラシカルなローズとゼラニウムの表情を一層出しはじめ、面状にごく薄く広がって行く。布のような繊維感は体温と混ざり合い、グリーンと花々より手前でそれらの中腹の香りを温め始め、トップと同じように広がりは動きと言うより鼻をその場に落ち着かせるような香りになっていった。

視点は一つなのだが、手元のパウダリーさとグリーンとミドルの動物的な花の香りを行ったり来たりする感覚は、何やら揺りかごののような揺れ方だと感じた。

夜の広い庭で一人揺りかごの中で揺られながら、揺りかごの外に広がっているであろう外の草花のざわめき、野の動物の痕跡、様子を嗅覚だけで探るような幼子の気分だった。この先は己の香りの染みついた夜露に湿ったブランケットだけが味方の、孤独だが静かで神秘的な一夜の体験となるのかもしれない。

このミドルで香りの豊かさが極まると、徐々にラストに向かって甘さはベースノートのレジン部分に沈み込んでゆき、パチュリの土のような鼻に抜ける深い湿り気とセダーやベチバーなどの乾いた香りが全面に押し出されてきた。ただし、一面ドライなウッドというわけではなく、あくまでレジン系の甘さは最後まで続く。

ベースにはオリバナムやバニラとベンゾインが入っているが、ようやく見えたそれらの全貌は、トップ〜ミドルで他の香りと上手く混ざり合いクラシカルさやヴィンテージ感を醸し出していた層の厚いものではなく、浸透して行くように肌との距離を縮め始めた。その様相は今までの体験が遠い昔のように思えるような沈着さをもっている。緩やかに変化していたはずなのに、ラストの半ばまで行くと、ひょっとしたら今までの香りの揺れは全てベースの香りが見せていた幻影だったのではないかという感覚を覚えた。

白昼夢から覚めるように記憶や快楽への没入をふつりと切ってしまうような良い意味での静けさがある。

これはBogue全体に感じているが、確かに香り自体は濃厚なのだが、個々の立体的で個性が立っている香りがお互いの口を塞ぐように重なり合っており、その身を寄せ合って息を潜めているような、眼差しだけ感じるような沈黙がとても現代的だと感じた。

 

 

 

 

 

 立ち止まって腕に乗せたNOUNの香りを吸い込むと、なんだか自分が暗い道の一部となって、遠くから誰かに見られているような気分になった。

 

普段とは少し遠回りをして暗い夜道を通り抜けて家路に就いた。

 

最後の古い家の角を曲がると、その何十年も前に閉めて久しい商店のシャッターの奥からは微かにテレビの乾いた音が聞こえていた。

 

 

 

Bogue Profumo

84.春風《LE MAROC POUR ELLE/L'EAU(Tauer Perfum)》

新年度になり、外もぐっと春半ばの雰囲気になった。

先日、毛利庭園で人生で初めての花見を体験した。人々と一緒に桜を真下から見上げるのは何とも不思議な感覚だった。

桜は芳香のある種類ではなかったが、その日はふと春風が吹くと、新緑のやや柔らかさの残る爽やかな香りが花びらと一緒に降りてきて心地よかった事が印象的だった。

 

その日の直前に、タウアーパフュームのサンプルセットが届いた。

f:id:mawaru0:20180405110215j:plain
f:id:mawaru0:20180405110255j:plain


新鋭の調香師の中にも調香師アンディー・タウアーをリスペクトする者は多い。
21世紀ニッチパフュームの旅をする上では避けて通れないブランドだ。ゲランの「ゲルリナーデ」ならぬ「タウアーデ」(と発音するのだろうか…)と評される独特の香り立ちだと聞いており、どこかで入手しておく必要を感じていた。

 

今回はタウアーの変遷を縦断してみたい思いがあったので、

NO 01 LE MAROC POUR ELLE(2005年)

NO 11 CARILLON POUR UN ANGE(2010年)

NO 14 NOONTIDE PETALS EDT(2013年)

AU COEUR DU DÉSERT(2016年)

L'EAU(2017年)

の5本を購入した。

どれも面白い香りだったが、花見の翌日に本腰を入れて試香してみたところ、その日は一番初めの銘であるLE MAROC POUR ELLEと最新作のL'EAUが心に留まった。

 

 

LE MAROC POUR ELLE

→まず調香を見てみると、モロッカンプチグレン、フレッシュラベンダー、レッドマンダリン、モロッカンローズアブソリュ、モロッカンジャスミンアブソリュ、モロッカンアトラスシダーウッド、サンダルウッド、パチュリ

と一見癖のないお馴染みの香りを想起させる。実際トップの出だしはプチグレンとラベンダーの爽やかな青さが広がるのだが、すぐにジャスミンの内に籠るようなアニマリックな甘みが並走し始める。それはシベットが入っているのかと思うような濃厚な白い花の生花に鼻を押し付けたときに感じるような良い意味でのえぐみのアクセントとなっており、その凝縮された丸みのある甘く瑞々しい熱量が一気に香りの奥行を作り出してゆく。

間もなく、緩やかにプチグレンやラベンダー、マンダリンなどのトップの爽やかさはジャスミンの膜の奥に入り込んでゆく。ここでローズの香りも感じる事は感じるのだが、私の肌ではあくまでジャスミンが最前面で、ローズもマンダリンと同じ位置でジャスミンの香りが揺らめく反射で認識が出来た。時間が経つにつれて、マンダリンを筆頭とした酸味の部分がタイトに絞られてくる。ベースのウッド系の乾燥した香りがミドルの重みを支えて深みに落とし込まずに中央に固定している印象を受けるが、その下にはかつてジャスミンが開いた奥行に、パチュリの土っぽく独特の渋みのある深い沼地が出来上がっている。一歩踏み外すと途端に胃もたれするような重い花の香りになってしまうだろう。ローズの香りもあくまでジャスミンの香りを支えるようなポジションに思えた。ローズのジャスミンと比べてやや薬的な気配のおかげで中心の甘さの部分に余計な輪郭が混ざり合わない様にも思える。

水面が揺らめくように香る深淵を見下ろしながら絶妙な位置で鼻を掠めるミドルの香りは楽しくも緊張感のあるメリハリを作り出していた。

ラストに近づくと、シダーウッドが強まってきた。それによって開いていた奥行が徐々に閉じてフラットになってゆく感覚を覚えた。ジャスミンはベースのサンダルウッドのミルキーさと混ざり合い、ふんわりと柔らかい吐息のような丸みで宙に浮いている。ローズの横線の酸味がその中心を射抜いているように香るおかげで香りは変な方向に広がる事は無い。全体的にバニラのような香り方をするが、その奥のウッド部分に注目するとトップのプチグレンやマンダリンが乾いた粒子の間で水滴の様にちらついて香っているのが分かった。その水分を染み込ませて香るところはやはりウッド由来だと感じる。

全体的に香りの表面は滑らかなのだが、クリスピーに弾けるような明るい香り方をするため、香りが深まったとしてもジューシーな透明感が失われなかった。楽しい香水。

 

 

 L'EAU

→タウアーのスイスの家のベランダで感じる朝の香りをモチーフにしている。

調香はライム、レモン、オレンジ、レモンブロッサム、イリス、ムスク、アンバーグリス、ウッディーノート、サンダルウッド

と軽さのある印象となっており、L'EAUという水系の名前でもあるが、実際は柑橘増し増しのアクアノート系の淡い香りではない。

トップはやはり爽やかに、ライムの苦味とその他の柑橘が広めに用意された空間に軽やかに広がって行くが、ここはやはりタウアーで、ミドルのレモンブロッサムとイリスがすでに奥の方で優しい花粉めいた気配を見せ始めている。イリスはレモンブロッサムよりも少し前から現れパウダリーな粒子の網でトップの柑橘群を包み込んでおり、名前から想像すれば些か重めのパウダリーな重力が中腹に落ち着き、揺るぎない体幹を作っているように感じる。そのおかげで柑橘類の香りはフレッシュなフルーツ的な役割は一瞬で、そのあとは縦に伸びる葉脈のような筋張ったシャープな酸味の線となって敷き詰められて行くイメージを受けた。イリスの存在感はラストまで続く。

レモンブロッサムの気配は花弁の奥の油分を彷彿とさせる滑らかな香り立ちと共に感じられ、その滑らかさから突出した、いい意味での表面の凹凸を鼻でなぞるようなノイズ感やその粒子のランダムに弾ける香り方がLE MAROC POUR ELLEを始めとした他のタウアー香水と通じていた。

レモンブロッサムが現れてから間も無くバニラのような甘さもごく仄かに、徐々に奥からやってくるが、この部分もパウダリーというよりは蝋のようなやや重い密度と距離感の控えめな甘さのため、現段階では花そのものかイリス由来のような気もした。この密度の影響か若干カモミールのような甘いハーブ的な表情が見える時があり、そのおかげでレモンフラワーはオレンジブロッサムよりもすっきりとプチグレン寄りの酸味とやや脂っぽい印象を受ける。

ミドルが深まった辺りで奥のほうから甘さの控えめなウッドの香りが染み出してきた。そのままウッドは香りの芯の部分に浸透してゆき、全面を飲み込んでゆく。意外にもミドルのラストへ向けてのバニラの予感からは少し距離が出来、イリスのシャープな表層と併せて涼しげなパウダリーの表情を見せる。それは確かにグリーンではないのだが、夏が近くなってきたあたりの夜の公園でよく感じる濃い緑の葉の香りを彷彿とさせた。

ラストまでレモンフラワーの香りが中心にあったが、やはり終盤になると一度は影を潜めたサンダルウッドの甘さが浮上し始め、ミドルの香りは私の肌ではもうほとんどバニラ調の香りに回収されてしまっていた。しかしこの部分もウェットなグルマンのバニラではなく、あくまで花のバニラを想起させる。バニラもレモンフラワーと同じ白い花の仲間なのだったと改めて感じた。

 朝のどこか遠くの草花の香りの混ざった空気の清浄さや爽やかさというより、朝、そんな清浄な空気のうちに目の前に広がる愛する植物の息吹に触れる多幸感をイメージできる。

 

 

 

 

所感でも何度か触れたが、タウアーの香水は香りの粒がそれぞれそれなりの強度と輝度を持って四散する。それはしばしばえぐみや臭み、苦みとしても認識できるのだが、そのおかげで、鼻を通り過ぎる直前にクリスピーに展開される香り立ちが他にないポップさと臨場感で心が踊った。

それは毛利庭園で感じた春風の、ふと周囲の香りと描きこみ方の違う強度のある緑の香りが舞い込んできた時の眼が覚める様な一瞬に似ているようにも思えた。

この一瞬の季節にタウアーパルファムを試せたのは幸運だった。

タウアーの香りを聞くたびに、春に感じた素晴らしい嗅覚の記憶がいくつも蘇るのだろうと思う。

 

この記事を書き終える今日は、前の日と打って変わって朝は肌寒かった。しかし、気温が不安定であっても、やはり風は紛れもない春の香りがする。

 

 

 

http://tauerperfumes.com/

 

83.NOSE SHOPレポート《NEBBIA/UNUM/STORASKUGGAN》

昨月、NOSE SHOPがリニューアルオープンした。

 改装の知らせもぎりぎりになってから得たもので、正直このくらい大きなリニューアルだとは思っていなかった。

 オープン日前から新入荷のブランドを紹介していたSNSを見ていると、UNUMやSUTORASKUGGAN、アンドレアマーク、ソン ヴェーンと、北欧系香水を中心に(UNUMはイタリア)セレクトの方向性をだいぶ大きく絞った印象を受けた。クラシカルやオーガニックなセレクトに寄っている店はよく目にするが、ここまでエッジの効いたアンチパフューム系のセレクトショップも珍しい。

 

 

さて、今回は個々の所感は追いつかなかったので全体的な所感を残そうと思う。

 

新たなバリエーションとして、個人的になじみ深いNEBBIAとUNUM、STORASKUGGANをピックアップしたい。

改めて聞いて、やはり実験的ともいえる視点の置き方が面白い3ブランドだと思った。

 

 

 

 

UNUMは少し前にLAVSの所感を残したこともあり、記憶には新しいブランド。

 

UNUMの創始者のフィリッポはSAUFやNEBBIAも手掛けているが、彼の香水の世界への入門はもちろんこのUNUMからをお勧めしたい。

店頭には上記のLAVS、ローズを使わないでローズを作り出すローザニグラ(私は彫刻的だと思っている)、サンドニ大聖堂とゴシック建築をモチーフにしたオーパス1144、退屈さの中での内なる旅のアンニュイノワール、マリオ・ジャコメッリの写真をテーマにした神学徒たち(原題はIo Non Ho Mani Che Mi Accarezzino il Volto)、オルガン奏者のマルセル・デュプレに捧げたシンフォニー パッションが置いてある。

f:id:mawaru0:20180329124926j:plain

ジャコメッリの写真。実際に見る際はボトルの裏側も是非見てもらいたい。

 建築、写真、音楽、服飾、彫刻とフィリッポが関心を寄せる芸術の領域を網羅しているシリーズなので、各々のジャンルに馴染み深い人は更に楽しめるのではないか。

それらはイタリアの歴史を感じさせるキリスト教的なフランキンセンスやミルラ、ベンゾインなど沈み込むようなレジンの香りが内にくぐもるように分厚く漂うのだが、その一方でその浮世離れした香りと対照的な、俗世界の乾いた香りが混ざり合い、厚い重力をもって鼻より少し下方を漂うイメージを受けた。ここでの厚さや奥行はクラシカルな香水に見られるウエットさを失わない下に向かうトンネルのようなそれではなく、突き放したような、このまま地平を見続け自分で深みを探るようなマットな奥行を感じさせる。それが案外息がしやすいのは、あくまでこのシリーズの視点が我々人間から見た、人間が追い求める崇高さを思わせるからかもしれない。

闇の中での時間の過ごし方の指南香水としても傍に置いておきたい。

 

 

 

NEBBIAは

Densa(濃密な霧)、Spessa(深い霧)、Fitta(厚い霧)

の霧をモチーフにした3作品。

f:id:mawaru0:20180329153519j:plain

 ラメ入りで可愛い

 最近の香水は、往年の名香や天然香料系の香水と比べると厚みの無さや底の浅さを指摘されてしまうケースがしばしばある。しかしこのシリーズについては、その横に広がるケミカルな浅さがいい意味で重要に思えた。

NEBBIAは霧の中に敢えて止まり、見ることを放棄する香りだった。

アンジェラチャンパーニャのアーエルやアンドレアマークのソフトテンションの霧の表現は、専ら瑞々しいグリーンやモスの緻密な描写、それと霧イメージの香り群との対比が、霧の中の草や岩などの包まれたものへの視線を想起させる。

一方NEBBIAはトップから感じられる水蒸気のような細かい粒子感と気体的な広がりを作り出しているケミカルの速度感によって、霧自体の量感、拡散性、周囲を覆う圧の方へ視点が向いている。

前者が霧の中の物たちの輪郭が描きこまれて行く描写だとしたら、後者は見つめる事物や己自身が霧に飲まれてその境界線を失って行く。

(訳しきれていないが、公式HPにも境界線については書いてあったと思う。)

名前の通りの強い霧に飲まれて正体を失った状態で、その霧を見つめ続ける静寂の時間が過ぎ去ったあとの足元に広がる元の世界の香りは嗅ぎなれないもののように映る。

 

 

続いてSTORA SKUGGANは、スウェーデンストックホルムの小さな工房で作られている香水。このブログでも以前に取り上げたFantome Maulesもディスプレイされていた。

 

f:id:mawaru0:20180329154738j:plain

シルエットが人のようでもあるボトル

改めて試香してみた所、やはりこのブランドの面白さは感情の読めないフラットな香り方なのだと思った。同じ北欧系のブランドと嗅ぎ比べをしてみると、どの銘も自然が絡んで来ているものの、STORASKUGGANの自然はある一定以上の具体的な描写を意図的に避けているようにも思える。

また、とある香水愛好仲間と話している時に「サイトがアノニマス的だ」との指摘をもらった。なるほどなと思ったのだが、確かにSTORASKUGGANは、調香師やオーナーがメディアに露出する今日の香水界隈には珍しく関係者の素性が一切明かされていない。香りのコンセプトも個人的な記憶というよりも、村に伝わる森の中の怪人、古代の植物、鍾乳石など、昔からその周辺の人々が共有してきているのであろうモチーフを扱っている。至る所が集団知的なのだ。

STORASKUGGANは遠くで見ればどこかで嗅いだことのある香りがぼんやりと抽象的に見い出せる。それはあっさりと人当たりの良い香り方をしているのだが、何か切り込むとっかかりを掴もうと近づくと、意図された物語性のような起伏や感情のささくれ立ちが見当たらず、ただただそのすべらかな外縁の曲線に沿って漂うだけになる。

もちろんそれは香りとして個性が薄いという意味ではない。

顔の無いいくつもの香り達の顔の無い集合体が作るフラットで底の知れない香りは、その土着性を完全に蚊帳の外の者へ向ける形で展開してゆくような奇妙さがあり、寧ろとても楽しい。

 

 

 

 

以上3ブランドをまとめてみたが、全体を通して、やはり21世紀のアンチパフュームの奥行きではなく水平に広がってゆく構成を上手く使って表現しているものが特に印象に残った。

確かに香料自体の上質さや沈んで行く蕩けるような贅沢な香水も好きだが、同じくらい敢えて浅い層に留まる事で見えてくる構成の面白さにもまだまだ可能性を感じるのだ。

そしてやはり、実物を手に取りそのブランドを他の香りと一度に試香できる店舗があるというのは素晴らしい。様々な香りに五感で触れて得る目が回るような充足感はやはりネット購入ではなく店舗でしか味わえない贅沢だと思う。

 

はるばる海外から日本にやってきた不思議な香水たちが、これから多くの気が合った人の元に買われてゆくことを願うばかりだ。

 

私はというと、新宿を通過するたびに、容易に手の届く存在となったLAVSを購入するかどうか悩ましく思う毎日を送っている。

 

 

 

 

 

www.storaskuggan.com

 

www.unumparfum.com

82.春の喜び《Melodie de L'amour(Parfume Dusita)》

春が近づいてきた。

一日中眠気が襲い、外は何やら花粉と共に生物の香りが蘇り始めている。

 

イタリア香水の一旦の締めくくりにBogue Profumoを選んだものの、一種類だけでは特徴を掴めず追加で何品か取り寄せているのもあり、記事の進捗が思わしくない。

その間にNOSE SHOPがリニューアルオープンし、前々から気にしていたUNUMとSTORA SKUGGANが日本にやってきた。

もちろん行ったので愛をこめてまとめてレポートしたいと思っているのだが、こちらもまたなぜだか進捗が思わしくない。

書きたいことはたまるばかりで全体的になんだかとてもやる気がない。

腐って行くような非生産性が心地よい。

 

 

 

眠くだらだらとした日々の中で、ふとParfume DusitaのMelodie de L'amourに手が伸びた。

まとめてサンプルを取り寄せたものの、忘れていたようだ。

Dusitaは海外の香水ブログでも軒並み高評価を得ており、Melodie de L'amourは去年のArt and Olfactive Awardのアルチザンカテゴリーで入賞していた銘なので、興味半分懐疑半分の印象だった。

なんにせよ、白い花系の香りはこの眠い春先にぴったりだと、試しに腕に付けてみた。

 

所感は以下。

 

Melodie de L'amour

→雑に括れば王道のホワイトフラワーの香りなのだが、白い花の香りが150種類ほど入っているらしいという説明の通り、底の知れないホワイトフラワーの渦が迎えてくれた。渦と言うより万華鏡のようなのだろうか。ガーデニアのような水滴じみた香りかと思えばジャスミンの青さのような気もする。そうしているうちにチュベローズの濃厚な花粉なのかとも思えてくるので結局は何者なのかは掴めない。四方から正体の知れないホワイトフラワーに見下ろされる空間は、中層のピーチの花とは違った内にくぐもる瑞々しい香りのおかげで、草花を触った時の指に柔らかくこすれる表面の産毛を彷彿とさせる。私の中の記憶と紐付けするとしたら「80~90年代に建てられた白い建物の壁の官能性」とでも表現しようか、決して古いと言うわけではないのだが、触れたいという欲望を刺激する(でも触れられない)デジャヴともノスタルジーともとれる粒子となってとろみのあるゆっくりとした動きで回っているように感じた。

ホワイトフラワーといっても甘さと濃厚さにフォーカスしては広がらない。表面はパウダリーで柔らかな花粉感が漂うものの、これがワイルドハニーなのか、白い花の香りの間を埋める様に蜜めいた甘さが染み出して輪郭を形成しているので、香りの立体感と透明感、肉厚な柔軟さを同時に安定させている。その背後にトップからの白い花以外の花の茎のような青みも感じられる所も、この花園の舞台を一層鮮明に力強く描いているように思えた。

ミドルにさしかかると、白い花の香りが徐々に上方に抜け出てゆく一方で、青みの伴った花の香りがはっきりと感じ取れるようになってくる。調香にあるイタリアンブルームフラワーとは一体何のことだか分からないが、その青みのある花の香りはこのカテゴリのものなのだろうか。シダーウッドオイルの滑らかな下方に流れる動線に沿って自然に、白い花自体の残り香の様に下の方に落ち着いている。それはトップの白い花が元の花に戻るように、トップの胸の躍るようなエモーションを伴う湧きあがり方とは描き方のタッチの違ったある種のクールな細密さをもって鼻を掠めていった。

終始鼻当りは滑らかで、白い花の香水によくあるベースのバニラなどでの甘さの強調は見られないので、ラスト以降はミドルの移動からの流れでいつの間にか腕からするりと逃れ出てゆくように香りが消えていた。別れの予感はミドルから感じられるものの、本当に訪れた時のそのあっさりと後にされるような表情の変化も、いい意味で寂しさと余韻を味わえる。

香りに対して「官能」と表現するのは一種の暴力だと思っていたが、Melodie de L'amourに関しては使わせてもらいたい。白い花達とのめくるめくような情事の記憶のような香りだと思った。いくつもの愛とその喜びの交点で、私は過去の白い花たちとの記憶のモンタージュを抱いているのか、それとも腕の中の名も分からない花の様々な表情を同時に感じているのか。平衡感覚を失うような官能性には湿った臭みも燃えるような激しさも必要なく、ただただ喜びがあるのかもしれない。

 白昼夢のように全身を覆われ耽溺できる香りだが、描写が抽象的だからか不思議と香りの対象との距離は終始遠く感じるのだ。先ほども書いた通り、触れたいが触れられないものの香りだからこそまた出会った喜びが欲しくなり手首に一滴落としてしまう。

個人的にはどのような機会にも、男性ならばスーツにも合う香りだと感じる。布の下から香ってほしい。

 

 

 

Melodie de L'amourをひとしきり聞いたあとに顔を上げると、半分眠っていた脳が別の夢に移動したような感覚だった。

まだ昼過ぎの明るい窓の外を見ていたら、無性に外に出なければならない気がして、よたよたと外に出た。

春は正気を失うような気分がする。

温かさのある厚い空気を受けながら、この風は人にはどう香っているのだろうかなど考えながら目的もなく駅へ向かった。

 

 

www.parfumsdusita.com

 

 

 

 

 

 

81.思い出≪id/SOUTH(Mendittorosa)≫

幼少期、プロテスタントであった両親に連れられて日曜日は教会に行っていた。

その教会は後に私が入る事になる幼稚園が併設されていたが、結構な古い建物だった。

ある日、皆が聖書を読んでいる時にお手洗いに行った。

そこの壁はホールと同じく限りなく黒に近い焦げ茶色で、高い位置にある唯一の窓からの外の明かりや緑の葉の反射がかえってからりとした埃っぽさと薄暗さを強調していた。

そこのシンクで手を洗っていると、ふと石鹸に目が行った。

その使い古された乾いた小さい塊には黒い筋がいくつも走っていた。その不気味さを興味深く思った私はその時何かを言ったのかもしれない。

そうしたら、後ろにいた母が「黒い所には人のばい菌がはいっているんだよ」と囁いた。

 

 

なぜこんな他愛のない思い出を冒頭から語り出したかというと、サンプルを取り寄せていたイタリアのMendittorosaを試香したからだった。

サンプルの中のidという銘を始めて肌に乗せた時、その記憶がなぜか頭に浮かんできた。

これがプルースト効果か、としみじみした。

 

 

香りはしばしば記憶と結びつく。

Mendittorosaもまた、創始者のSTEFANIA SQUEGLIAの、幼少期に花などを飽きビンに入れて混ぜたりと香水作り遊びをしていた記憶に根ざしている。

ブランドのテーマとなっているイタリアのストロンボリ島が噴火したとき、STEFANIA は香水を作る事を決意したそうだ。(訳の正確さは疑問なので、公式HPのPDFを参照してもらいたい)

 

しかし、そんなMendittorosaが運んできた記憶は先程の思い出話で、ノスタルジックな感傷とは全くかけ離れており、とても興味深く思えたのだった。

 

 

 

香りの所感は以下。

トリロジーシリーズからはidの香りを選びたい。

(他にはアルファ、オメガがあるが、こちらはやはり別なおかつセットで考えて行きたいと思っている。)

 

id

→ストロンボリ島の火山の別名「iddu」から取っている。

 トップはハーブが主体のクラシカルな香りが現れる。儚いというかさりげない香り方で、強い香りを日々好んでいる人には驚きになるのではないか。

ナツメグサフランは点のように散見できるのだが、ラヴェンサラやタイムのハーブ感とバイオレットやイリスのパウダリーさには何かが突出して香る様子はなく、一つのゆるく繋がった塊として認識できた。注意深く聞くとベースのラブダナムが全体を柔らかく包んでいるのがトップの時点でも分かる。そこがあえて現代的な広がりやスピードを抑えており、人肌のような温かい香りとして、誰かが寄ってきた様にいつの間にか距離を縮められている。

それと同時にベースの堅固さも伺い知れる。かといって変な重たさがあるわではなく、深く吸い込むほどその不思議な安定感と上層の掴めなさのちょっとした差異が心地よく響いた。

ミドルはそのふわりとした空気を内包した香りの中央に穴が空いているような感覚を覚えた。その穴のような中心は、ラブダナムとウッド系の香りがトップとは違ったスピードで整理しているように感じた。フラットに、規則正しく整えられて行く。しかし、出だしからの透明感は全く衰えていない。ベンゾインは遠くに感じるだけで主張はせず、甘みの優しさの面をフォローしている。

トップから言えるのは、ラブダナムの優しさを帯びた香りが常にそばにあるという事で、その香りの包み込む様な質量感が香りの輪郭のガイドのように鼻の後を追うのだ。それが羽を滑らせていくようですこしくすぐったい。

火山というと分かりやすく激しい炎やマグマを連想しがちで、ストロンボリ火山も現在も活発な火山ではあるが、ここでのidは緊張感や攻撃性というよりは、その火山とともに堆積し、ストロンボリ島にしっかりと根を下ろした力強い自然の大地を思わせる。

ただし、その自然も壮大な表現ではなく、あくまで人の日々の暮らしの中の記憶の中から それらを見つめているような、ひそやかで繊細な構成になっているように思えた。だからこそ、透明感と愛おしさすら感じる柔らかさが出来上がっているのかもしれない。

 

 

 

 

次に、THE DUO シリーズからはSOUTHについて所感を残したい。

このシリーズは北と南、相反するが引かれあう二者をテーマにしている。

北は北欧、南は地中海らしいが、確かにNORTHはラムネのようなトップが身近な香りでいうとアゴニストの寒冷な描写に似ている印象を受けたので、コンセプトを読んだ時に納得した。

一方で、SOUTHはよくある地中海的な調香とは少し違っており印象的だった。

 

 

SOUTH

→まずは調香ピラミッドから書くと

トップがイタリアンベルガモット、エジプトバジル、シクラメン

ハートがソフトジャスミン、ドライクリーニングカバーアコード、シリンガ

ベースがオーストラリアサンダルウッド、ホワイトサンダルウッド、グリーンヘーゼルナッツ、パンアコード、プレシャスウッド、キャロットシード、アミリスウッド

というユニークなものになっている。

トップから、温かさを感じる、やや土っぽい香りが広がる。

表層には植物の青みの甘みの少ない苦味があるが、奥にアニスのような、アニスよりはさりげない甘みが感じられる。それと一緒にスッと鼻に通るハーブのような滑らかな線が印象的だった。瑞々しさはそれらとは違う丸く水玉のような質感で、最初は肌の上に留まっていたが、少しずつ肌の中に吸収されて行く。その肌と一体化してゆく度に香りはトップのハーブの線に沿って横に広がって行く。時間が経つにつれて、種を割った時のようなふくよかでコクのあるオイルの気配を帯びた柔らかい香りが時折感じられるようになった。

idと同じく、この香りも優しい香り立ちが鼻と近くて心地良い。ミドルの時点でラストの馴染みを感じるほど肌に浸透した。最初はあえて調香を調べないで試香してみたのだが、ミドルのドライクリーニングカバーアコードがムスクのように思えてしまい、もうラストなのか?と間違えてしまった。しかし、その後も香りの変化があった事で、驚きと嬉しさを感じた。シリンガというのはライラックの花の事の様だ。この花の香りは、私の肌だとミドルの後半の方で感じた。ジャスミンと相俟って、温かく朗らかな花の香りだった。

ラストは日だまりで乾かされたシーツの温かさと繊維の質感を持ったミドルの石けんのような香りの下に、丸みのある甘い香りが現れた。ふっくらとした、パウダリーさと瑞々しさの両方持つこの香りがパンアコードだろうか。このパン的な、ややぱさついた小麦の甘い香りは、サンダルウッドも演出しているのだろう。思えばトップからこのパン的柔らかさと表面の香ばしさは奥の方に行き来しており、ラストでようやくこの香りだったのか。とも思う事が出来た。しかし決してグルマンではない。

南方であるとすれば、温かな風の吹く温暖な農耕地帯のようなイメージを受ける。

不幸にも私はまだ自らの手で植えた植物が実る嬉しさを知らないが、その植物を温かな南風が撫でれば、きっと自分自信が撫でられているような気分なのだろう。眼差しが温かい。

 

 

Mendittorosaの息遣いや体温をも分かる至近距離で囁くような透明で無垢な温かさは、ふと思い出す記憶の質感に似ていた。

 記憶は他の記憶と混ざり合い、誇張され、削ぎ落とされ、絶えず改竄されてゆく。

私が思い出した教会の壁は実際には焦げ茶ではなかったかもしれないし、

石けんの黒い筋もそんなにはっきりと浮き出ていなかったかもしれないし、

 母親は囁かなかったかもしれない。

 

しかしその記憶はとても鮮烈なイメージとして確かに呼吸をしており、これまでもこれからも、私の意思とは関係無く成長し、姿形を変えて再び私に囁きかけるだろうと思う。

 

 

さて、Mendittorosaには他にもTALISMANSというシリーズもあり、試香の後に気付いたらそちらも注文していた。

 

到着が楽しみだが、もはや自分の中でMendittorosaへの感覚は香りの善し悪しや好き嫌いではなくなっているのが分かる。

記憶への中毒に近いのかもしれない。

 

 

 

Home - Mendittorosa

80.5 ブログタイトルを変えました

タイトルの通り、ブログタイトルを日々の糧ー香り日記ーからpolar night birdー香りの記録に変更しました。

 

理由は特にないのですが、「日々の糧」の敬虔な響きよりは、極夜の徘徊者の方が自分自身の生き方や香りに対する姿勢には合うのではないかと思った次第です。

 

今後、もしかしたら気分によっては日々の糧に戻すかもしれませんが、今は生活を抜け出し夜の徘徊を楽しもうと思います。