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香りの記録

79.ペンハリガンについて考える②(ザ ルースレス カウンテス ドロシア)

香水を人に勧めることが多くなったが、 男性からモテる香水を聞かれるとまだ正直困ってしまう。

香りは香りで、人は人だと切り離して考えたい私は、香水を付けること自体の美学や人への効果みたいなものにはてんで疎い。

しかし、だいたいの人々は当たり前だが付ける香水を探している。

 

 

 そんな時、特によく考えずにお勧めしてしまってもだいたい評判が良いのはペンハリガンだ。

何故だろう。

「癖がない」という答えはすでにあるのだが、もう一つ自分の中で視点を持ちたい。

 

 

以前もペンハリガンの色気について考えたことがあった。

63.ペンハリガンについて考える①(オーパス1870) - 日々の糧—香り日記—

 

 この段階では、なぜペンハリガンが色っぽいのかには答えを出せずじまいだった。

しかしやはり考えるならその部分なのだと思う。

 

また答えには到底行きつけなさそうだが、色々と考えて行きたい。

今回はそのポートレートコレクションを中心にしてみようと思う。

 

 

ポートレートコレクションはその名の通り、架空の貴族とその関係者の肖像がテーマになっている。

以前の記事でペンハリガンのいくつかを社会へ臨むための香水と表現したが、このコレクションのテーマはある貴族一家の肖像とその狭い社交内での人間模様といった、外から内情を垣間見るようなスキャンダラスな話が扱われているといった対照的な点がある。

 

今回はその中で「冷酷無情なドロシア伯爵夫人」について所感を残してみたい。

 

 

ザ ルースレス カウンテス ドロシア

(THE RUTHLESS COUNTESS DOROTHEA )

ベルガモット、レッドジンジャーオイル、シェリー、シナモン、蜜蝋、セージ、マテ、カシュメラン、バニラなどの調香。

トップはジンジャーオイルとシナモンなどのスパイスがベルガモットのフレッシュさと相まってジンジャーエールのようなはじけ方をする。しかし軽いというわけではなく、その下には蜜蝋、バニラなどの甘くこっくりとしたグルマン調の大きな層が流れており、その中に含まれるマテの熟成されたようなコクのある暗い色の茶葉めいた香りが優雅な動線を作っている。

老女家主をイメージしたこの香りは、トップ以降のシナモンやカシュメランが時折グルマンと混ざり合いクッキーを連想させる他にも、どこかアンティークのような乾いた調子を醸し出しているのだが、そこにシェリーの香りが甘く広がってゆくために、ある種の現代的な解放感とデカダンを感じさせる。

ミドルに差し掛かったあたりから、トップの華やかな広がりの水気が何となく雰囲気から浮くようで気になり始めた。蜜蝋の存在感が強くなったように感じたからかもしれない。その蜜蝋は上品な赤いルージュのように滑らかに引かれている印象で、トップの香りとの対比で明快なグルマンで終わらせない含み笑いのような陰影を感じさせる。遠くに見つけた白い花のような香りは何が由来なのだろう。それもまた、家主と同じ含み笑いを浮かべているようだった。(もしかしたら清らかな花ではないかもしれない。)

トップが一気にこちらに歩み寄る様な広がりと肌への定着を考えると、ここのある種の断絶感は興味深く思えた。

ラストはカシュメランの温かさで硬質なウッドを底に感じることが出来る。そのベースはトップからすでに存在感は奥のほうに感じられているのだが、色でいうと屋外の光のみが差し込む部屋の影の部分のような暗さを持っている。そこに目を向けてしまうと、トップからの楽しい時間は影を潜め、カーテンが閉められるように積年の深みのような奥行が芳醇なグルマンを眠りに就かせて行く。

全体的に丸みのある落ち着ける類の香り。

 

 

このドロシアのように、ポートレートコレクションは基本はクラシカルな調香だと感じるが、その中に含まれた酒の香りにより、香りの質感が緩み、芳醇な広がりを見せていた。

それは香り全体の印象をぐっと現代的にしているし、銘の持つ物語性へ構成のドラマチックさを忠実に引きつけさせているものが多い。「ブランシュ夫人の復讐」なども終盤にむかうにつれ、トップのスイセンなどの禁欲的な様とは全く違った変化を見せた。

そのように、ある程度香りがそれ自身で完結しているのだ。

 

 それと比較すると、従来のペンハリガンの香りはそもそも、その香り自体を纏うというよりは、己の美学に引き付けて纏う、いわば仕上げの香水に適しているブランドだということが良く分かってくる。

タヌさんのブログLa Parfumerie Tanuでも、ペンハリガンの正規の価格帯と品質、あり方について言及されていたが、やはりそこからもペンハリガンは本来それ自体が高級な嗜好品・芸術品を目指す立ち位置にいない、トータルグルーミングの一環と分かる。

 擬人化ならぬ擬香化されたそのラグジュアリーで快楽主義的な香りを、階級も日々の役割も違う私たちが敢えてペンハリガンの香水として身に付けるということは、仮面をつけるような楽しさもあり、欧州の階級社会ならではの皮肉とも読めるかもしれない。

 

何にせよ、ペンハリガンは香水の使い方について考える良いきっかけになるだろう。

どんな香水でもそうだろうが、殊にペンハリガンの癖のない調香は、私たちの生活の中の香りと容易に溶け込む。

私たちは常に様々な香りに取り巻かれている。毎日のシャンプー、シェービングフォーム、整髪剤、ボディークリーム、洗剤、着ている服の布地の香りから、極端にいえば先ほど食べた食事まで。それらが香水の香りでグルーミングされて一つの香りへと再構成された時、初めてペンハリガンの香りが完成する。

その香りそのものには隙があるということなのかもしれない。その部分に私たちが入り込み、互いを埋め合う形で結合してゆく。

ペンハリガンの官能性はそこなのではないか。

 

 

今の時代、珍しい香りを探して付ける事は容易だ。

しかし自らが日々堆積させてきた生活を香りとして纏うのはどうだろう。

私は男の装いの美学については分からない。

しかし、己の日々の営み、生きざまへの覚悟のある男性は魅力的なのだとは言える。

 

という一応のまとめをして今回は終わりたい。

前回からの「ペンハリガンの色気」に関してはまたも明確な答えを出せずじまいだったが、今後は少しだけ自信を持ってお勧めできるかもしれない。

 

 

 

www.penhaligons.jp