昨月、NOSE SHOPがリニューアルオープンした。
改装の知らせもぎりぎりになってから得たもので、正直このくらい大きなリニューアルだとは思っていなかった。
オープン日前から新入荷のブランドを紹介していたSNSを見ていると、UNUMやSUTORASKUGGAN、アンドレアマーク、ソン ヴェーンと、北欧系香水を中心に(UNUMはイタリア)セレクトの方向性をだいぶ大きく絞った印象を受けた。クラシカルやオーガニックなセレクトに寄っている店はよく目にするが、ここまでエッジの効いたアンチパフューム系のセレクトショップも珍しい。
さて、今回は個々の所感は追いつかなかったので全体的な所感を残そうと思う。
新たなバリエーションとして、個人的になじみ深いNEBBIAとUNUM、STORASKUGGANをピックアップしたい。
改めて聞いて、やはり実験的ともいえる視点の置き方が面白い3ブランドだと思った。
UNUMは少し前にLAVSの所感を残したこともあり、記憶には新しいブランド。
UNUMの創始者のフィリッポはSAUFやNEBBIAも手掛けているが、彼の香水の世界への入門はもちろんこのUNUMからをお勧めしたい。
店頭には上記のLAVS、ローズを使わないでローズを作り出すローザニグラ(私は彫刻的だと思っている)、サンドニ大聖堂とゴシック建築をモチーフにしたオーパス1144、退屈さの中での内なる旅のアンニュイノワール、マリオ・ジャコメッリの写真をテーマにした神学徒たち(原題はIo Non Ho Mani Che Mi Accarezzino il Volto)、オルガン奏者のマルセル・デュプレに捧げたシンフォニー パッションが置いてある。
ジャコメッリの写真。実際に見る際はボトルの裏側も是非見てもらいたい。
建築、写真、音楽、服飾、彫刻とフィリッポが関心を寄せる芸術の領域を網羅しているシリーズなので、各々のジャンルに馴染み深い人は更に楽しめるのではないか。
それらはイタリアの歴史を感じさせるキリスト教的なフランキンセンスやミルラ、ベンゾインなど沈み込むようなレジンの香りが内にくぐもるように分厚く漂うのだが、その一方でその浮世離れした香りと対照的な、俗世界の乾いた香りが混ざり合い、厚い重力をもって鼻より少し下方を漂うイメージを受けた。ここでの厚さや奥行はクラシカルな香水に見られるウエットさを失わない下に向かうトンネルのようなそれではなく、突き放したような、このまま地平を見続け自分で深みを探るようなマットな奥行を感じさせる。それが案外息がしやすいのは、あくまでこのシリーズの視点が我々人間から見た、人間が追い求める崇高さを思わせるからかもしれない。
闇の中での時間の過ごし方の指南香水としても傍に置いておきたい。
NEBBIAは
Densa(濃密な霧)、Spessa(深い霧)、Fitta(厚い霧)
の霧をモチーフにした3作品。
ラメ入りで可愛い
最近の香水は、往年の名香や天然香料系の香水と比べると厚みの無さや底の浅さを指摘されてしまうケースがしばしばある。しかしこのシリーズについては、その横に広がるケミカルな浅さがいい意味で重要に思えた。
NEBBIAは霧の中に敢えて止まり、見ることを放棄する香りだった。
アンジェラチャンパーニャのアーエルやアンドレアマークのソフトテンションの霧の表現は、専ら瑞々しいグリーンやモスの緻密な描写、それと霧イメージの香り群との対比が、霧の中の草や岩などの包まれたものへの視線を想起させる。
一方NEBBIAはトップから感じられる水蒸気のような細かい粒子感と気体的な広がりを作り出しているケミカルの速度感によって、霧自体の量感、拡散性、周囲を覆う圧の方へ視点が向いている。
前者が霧の中の物たちの輪郭が描きこまれて行く描写だとしたら、後者は見つめる事物や己自身が霧に飲まれてその境界線を失って行く。
(訳しきれていないが、公式HPにも境界線については書いてあったと思う。)
名前の通りの強い霧に飲まれて正体を失った状態で、その霧を見つめ続ける静寂の時間が過ぎ去ったあとの足元に広がる元の世界の香りは嗅ぎなれないもののように映る。
続いてSTORA SKUGGANは、スウェーデンはストックホルムの小さな工房で作られている香水。このブログでも以前に取り上げたFantome Maulesもディスプレイされていた。
シルエットが人のようでもあるボトル
改めて試香してみた所、やはりこのブランドの面白さは感情の読めないフラットな香り方なのだと思った。同じ北欧系のブランドと嗅ぎ比べをしてみると、どの銘も自然が絡んで来ているものの、STORASKUGGANの自然はある一定以上の具体的な描写を意図的に避けているようにも思える。
また、とある香水愛好仲間と話している時に「サイトがアノニマス的だ」との指摘をもらった。なるほどなと思ったのだが、確かにSTORASKUGGANは、調香師やオーナーがメディアに露出する今日の香水界隈には珍しく関係者の素性が一切明かされていない。香りのコンセプトも個人的な記憶というよりも、村に伝わる森の中の怪人、古代の植物、鍾乳石など、昔からその周辺の人々が共有してきているのであろうモチーフを扱っている。至る所が集団知的なのだ。
STORASKUGGANは遠くで見ればどこかで嗅いだことのある香りがぼんやりと抽象的に見い出せる。それはあっさりと人当たりの良い香り方をしているのだが、何か切り込むとっかかりを掴もうと近づくと、意図された物語性のような起伏や感情のささくれ立ちが見当たらず、ただただそのすべらかな外縁の曲線に沿って漂うだけになる。
もちろんそれは香りとして個性が薄いという意味ではない。
顔の無いいくつもの香り達の顔の無い集合体が作るフラットで底の知れない香りは、その土着性を完全に蚊帳の外の者へ向ける形で展開してゆくような奇妙さがあり、寧ろとても楽しい。
以上3ブランドをまとめてみたが、全体を通して、やはり21世紀のアンチパフュームの奥行きではなく水平に広がってゆく構成を上手く使って表現しているものが特に印象に残った。
確かに香料自体の上質さや沈んで行く蕩けるような贅沢な香水も好きだが、同じくらい敢えて浅い層に留まる事で見えてくる構成の面白さにもまだまだ可能性を感じるのだ。
そしてやはり、実物を手に取りそのブランドを他の香りと一度に試香できる店舗があるというのは素晴らしい。様々な香りに五感で触れて得る目が回るような充足感はやはりネット購入ではなく店舗でしか味わえない贅沢だと思う。
はるばる海外から日本にやってきた不思議な香水たちが、これから多くの気が合った人の元に買われてゆくことを願うばかりだ。
私はというと、新宿を通過するたびに、容易に手の届く存在となったLAVSを購入するかどうか悩ましく思う毎日を送っている。