polar night bird

香りの記録

90.畑とビルと風《Stercs(Orto Parisi)》

久々に渋谷に出た夜、正直気分は最低な日だったが、この機会を逃したらずっと行かないであろう六本木を訪れた。

一時期は毎週のようにグランドハイアットへ通った見慣れていたはずの六本木は、何やら妙によそよそしく、ビル風も重く冷たく、一辺倒に感じた。

 なぜ六本木を訪れたかというと、六本木ヒルズにNose shopがオープンしており、そこのNasomattoとOrto Parisiを試香するためだった。

 

六本木ヒルズ閉店の30分前に滑り込んだので、あまり人がいなかった。

一目散に入店し、お目当てのそれらを一通り試香をしてみると、両者は今のアンチパルファム系ニッチ香水の礎の1つ言って良い、変わってはいるがクオリティは一定以上の安定した仕事をしている印象だった。ニッチの中堅と言える。

これらは合成香料を使用していないと謳ってはいるが、実際のところは分からないし、どうでも良い事なのだと感じる。

その中で興味を惹かれたのが、Orto ParisiのStercsだった。

Stercsは日本語では「糞」と題され、題名でまず人を大いに選ぶ銘になっている。

しかしコンセプトは生と死の輪廻であり、糞も悪臭としてのスキャンダラスなイメージよりも大地に捲く「堆肥」という側面から表現されている。

所感は以下。

 

Stercs

→敢えて調香を非公開にしているらしいので、冒頭に調香は載せないでおこうと思う。

カテゴリ的にはアロマティックフローラルウッディに含まれているが、テーマ

 通りアニマリックな香りもトップから感じる事が出来る。

店員さんも「撒かれた肥料のような」と形容していたように、肥料が撒かれた際の、やや息の詰まるような生き物の温かさと柔らかく練られた草の香りが、乾いた土の香りと共に空気中に舞う、春の香りだった。この空気中にふわりと広がる軽さと柔らかさはパウダリーな花の控えめな甘さのある香りが演出しているのだが、牧歌的な雰囲気はなく、あくまで淡々と細密に描写されてゆく。

更に注目して行くと、最奥にこれを「肥料」たらしめる動物性の気配を感じる事が出来る。アンバーグリスかシベットかカストリウムか。多分、このシベットよりも他の香りに浸透しない突き抜ける様な刺激はカストリウム由来かもしれない。それらは丸みを帯びた柔らかいまとまりの中で蒸気めいた緩やかさで混ぜ合わされ始めるものの、肌からは遠い場所で香る印象で、だからこそその具体的な描きこみ方と対照的な情景描写としてのクールな距離が興味をそそった。

ただ、それらが立ち上ったのは一瞬で、すぐに香りは乾いたベチバーの直線的な苦味のあるウッディな煙と共にレザーの質感へと整えられて行った。茶褐色の皮膚を彷彿とさせるそのテクスチャは有機的ではあるが、先程とは対照的に、陰影を帯びたなめされた革とワックスを手でなぞるような、滑らかで人工的な涼しさと硬さを持っている。

トップが一番情報量の多い珍しい香水に感じた。

その後、レザーの滑らかな不透明感は遠ざかり、それと交代するように外縁に遠ざかっていた甘みが中央に集中してゆく。レーズンなどの干した果実や樹脂のような凝縮された甘さが、アニマリックな酸味を帯びた香りと相俟って更に熟して広がってゆく印象だった。ここに来ると、トップでは宙を舞っていたアイリスやヘリオトロープ等の、パウダリーで静かな甘さのある石鹸の様な香りを上方の広がりを支える底に見出せる。

 ラストは甘みの少ないウッドが台頭した。甘さのないシャープな香りが芯となり、その周辺を有機的な湿潤感を持つアニマリックが半ば染み込む状態で隙間なく挟み込んでいる。その対比は骨と肉のようなイメージで、そのアニマリックとウッディーの間を絶えず嗅覚が行き来する感覚を覚えた。

ちなみに、調べるとバニラも含まれているらしいが、私の肌ではラストには一切残らなかった。しばしばジャスミンやバニラなどの白い花は動物的に香る事があるが、この香水でもどこかに擬態しているのだろうか。

最近の香水では、Zoologistのシベットやハイラックス、BogueProfumoのMaaiも動物の香りと植物の香りの関係性にフォーカスされているが(この話も後ほど書きたい)、このStercsもまた動物の食料となり、そしてまた肥料となって自らの養分となる植物にも輪廻の軸が設けられている。だからこそ、アニマリックな香りだけでなく、終始ベチバーやウッド、その他深みのある葉の乾いた野草めいた香りが全体を貫いている点に気付くことができる。

更に、植物性の香りと動物性の香りは隔てられておらず、時に花が動物の香りを演じ、一方で動物性の香りが熟した植物の表情を見せる。

それらが渾然一体となって繰り返される牧場の輪廻の先、私の肌でのドライダウンは、アンバーグリスのような鼻に抜ける勢いがあるが中層に定着して走るシンプルなアニマリックの香りだった。

アンバーグリスもシベットもカストリウムも動物の分泌物だ。それらは採取され、私達が着込む香水の一部となる。

輪廻はどこまでその輪を広げるのか。はたまたそれは本当にただ繰り返すだけの円環なのか。

 

個性的ではあるが、良い意味である程度以上の縦の深みを持たないクールな香水なので、女性も男性も手を出せる印象だった。

 

 

 

ドライダウンの香りを漂わせながら、閉店間際の六本木ヒルズを後にした。

忘れかけていたこの時間の東京特有の、誰からも何からも切り離された感覚が今は妙に心地良く、高層ビルの間を不機嫌な顔をしながら終電まで歩いた。

 

 

www.ortoparisi.com

 

 

 

89.大人になれば分かるのかも《KISS ME INTENSE(Parfums de Nicolaï)》

年が明け、香り初めに銀座を訪れた。

去年は訳あって半年以上香りから離れていたため、店もろくに回れていなかった。

その間嗅覚の癖も若干変わってしまった様で、かつて愛した香りが楽しめなかったらどうしよう、とか、いつもの様に聞く事が出来なくなっているのでは、というネガティブな気持ちが無い訳ではなかった。

 

今回は戦々恐々東急プラザのNOSE SHOPに行ったのだが、その日は不思議とニコライのキスミーアンタンスに目が止まった。

ニコライはパリ訪問の際にいくつか店舗を覗いたのだが、手堅い香りを作っている大人のメゾンの印象で、エッジの効いた香水を探していたその時は正直感想が薄かった。

おまけに、キスミーアンタンスは本来私の苦手とするバニラ入りの「ドラジェ」や「日焼け止めクリーム」などのモチーフも盛り込まれた滑らかな甘い香りだ。

一体どうした事だろう、と、さらに香りを聞いてみた。

所感は以下。

 

キスミーアンタンス

(KISS ME INTENSE)

トップにビターアーモンド、レモン、アニス

ハートにヘリオトロープジャスミン、イランイラン、オレンジフラワー、クローブ、シナモン

ベースにバニラ、オポポナクス、ムスク

といった調香。

テーマに幼少期の記憶、ドラジェ(フランスのお菓子)というワードが挙がる通り、トップからベースまで随所に焼き菓子を連想させる香りが配置されている。

トップを感じた際、私はドラジェと言うよりカリソンを思い出した(これもアーモンドを使ったフランスの焼菓子で、私が食べたカリソンは上にレモン味の砂糖のコーティングがされていたのだった)。

だが、分類がオリエンタルフローラルの通り、完全なるグルマンではない。

トップはこれらの菓子的な香りの他に、ハート部分の花々の香りをヘリオトロープのパウダリーさが包んで一まとまりにしている形で感じられた。その情報量を整理していると、ふと上方にお菓子の香りが通り過ぎて、それを追おうと意識を宙に漂わせる。すると後ろからミドルのジャスミンとイランイランに抱きしめられる様に捕らわれた。

ここでのジャスミンとイランイランは所謂バナナやメロン的なジューシーな香り立ちだった。そこに意識を向けると、柔らかくまとまった香りの奥に瑞々しい果実と濃厚な花粉を行き来する様に香る呼吸に似た揺らぎがある。それに力を込めて包まれながら、更に中心へと進んで凝縮する様な甘い香りを見出す作業は、浮き足立った気分で純粋に多幸感があり楽しめた。そのおかげなのか、グルマンとフローラルのどちらにも属さない様な、あどけなさや明るさが印象的だった。

トップでお菓子の様に感じたアーモンドの油脂めいたコクのある香りは、いつの間にかヘリオトロープやムスクと混ざり合い、日焼け止めクリームやベビーパウダーの様な、それを塗った肌質をも想起させる香りに変化していた。それと同時にフルーツの甘さはイランイランの濃密な花の香りへと落ち着いて行った。

今まで花々の華やかさに気を取られていたが、クローブとシナモンもこの段階で、菓子のアクセントではない粒子感を見せるようになった。

ミドル以降は私の肌ではゆっくりとそのパウダリーさが増して行き、きれいにラストノートに交代した。未だミドルのヘリオトロープが残っているからか、かつてクリームを塗った肌に鼻を滑らせた時に感じるその名残のような、肌の粒子に似た質感となっており、更に奥の肌に近い場所にはオポポナクスとバニラが濃く主体となって定着している。そのトップ〜ミドルとは別の沈着で張り付くような濃い甘みが、昼下がりに早くも半日を楽しみ尽くして満足げに眠った子供から漂う香りのイメージを受けた。

 そんな穏やかなラストに浸りながら、グルマン、オリエンタル、フローラル、フルーティのどれもを我儘に飛びつく事の出来るこの香水は、良い意味で散漫で、幼い子供の純粋な快楽への欲求のようだと思えてきた。

ここでの快楽は、甘いお菓子や、家族達から受けるキス(西洋の香りであるので)、日焼け止めクリームを塗って出た外の陽気などを一身に受けた時のような、愛や祝福を本能のままに享受する悦びなのだ。

「キスミー」は子供が愛という快楽をねだる言葉であると同時に、それは大人が子供に対して、そして大人同士で使う言葉にもなり得る。

ニコライは決して子供向けの香水ではない。トップからラストへの変化のレイヤーはトップから全て薄く予見できるような透明さで、その成熟した立体感と奥行きは、かつて同じ様に悦びの体験を経て、それらを与える側となった大人の眼差しを通した描写に思える。

大人になってしまえば子供のようには行かなくなるが、子供の頃と変わらず屈託無く言いたくなる言葉もあるのだ。

 

可愛らしく明るい香りだが、カジュアルのみとは言わずにどんなシーンでも使える香りのように思える。 

 

 

 

その日はキスミーアンタンスのみを肌に乗せて帰った。

その間ずっとこの香りについて考えていたのだが、分からない事だらけだった。

良い大人だが、もしかしたら分かるのが怖いのかもしれない。

 

もう少し先、暖かくなり春が来たら、持ち運びやすい小さなボトルで迎えてみたいと思った。

 

 

https://pnicolai.com/en/

 

 

noseshop.jp

【特別編】Tanu氏×ゆうれい Juliette has a gunクロスレビュー!

 

皆さまお久しぶりです。

大変お待たせしてしまいましたが、初企画記事が完成しました!

 

【特別編】Tanu氏×ゆうれい Juliette has a gunクロスレビュー

 

 

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あらすじ

この話は私、ゆうれいの

Juliette has a gunまた日本に来ないの?

という何気ないツイートによって兼ねてからリスペクトしていた香水ブロガーのTanu氏とJHAGについて話したことに端を発する。

Tanu氏のブログはこちら。

クラシカルからモダンまで素晴らしいレビューがそろい踏みです↓

lpt.hateblo.jp

 

 

何年か前に日本に来ていて、なんだかすぐに代理店が倒産したしないというしょっぱい噂は聞いていたが、確かな顛末を聞かないし、来日自体もすでに忘れ去られ始めているようだ。

JHAGとは何だったのか。

 真相が完全に風化し迷宮入りしてしまう前にJHAGについて調べてみよう。

という事で、JHAGクロスレビュー企画が形になったのであった。

 

目次

  • あらすじ
  •  Tanu氏レビュー ジュリエット・ハズ・ア・ガン奇譚
  • ゆうれいレビュー ジュリエットは二度死ぬ
  • 最後に

 

 

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88.愚者の時間《???》

約2ヶ月も更新を止めていたのには何も理由が無いわけではないのだが、敢えて言わないでおきたい。

ただ、香水の出会いは変わらずあったので、その出会いが文章になるまでの運が残念ながらなかったという事もある。

不器用な者には世の中は難しい。

 

今回は近況を話そう。

6月の頭に生まれて初めて人を紹介してもらう機会に恵まれた私は、一週間前から普段は放っている爪を磨き、新しい服と靴を買った。

もちろん、最後に香水も選ぶ事になり、

「モテや人目を気にしないで純粋に自分の嗅覚を楽しんでみよう!」

という記事

モテ香水を超えて行きたい大人のための香水入門書 | ホンシェルジュ

を執筆した矢先に、人に会って人に嗅がせるための香水を選ぶ事になろうとはなんとも皮肉な話だった。

 しかし、香水なので選ぶのも楽しい。

初対面の人に、私の精神を嗅覚でも知ってもらうため、香らない程度にウンハイムリッヒを肌に乗せ、その上から何かもう一本レイヤードしようと考えていた。

 

その日の前日、私は候補を3本に絞り、当日の朝にそこから一本選んで全身に乗せる様に吹きかけてみた。

タロットの愚者がイメージに含まれている、気に入りの一本だ。

品名は、これも敢えて言わないでおきたい。

香りもまた秘密にしたい気持ちの日もあるのだ。

(分かった人は心にしまっておいて欲しい)

 

その所感は以下。

 

???

→調香はローズ、ゼラニウム、イモーテル、クローブ、ペッパー、パチュリ,、カシュメールウッドと構成要素は比較的シンプルに思える。

ローズとゼラニウムの組み合わせならば最初から体温の低い金属質なローズが来るだろうと予想していたら、私の肌ではイモーテルの、ややスモーキーで柔らかな木にしみ込んだ蜜のような凝縮された甘い香りがまず広がった。その奥にゼラニウムが整った木目を彷彿とさせる清涼感をもって香っており、ローズが見当たらなかった点が意表を突かれて一気に引き込まれた。

ローズは程なくしてイモーテルの中から蜜を纏って咲き始める。クラシカル過ぎない、ふっくらとした甘いバラの香りだった。そのローズとイモーテルが揺れる様に交互に顔を出す中、ゼラニウムは変わらずその後ろでフラットに香り続けている印象。それが二者を繋いでいることでその三者のどれにも属さないグレーな状態が生まれており、良い意味で掴みどころが無い。もしかしたらローズはイモーテルが作り出した幻影かもしれず、また、イモーテルもローズの蜜めいた香りが作り出した幻のようでもある。

ベースにパチュリが流れているので、その香りの流れには程よく陰影が感じられ、ボトルから透ける色のように熟成された酒を思わせる粘度で低調に滑らかに広がって行く。

これはタロットの愚者からの先入観からかもしれないが、ミドル~ラストの直前までは確かにまとまりとしてそれなりの密度があるものの、その中はどの香りも良い意味で混ざり切っておらず、絶えず揺れ続けて何らかの香りに落ち着かない。だからこそローズに着地するラストが待っており、別の日にはイモーテルで終わるラストの分岐も用意されている。また、補助として奥に控えているハーブ→ゼラニウム→ウッドの清涼感のラインが最後まで途切れずに出来ており、そのおかげなのか、甘さがあってもくどくない。

いくつかのレビューを見ると「甘い土」と形容されているように、私の第一印象の総括も「甘い土」だった。土の冷たさというよりは、甘さに体温のような温かさがあるため、緑はまだ茂っていないが、確かにその生命の予感がする土の香りのように感じられたのだった。

母なる大地の中で、まだ1が始まらない0の状況で未来の無限の分岐に思いを馳せ、生まれる時間を待ち詫びる時間はまさに愚者のイメージに結び付く。これもまたこじつけになってしまっているだろうか。

しかし、この土と形容した質感は必ずしも地面的な表現を指す訳ではなく、むしろ全体は中心に浮いているような存在感で、浮遊感がある。漂う浮遊大陸のようなものなのかもしれない。

カードのイメージならばやはりライダース版よりもマルセイユ版の愚者だろう。

吸い込んだ後に得られる懐かしさとその記憶との距離が心地よい。

 

 

 

 

 確かその日は6月なのに汗が流れるほど暑く、緊張が理由の汗と相まって午後には大体香りが流れてしまっていたように思う。

よくよく考えたらそんな香水を人に吸わせるのは状況・段階的には完全に失敗で、無難でおしゃれなやつ(バレードとか)や、他者に開かれた万人が心地良い香りにしておくのであったと猛省しながら慣れない靴で靴擦れを起こした足を引きずって夜道を帰った。

 

7月のはじめには友人たちと富士山に登った。

そこにもこの香水を付けて行ったが、もちろん汗で早々に流れてしまった。

とてもとても辛かったが、平地にいたら気付けなかったであろう感謝すべきものや愛すべきものが鮮烈に見えて来た夢のような経験でもあった。

 

そしてもう少しで8月になる。夏はまだこれからもう少し続く。

思えば今までは愚者の時間だった。

それは無邪気で甘くて楽しいが、今はそこから1として生まれる力が欲しいとも思っている。

87.ささやかな夏《マイロ(ラボラトリオ オルファティーボ)》

 

半袖で過ごす日が多くなった。

それを考えてしまうと、夏嫌いの私はまだ6月だというのになぜこんな…、という気分でいっぱいになる。

夕方になれば、冬にはあまり気にならなかった行き交う人々の朝昼に付けたであろう香水のラストノートが鼻を掠める。

ついに香りに胸焼けのする季節に入ってしまった。

今のうちに回れるものを回っておこうと思っていた最中、読者の方から所感のリクエストがあった。初めての事だ。

 そのラボラトリオオルファティーボのマイロは、ラボラトリオオルファティーボの中でも最近の銘のはずで、初めて試香した時の、初期の風変りでイタリア香水に見られる重たさが印象的だったこのブランドから何とも爽やかな香りが出たな…と新鮮に思ったのを覚えている。

 晴れていてなおかつ肌寒い風の吹く日を選んで新宿を訪れて試香をしてみた。

所感は以下。

 

 

マイロ(MyLo

 ホワイトフローラルの香り。トップは瑞々しさの中に締まったユリとジャスミンの花の露のような花の香りが、例えればガムを噛んだ時のように奥から染み出す様だった。既に下方にベンゾインやレジン系の堅い層が地盤になっているのを感じさせる安定感が分かるため、トップでも爽やかで軽いだけではなく、甘みに適度な厚さがある。

その瑞々しいユリの繊維感を包むようにアイリスのパウダリーさが奥の方から現れ始める。

これ以降は今年流行りのアイリスのパウダリー系の香りだと感じるのだが、殊に香りのなかの、イメージの連鎖の動線が美しく整然としていると感じた。トップの柑橘のフルーティーさとジャスミンのバナナのようなまろやかで内に乳白色の色を湛えた瑞々しい香りがユリのパウダリーな繊維感とアイリスの粒子感と重なり、そしてそれがアンバーに行き着く変化は、各々が整頓された動きで非常にゆっくりとグラデーションになってゆくような滑らかな変化の表情を見せている。終始ユリが主体になって香るが、突出しているわけではない。ある程の位置でで足並みがそろっているような印象で、爆発的な広がりや飛躍は無い所がむしろ夏のたるみやすい気温や肌に流されることがないのではないかと予想出来た。

 ラストは私の肌ではアンバーとアイリスが残った。バニラとベンゾインが調香に見られるものの、不思議と強まる事は無く、むしろミドル以前の甘い花々の部分やアイリスの底の部分を補強している時の気配の方が印象に残っていた。そのアイリスがトンネルのように周囲に螺旋を描く様に奥行を作り、その先にアンバーの横に走るスピード感のある底を見る事が出来る。個人的にアンバーが強く出てしまう体質なので、ミドルの終わり以降からこのアイリスとアンバーの組み合わせが目立っており、トップ〜ミドルのしずる感が一気にそこのドライな流れに回収されて分解されてゆく感覚があった。

イメージ的には色なら明るい緑の筋の入った白を彷彿とさせる。

公式サイトの説明では「肌に乗せたときの肌との距離やその温度」の様なものをテーマに含んだ銘だと伺える。確かにしっとりと露が火照った肌にしみ込む様な香り方をしている。(同じく近所に置いてあるパウダリー系のブルーノース(アゴニスト)はどちらかと言うとスピーディーなパウダリーさで肌からイメージが離れて行く所が魅力になっていた印象がある)

それは夏のささやかなイメージで形容すれば、初夏の日陰で涼んでいるときにふと吹く風や肌に触れた時の自分の手の感触、クーラーの効いた部屋に飛び込んでキンと冷えた空気に身を委ねた時に首筋を滑る汗のような、肌に極近いのだが仄かに冷たい心地よい温かさを思わせた。

本当は良くないのだろうが、マイロはいつも通り吹きかけるのも良いが、てのひらに何プッシュか取ってから、自分の手で首筋に押し当てて香りをまといたい気持ちになる。

 

 その日は他の香水を試さずに店を後にした。

その日朝からつけていた香水は通行人達と同じようにラストノートになって久しかったが、腕を振るたびにマイロの香りが漂い、その瞬間だけ時間が巻き戻ったように感じた。

 

 

https://www.laboratorioolfattivo.com/

86.アーモンドの花《ALMOND(Ortigia)》

ラクレットの店で、こってりしたチーズのスイス料理の後に、アーモンドフレーバーのエスプレッソを飲んだ。

 

なんだか今年は香水でも植物系ミルクと並んでアーモンドが気になっている。

いくつかのブランドでもその傾向はぼちぼち見られている。

 

そのきっかけのあった日は、漸く仕事終わりにミッドタウン内の香りものを調査しに向かっていた。

オープン当初は遊園地さながらの混みようだったが、

それから約一ヶ月、平日の夕方は辛うじて幾分か落ち着いた混み方になってきた。

日本初上陸の店舗が多いと聞いていたのでどんな香水があるかと楽しみにして行ったところ、ルームスプレーばかりが目立って香水が見つからなかった。

このまま見つからなかったら潔く帰ろうと思いながら3階を回っていたら、雑貨屋のTempoの前を通りがかった。

すると、奥の棚にOrtigia(オルティージャ)というシチリアの香水ブランドの商品が揃っていた。

見慣れない顔だ。

何でもまだ卸す先が他に見つかっていないそうで、現在Tempoの店にしかないものだという。南青山にも店舗があるらしいが、そちらにもあるのだろうか。

 

香りはその鮮やかなパッケージデザインとは予想外に甘さが控えめであっさりとしており、香り立ちは締まっていた。ミドルレンジにしばしば見られる金属的な軋みがこのブランドに関しては良い意味でのアクセントになっていたように思う。

(因みにシチリアのサボテンの香りのフィコ・デ・インディアが一番人気だそうで、何となくフエギアのラテン感と通じるものがあった気がした。)

 

私がその中で一番気になった銘がALMONDだった。その名の通りアーモンドの花の香りらしいが、他の香りと比べて明らかに香りのトーンが違ったので興味を持った。

 

所感は以下。

 

 

アーモンド(ALMOND)

→トップはユリなどに通じる鼻に抜ける直線めいた筋感とそれに乗ったグリーン、そして奥には油脂めいた滑らかな層を感じる事が出来る。

ムエットだとその表情がはっきり分かるのだが、肌に乗せるとすぐに染み込み、端的に言えばハンドクリーム類のような香り立ちになる。香水でこのようなアプローチのものは珍しいと思った。

若干スズランのようにも思える緑の含まれた甘さが軽やかに上層で香り、それは深くは根差していない。やがてイリスやバイオレットのような柔らかなパウダリーさも奥から広がって来るのだが、それはどこかに漂ってしまう軽さというよりはやはり全体に感じるオイリーな液状感が香り立ちがしっとりと肌の上に定着させている。しかし、矛盾している表現だが、ベース自体は不思議と軽く、その部分が香りを支えている訳ではない。

各自が各自で肌に定着し各々その深度も違う印象だった。

その部分にフォーカスすると、アーモンドという名前からの先入観からだろうか、煎ったナッツのクリスピーさもあるが、この時点では何より茹でたピーナッツやアーモンドを噛んだ時の、あのやや湿った弾力のある歯ごたえとナッツのオイルが香りと共に口の中に染み渡るようなコクを最奥に覚えた。

ミドルに近付くにつれて、その辺りから感じ始める肌に張り付くような位置でこごもるジャスミンとバニラのような香りを始めとして、香りの塊全てに潤った透明なコーティングがされているような感覚を覚えた。

そこにフォーカスしていると、インセンスやフランキンセンスのような清廉に弾ける香りが奥からやってくる。由来はウッド系なのだろう。透明なコートにある時は反射し、ある時は混ざり合いながら広がって行くため、透明なコーティングの潤いは拡張されてゆく。

その一連の有りようはキリッとした軟水のような質感で、これから甘くなっていくだろうと思っていた分ミドルでそのような表情を見せるとは思いもよらなかった。

終盤になると透明なコーティングは消え始め、その透明なまとまりから解放されたパウダリーなベビーパウダーのような香りが地面にひろがって行く。そのラストもまたミドルで現れたウッドの清潔な香りと相まるものの、依然クリーム状の香り方をしていた。

アーモンドというとグルマン的な甘さのある先入観があったが、それに反して終始分かりやすい甘さは無かった。あるとしてもあくまで植物的な、生感のある甘さだった。

 さて、後程Fragranticaで公開されている調香を調べると、

アーモンド、パウダリーアコード、アーモンドフラワー、アーモンドツリー

とストイックにアーモンドで構成されていた。

ではあのいくつかの花のような香りはスズランやイリスではなかったのか。

実際に嗅いだことはないが、アーモンドの花は杏仁の香りがするらしい。それを聞くと、トップからの油脂感とスズランの様な香りはバラ科のアーモンドの花由来だったのかと納得できた。

 

 因みにOrtigiaの香りは香水だけでなくパフュームオイルから石鹸、クリスタルパフュームまで良心的な価格で広くバリエーション展開をしていた。

Almondに関しては、いずれその中の一つは買っておきたいと思った。

 

 

 

アーモンドというとやはりローストしていたり、チョコレートの中に入っているものを想像してしまいがちだったが、この香水を知って印象が大きく変わったのだった。

当たり前だがアーモンドもまた植物なのだ。

 

スイス料理屋で飲んだエスプレッソのアーモンドはフレーバーらしいアーモンドの香りだった。

しかし飲み干す時の一瞬、その中に仄かにアーモンドの花のような香りを見つけて少し嬉しくなった。

 

 

 

 

 

https://www.ortigiasicilia.com/

 

※ Tempoの他の雑貨と並ぶOrtigaは肉眼で見てほしい気もする。

tempo23.com

 

85.夜のゆりかご《NOUN(Bogue Profumo)》

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夜が長い。

少し前までは銀座や新宿に足繁く通っていたが、今は何だか歩く気になれず早々に家に帰るようになった。

 

この職業になってから初めて迎える春だ。

私は深まった春が得意ではない。

その日は特に、会社周辺の会社員達の疲弊やそれらの群衆に紛れた正気ではないような浮ついた気配が生温かい空気と共に顔に纏わり付いてくるようだった。

 

仕事が終わるや否や早くこの場所から遠ざかろうと急いで電車に乗り、うんざりしながら帰路の人気のない道に入り込んだ。

 

 

その日は試香の所感を残そうとBogue ProfumoのNOUNを付けていた。

Bogue Profumoは海外では軒並み評価の高い新鋭ブランドだ。

私はまだこのブランドを総括できる言葉を持っていない。しかし、古典的な製法と熟成したヴィンテージ香料が一見古風にも思えるが、その実クラシカルの皮を纏った、最前衛の香りだとは分かる。

 NOUNもまた複雑な香りであるがブランドの中では比較的付けやすい。

案外暑くも寒くもない今の時期に合う珍しい香りだと思う。

 

所感は以下。

 

 NOUN

→最初ボトルを開けるまで、どこかカビっぽい香りを感じたが全く心配なかった。

トップはライム、ユズ、オレンジなどのトップらしいジューシーな甘みのある柑橘系の香りがプチグレンの爽やかな苦みに抱えられながらまとまった調子で現れる。グリーンはミント、プチグレン、バジル、など甘さを引き立てる類の香りが担っており、その茂った葉に乗せられた果汁が上から降り注いで来るような独特の広がらなさが、明るい香りである調香なはずなのに夜の先の見えない暗闇を彷彿とさせて印象的だった。

奥まで吸い込むと、仄かにベンゾインのようなガルバナムやレジン系の凝縮された質感の底に行き着く。この段階でややパウダリーに香るミドルの花々や層の厚いベースの存在がこれからの香りの舞台の輪郭を作り込んでいるのが分かる。

それは先ほど言ったように何か優しいものに「抱えられる」といった感覚で、どこか柔らかい狭い空間で広い空間の切り取られた一部分をメランコリックに享受しているような(決して悪い気分ではない)感覚だった。

徐々にオレンジのキャンディーのような甘酸っぱさを残したグリーンの中に時折それと交代する様にミドルのイランイランとジャスミンの気配を感じられるようになってきた。それは明らかにトップの植物とは属性の違う(同じ植物だが)、優しいが確かに動物的な血の通い方をしており、現れるとそちらに意識が行ってしまう。

ここまでのトップは例えれば深い夜空とどこかで茂る濃緑の葉的な風景が抽象的に描かれているが、ミドルに差し掛かるにつれて新しい描写が加えられてゆく。

 序盤からあったパウダリーさがクラシカルなローズとゼラニウムの表情を一層出しはじめ、面状にごく薄く広がって行く。布のような繊維感は体温と混ざり合い、グリーンと花々より手前でそれらの中腹の香りを温め始め、トップと同じように広がりは動きと言うより鼻をその場に落ち着かせるような香りになっていった。

視点は一つなのだが、手元のパウダリーさとグリーンとミドルの動物的な花の香りを行ったり来たりする感覚は、何やら揺りかごののような揺れ方だと感じた。

夜の広い庭で一人揺りかごの中で揺られながら、揺りかごの外に広がっているであろう外の草花のざわめき、野の動物の痕跡、様子を嗅覚だけで探るような幼子の気分だった。この先は己の香りの染みついた夜露に湿ったブランケットだけが味方の、孤独だが静かで神秘的な一夜の体験となるのかもしれない。

このミドルで香りの豊かさが極まると、徐々にラストに向かって甘さはベースノートのレジン部分に沈み込んでゆき、パチュリの土のような鼻に抜ける深い湿り気とセダーやベチバーなどの乾いた香りが全面に押し出されてきた。ただし、一面ドライなウッドというわけではなく、あくまでレジン系の甘さは最後まで続く。

ベースにはオリバナムやバニラとベンゾインが入っているが、ようやく見えたそれらの全貌は、トップ〜ミドルで他の香りと上手く混ざり合いクラシカルさやヴィンテージ感を醸し出していた層の厚いものではなく、浸透して行くように肌との距離を縮め始めた。その様相は今までの体験が遠い昔のように思えるような沈着さをもっている。緩やかに変化していたはずなのに、ラストの半ばまで行くと、ひょっとしたら今までの香りの揺れは全てベースの香りが見せていた幻影だったのではないかという感覚を覚えた。

白昼夢から覚めるように記憶や快楽への没入をふつりと切ってしまうような良い意味での静けさがある。

これはBogue全体に感じているが、確かに香り自体は濃厚なのだが、個々の立体的で個性が立っている香りがお互いの口を塞ぐように重なり合っており、その身を寄せ合って息を潜めているような、眼差しだけ感じるような沈黙がとても現代的だと感じた。

 

 

 

 

 

 立ち止まって腕に乗せたNOUNの香りを吸い込むと、なんだか自分が暗い道の一部となって、遠くから誰かに見られているような気分になった。

 

普段とは少し遠回りをして暗い夜道を通り抜けて家路に就いた。

 

最後の古い家の角を曲がると、その何十年も前に閉めて久しい商店のシャッターの奥からは微かにテレビの乾いた音が聞こえていた。

 

 

 

Bogue Profumo