春の冴えない頭を凝縮した様な週末である。
すっかり辺りは草花の香りに溢れ、正午になれば厚着を後悔する様な陽気になる。
その月の連休の最後の日は水辺のカフェのテラス席で虚無な老人よろしく薄ぼんやりと湖畔の風に当たって過ごした。
自分の働きぶりにしては珍しくかなり多忙を極めており、あらゆる情報にうんざりしていた。
そんな状況だと、カフェの何も考えていなさそうなピアノのBGMも何だかありがたく思えて来る。
普段なら疲れと香水の使用頻度は反比例するものなのだが、今年はここまで疲れている中でも、自然と手が伸びる香水があった。
アメリカのパフューマリー、fūmのALOHA LEIである。
ALOHA LEIという名の通り、プルメリアがモチーフの中心になっている。
普段は南国モチーフのものは大きな理由がない限り手を出さない(なぜなら夏の昼間が苦手だから)。しかしこの香りは南国らしからぬクールさとビターさがあり、そこに見事にはまってしまったのであった。
説明は後ほどするとして、所感は以下。
トップは優しく柔らかな質感のパウダリーな白い花の香りで始まる。基本はフランジパニ的な肉厚な白い花であるものの、そこに含まれるどこかフリージアに似た緑の生温かさによって温度は低めに感じた。その粉質は白い花の持つ鮮烈に迫る様な動物的な香りと言うよりは周りに纏う花粉のみヘリオトロープやバイオレット等に近い、ベビーパウダーめいた角のない内向きに丸まる様な香りである。
おそらくこれは徐々に回し入れられた様に混ざり始めるミルキーな香りも原因なのだろう。
ミルクもまた動物的なまろやかさのある液体ではなく、カルダモンなどのクールなスパイスが微量に溶け込み脂肪分の低いラクトン的な粉末感を帯びて認識できる。それらは一定の速度を保ちながら花粉の間を流れていた。その運動は低い位置を崩さず、何の抵抗も受けずに抑揚無く横に流れている様にも感じられた。
例えれば、オシロイバナの種の中の粉の様な奥まり方である。
また、丁度今の季節、沈丁花の花の香りに遭遇したとする。明るく拡散する春めいた香りの下方に何やら広く時間を超越している様に大きく横に流れる、粉っぽい下への圧のある乳白色の帯が感じられる時のその香りにも似ている。
そしてその乳白色のラクトンが流れ続けることで、その重さが全体を落ち着いた調子にクールダウンさせつつうっすら白くぼやけている様にも見え、主軸の花の香りとの間に何らかの距離がある様なフィルターとしても感じられた。
さて、やがてその無垢で甘みのあるパウダリーの白い花の香りの一群は丸い形として落ち着いた。
その間ラクトンはやや水気を増して流れている。その水分が徐々に中心部に溜まって来ることで、中心部はラクトンと花粉が混ざり合い瑞々しく仄かに朱色に色付いた甘い香りに変化しており、何やら口に含んだり噛んでみたい気持ちが沸き起こる様な果肉の固形感となっていた。それは南国の野生的なフルーツの様であり、マンゴーやパイナップル、ライチの類の果汁が明るくジューシーに拡散する果物というよりは、ラクトンの低調な運動のおかげかしっとりとした果肉の甘さが控えめなグァバやパパイヤを彷彿とさせる。
その周囲に注意を向けると、ジャスミンやネロリの圧の強い濃厚な花粉やその中にある内側に入り込むようなえぐみ等の従来白い花の記号になる花の香りが最上層を通って中心部の果肉を輪郭として縁取り始めていた。それらの花粉は外側へ真っ直ぐ伸びており、先端になる程にムスク的な人肌に近い香りに変化している様であった。その最端を経て後ろを振り返ると、相変わらず周囲を流れ続けるラクトンの水脈には日焼け止めを塗った肌の乾燥感や粉っぽさの様な仄かなケミカルさのある細かい網目のフィルターが掛かっている事に気が付いた。これがトップで感じた距離を作っていたのかもしれない。
そのパウダリーな縁には徐々に若い緑の香りが混ざり始める。大きな柑橘の皮の裏側の酸味と渋みと柔らかく密な綿の様な質感である。それらはラクトンの流れに流されつつ、尾を引く様に局所に残像を残しながら動いている。
ここまで流れを見ていると、香り全体が極まる前に常に互いをクールダウンさせながら運動を続けている様に感じられた。白い花は白い花として極まる前にラクトンによりクールダウンさせられ、ラクトンもまたスパイスやパウダリーなベールによってミルキーになりすぎる事はなく、またそれらは逆に冷め切って運動を止めることも無い。
暑い日に見つけた日陰、海辺のパラソルの中。春に吹く冷たさの残る風。夏の夜。そんな常に暑さを感じる中でその陽射しからはぎりぎりに逃れられた時のグレーなリラックスした気分とその中で暑さで沸騰した状態からゆっくりとクールダウンしてゆく自分の身体と頭の状態を彷彿とさせた。
この敢えてどこにも振り切らずにグレーな状態を静かに維持する構成はどこか都会的であり、とても今のアメリカ香水だとも感じた。
ALOHA LEIはアンニュイな休日に最適だと思う。実際私は毎回週末に使っている。
因みにALOHA LEIの香りの変化だけでなく、fūm fragranceの香水全体に感じる引き算的なアプローチには好感を持てる。
fūmの調香師のMiss Laylaは料理人でもあるらしい。それを聞いてこのfūm特有の香りのミニマルさが何となく腑に落ちた。
丁度良い素材をシンプルに絞り込んで丁寧に作られた料理を食べている気分になるのだ。だからこそ、その中に現れる素材の組み合わせの癖やノイズも自然に味わえた。
香りを文章化する際に味覚的な形容が似合うのもそれが理由なのだろうか。
(Miss Laylaは味覚の共感覚も持っているらしいが、そこを関連付けて語るのはまたの機会にしたい)
春は頭が働かないが、それは不思議と精神には心地良い。
結局この日は辺りが夜の気温になるまでテラス席にいた。
Miss Laylaのインタビュー記事もあった。
Meet Miss Layla of FŪM AKA: Fūm Fragrances in North Hollywood - Voyage LA Magazine | LA City Guide
Conversation with Miss Layla of Fūm Fragrances |