polar night bird

香りの記録

91.緑の物語《MIDORI(Y25)》

最近住まいを東京から緑と水の多い場所に移した。都心まで苦なく出られて、静かで、東京と比べたらもちろん何も無い。今まで気に留まるのは自宅から歩いて20分程の所にある大きな沼と崖の下に見える薄気味悪いプレハブ小屋だけで、そのどこか荒涼とした景観が気に入っていた。

しかしある日ふと、湖畔に続く道にそこだけ不思議と花の香りが立ち込めている小道を見つけた。

青さのある甘酸っぱい花の香りに、柑橘系のような爽やかさのある油脂めいた滑らかな香り。それら春の香りを凝縮したような香りが、良い意味で整然とせずに好き放題香っているのだ。

 

不意な出会いに、ふと今年の冬に購入した香水を思い出した。

その香水は、ベトナムのY25というブランドのものだった。

 

www.y25perfume.com

 

Y25は Hai Yen氏が2013年に立ち上げた若手のブランドだが、現在はオーストラリアのセレクトショップベトナム主要都市のホテルなどで扱っているようで、ボトルに関しても50mlはベトナム製の陶器を採用しており、ビジュアル的にも楽しい。

ベトナムへ旅行する際はチェックしてみてはどうだろうか。

普段日本には船便でしか発送できないそうだが、偶然Yen氏の友人が日本を訪れるタイミングだったらしく、そのおかげで比較的容易に手に入れる事が出来たのだった。

 

今回は、ブランドの中心コレクションである、

Scents of Vietnamのディスカバリーセット

MIDORI

の2種類を購入した。

 

Scents of Vietnamについてはやはりベトナムの都市と歴史を通るのは不可避のため後程充分に考えてから記事にしたいので、

今回はMIDORIについて所感を残したい。

 

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 MIDORI

トップノート:ヒヤシンス、ベルガモット、カフィアライム
ミドルノート:緑の芝生、ライラック、アイリス、バイオレット、ローズ、ブラックカラント
ベースノート:ベチバー、シーダーウッド、オリバナム、オークモス
といった調香。
このMIDORIは、トップから例えばジョーマローンやミラーハリスといった、西洋のガーデンのような、管理されて整然としたグリーンではない。また、フエギアのパンパのような、乾いた空の下、丘から低い草木を見渡すようなグリーンでもない。
 トップから見知らぬ暗緑の肉厚な草や葉に鼻を近づけた時の、葉全体のふくよかな香りが一気に鼻に入り込む様な直線の濃いグリーンに迎えられる。展開のスリリングさはあるもののトップらしい瑞々しさと拡散性は多少あり、するりと侵入してくる様子はやはり甘みの少ないベルガモットやライムの水気のおかげだろう。
この段階から、柑橘に半ば混ざる様に時折突出するヒアシンスの青みと甘さを揺れ動く香りと、ミドルのパウダリーな甘い花の香りを中心に感じる事が出来るが、これも花というよりは青みのあるグリーンの香りの延長線で香っている。その甘さと鼻への滞留感は常に皮膚や鼻の動きに沿って伸縮しており、グリーンの分かりやすく明るい記号をトーンダウンさせて良くも悪くも雑然とした濁りを作っている。だがそれが妙にリアルな湿気を帯びた茂みを思い起こさせる。
 
時間が経つにつれ、ミドルのアイリスやバイオレットなどのパウダリーな重みが強まり始め、それが葉が吐き出す水蒸気のように周囲に広がり緑の茂みの包囲網を濃いものにして行く。遠くで香らせると、アイリスたちのやや息の詰まるような石鹸的な硬質で清潔感のある香りが大部分を閉める時があるが、やはり奥にはグリーンの有機的で不透明な香りの一軍が内包されており、それらは綿の様な柔らかな繊維感でグラデーションが描かれている。両者の質感は同じパウダリーとして括る事ができるが、それ故に最奥から感じられる、葉のむせかえるようなえぐ味を持った苦さと甘さが異質なものとして鮮明に記憶に残った。果実系のブラックカラントが、己よりシャープな青みを飲み込み丸い水球のようなまとまりを作っているからだろう。
トップよりも落ち着いたその香りは、丁度葉を裂いた時に糸を引く繊維のような、瑞々しくもねっとりとした調子がある。
MIDORIの緑の甘さは水の粒の質感からして甘く滑らかだ。
その感覚は、パリから日本に帰ってきて空気を吸った時にも感じたことがあったのだが、それと同じ様に、通常のグリーン系の香りよりもパウダリーであるのに水の粒が大きく密集して感じた。それらが各々トップの葉の甘さを一杯に抱き込んでおり、だからこそ丸みのある甘さが立体的に引き立っている。
だが、立体的と言えどもMIDORIの表現は具体的なものの細密な彫刻ではなく、誰かの記憶の中の葉や草や花に向けられているような、所々背後を見透せそうなムラのある薄さで広がりを見せる。
ミドルの半ば、ふとデジャヴのようにトップの甘酸っぱさが鼻を通り過ぎる事があった。その時はアイリスは後ろに控え、その華やかさを支える役割に徹する。この変化のタイミングは何回か付けてみても予測できない。思い出したようにブラックカラントの作る水球に収まる形で浮かんできて、またアイリスとバイオレットの中に消えてゆく。
この段階が現れてから、緩やかな動線でラストのベースノートを感じられ始めた。オークモスとベチバーがパウダリーな霧を薄めてゆき、清浄な空間を広げてゆく。ただ、終始緑の運動が主軸にあり、ベースノートは地面に茂る深い茂みと地面のような不動(だがこれもまた霧のような質感だった)の立ち位置を崩さないため、こちらが地面に降下しているような感覚がある。ラストは夢から覚めたような低調さに着地することが少なくないが、不思議とそれはなく、浮き沈みの即興感が最後まで続く。
MIDORIは全体を通して、流れる表面の凹凸を追って行くように柔らかく緩やかな明滅が続く構成になっており、更に最奥の緑もある一つの緑の描写ではなく、常に草葉が行き交う様な複数性を持っている。その香り方から感じる、ある種の明るさと賑わいは、彼らから語られ示されているものよりも、私たち聞き手が不可侵な領域の輪郭の方を印象付けているような気がした。
 
公式HPの説明にも、森には物語がある。という一節が書かれている。
ただ、私個人の所感の結論はそこの解釈とは少し違っていた。
私たちに見せている姿が緑の全てではなく、緑には緑の物語があるのだ。
私たちはそのほんの一片を、香りで知ることができるだけなのだろう。
と、思ったのだった。
だからこそ私たちは長らく草花の香りに耳を傾け魅了されてきたに違いない。
 
 
 
この記事を書き終わった今日、外に出てみたら先週に比べて一層春らしく暖かな気候になっていた。
 
今日は用事を早く終わらせて、あの花の香りの小道に迷い込んでみようと思う。
 
彼らはそこでどのような物語を築いているのだろう。

 

 

 

Y25perfume