幼少期、プロテスタントであった両親に連れられて日曜日は教会に行っていた。
その教会は後に私が入る事になる幼稚園が併設されていたが、結構な古い建物だった。
ある日、皆が聖書を読んでいる時にお手洗いに行った。
そこの壁はホールと同じく限りなく黒に近い焦げ茶色で、高い位置にある唯一の窓からの外の明かりや緑の葉の反射がかえってからりとした埃っぽさと薄暗さを強調していた。
そこのシンクで手を洗っていると、ふと石鹸に目が行った。
その使い古された乾いた小さい塊には黒い筋がいくつも走っていた。その不気味さを興味深く思った私はその時何かを言ったのかもしれない。
そうしたら、後ろにいた母が「黒い所には人のばい菌がはいっているんだよ」と囁いた。
なぜこんな他愛のない思い出を冒頭から語り出したかというと、サンプルを取り寄せていたイタリアのMendittorosaを試香したからだった。
サンプルの中のidという銘を始めて肌に乗せた時、その記憶がなぜか頭に浮かんできた。
これがプルースト効果か、としみじみした。
香りはしばしば記憶と結びつく。
Mendittorosaもまた、創始者のSTEFANIA SQUEGLIAの、幼少期に花などを飽きビンに入れて混ぜたりと香水作り遊びをしていた記憶に根ざしている。
ブランドのテーマとなっているイタリアのストロンボリ島が噴火したとき、STEFANIA は香水を作る事を決意したそうだ。(訳の正確さは疑問なので、公式HPのPDFを参照してもらいたい)
しかし、そんなMendittorosaが運んできた記憶は先程の思い出話で、ノスタルジックな感傷とは全くかけ離れており、とても興味深く思えたのだった。
香りの所感は以下。
トリロジーシリーズからはidの香りを選びたい。
(他にはアルファ、オメガがあるが、こちらはやはり別なおかつセットで考えて行きたいと思っている。)
id
→ストロンボリ島の火山の別名「iddu」から取っている。
トップはハーブが主体のクラシカルな香りが現れる。儚いというかさりげない香り方で、強い香りを日々好んでいる人には驚きになるのではないか。
ナツメグやサフランは点のように散見できるのだが、ラヴェンサラやタイムのハーブ感とバイオレットやイリスのパウダリーさには何かが突出して香る様子はなく、一つのゆるく繋がった塊として認識できた。注意深く聞くとベースのラブダナムが全体を柔らかく包んでいるのがトップの時点でも分かる。そこがあえて現代的な広がりやスピードを抑えており、人肌のような温かい香りとして、誰かが寄ってきた様にいつの間にか距離を縮められている。
それと同時にベースの堅固さも伺い知れる。かといって変な重たさがあるわではなく、深く吸い込むほどその不思議な安定感と上層の掴めなさのちょっとした差異が心地よく響いた。
ミドルはそのふわりとした空気を内包した香りの中央に穴が空いているような感覚を覚えた。その穴のような中心は、ラブダナムとウッド系の香りがトップとは違ったスピードで整理しているように感じた。フラットに、規則正しく整えられて行く。しかし、出だしからの透明感は全く衰えていない。ベンゾインは遠くに感じるだけで主張はせず、甘みの優しさの面をフォローしている。
トップから言えるのは、ラブダナムの優しさを帯びた香りが常にそばにあるという事で、その香りの包み込む様な質量感が香りの輪郭のガイドのように鼻の後を追うのだ。それが羽を滑らせていくようですこしくすぐったい。
火山というと分かりやすく激しい炎やマグマを連想しがちで、ストロンボリ火山も現在も活発な火山ではあるが、ここでのidは緊張感や攻撃性というよりは、その火山とともに堆積し、ストロンボリ島にしっかりと根を下ろした力強い自然の大地を思わせる。
ただし、その自然も壮大な表現ではなく、あくまで人の日々の暮らしの中の記憶の中から それらを見つめているような、ひそやかで繊細な構成になっているように思えた。だからこそ、透明感と愛おしさすら感じる柔らかさが出来上がっているのかもしれない。
次に、THE DUO シリーズからはSOUTHについて所感を残したい。
このシリーズは北と南、相反するが引かれあう二者をテーマにしている。
北は北欧、南は地中海らしいが、確かにNORTHはラムネのようなトップが身近な香りでいうとアゴニストの寒冷な描写に似ている印象を受けたので、コンセプトを読んだ時に納得した。
一方で、SOUTHはよくある地中海的な調香とは少し違っており印象的だった。
SOUTH
→まずは調香ピラミッドから書くと
ハートがソフトジャスミン、ドライクリーニングカバーアコード、シリンガ
ベースがオーストラリアサンダルウッド、ホワイトサンダルウッド、グリーンヘーゼルナッツ、パンアコード、プレシャスウッド、キャロットシード、アミリスウッド
というユニークなものになっている。
トップから、温かさを感じる、やや土っぽい香りが広がる。
表層には植物の青みの甘みの少ない苦味があるが、奥にアニスのような、アニスよりはさりげない甘みが感じられる。それと一緒にスッと鼻に通るハーブのような滑らかな線が印象的だった。瑞々しさはそれらとは違う丸く水玉のような質感で、最初は肌の上に留まっていたが、少しずつ肌の中に吸収されて行く。その肌と一体化してゆく度に香りはトップのハーブの線に沿って横に広がって行く。時間が経つにつれて、種を割った時のようなふくよかでコクのあるオイルの気配を帯びた柔らかい香りが時折感じられるようになった。
idと同じく、この香りも優しい香り立ちが鼻と近くて心地良い。ミドルの時点でラストの馴染みを感じるほど肌に浸透した。最初はあえて調香を調べないで試香してみたのだが、ミドルのドライクリーニングカバーアコードがムスクのように思えてしまい、もうラストなのか?と間違えてしまった。しかし、その後も香りの変化があった事で、驚きと嬉しさを感じた。シリンガというのはライラックの花の事の様だ。この花の香りは、私の肌だとミドルの後半の方で感じた。ジャスミンと相俟って、温かく朗らかな花の香りだった。
ラストは日だまりで乾かされたシーツの温かさと繊維の質感を持ったミドルの石けんのような香りの下に、丸みのある甘い香りが現れた。ふっくらとした、パウダリーさと瑞々しさの両方持つこの香りがパンアコードだろうか。このパン的な、ややぱさついた小麦の甘い香りは、サンダルウッドも演出しているのだろう。思えばトップからこのパン的柔らかさと表面の香ばしさは奥の方に行き来しており、ラストでようやくこの香りだったのか。とも思う事が出来た。しかし決してグルマンではない。
南方であるとすれば、温かな風の吹く温暖な農耕地帯のようなイメージを受ける。
不幸にも私はまだ自らの手で植えた植物が実る嬉しさを知らないが、その植物を温かな南風が撫でれば、きっと自分自信が撫でられているような気分なのだろう。眼差しが温かい。
Mendittorosaの息遣いや体温をも分かる至近距離で囁くような透明で無垢な温かさは、ふと思い出す記憶の質感に似ていた。
記憶は他の記憶と混ざり合い、誇張され、削ぎ落とされ、絶えず改竄されてゆく。
私が思い出した教会の壁は実際には焦げ茶ではなかったかもしれないし、
石けんの黒い筋もそんなにはっきりと浮き出ていなかったかもしれないし、
母親は囁かなかったかもしれない。
しかしその記憶はとても鮮烈なイメージとして確かに呼吸をしており、これまでもこれからも、私の意思とは関係無く成長し、姿形を変えて再び私に囁きかけるだろうと思う。
さて、Mendittorosaには他にもTALISMANSというシリーズもあり、試香の後に気付いたらそちらも注文していた。
到着が楽しみだが、もはや自分の中でMendittorosaへの感覚は香りの善し悪しや好き嫌いではなくなっているのが分かる。
記憶への中毒に近いのかもしれない。