日々の糧—香り日記—

日々出会った香水について記してゆく日記。

73.不気味な香り《ウンハイムリッヒ(ウィーナーブルート)》

週末に少し恋愛ごっこのようなデートの真似事をした。

休日の夜の霞ヶ関は世界の終わる前の様に静かで、今思い出すと夢だったのではないかと思える。

別に何があった訳ではない。しかし初心な私は、次の日になってもその記憶をあっさりと夢にしてしまうこともできなかった。

その時の、2人で無理して飲んだ甘い酒気の混ざった吐息、それに私のティンタ ロハが混ざり合った香り、手の温かさ、肌の温もりを奥に感じる服の布地の質感と香りが忘れられず、感傷に浸りながらラムが入った香りの所感でもポエティックに書き記してみようかと伊勢丹付近をさまよっていた。

 

しかし、自己憐憫に酔う暇はなかった。

二日酔いにも似た塞いだ気分で伊勢丹メンズ館に入ると、見たことのないボトルが目に入った。

夏頃に入ったWienerBlut (ウィーナーブルート)というオーストリアのブランドだそうだった。

 その中でウンハイムリッヒという銘の香水を試したのだが、だらしなく緩んだ脳みそに一撃を食らわされたような気分になった。

最初の印象は「意味が分からない」だった。複雑ながら、そのテクスチャが全く掴めないまま滑らかに鼻の奥へと進まれるのだ。

 

強度のある現実の体験によって完全に酔いから冷めた私は、とりあえず伊勢丹の外のベンチに腰掛けて深呼吸をし、暫く目覚めた直後のようにぼんやりした後以下の所感を残すことにした。

 

 

ウンハイムリッヒ( UNHEIMLICH )

 →フロイトのエッセイにおける「不気味なもの」に着想を得ている。

まず調香を見ると、

トップがカルダモン、ピンクペッパー、アルデヒド

ミドルがカカオ、コスタス、ラベンダー、ジャスミン、アイリス、クミン、ワイルドレザー。

ベースがオポポナックス、アンバーグリス、ベチバー、バーチタール。

となっている。

肌に乗せた直後はカルダモンのフレッシュさに乗って一瞬全ての香りが前面に出るような複雑な香りが滑らかな動線で距離を詰めてくる。しかしすぐにトップのアルデヒドなのか、人肌のような香りが自分の肌と定着してそれらを隠してしまった。

これはワイルドレザーなのだろうか、スモーキーな、それでいて澄んだ水蒸気のような粒子感の香りがその肌の膜から沸き立ってくる。それらは誰かの気配のような体温を持っており、透明感があるにも関わらず殊の外厚い。その皮膚の奥で香りが確かに動いているのを感じられる。そこから間もなくミドルの花の滑らかな甘さを認識できるようになる。しかしその現れ方も不思議で、ふとした瞬間に、閉ざされた幕の間からさりげなく差し出されるようにカカオの層の厚い甘み、ラベンダーの乳白色めいた香りや、コスタスやジャスミンの瑞々しく甘酸っぱい様、樹脂や動物的なツンとした凝縮感が鼻に残る香りだったりなどが染み出すような流れで鼻に入ってくるものの、同時に常にそれらの質感のニュアンスだけがランダムに膜越しに伝わってくる何とも言えない感覚がある。それは時に組み合わせの異様さや、認識の失敗を引き起こす。 

ラストに向かう終盤はそれまで密着していた膜が肌から浮いてくる様に感じた。ベチバーとバーチタールが前面に、白くパウダリーで横に引かれた直線のようなとてもフラットな印象。トップからラスト直前までの、底の見えない複雑な構成はついぞ底を見ることなく、幻のように思えた。

フロイトの「不気味なもの」では、親しみのあるものが抑圧される(隠される)過程を経て返ってきた時に不気味なものになると書いてあるらしい。私はフロイトについては全く知らないが、確かにこの香水はその一文を忠実に物語っている。調香を見ても、割合一般的な名前が並ぶものの、先に話したようにそれらの全貌や繋がりをはっきりと認識することはできない。だが、その隠された香りの凹凸を手探り(ここでは鼻探りだろうか)でなぞり触れてゆくとこは何と気持ち悪く快感なのだろう。と感動してしまった。

 

 

夢から覚めた週明けの昼時、平日の霞ヶ関に行くと人で賑わっていた。

人が忙しなく往き交いランチの香りが幾重にも流れる地下のフードコートは、何の感傷も既視感もない、明らかに初めて来た場所の印象だった。

 しかし確かに何日か前にそこを歩いたのも事実で、確かに私たちが座った席も存在しているのだ。

 

彼の顔はもう思い出せなくなってきているが、着ていたコートに付いた残り香は、今でも仄かに立ち上る。

きっと私はこれからも不気味なものたちを求め続け、彼らも私の友達なのだ。

 

 

 

UNHEIMLICH – THE LIMITED BLACK EDITION- - doinel/ドワネル