polar night bird

香りの記録

90.畑とビルと風《Stercs(Orto Parisi)》

久々に渋谷に出た夜、正直気分は最低な日だったが、この機会を逃したらずっと行かないであろう六本木を訪れた。

一時期は毎週のようにグランドハイアットへ通った見慣れていたはずの六本木は、何やら妙によそよそしく、ビル風も重く冷たく、一辺倒に感じた。

 なぜ六本木を訪れたかというと、六本木ヒルズにNose shopがオープンしており、そこのNasomattoとOrto Parisiを試香するためだった。

 

六本木ヒルズ閉店の30分前に滑り込んだので、あまり人がいなかった。

一目散に入店し、お目当てのそれらを一通り試香をしてみると、両者は今のアンチパルファム系ニッチ香水の礎の1つ言って良い、変わってはいるがクオリティは一定以上の安定した仕事をしている印象だった。ニッチの中堅と言える。

これらは合成香料を使用していないと謳ってはいるが、実際のところは分からないし、どうでも良い事なのだと感じる。

その中で興味を惹かれたのが、Orto ParisiのStercsだった。

Stercsは日本語では「糞」と題され、題名でまず人を大いに選ぶ銘になっている。

しかしコンセプトは生と死の輪廻であり、糞も悪臭としてのスキャンダラスなイメージよりも大地に捲く「堆肥」という側面から表現されている。

所感は以下。

 

Stercs

→敢えて調香を非公開にしているらしいので、冒頭に調香は載せないでおこうと思う。

カテゴリ的にはアロマティックフローラルウッディに含まれているが、テーマ

 通りアニマリックな香りもトップから感じる事が出来る。

店員さんも「撒かれた肥料のような」と形容していたように、肥料が撒かれた際の、やや息の詰まるような生き物の温かさと柔らかく練られた草の香りが、乾いた土の香りと共に空気中に舞う、春の香りだった。この空気中にふわりと広がる軽さと柔らかさはパウダリーな花の控えめな甘さのある香りが演出しているのだが、牧歌的な雰囲気はなく、あくまで淡々と細密に描写されてゆく。

更に注目して行くと、最奥にこれを「肥料」たらしめる動物性の気配を感じる事が出来る。アンバーグリスかシベットかカストリウムか。多分、このシベットよりも他の香りに浸透しない突き抜ける様な刺激はカストリウム由来かもしれない。それらは丸みを帯びた柔らかいまとまりの中で蒸気めいた緩やかさで混ぜ合わされ始めるものの、肌からは遠い場所で香る印象で、だからこそその具体的な描きこみ方と対照的な情景描写としてのクールな距離が興味をそそった。

ただ、それらが立ち上ったのは一瞬で、すぐに香りは乾いたベチバーの直線的な苦味のあるウッディな煙と共にレザーの質感へと整えられて行った。茶褐色の皮膚を彷彿とさせるそのテクスチャは有機的ではあるが、先程とは対照的に、陰影を帯びたなめされた革とワックスを手でなぞるような、滑らかで人工的な涼しさと硬さを持っている。

トップが一番情報量の多い珍しい香水に感じた。

その後、レザーの滑らかな不透明感は遠ざかり、それと交代するように外縁に遠ざかっていた甘みが中央に集中してゆく。レーズンなどの干した果実や樹脂のような凝縮された甘さが、アニマリックな酸味を帯びた香りと相俟って更に熟して広がってゆく印象だった。ここに来ると、トップでは宙を舞っていたアイリスやヘリオトロープ等の、パウダリーで静かな甘さのある石鹸の様な香りを上方の広がりを支える底に見出せる。

 ラストは甘みの少ないウッドが台頭した。甘さのないシャープな香りが芯となり、その周辺を有機的な湿潤感を持つアニマリックが半ば染み込む状態で隙間なく挟み込んでいる。その対比は骨と肉のようなイメージで、そのアニマリックとウッディーの間を絶えず嗅覚が行き来する感覚を覚えた。

ちなみに、調べるとバニラも含まれているらしいが、私の肌ではラストには一切残らなかった。しばしばジャスミンやバニラなどの白い花は動物的に香る事があるが、この香水でもどこかに擬態しているのだろうか。

最近の香水では、Zoologistのシベットやハイラックス、BogueProfumoのMaaiも動物の香りと植物の香りの関係性にフォーカスされているが(この話も後ほど書きたい)、このStercsもまた動物の食料となり、そしてまた肥料となって自らの養分となる植物にも輪廻の軸が設けられている。だからこそ、アニマリックな香りだけでなく、終始ベチバーやウッド、その他深みのある葉の乾いた野草めいた香りが全体を貫いている点に気付くことができる。

更に、植物性の香りと動物性の香りは隔てられておらず、時に花が動物の香りを演じ、一方で動物性の香りが熟した植物の表情を見せる。

それらが渾然一体となって繰り返される牧場の輪廻の先、私の肌でのドライダウンは、アンバーグリスのような鼻に抜ける勢いがあるが中層に定着して走るシンプルなアニマリックの香りだった。

アンバーグリスもシベットもカストリウムも動物の分泌物だ。それらは採取され、私達が着込む香水の一部となる。

輪廻はどこまでその輪を広げるのか。はたまたそれは本当にただ繰り返すだけの円環なのか。

 

個性的ではあるが、良い意味である程度以上の縦の深みを持たないクールな香水なので、女性も男性も手を出せる印象だった。

 

 

 

ドライダウンの香りを漂わせながら、閉店間際の六本木ヒルズを後にした。

忘れかけていたこの時間の東京特有の、誰からも何からも切り離された感覚が今は妙に心地良く、高層ビルの間を不機嫌な顔をしながら終電まで歩いた。

 

 

www.ortoparisi.com