polar night bird

香りの記録

101.含み笑いの暗闇《Rubikona(Puredistance)》

鉄の光と味が好きで、幼い頃は血にはその鉄が含まれるという事が興味深かった。

ルビーはしばしば血に例えられ、上質なルビーは『鳩の血』と言われる。以前その鳩の血を拝む機会があったのだが、光沢の奥の混濁した黒色にすら思える程深い有機的な赤い色が印象的であった。

 

 

10月の半ばにピュアディスタンスの新作、「ルビコナ」が届いた。

それまで自然にばかり赴いて香りものから遠ざかった生活を送っていたが、そろそろそれも限界の所だった。やはり香水と共に都会をあてもなく彷徨う時間がないとだめなのだ。

そんな矢先の嬉しい贈り物であった。

 

本来なら4月の発表だったらしいが、最初ルビコナのクリスピーさは葉が落ち始める季節に相応しいと思ったのを覚えている。

その後こうしてこの記事を公開するまでに一ヶ月以上を要したわけだが、それほど一つのテーマに絞ってまとめるのが難しい、楽しい香水であった。

それほど様々な解釈ができるということである。

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 「ルビコナ」はイメージ通りルビーをモチーフにしているが、アトマイザーが黒といった所が気に入っている。

また、ルビコナという名前は「4つのサウンドが一つになって小さなシンフォニーになる」といった意味の込められた造語であるそうだ。

それを忠実に解明してゆくのも楽しいが、あえてそこに直接的に切り込まずにまとめてみたい。

 

所感は以下。

 

調香ピラミッドは

トップ:グレープフルーツ、ベルガモット、マンダリン

ミドル:オレンジブロッサム、クリーミィノート、ローズ、イランイラン、クローヴ

ベース:パチュリ、シダーウッド、バニラ、ソーラーノート、ムスク

となっている。

吹いた直後、細かく甘酸っぱいトップの柑橘が明るい色味で散り散りに突出する。柑橘は私の肌ではベルガモットとグレープフルーツが強めに出ており、殊の外甘さが控えめで、香りの光沢が落ち着いた先端がシャープな透明感があった。

一方それらの活動的な動きの下地になっているのは、ココアのような細かい粉めいた苦みと香ばしさを伴う、最上層の柑橘系とは対照的なマットで彩度の低い薄暗闇のような色合いであった。ベースのスパイス群やウッド、ソーラーノートに影響受けているように思えるちり付きである。覗いていてもその香りの一群自体にはあまり動きを感じられず、代わりにそれらの粒子の中で水気を含んだ柑橘の香りの粒が点々と反射して明るく光っているのが対比として分かる。

静かなトップであると思った。表面上に明るい光の動きを感じる事はできるのだが、土台の甘さが控えられた暗部の奥部は既に音や運動を吸収してしまうような動きの鈍いくぐもった厚みがある。それ故か柑橘の動きも等速に近く、ドラマチックな運動は見られない。

柑橘の光のきらめきに注視していると、やがて霧状に広がっていた暗部がこっくりとした不透明な重量感を持ち始め、その重力によって下に垂れ始めた。目の前で全体に散ってゆく柑橘の明かりもそれに呼応するように認識できる粒子の数は多くなり、今までのような抽象的な集中ではなく暗部の縁に膜の様に張り付いた境界面として認識出来るようになっていった。

先程から「暗部」と呼んでいる土台部分は、ミドルに到達しても光沢は無く、極小さな同じ大きさの粒に揃えられた香りが整然と積み重なって一体化した様な隙の無い密度で構築されている。トップよりも強固な闇として、厚さや何らかの形として推し量れない程に下方に広がって全貌を隠している様に思える。クリーミィノート由来か、動きのごくゆっくりとした不透明な重さのある甘い香りだという事は感じられるが、香り自体は重いわけではない。全体に染み渡る甘さは凝縮する鮮やかさの中に黒糖の様な細かく刻まれて空気を含んだ香ばしさがあり、トップの柑橘のハリのある透明な甘酸っぱさのある膜の中の下でゆっくり充満するような運動をしていた。

ここで全体に広がって上層の下地となった柑橘の粒の中からオセロが翻る様に感じ始めるオレンジブロッサムの香りは中心をつまんで絞られたような甘さがあり、明るく透明で丸い。そしてその水球の中に他の花々が入り込んで行くことで、個々の花が具体的に主張するというよりは内に凝縮する動物的な濃厚さを持つ花の香りの一群として抽象的に香り始める印象を受ける。それ自体は鮮やかで立体的なのだが、やはりその香りの球が接合した下層が透けて見えており、その陰影と動きの緩やかさに気を取られてしまったが、そこは相変わらず動きはなく、柑橘の水分を吸ったのかその不透明さを一層滑らかに密度を高めている印象を受けた。一方、その表面の花の水球を縁取るようにイランイランやローズの薬草めいた鼻に抜ける香りが一番鼻の手前に感じられ始めた。それらを辿ってみると、その粒子感が布の手触りのように鼻に追随してくる事で、その下の暗い動かない部分の表面にも時折なだらかな大きな緩急があることに気付いた。その丘にあたる一番明るい部分に注意を向けると、その表面にパチュリやバニラ、ムスクを始めとしたベースの、くぐもったような甘く粉めいた香りを認識できた。その運動は風の全く吹かない静かな空間でごくゆっくりと重力によって砂が流れる砂漠を思わせる。

その丘陵は、厚手の光沢のある布、絵で言えばレンピッカ的な均一で無機質なグラデーションの陰影をイメージできた。一番光のあたる明るい部分部分は色で言えばバーガンディーやクリムゾンのような、深みのある赤だろうか。

時間から切り離されたような空間で全体を眺めていると、そのうち徐々にウッドの粒子感とクローブのくぐもったようなちり付きがサンドブラストのような細かい粒子となって花の光沢をマットにコーティングして行く。

一番外側のオレンジフラワーの白い花の甘さはそのまま全体に広がり、周囲の暗闇のクリーミーな不透明さとマーブル状に混ざり合ってゆく。その表面でバニラやシダーウッドがムスクの不透明なパウダリーさに包まれてちり付いて静かに香る王道のラストノートの様でありながら、徐々に一番手前に、ある種の乾いた苦みを感じるような軽さのある粒が散見できるようになった。これはトップのココアのような細かな粉めいた質感で、トップで下層として認識していた層が今度は最上層の柑橘のポジションで香っているような不思議な感覚を覚えた。この粒子感の影響か、最後までカラメリゼされたような苦みのある大粒の粒子感が全体をちり付かせ続いていた。

 

ルビコナは一見分かりやすい親しみのある香りであるが、全貌はというと全く隠された状態で香りは進んでゆく。

その陰影を司るのはソーラーノートとクリーミィノートのグラデーションであった。ソーラーノートの放射状の乾燥感に照らされ個々がドライで立体的な描写で分散を見せる香りの一群から離れるほどに香の粒はまったりと滑らかで深い暗闇として渾然一体となっている。それは香りの具体性も比例していて、光のあたる部分はやはり「見やすい」のである。調香ピラミッドとして公表されている王道あるいはフェミニンな香水のベーシックとも取れる香りはあくまで全体のごく一部である一番明るい部分であり、光の部分が親しみのある「明るい=見やすい」香りであるほど、その光の最も届かない隠された部分を対比として知ることになる。

さらに、このグラデーションのコントラストは香り全体を見たときにも大きな丘陵として認識できるが、陰影の中にも、丘にあたる明るく見える部分にもまた、トップの柑橘におけるグレープフルーツの鋭角的な香り、ミドルの花々におけるイランイランやローズの薬草の香り、ラストのちり付きにおけるココアのような粉っぽさといった、その中でもさらに質感の異なる明るい頂上があり、光度の異なる細かな陰影を形作っているのである。

実のところ私はその絶えず反射し変化する稜線に誘導されて、同じ空間をぐるぐると回っていたに過ぎないのかもしれないと感じている。

陰影の最奥は終始不動の姿勢を崩さなかったように思えたが、香りが個々に持つ甘さや酸味などの香りの濃さやジューシーさといった水気を含んだ旨味がこの部分に集約されていたように思う。見えている香り以外の香りは全てこの中に見出せる。この暗部は明るい部分と完全に分離された別の世界という訳ではなく、かつて明るい部分であった香りが影になり見えなくなった状態なのである。

位置や時間が変われば影も景色も変わる。

女はしばしば海に例えられるが、ルビコナを女性とすれば山で、その神秘性や怪しさですっかり弄ばれてしまった気分であった。

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ルビコナの1番好きなビジュアル。

 

ルビコナは卸したてのウールのコートに良く合った。

今年はこれらを着込んでレストランに行こうと思う。

そして食後はルビコナを付け直し、街を歩きたい。

マスクの中に不意に飛び込んでくる時のルビコナは、明らかに自分の香りではなく、特別な日に含み笑いを浮かべた誰かを伴って歩いているような錯覚を引き起こすのだ。

 

 

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