polar night bird

香りの記録

113.チベットの薬草(圣香海螺藏香水)

登山を始めると、その極めて未熟な熟練度合に関わらず高山地帯の香りに興味が湧く様になった。

しかし、以前富士山に登った際は終始香りを楽しむ場合ではなく、その他の大体の山でも嗅覚に向ける余裕が無くなるのが正直な所だ。

神奈川県の大山でさえ息絶え絶えの現状である、高山植物の香りなどは雲の上の憧れの香りであった。

 

ところで、以前チベットの香水を買った。

チベットというと密教的な香りが多いのかと思ったが、Taobaoでは観光者向けの様なカジュアルな香水も売っていた。

(宗教的な場面で使う香りは一部では老山白檀の香油を使っているようである。)

その中でパッケージからして古そうな「圣香海螺藏香水」を買った。

香りのバリエーションは4~5種類ほどあり、今回は「金色浓香」なるシグネチャーに近い位置に思える香りを選んだ。

※色々試行したがどのルートでも商品代の5倍ほど送料がかかったため、個人ではなく複数での共同購入をお勧めする。

f:id:mawaru0:20230805133446j:image

箱やTaobao上にある説明を読むと、

チベットで売られているロングセラー香水

サフラン、ナルド松、沈香、樟脳、白檀などの貴重なチベットの香料やハーブを使用

・香りが長時間続く

・100%チベットの薬用天然原料使用なので人体に優しい

という謳い文句で売られている様だった。

それらの真偽を問う様な無粋なことはこのブログではしないが、所感を残してみたい。

 

 

圣香海螺藏香水「金色浓香」

 

パッケージには

サンダルウッド、蔵紅花(どうやらサフランのことらしい)、ジャスミン、レジン(おそらくアンバーやベンゾインなど)、甘松、沈香、丁子、その他チベットのハーブ

と記載がある。

 

肌に吹きかけると同時に、ジャスミンのまろやかさと、茶褐色の半透明なベタ付きを持つ樹脂のガムの様な甘さが潰れて平面的に放出された。その縁にはミント的な緑の清涼感と、油っぽい重みを含んだ鋭利な柑橘系を思わせる酸味が、微弱な電磁波の様に振動している。色で言えば、先程の茶褐色に鮮やかなオレンジを強めた様である。さらにその先の最先端部に関しては、結露の様な透明な瑞々しさが粒になって漂っている。

出だしは中々強めの香り立ちだった。

一方、その中心に目を向けると質感が大きく異なっていた。そこは縁とは対照的に乾いており、一瞬ぽっかりと空いた空洞の様にも感じられた。

しかし実際は空洞とはその逆で、ひとたび引くとそこには一際太い緑の茎が通っているようであった。その香りは軋みの強い、キク科を思わせる濃い緑の繊維ばった縦の線で感じられる。それは終始全く動じずに中央に根を下ろしていた。

茎のようなワイルドな緑この鮮烈な緑の一端はガルバナムだろうか。樹脂特有の透明な弾力と汁感がじわじわと滲み出て縁のガムの様な甘さに続いている。

一方で茎の香りの中間層には乾燥した草葉のかさつきが堆積している。かさつきがあるものの、全体的には密度が高い。その強固さは鉱物のような固形感にも思えた。

時間が経つにつれてその茎は全体に広がる様に伸びて行った。外側に行くにしたがって細くなり、枝分かれ、針金のような網目を形成してゆく。

冒頭からそれの外側に接続していたガムの様な部分は、バルーンガムのように盛り上がりながら、強めの甘味が下へと移動して行った。そこにも張り巡らされている針金の様な茎を通過すると、それに分断された茶褐色の蜜が一度に滴り落ち、針金に絡まったものは自身の粘り気でぶら下がっていた。

ただ、この滴った蜜にも、微弱な電磁波の様な振動が感じられた。その振動は終始全体に広がっている様だった。茎の緑と汁気のある甘みにはコントラストはあるものの、いずれも振動により縁がごく細かな、同じ形の波線を描いている。それが、この香り達は1つの大きな植物なのではないかと思わせた。

 

 

さて、ここに来て中心の菊の茎の香りが縁に纏う緑と柑橘めいた甘酸っぱさを併せ持つ匂いは以前どこかで嗅いだ様な気がしてきた。

 

夏に長野の千畳敷カールに登ったのだが、そこの中腹付近でハイマツに出会った。

もっさりと辺りに低く繁茂するハイマツの枝葉に鼻を近づけると、大気中の上に抜けるような澄んだ冷たい水蒸気に混ざって、柑橘系のような爽やかな水分の弾ける甘さとハーブめいたこってりした青みと酸味が感じられた。一方でそれらの奥にある松らしい油ぽい暗緑色はしっとりと地面に根差している。

天候の影響もあっただろうが、私はここまでハイマツの香りが鮮やかであるとは思わず、最初はどこかに花が咲いているのかと思いこんで辺りを見回した。そしてその正体を突き止めた後はわざとしきりに岩に手を付いて、休むふりをしてその匂いを楽しんだのであった。

香りを吸い込む最中は何かに守られている様で、時間を忘れて安心した。

 

その染み出るような柑橘に近い木の油っぽさが、金色浓香の表層に見出せる匂いにとても似ていたのである。

この香水は巷のニッチ香水の様な香りや構成の複雑さがあるわけでは無い。そこから不思議と高地の厳粛で清浄な空気も想起されるのは生産国と思い出のバイアスかもしれない。

 

しかし、香りは確かに異国の知高地に植生する知らない薬草を思わせた。

中央に生える、キク科を思わせる厳しい環境に耐え得るであろう軋んでしなる強い緑の幹から無数に細い枝が伸び張り巡らされている。

先端に生える葉や木の実は肉厚で、そのハリのある皮の内にも、植物が生成した油脂や蜜や水分と言った栄養が一心に蓄えられている。

と、この様に、体内で行われる生命力の強い凝縮と放出が全体への振動となって感じられるのである。

そして自分はとても小さな生き物で、その薬草の茎をまるで登山の様に登っている。その途上で薬草から滲み出る油や汁、茎や葉の栄養を享受している様な気分になってきた。

口や顔中に薬草の成分が付着してベタついている。ただそれはただ粘着質に纏わりつくわけではなく、確実に私の体内に染み渡り、なお微弱な振動をしているのである。

 

その甘みは、時間を経るごとに外縁から徐々に軽い質量になっていた。その表層はカラメルのようなやや乾いた香ばしく優しい褐色に色付いている。

一方で道標の様に中心に延びていた茎の緑はいつしか縁の方へ遠ざかっていた。平地に舞い戻ったと言う事だろうか。そこにかつての鉱物の様な硬さは無く、香りは楕円のフォルムを水平に倒した様な形で影の様に広がっていた。

ラスト以降は中心と縁の香りの位置が反転しており、樹脂や脂身のある甘みや酸味はすっかり自分の体内に収まってしまった様だった。

それら香りの一群は樹脂の様な表面の艶と透明な固形感により中心に纏められ、縁を内側に巻き込んでいる。それも時間が経つごとに皮膚に張り付く跡の様に薄くなって行き、やがて消えた。

 

 

もしかしたら我々が山だと思って登っているものも、どこかの生き物から見れば小さな植物なのかもしれない。

 

色々と考えていたらいつの間にか年が明けていた。外は賑わっている。

家族と過ごす者、大切な人と並んで歩く者、私の様な1人であてもなく彷徨う者。

 

ハイマツの香りの記憶は郷愁の様に私を襲う。

今一度金色浓香の香りを嗅いだら、まだ見ぬ植物の匂いに出会いに何処かへ帰りたくなって来た。