polar night bird

香りの記録

96.初めての調合《Silk Iris(パルファンサトリ)+メチオナール》

パルファンサトリのオープンアトリエがあると聞きいたので訪問させて頂いた。

 

パルファンサトリの香水は気に入っている香水がいくつかある。

また、最近私は香りの言語化と並行して実際に自分でも調香をしてみようと思いついており、作る側の視点からも学べる展示は行かない理由が無かった。

その日も午前中に別の調香の体験教室で初めて調香の面白さを実体験した。

(その体験と香りについては命名が出来たら後日記事にしたい)

 そして六本木の中華でいつもより丁子が効き過ぎな水餃子を食べた後、午後にアトリエを訪問し、生徒の方々の作品を試香させてもらったのだった。

どれも繊細に考えられて作られており、パルファンサトリの精神を引き継いだ澄んだ形の新しい世代のポストモダン香水的な香り方の香水が多かったように思う。

他には香料も展示しており、貴重なオポポナクスを嗅げたことが嬉しかった。

 

そしてその際、幸運にも人数の関係で調香体験に参加させて頂く機会に恵まれた。

その体験は、既存のパルファンサトリの香りに和の香りをプラスするという内容で、未知であった香料自体の面白さも同時に勉強できたことがとても良かった。

 私はシルクイリスに、醤油の香りであるメチオナールを混ぜる事になり、

シルクイリス2mlにメチオナール0.8mlの配合にした。

 メチオナール自体は、ポテトチップの香りが一番身近だと思う。他には紅茶や緑茶にも含まれているという事で、所謂しょっぱい醤油というよりは芋めいたタンパク質のようなまろやかな香りが発酵した厚みのあるコクが印象的の香りだった。醤油だけでなく、味噌にも魚醤にも、バルサミコ酢にも感じる、嗅覚の上の方に蓋をされるようなあのまろやかさだ。

有機的ながら、そこには化学的な艶のある直線的な繊維を彷彿とさせる管理された強さがあり、これを繊細なシルクイリスに混ぜて大丈夫なのかと素人は一瞬不安を覚えた。

 

 シルクイリスの動線は速度は滑らかだが横方向に足並みを揃えた光沢のあるきめ細やかな手触りの布を彷彿とさせる香りであり、そこにメチオナールが落とされると、その重みで中層に弛みが起こった。

 その重みはシルクイリスの半分を借りてその隙間に染み込んで行くのだが、先程の単体のメチオナールよりも塩辛さは薄まり、イリスの粉っぽさと相まって最奥に体温が停滞しているような柔らかな肌の弾力に似た塊になっていた。汗ばむ肌に似た塩気を含んだ肉厚な縁から中心に向けてゆっくり渦を描きながら、生き物の中で醸造されているある種の有機的な臭みが凝縮してゆくような香りの動き方をしている。

一方で表層では元のシルクイリスの持つマイペースな流れがその纏まりを包むように流れていた。シルクイリスが沿って走る縁では硬い香料の繊維との摩擦が起こり時折細かい金属質な香りが散るように生まれており、そちらに目を向けると一瞬光を反射する。

その気流が香りを聞いた時に1番先に中心の香りを後ろに引き連れる形で鼻を掠めるのだが、その温かさと丸い気配は人の吐息のようで、咄嗟に「人の気配の匂いですね」と所感を述べた。

その表層の気流に意識を向けていると、そのスピードで弛んだしなやかな繊維がまたゆっくりと張りつめられて、シルクに染み込んで幾分か軽くなったメチオナールの水玉が一瞬宙に浮く。そしてそれが再びシルクイリスの上に着地した時、水玉は前より細かく全体的に飛散していた。このように鼻を追うように布の上で跳ねる事を繰り返す度に徐々に粒子が細かくなり、全体にメチオナールの茶褐色が斑点状に染み渡るが塊としての匂いの動きは弱まり遠のいて行く。

最終的にはメチオナールはシルクイリスの糸の中にまで広がりきって質感の凹凸を与える立ち位置に収まった。不思議と茶褐色に染まる事は無く、シルクイリスの持つ白さが揺るがない所が印象に残っている。最初の段階ではシルクイリスにメチオナールが一方的に作用してゆくのかと思ったが、意外にもシルクイリスの方もまた動的なのだった。

それは生き物同士の化学反応の様で、シルクイリスがメチオナールを取込み自身もまたそれによって組織が組み替えられてゆく様子は、大仰な例えになってしまうが生き物の身体とその細胞の絶え間ない生と死を彷彿とさせた。

また、今回のワークショップで、シルクイリスに限らず一つの作品として完成している香水は、液体でありながら強度はもはや個体なのだなと改めて感じられた。

 

因みに最後に大沢先生に香りの所感メモ(予期しておらず本当に雑なメモであった)を見て頂く機会があり、緊張で血の気が引いた。サトリのスクールには香りの文章表現を学ぶソムリエコースがあるのだ。

しかし先生はとても優しく素敵な方で、お話しする機会は少なかったが大いに薫陶を受けた。

 

 

この体験の帰り、香りを聞き過ぎてふらふらになりながら電車内で早速最低限の調香の道具を一度に注文した。

この調香への熱がどれほど続くかは分からない。

ただ、パルファンサトリは私の中でその香りだけでなく憧れの場所としても輝いて行くのだと感じる。

 

 

parfum-satori.com

95.終わりの向こう側《Capri Forget Me Not(カルトゥージア)》

梅雨が明けてから一気に暑くなったが、それまでの寒冷な気候のおかげで今年はそれほど鼻が疲れておらず、仕事終わりに汗ばみながら銀座を歩き、試香する体力も残っている。

しかし一方で突如として暑くなった現状に付いて行けずに未だにどこか夢心地というか、現実から逸脱している気分でもある。

 

 

その日の気分で銀座の阪急メンズの香水売り場に立ち寄った。

伊勢丹メンズ館も良いが、ここの香水の品揃えはもちろん棚を一度に素早く横断できる陳列も気に入っている。

この日は当初お目当てだったオルファクティブスタジオやCIROではなく(これらの所管はまた後日)、カルトゥージアの中でも甘みのあるCapri Forget Me Not が印象に残った。

毎年夏といえばカルトゥージアのメディテラネオ一択というくらい夏でも私の鼻と相性の良い気に入りのブランドだ。

 

所感は以下。

 

 

Capri Forget Me Not

レモン、ライム、ベルガモット、マンダリン、イチジク、ユーカリ、ミント、バイオレット、シクラメンジャスミン、アルテミシア、ピーチ、バニラ、ライラック

と言った調香。

ブランドの中では甘く濃厚な香りであるのだが、暑い夏の夜の風のような透明感と軽さがやはりカルトゥージアである。

トップから甘みのあるミントと仄かな清涼感を担うユーカリが輪状に放射状に広がる形で認識できた。その開いた中心ではバニラとピーチがイチジクの甘さというよりも葉に近いやや青みのある肉厚な香りの下の中層に潜り込む形で合流し、ミドル以降に配置された穏やかなパウダリーな花の香りがまたその奥に内包されている形で認識できる。それ故か、バニラベースの甘さであってもフルーティーなグルマンではなくラクトンのような植物由来のミルクを思わせる香りになっていたように思う。

そこを先ほど一度広がったミントが線となり繋ぎとしてミドルとトップを貫くような構成で肌に吸着している印象で、その周辺ではその青みの一群と柑橘系の瑞々しさ。そして私の肌ではジャスミンとヒヤシンスが体温に近い場所で周囲と比べてアニマリック寄りに仄かに香っており、それらがゆったりとした中層のミルクに半分浸かりながら各々の呼吸で主張し合う。香り方は全体的には穏やかではあるが鼻に向いた香りの細波の尖端は時折やや鋭い印象を受けた。

しかし、ミドルに近づくに従って主軸がトップのフルーツとミルクの湿潤感から奥にあるミドルのバイオレットの人肌のような温かみの穏やかな粉っぽさと甘さへ飲み込まれるように置き換わって行く。

それは今まで肌に確かに乗ってそれぞれ角を出していた香りが静かに呼吸を揃えて1つに丸まり宙で少しずつ四散して消えて行く様は、香水にはいつも当たり前に用意されており当たり前に受け入れているはずの「終わり」を強く喚起させられた。

それでもまだ歯ですりつぶした時に染み出て口内に広がるように香るイチジクとミントの先端が丸まった様な独特の青みと甘さは、こちらに意思を向け湿潤さと辛うじてトップを思い出させる立体感とある種の圧を伴う香り方をしており、それらは絡み合うように肌と離れてゆくパウダリーな香りの球とをつなぎ留めていた。

その後のミドルからラストにかけて、パウダリーな香りからラクトンめいた温かさのある甘みはやがて遠のき全域が細かいパウダリーの霧になった。深く吸い込めばまろやかなトップとミドルの名残を感じられたが、それらは既に遠い場所にあり、何やら思い出しきれない過去の記憶を辿る様なおぼろげに揺らぐ香り方をしていた。

いつのまにかミントとイチジクの蔦も霧の中に回収されて行くが、そのイタリア的なふっくらとした丸みのあるパウダリーには優しさがあるものの、それと自分の間にはミント・イチジクの代わりに透明な薄い膜が張られており、それがその先の香りを具体的に認識する事から隔てている事に気が付く。

ラストになると、そのパウダリーな霧の中心にシクラメンの固形石鹸のような涼しい白色の底が見えた。それは初めからあった様な気もするが、固さはトップから今までの香りの質感とは明らかに違う実在感と不動感を持っていた。しかし、その全貌は明かされる事はなく、新たな誕生を予感させたままドライダウンを迎えて消えて行った。

 

某レビューサイトで「これはアマルフィのイチジク畑の広がるラヴェッロで体験した夏の夜の香りだ」というレビューを見つけたのだが、レビューの最後のこれを付けるとアマルフィの海岸に戻るという一文が印象的だった。

全体を思い返して、やはりForget Me Not はトップとミドルへの移行が一つの終わりとして設けられているのだと感じた。

その終わりによって、私たちは終わった後の世界へと誘導されて行く。

その景色は、かつてレビュアーがアマルフィでの夜の体験の後の日々の中の夜の香りであり、勿忘草伝説の恋人たちの悲恋のその後の追憶でもある。

彼らの中で体験がやがて完全な過去の記憶となり、いつの日かその過ぎ去った記憶を呼び起こして再体験するまでの静かな時間の流れを彷彿とさせたのだった。

実際全ては終わりのない移行の連続かもしれないが、そこに終わりとそれを礎とした始まりを見出す事は豊かな作業だと思う。

やや辛気臭い文章になったが、ラフな格好から改まった特別な日まで幅広く使える香りだった。イチジクが特徴的に香り続けるので、いつもと少し違うイチジクの香りを楽しみたい方にも合うのではないかと思う。

大切な人と一緒に付けてみてはどうだろうか。

 

 

 

さて、そろそろお盆が近い。

ゆうれいも幽霊らしく、Forget Me Notと共に久々に故郷に帰ろうと思う。

 

 

www.carthusia.wandp.co.jp

 

94.人工物の夏《Unsettled( Bruno Fazzolari)》

家の周りを走るのでも良かったのだが、せっかくの人生なので様々な場所を体験しておこうと思い、最寄りのジムに入会した。

明るく挨拶をよくするスタッフや、引き締まった身体の利用者たちが作り出す健康的な雰囲気は正直得意ではなかったが、目当てのプール利用のためなので耐えることにした。

プールはいつ行っても混雑しておらず、思う存分歩くことが出来る。しかし、眼鏡着用禁止のそこは極度の近視と乱視の私にはもはやフランシス・ベーコンの絵さながらの絶えず動き続ける色の集合にしか見えず、その絵の中をひたすら歩き続ける事は非日常で面白く感じた。(かわいそうに、視力の良い人々はこの視覚世界を味わえない!)

プールは塩素の香りで人間の有機的な臭いがカットされていて非常に私好みだ。

ただ、エリア全体には水特有の生暖かい匂いがみっしりと充満している。

 

そんな中思い出すのはあまり明るさの無い夏の香水である。

夏香水と言えばマリンのようなビーチに降り注ぐきらめく太陽光やしぶきを上げる海水の香り、白い砂浜、日焼け止めの香り、開放的で情熱的な恋…などを連想するように作られがちだが、前日に試香したBruno FazzolariのUnsettledはまさにその「明るくないマリン」だった。

「Unsettled」という名前からして明るくない。

 

ブランドのオーナー件調香師のBruno Fazzolariの本職は芸術家である。

だからというわけでもないのだろうが、古典的な構造を取っていると言っていつつも香り方には現代的な偏屈さが見られ、そのマイペースな立ち位置には安定したインディペンデント感があり個人的には好感を持てるブランドだ。日本には来て欲しく無い。

 

所感は以下。

 

 Unsettled

ベルガモット、ブラックティー、クラリセージ、パイナップル、ニューカレドニアサンダルウッド、ラブダナム、バニラ、シーノート

という調香をみれば非常に明るくサッパリとしたマリンを思い浮かべるが、そこはBruno Fazzolariであるのでそんな事はない。

トップからパイナップルの果実の甘さとベルガモットが果汁的に溢れ出す。しかし、どこか澄ました様なそれらとは違う方向を向いたやや青みとレザーのようなコクと苦味のある、ミルク然とした半透明さを持つ香りの一軍が感じられる。ブラックティーとクラリセージとベースのバニラだろうか。葉の甘さの中に半分せり上がるハーブ系の独特の清涼感を覚えるクラリセージの香りは程なくして果汁の下に入り込んでゆくが、お茶の香りは終始クールダウンの役を引き受けている印象で、これのおかげでトップは明るすぎず、ミキサーにかけられる前のミルクの中で漂うフルーツのような印象で、テンションとしては早くも落ち着いた下降感を見せ始める。

それらは程なくして一つの平面的な丸まりに収まると同時にそれらトップの水分を乗せてやがて染み込ませてゆくであろう汗ばんだ温かさのある肌のような香りがあるのに気づく。これはラブダナムのどこかアニマリックな臭みのある染み入る様な重さがトップの果汁と合流したことと、受け止める側のサンダルウッドの若干粉めいたウッドの個体感やシーノートの塩気が由来なのだろう。が、バニラがシーノート側で主張していない点でわかりやすいマリン的な記号としては認識できなかった。その肌のような香りの一群は存在感を増し、隣に寝ているのではないかと思うくらいに視界全体に影を作っていった。

ここでもまだ主軸で香るパイナップルは、生果の弾けるフレッシュさと言うよりは缶詰にされて人工的なやわくささくれだった甘さのシロップにより味を画一化されたパイナップルを彷彿とさせる。これは決して悪い意味ではなく、他の香りに関してもある種の人工的で表情の読めなさが一貫しており、頭の揃った独特のニュートラルな秩序の世界観を作り出している。

さて、ミドルも半ばに差し掛かり徐々にバニラがマリンらしく現れてくることで、記号的に海を感じられ始めるが、これもやはりリアルな書き込みをなされた海ではなく、他の香りと同じ、実際にあるかどうかわからない表情の読めなさだった。

少し頭をもたげれば先に書いた遮る人の奥に窓が見え、窓のすぐ外に海あることを簡単に証明できるのだろう。しかしUnsettledはそこまで語る事はしない。ラブダナムと塩味が作り出す汗でやや酸味付いた動きの少ない人肌の香りの塊の縁から、逆光の光のように、マリンの弱めの波立つ動きが見て取れるが、それはあくまで人肌を介して気配のみ鼻に届く。

サンダルウッドはその間、徐々にウッドの表情を強めてゆき、ラストになると昼寝から覚めたように人肌は流木のような角の取れた滑らかな木に変わっている。

その浜辺で拾ってきた流木的な導線の甘さの抑えられたサンダルウッドの軽さのある個体感の木目に沿って鼻を滑らせると、奥にまだ完全に乾いていない海水とシャワーの淡水が混ざり合ったような湿り気を感じた。それを深く吸い込むと先程までの肌とフルーツの名残が感じられるが、それらは基本的に木目の中に一緒くたに詰め込まれており、今は個々の主張を見ることは難しそうだった。香りを探っている内に、水分は木に染み込んで行き、やがてミドルと同じ様に目の前にある木の肌を介してのみ伝わってくる様になった。

 

先にもパイナップルの香りで触れたが、Unsettledは画一化された無表情なマットさが終始面白かった。某情報サイトのレビューで「白いフェドラを被った金髪のヨーロッパ観光客」と称されていたのが頷ける。ただ、メタ的とも言うのか、そのありきたりな存在感がここでは没個性の一因ではなく一定以上の強度を持って浮かび上がってくる。

私が例えるなら、全体を通してレコードかカセットテープに吹き込まれて複製された自分あるいは誰かの、気怠く変わり映えも無いが隣の相手にはそれなりに愛があり(だが関係としては中途半端だ)、周囲に広がる見慣れた空や海は淡々といつも通り美しかったであろう何も起こらなかった夏の日の思い出を、Bruno Fazzolariの箱の外側と同じ色合いの壁紙の変わり映えのしない簡素な自宅で、一人掛けのソファーに身体を埋めて何度も再生して聴いているような妙な覚醒感がある。

そしてそこから感じられるパッケージ化された冷静で無機質な日常の「生々しさ」が癖になるのだ。何度も言うが決して悪い意味ではない。

 夏だから、海だから、休日だからと言って心を躍らせる必要は無い。

ふと記憶に蘇る、何と言うわけでも無い日常の1シーンに意識を傾けることこそ、自分に余裕が無いとできないものだったりする。

 

 

 

 

 

そんな香りの空想も絵画の中の散歩も、担当のインストラクターに見つかってしまったことでおもむろに分断されてしまった。

今は縦の色の線の集合体にしか見えない彼の自分のスクールへの勧誘を聞いて「調整してみます」という曖昧な返事をしながら、次はUnsettledを首筋に付けてプールを歩いてみようと思案した。

 

 

 

www.brunofazzolari.com

 

 

 

93.ベースノート《Aenotus(Puredistance)》

仕事終わり、霞ヶ関から二重橋駅まで散歩をして帰る。

回り道をして銀座の高級クラブ街を通過し丸の内仲通りに出るのが毎度のルートだ。

銀座の繁華街では、これから仕事に向かう夜の女性たちの風呂上がりの蒸気感と粉っぽい化粧品と上質なムスクの香りが鼻を掠める。そして時折、その彼女らに会いに行くであろう男性の香らせている暗い薄紫色のフゼアが並走している。

 

 

その日は私は以前ピュアディスタンスのイベントで頂いたアエノータスを仕事終わりに身に付けていた。

新作であるこの銘は今までのクラシカルな要素を持った女性的なイメージの香りの傾向よりも一気に現代的な流行の香りに近付いた印象だったが、香りの鮮度や解像度は相変わらず高く安定したピュアディスタンスだったのも興味深かったので、一度共に散歩をしてみたくなったのだった。

 

 

所感は以下。

 

 

アエノータス(Aenotus)

→トップはオレンジ、マンダリン、レモン、ユズから始まる。

柑橘の苦みと酸味が透明な細かい粒となって広がる。果実の甘さは無く、どちらかというと柑橘を剥いた時の果汁とそれを纏った皮の香りを彷彿とさせる。ミドルに配置されているミントが由来か、その清涼感が柑橘の速度を直線的に高めている印象だった。

一方で、そこから振り返ると中腹に流れの違う柔らかい蒸気のように水分が滞留する厚い層を見つける事ができる。その明らかに何かの皮膚のような不透明さとひと塊としての流れがあるものの、触ればすぐに指の痕が付いてしまいそうなどこかパウダリーな質感は、ザボンの肉厚な白綿を彷彿とさせた。

尚もプチグレンの苦味を境に上層に位置していたユズやレモンの酸味は上方に尖端を向けてさらに上昇し始める。ミドルに差し掛かってもトップの柑橘が立体感を持って前衛に立っているのは非常に新鮮な感覚だった。全体的にパウダリーな甘さが強まったのは、その清涼感で柑橘の速度を助長させていたミントのどこか甘いグリーンの本体がいる場所である中腹に降り始めているからかもしれない。トップから確認できていたあの柔らかな白綿の皮膚の中に入り込んで行く感覚だった。

このように本格的にミドルに入って行く中、ふと鼻の近くに意識を向けると甘さを感じないプチグレンやパチョリの厚い葉のグリーンとピュアディスタンスらしいふっくらとしたオークモスが肌に浸透して行き、やや苦味の伴う粒を点在させていた。それと同時にやや上方ではちょうど柑橘の表皮のような滑らかな固さを持つ、トニックのような密度の高いドライな気泡が肌の波立ちに沿って張り詰め始めるが、その表面に注目すると、まだ形作られる途上であるかのように湯気のような不規則な揺らぎ方をしているのが分かる。

香りの存在感は決して軽くないのだが、トップの人工的なクールさが堅固に持続してゆく。意思を持ってある種の軽さに留まっているようだった。

トップの終盤で上昇していった冷たい水蒸気の一群は、気付くと人工的な角を持った氷山のような透明な柱となってまっすぐにそびえていた。

その沈着な柱の間を、ミントやオークモスの空間を広げるような冷たい霧が風に乗って均一な速さで駆け抜けている。そこのオークモスの誘導によって己の肌の温かさと湿気が霧に混ざってゆくことで、このトップから今までの一連の変化は肌の上での出来事なのだと再確認できた。その運動を繰り返した後、周囲の空気の温まり方に合わせて緩やかにラストへと落ち着いて行く。

ラストはそれまでの鋭角的なスピードが落ち着きミドルの仄かな草花の香りが移った水のような穏やかな流れが生まれた。長い旅を経てようやく自分の体温に戻ってきた印象で、しっとりと潤う春の夜のような温かさを感じた。

ここになって今まで隠れ続けて来たトップのオレンジの甘酸っぱさとブラックカラントブロッサムだろうか、花らしい香りが顔をのぞかせた。トップの速度の抜けた柑橘の香りは相変わらず柑橘の肉厚な白綿に包まれており、この正体はオークモスだったとこの時点でようやく分かった。

 この爽やかで軽い質感は、ラストであるはずだがコロンのトップノートのようでもあった。これより肌に近い層ではシャープなトニックのような香りが弱い電流を帯びて肌の表面に逆毛を立てている。これはトップ~ミドルで見られた揺らぐ湯気が相まった途上のものではなく、ミドル終盤の氷の柱を取り込んだ物質的な固さを含んだ密度と強度があり、その空気に反応してさざ波立つ様子は新しく貼られた皮膚の敏感な様を思い出した。コーティングとも思える。

 アエノータスはトップからラストまで、肌の香りを巻き込んで何かをビルドして行く作業が繰り返されていたように思えた。

 創業者であるフォス氏は、この銘はテニスの後にシャワーを浴びるという個人的な体験と身体性に着想を得たと語っていた。

アエノータスはコロンを浴びる前の、私達の本当のベースノートである皮膚を作る作業の体験なのかもしれないと感じた。

 今までの皮膚が纏っていた香りをシャワーで洗い落とし、そこに幾重にも何時も使うシャンプーやボディーソープ、オイルや整髪剤などの香りを儀式の様に重ねて補完して行く。そして新たな身体が完成したラストにして、ようやくこれから振りかけるコロンのトップノートにたどり着くのだ。

 

この香水を着れば(フォス氏のような)良い男の皮膚を手に入れた事になる、というのは半ば希望の入った極端な解釈になる。

が、そこに近付く手掛かりとして、アエノータスは今日の肌に馴染むスキン系の香りよりも一回り強度のあるベースノートの積み重ね方を教えてくれたのだった。

 

 

 

そうこう香りについて考えていたら、いつのまにかごみごみとした銀座を越えて丸の内仲通りまで出ていた。

周囲は夜の街の粉っぽいムスクから仕事終わりの小ぎれいな会社員らの、今朝方付けたのだろう香水の残り香と丁寧に管理された洗濯洗剤や整髪剤の清潔な生活の香りに一変していた。

空白に一本引かれた線の様なパウダリーなその香りは、仲通りの直線の道を吹き抜ける風とそっくりで、他人行儀に表層だけを撫でて行った。

 

 

 

www.puredistancejapan.com

https://puredistancejapan.shop/

 

92.5 身近な香りたち

香水以外の嗅覚体験をとりとめなく書き留めようと思う。

平生漂うの香りは香水のように分かりやすくない。しかしやはり出会ってしまうと、どうしても、この香りを言葉や何かで残して忘れないようにしたいと思えてしまう。

試みを兼ねて3つ残したい。

 

 

1.ジャスミン

様々な場所でジャスミンが香っている。

会社の近くのイタリアンの脇だったり、住まいの近所の家だったり、隣の富裕層の敷地…と、この季節は朝から晩までジャスミンの香りを感じる事が出来る。

ジャスミンの香料は花を朝採取するか夜採取するかで大きく変わる事をどこかで耳にした。思い返せば確かにジャスミンは(他の花も然りだろうが)1日中同じ香りではない。

朝のジャスミンは、白い花の濃厚さの中に、青みがかったジャスミン特有のある種のえぐみが含まれた、朝露のやや湿った温度を感じる事が出来る。いわゆる香水のジャスミンの香りに近い。下から上へ徐々に水分が起きて行く様な、瑞々しい丸さとハリのある甘さがある。

昼のジャスミンは粉めいた濃厚な白い花の甘さが空気中に四散し、それぞれが自由に舞っているように感じた。甘さの明るさと粒子の立体感は朝よりも増し、その外部に向けられた花の甘さは柔らかく壁のような密度と厚みを持っている。近付くと温かさを感じる。

そして陽が傾き夜に近付くと、その空気中で遊んでいた柔らかな導線の奥に、ジャスミン茶のような、花粉に比べて直線的で、緑の香りを含んだ低調な香りの線が入り込んで来る。

そうしてすっかり夜になると、ジャスミンの香りは夕刻現れた下流に合流し、口をすぼめて吐く息を細くした時の様に、シルクの糸めいて滑らかに直線的に夜気の中を流れて行く。花の甘さは朝に感じた露の中を香りが回るような艶やかさと、細部に思わせぶりに動いて時間を遊ぶような揺れがある。

あるいはそう見せているだけなのか。

 

こんなことを考えていた時、友人からジャスミンの茂った甘い香りを漂わせる廃墟についての話を聞いた。

美しい話だと思った。

花も香りも私たちのものではないのだ。

例え人類がこの地球上から全て消え去っても、ジャスミンのあの芳香は変わらないのだろう。

 

 

 

 2.レザージャケット

 春先に覚えたレザージャケットの香りが印象に残っている。
映画館でふとした時に捉えた革の香りは、その素材の肌触りが想像できるくらい柔らかく、表面は新しいレザー特有のきめ細かい香りの粒が不透明に密接に組み合った微細な毛羽立ちのある厚い膜を作っていながらも、最奥は肌のような、パウダリーな粒子感と温かさがあった。

レザーもまた皮膚なのだ、とまとめて終える事もできるのだが、ジャケットは着て初めて香りが完成するものなのかもしれないとも感じた。

その温かさはレザーのみの時とは別物だった。まるでレザーと着用者との接着点が溶け合ってひとつになっているようで、香りだけを追いかけてレザーの最奥より先に進むと、優しいグラデーションでいつの間にか人の肌の体温に落ちてゆく感覚があった。

気持ち悪いのは百も承知だが、この予期せぬ多幸感に映画を観ながら驚いたのだった。私もいつか高いレザーのジャケットを買おうと強く思った。

これは先のジャスミンにも言えるもので、香りの先にある仄かにくすぐったさを伴う生命の気配を見つけた時、それと同じくらい仄かに己の心の表面のテクスチャをもなぞられるような一瞬に出会うときがある。

そんな時は好きだった猫や小さい頃に寝転んだ芝生や布団や春の風の香りを思い出す。

感情に任せて泣いてしまえば嗅覚が遮られるから、夢中で息を吸い込んでしまうのだが、最近は上手くいかない場合が多い。

 

 

 

 3.幻臭

最近、旅先で突然硫黄(硫化水素)の様な香りがする時があった。

1回目は山梨のキャンプ地だった。

その地は温泉はもちろん工業地帯やコンビニすら無いような開かれていない山地だったのだが、無人駅を降りたら硫黄のような香りがしたのだ。その香りは駅の降りた時ホームのみで、あとは何事もなかったかの様に香りが無くなったため、その後のキャンプでも何だったのか1人考え込んでしまった。

その2日後に訪れた茨城の海岸では、海が見える前の誰もいない公園で写真を撮っていたらふとその匂いとすれ違い、デジャヴを感じた。

海岸の近くには工業地帯があったものの、その近くでは全く硫黄の香りはしなかった。海はかつては生きていたであろう何かや海の様々なものが一緒くたに塩漬けにされた生臭い刺激臭がして、その様な硫黄の香りの方がありがたいと思えるくらいだった。

ここでも硫黄の香りは一瞬のみで、だからこそ印象に残っていた。

その硫黄の香りは、温泉のものという雰囲気でもなかった。煙の様に下から湧いて渦巻く暗いタマゴのような閉塞感のある香りに、表面に何かが反射する様な刺激を持つ何らかの金属製の硬質で表面がのっぺりとした黒みと光沢を帯びた香りが下流に広がって流れている香りで、上層と下層の綺麗に2分するような香り方の差異が印象的だった。

そこから、もしかしたら硫黄っぽいと言うより何か別の鉱物の香りなのかとも思えてきた。

温泉ならばもっと水っぽい動きと香り立ちになるはずで、何かの詰まりや腐敗の匂いであれば、奥を覗けばその原因の有機物の匂いが混ざるため分かりやすいはずなのだ。

 

だがこんな体験も、科学では一瞬で説明できてしまうのかもしれない。

答えの分かる人は言わないでほしい。

この場違いで奇妙な香りについて首を傾げながら眺めた、向かいの民家のたわわに咲いた八重桜が周りの時間よりもゆっくりと散る様は、中々私の中で思い出になっている。

 

92.微酔《PAS CE SOIR(bdk parfums )》

夕方、久々に新宿を訪れた。

相変わらずひどい混みようで、人観察に退屈しない所はやはり嫌いではなかった。
まだ日が明るいにも関わらず既に人が酒気を帯びている香りが漂っていて、さすが新宿だと嬉しくなったが、同時にこんな喧噪ごときが嬉しくなるほど東京から遠ざかった生活になってしまったのだと寂しさも感じた。

人生において、これまでも、たぶん今後も死ぬまで経験しないであろう状態の一つに

「楽しく酒に酔う」

がある。私は酔う事が出来ない。

酒を一口飲んだだけで思考が正常なまま頭痛に見舞われるので、今ここに人の形をして息をする事でさえうんざりしてしまうのだ。
だが、私がこの新宿に惹かれる理由も嫌悪する理由もそこにある気がしている。
 
 
さて、ついて早速新宿伊勢丹の香水カウンターを一巡し流行を覗き見した後、NeWomanのNose shopを覗いた。
 
店頭の正面には目新しい香水ブランドが陳列されていた。
そのbdk parfums はフランス発のパフューマリーらしい聞きやすさと華やかさのある都会的な香りが揃っている。テーマにパリを絡めたシリーズも出ており、雰囲気的には伊勢丹などで扱っていてもおかしくない類のブランドだと思う。
先ほどのようなことを考えていたからかもしれないが、その日気になったのはシャンパンのような淡い金色のPAS CE SOIRだった。

所感を以下に残したい。

 

PAS CE SOIR

フランス語で「今夜じゃない」という意味。

トップはジンジャーとマンダリン、ブラックペッパー。ジュースのような透明感、気泡のようなスパイシーさが相まって甘さ控えめのシャンパンのような華やかさと瑞々しさがある。が、その底に何やら色の濃い甘い香りが沈殿している様子が分かる。それは底からグラデーションを描いており、上方に行くほど木の実的な酸味が加わっている。トップとは違って鼻ざわりはやや弾力ととろみのあるジャムやシロップのような質感。上澄みの水っぽさがその透明感をもって底との距離を作り出しているため、この段階では気配が分かるばかりで何が混ざり合っているのか良く分からなかった。

その腹の内を明かさないような含みが何とも食前酒めいていて興味を惹かれた。

程なくすると、その底の沈殿物がマドラーで撹拌されるように全体に行き渡り始める。その明快に放射状に拡散する甘酸っぱさと奥の方にバラのようなチリチリとした鋭利で温かみのある粒を抱えた甘い果実の香りはイチゴのようだなと感じたが、正体はマルメロのようだ。

ミドルの調香はモロッコジャスミンとマルメロチャツネ、オレンジフラワー。

果肉の質感も含まれた煮込まれて柔らかくなった甘いマルメロの香りを白い花のつやのある透明で滑らかな甘みがコーティングし丸みを帯びたまったりとした動線シャンパンの中を漂うのだが、ここで一抹の不安がよぎった。ミドルの香りが、このままこの果実の香りが増してしまったらラストはひどい煮詰まりようになるのではないか、と感じる広がりを見せ始めたからだ。

そしてその広がりは更に速度を増して行き、予想通り煮詰めたイチゴシロップのような、トップに比べたらあどけなさとチープさのある平面的な濃さと甘さで肌に広がり切った。

この地面に引きつけられる様な重力感は、やはりラストのパチュリのもたらすコクと印影のある深い緑が所以だろうか。その熱を帯びたように表面がざらつき脈打つ甘みと下に落ちて行く重力感は、深夜に程よく酒に酔いしれ、時間も自制も忘れて開放感を楽しむ者達の表情とその時間特有の沈むような空気感を彷彿とさせた。

そこには見栄も、深遠で偏屈な思考も、シャンパンを飲んだ時の含みも駆け引きも必要無い。享楽に留まり自分をさらけ出すある種の浅さが許される。

ここでの甘さの極まりは、酩酊した時にありのままの素顔を見せるような、隙や緩みの一瞬のようだと思った。

ラストになると、緩やかにこの柔らかな飴のような甘さの奥がベースのウッドの無表情な板で遮られていることに気付く。その奥の香りはどの様な表情をしているのか分からない。実はこのベースの板のおかげでマルメロの甘さは不必要には広がっておらず、制御されている印象を受けた。その後の、何事もなかったかのように消え去るドライダウンと合わせても、香りは違えどトップのアルカイックスマイルを浮かべている状態に戻ったかのように思える。だから一層ミドルで一瞬見せるあの止めどなく上昇する情熱と高揚感が妙に印象に残って不思議な余韻がもたらされた。

 

公式HPのPAS CE SOIRの説明書きには、パリのとあるマダムのとある夜の出来事が描かれている。

深夜0時以降に繰り広げられる酒と煙草と大人の駆け引きは、文字面だけでは酷く気取って映るのだが、この香りがマダムのその夜の高揚感を補完しているとしたら、それはそれで愉しめる香水だと感じた。

 
 
 
 
久々に甘い香りを試して、頭がふらふらしたまま人混みに紛れた。
 酔いは何も酒だけから得られるものではない事は新宿にいる人々は多分当たり前のように知っていて、
新宿は今も昔も私の事は蚊帳の外で熱気の渦を作っていた。
 
これから新宿に溶け込んでゆくであろう人々の楽しげな横顔を尻目に地下鉄の階段を下った。
 
 
 
 
 
 

91.緑の物語《MIDORI(Y25)》

最近住まいを東京から緑と水の多い場所に移した。都心まで苦なく出られて、静かで、東京と比べたらもちろん何も無い。今まで気に留まるのは自宅から歩いて20分程の所にある大きな沼と崖の下に見える薄気味悪いプレハブ小屋だけで、そのどこか荒涼とした景観が気に入っていた。

しかしある日ふと、湖畔に続く道にそこだけ不思議と花の香りが立ち込めている小道を見つけた。

青さのある甘酸っぱい花の香りに、柑橘系のような爽やかさのある油脂めいた滑らかな香り。それら春の香りを凝縮したような香りが、良い意味で整然とせずに好き放題香っているのだ。

 

不意な出会いに、ふと今年の冬に購入した香水を思い出した。

その香水は、ベトナムのY25というブランドのものだった。

 

www.y25perfume.com

 

Y25は Hai Yen氏が2013年に立ち上げた若手のブランドだが、現在はオーストラリアのセレクトショップベトナム主要都市のホテルなどで扱っているようで、ボトルに関しても50mlはベトナム製の陶器を採用しており、ビジュアル的にも楽しい。

ベトナムへ旅行する際はチェックしてみてはどうだろうか。

普段日本には船便でしか発送できないそうだが、偶然Yen氏の友人が日本を訪れるタイミングだったらしく、そのおかげで比較的容易に手に入れる事が出来たのだった。

 

今回は、ブランドの中心コレクションである、

Scents of Vietnamのディスカバリーセット

MIDORI

の2種類を購入した。

 

Scents of Vietnamについてはやはりベトナムの都市と歴史を通るのは不可避のため後程充分に考えてから記事にしたいので、

今回はMIDORIについて所感を残したい。

 

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 MIDORI

トップノート:ヒヤシンス、ベルガモット、カフィアライム
ミドルノート:緑の芝生、ライラック、アイリス、バイオレット、ローズ、ブラックカラント
ベースノート:ベチバー、シーダーウッド、オリバナム、オークモス
といった調香。
このMIDORIは、トップから例えばジョーマローンやミラーハリスといった、西洋のガーデンのような、管理されて整然としたグリーンではない。また、フエギアのパンパのような、乾いた空の下、丘から低い草木を見渡すようなグリーンでもない。
 トップから見知らぬ暗緑の肉厚な草や葉に鼻を近づけた時の、葉全体のふくよかな香りが一気に鼻に入り込む様な直線の濃いグリーンに迎えられる。展開のスリリングさはあるもののトップらしい瑞々しさと拡散性は多少あり、するりと侵入してくる様子はやはり甘みの少ないベルガモットやライムの水気のおかげだろう。
この段階から、柑橘に半ば混ざる様に時折突出するヒアシンスの青みと甘さを揺れ動く香りと、ミドルのパウダリーな甘い花の香りを中心に感じる事が出来るが、これも花というよりは青みのあるグリーンの香りの延長線で香っている。その甘さと鼻への滞留感は常に皮膚や鼻の動きに沿って伸縮しており、グリーンの分かりやすく明るい記号をトーンダウンさせて良くも悪くも雑然とした濁りを作っている。だがそれが妙にリアルな湿気を帯びた茂みを思い起こさせる。
 
時間が経つにつれ、ミドルのアイリスやバイオレットなどのパウダリーな重みが強まり始め、それが葉が吐き出す水蒸気のように周囲に広がり緑の茂みの包囲網を濃いものにして行く。遠くで香らせると、アイリスたちのやや息の詰まるような石鹸的な硬質で清潔感のある香りが大部分を閉める時があるが、やはり奥にはグリーンの有機的で不透明な香りの一軍が内包されており、それらは綿の様な柔らかな繊維感でグラデーションが描かれている。両者の質感は同じパウダリーとして括る事ができるが、それ故に最奥から感じられる、葉のむせかえるようなえぐ味を持った苦さと甘さが異質なものとして鮮明に記憶に残った。果実系のブラックカラントが、己よりシャープな青みを飲み込み丸い水球のようなまとまりを作っているからだろう。
トップよりも落ち着いたその香りは、丁度葉を裂いた時に糸を引く繊維のような、瑞々しくもねっとりとした調子がある。
MIDORIの緑の甘さは水の粒の質感からして甘く滑らかだ。
その感覚は、パリから日本に帰ってきて空気を吸った時にも感じたことがあったのだが、それと同じ様に、通常のグリーン系の香りよりもパウダリーであるのに水の粒が大きく密集して感じた。それらが各々トップの葉の甘さを一杯に抱き込んでおり、だからこそ丸みのある甘さが立体的に引き立っている。
だが、立体的と言えどもMIDORIの表現は具体的なものの細密な彫刻ではなく、誰かの記憶の中の葉や草や花に向けられているような、所々背後を見透せそうなムラのある薄さで広がりを見せる。
ミドルの半ば、ふとデジャヴのようにトップの甘酸っぱさが鼻を通り過ぎる事があった。その時はアイリスは後ろに控え、その華やかさを支える役割に徹する。この変化のタイミングは何回か付けてみても予測できない。思い出したようにブラックカラントの作る水球に収まる形で浮かんできて、またアイリスとバイオレットの中に消えてゆく。
この段階が現れてから、緩やかな動線でラストのベースノートを感じられ始めた。オークモスとベチバーがパウダリーな霧を薄めてゆき、清浄な空間を広げてゆく。ただ、終始緑の運動が主軸にあり、ベースノートは地面に茂る深い茂みと地面のような不動(だがこれもまた霧のような質感だった)の立ち位置を崩さないため、こちらが地面に降下しているような感覚がある。ラストは夢から覚めたような低調さに着地することが少なくないが、不思議とそれはなく、浮き沈みの即興感が最後まで続く。
MIDORIは全体を通して、流れる表面の凹凸を追って行くように柔らかく緩やかな明滅が続く構成になっており、更に最奥の緑もある一つの緑の描写ではなく、常に草葉が行き交う様な複数性を持っている。その香り方から感じる、ある種の明るさと賑わいは、彼らから語られ示されているものよりも、私たち聞き手が不可侵な領域の輪郭の方を印象付けているような気がした。
 
公式HPの説明にも、森には物語がある。という一節が書かれている。
ただ、私個人の所感の結論はそこの解釈とは少し違っていた。
私たちに見せている姿が緑の全てではなく、緑には緑の物語があるのだ。
私たちはそのほんの一片を、香りで知ることができるだけなのだろう。
と、思ったのだった。
だからこそ私たちは長らく草花の香りに耳を傾け魅了されてきたに違いない。
 
 
 
この記事を書き終わった今日、外に出てみたら先週に比べて一層春らしく暖かな気候になっていた。
 
今日は用事を早く終わらせて、あの花の香りの小道に迷い込んでみようと思う。
 
彼らはそこでどのような物語を築いているのだろう。

 

 

 

Y25perfume