polar night bird

香りの記録

98.黄金の銀河《GOLD(Puredistance)》

香水の良い悪い関係なく所感を記すモチベーションがどうも上がらず、もうブログを書くのをやめようかと腐っていた去年の暮れ。ポストカードと共に舞い込んできた新作GOLDが染み込んだムエットに一瞬で退屈な気分を覆されたのを今でも覚えている。

モダンで均整の取れた香りだが、よくよく聞くと何やら重厚な渦の巻き方をしている。

そんな普段とは違うファーストインプレッションがあったため、その後試香の機会があったら是非とも実際に肌に乗せて試香したいという願いを持ち続けていた。

その矢先、1月の半ばに表参道にてピュアディスタンスのポップアップショップが期間限定で開店する知らせを受け取った。

 

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ポップアップショップにて撮影

GOLDを実際に肌で試せ、なおかつ他の香りとも比較できる貴重な機会を逃すまいと、その日私は全ての予定を後回しにして会場に向かったのだった。

 

会場ではピュアディスタンスの全商品がガラスの工芸品に囲まれて陳列されていた。

タヌさんを始め、運営の方々が丁寧に商品説明をして下さったおかげで全ての香りを思う存分試香できる素敵な環境だった。

 

そしてもちろん会場に入って一番に試香したGOLDは、やはり肌に乗せないとその真価の分からない香水だった。

ムエットでは分からなかったが、まず香り方の質が明らかに違った。

そもそもこのGOLDは香料の出所からして他の香りとは違う。会場でお聞きしたのだが、今回の香料は独立系の香料会社のものであるそうだ。

(その香料会社についてはタヌさんのブログで詳しく取り上げられている。)

巷に主に流通している、ジボダン、フェルメニッヒ、IFFと言ったメジャー会社の香料の製品としての硬質な隙の無さと比べ、香りの一つ一つが香油に近い有機的な柔軟さと湿度、良い意味での揺らぎを持っている事が分かる。

加えて、その後定期的に付けてみて思うのは、噂通りこの香水は日によって本当に香り方が違う。ただ、この香り自体が持つ揺らぎと柔らかさがGOLDの壮大な展開を可能にしている大きな一因とも感じる。

 

そのため、以下の所感は従来以上に香りの変化の一例だと思ってほしい。

 

トップはトップらしいマンダリンやベルガモットの爽やかかつ内に篭り気味の苦みの伴う香りがある程度全体に広がった状態で始まった。

速度としてはゆっくりとした拡散で、それは、すでにこの時点でトップの奥にそれ以降のジャスミンを始めとするミドルからベースノートまでの情報が1度に見渡せるように、均一な速度で提示されていることが理由だろう。

足を踏み入れると、一際湿り気のある花々の動物的な熟した香りを中心として、乳白色の陶器の手触りのような、密度の高い滑らかな質感の樹脂達がゆっくりと非常に大きな円を描いて全体の動きを作り出している。中でもミルラやスタイラックスのような樹脂特有の水気を含んだ甘みが一番外側を移動し縁を作り出していた。

次の瞬間、カストリウムの動物的な湿気が輪となり中心から外縁まで走り抜け、香りの間を縫うように染み入った。それが上層を覆う苦味のある彩度の低い緑色を帯びた柑橘の果汁の細かな粒と、時折渦から浮き上がりながら広がるベチバーの低調さとスパイスが作り出す表面のザラつきと微量な摩擦を起こすお陰で、その瞬間瞬間に視界に収まる限りの形状を把握できるようになっていた。

それは、この香水に使われた全ての香りが、熱されてまだ固まっていない液体の黄金の中に投入されゆっくりと銀河のような楕円型の渦を描いて混ざり合っているような印象だった。

しかし、香りは1方向に渦を形成しているわけではない。

トップの柑橘の香りの層はゆっくりと広がった後に外から内へ、尾を引きながらベースノートの流れの奥に潜水し、中心に向かって収縮して行く。そしてそれと入れ違いになる様に、かつて樹脂の甘さと共に中心に凝縮されていたミドルのジャスミンの、ややアニマリックさも感じられる甘い香りが広がり始めた。

ベースのパチュリはその深みのある青味と湿り気を残したまま最初から広がりきっている印象で、カストリウムと共に全ての香りに均一な重力をもたらす役割が与えられている。

それに加えてカストリウムの往来する速度と、先ほどよりも柔らかく粘度の低い滲み出る液体のように変化した樹脂の質感の影響か、往年の古典名香の様な動物的な熟した花の香りが肌と香りの微細な溝にまで染み渡り下に落ちて行くような匂い立ちが増してゆく。それは先に言ったようにトップと対照的に内から外へと拡張して行くが、トップの粒子が収縮する香りの引いた尾と交差する時、柑橘の酸味、クローブやペッパーの鋭利さのある粒子。と言ったような香りのイメージが連鎖的に結び付くことで、ジャスミンの花の香りの基軸を取り巻きながら螺旋を描く爽やかな青い酸味のあるゼラニウムや、パチュリの水蒸気を含みながら薄い雲の様に広がる甘いシスタス、しっとりした樹脂の中に散見されるシナモンの温かな細かい木端のような乾いた粒子の香りを認識出来るようになった。

ジャスミンが外縁の果てまで到達すると、その縁取りをする様に沿いながらレジンの流れに一体化する。ジャスミンと共に広がり切ったシスタスのある種の閉塞感のある香りの粒が割れる様に下層に落ちて行き、今度はその中からバニラとトンカのベビーパウダーめいたパウダリーなきめ細かい粉の粒がまぶされるように広がり始めた。一方、今まで柔らかかったレジンは半固形のマットな黄金のような強度を持ち蓋の様に上方にせり出し始めるが、そのさらに奥を覗くと、ゼラニウムの清涼なハーブの香りとベルガモットの滑らかな苦味を連想させる微細な粒子が、ベチバーの粒子に包まれ互いに絡まりながら渦を描いているのが分かった。そしてその中心にはトップを連想させる様な、ジャスミンやマンダリンの瑞々しく清涼感を伴う酸味のある甘い香りが今度は樹脂ではなくバニラとトンカビーンの白いレースめいた薄膜に包まれて溜まり込み、再び広がる時を待っている。

 

こうして香水自体は緩やかなフェードで終わって行くが、全体を通してGOLDにはトップ・ミドル・ベースと変化こそあるものの垣根は厳密には存在しないのではないかという印象を受けた。トップにはトップのトップ~ラストがあり、ミドル・ベースに関しても同じだ。

それが先に述べたように、全て同じ階層に詰め込まれ、調香ピラミッドの分類におけるトップ~ラストが全て瞬間ごとに同時に変化を見せて行く。

だからこそ私たちの香りを聞くアングル次第で、例えばトップがその瞬間のラストに、ミドルがトップに、ラストがミドルになり得る構造になっている。

「香水を吹いて香りが消える」と言った大きな始まりと終わりの中で、香水における一連の始終が同じ演者によって何度も役を変えて終わりなく行われ続けているのだ。

 

GOLDの香りは公式サイトにおいて「さまざまな階調のゴールドがおりなす黄金分割のハーモニー」という言葉で説明されている。

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公式サイトよりGOLDのビジュアルイメージ。

 

その表現はまことその通りで、その香りを総括しようとした時には、かなりざっくり言えば「近代香水の美しさを集めて一つにした香り」のような、数々の名香を名香たらしめた香りの記号を抽象したような香りの印象を持った。

近代香水がこれまで築いて来た黄金律は、柔らかく揺らぎ運動し続ける透明な1つのある大きな方向性の中へと落とし込まれ、それらはその中で更に黄金分割によりパズルの様に組み換えられて新たな黄金律へと有機的に変化してゆく事になる。

日によってGOLDの香りが変わるのも、私たちは最初からその非常に大きな香りの螺旋の只中にいて、その香り全体で幾重にも繰り返され張り巡らされる黄金分割のある部分のある変化にスポットライトを当てて輝いた一分岐を辿っているにすぎないからなのだ。

 

「ラグジュアリーな香水の上質な香り」と括って終わらせても良い香りである事には変わりはない。フォーマルにもふさわしい、美しい実用性のある香りだ。

だが、その奥を覗けば果てしなく続く宇宙的迷路の渦が展開されていた。

香りの宇宙を纏うという事の何と贅沢でロマンに溢れる事。

 

 

 

その日は会場から離脱した後、所感を軽くメモしていたカフェで不意に壮大な舞台装置の様な何かを垣間見てしまったのではないかという気持ちに襲われて胸が高鳴った。

そうなってしまうとソファからその外へと動く気分には到底なれず、暫くGOLDについて考えながらココアを啜っていた。

 

 

Puredistance Master Perfumes - Puredistance Master Perfumes - 製品

puredistancejapan e-store

 

97.龍の根城《Winter Palace (Memo)》

引っ越した先は豊かな秋の香りに包まれている。

仕事帰りに歩いていると、イネ科の植物の垂れた頭のように降りて来る甘く乾燥した香りが丁度鼻のある位置を通り過ぎ、ある時は遠くの畑から野焼きの苦味のある香ばしい香りが風に乗って駅までやって来る。

春先に甘い花の香りで眩惑してきた小道も、確かに未だに芳しい不思議な香りを放っているのだが、その奥の緑には朽ちかける前の熟した香りが混ざり込んでいた。

そんな香りを感じるたびに引っ越して良かったと幸せな気分になるのだが、

この速さだとあっという間に冬になるだろう。

(秋が終わる前にこの記事が公開されていることを願う。)

 

 

夏に購入していたサンプルをまだ本腰を入れて試香していなかった。

因みにMendittorosaのTALENTO、ITHAKAその他諸々を取り寄せたのだがそれはまたの機会に書こうと思う。

その中にMEMOの新作であるWinter Palaceがあり、季節外れだったからか印象に残っていた。

しかし今では丁度良い季節だ。

改めて聞いてみる事にした。

 

 

所感は以下。

 

きめ細やかな泡立ちが表層を覆っており、そこに入り込み奥に潜って行くとそれがジュースのような瑞々しさと奥が見通せない不透明さを持っている事が分かる。

これは紅茶とマテの茶葉の発酵する深みが由来だろう。ただそればかりでなく、この香水は花々の代わりにベンゾイン、トル―バルサム、グルジャンバルサム、スタイラックスなどの樹脂系の香りがふんだんに使われている。

それらの凝縮された重量感があるものの、噛み潰した歯の間から滲み出るような液体的な甘さをもった香りのニュアンスが、周囲に点在している柑橘の水玉の様な甘みを伴った酸味のある香りを巻き込みながら、回転していると分からないくらいのゆっくりとした渦を描いて奥へ奥へと沈み込み熟してゆく。

その香りはまるで乳酸菌飲料のような、不透明で鼻腔の半ばで広がりその質量感を改めて感じるような圧を作り出している。表層の泡立ちは熟成の泡なのかもしれない。

しばらく時間が経つと熟成が進んでくるのか、泡立ちも弾けるような摩擦より溜まり込むようなクリーミーさが増してゆく。それに比例してバニラやベンゾインといったベースに配置された甘みの要素が、同じくベースのムスクの産毛めいたパウダリーさを纏って時折顔を出すようになった。ただそれらも静かなもので、鼻を掠めても特に目立った主張は無く、程なくして全体の流れに溶け込んで乳酸菌飲料の中に広がってゆく。

この辺りで、その歩みと共に全体は円柱型に伸びた構造をしていることに気が付いた。香りの先に意識を伸ばすと、端に行けば行くほど厚みは薄く軽くなってくる。最奧に至っては風を受けて揺らぎが起こるたびに細かな気泡が弾けるような明滅が起こっており、その先には冬特有の澄んだ強い日差しで真っ白になった銀世界の大地と清涼な冬の白んだ青空が広がっていた。

ただしこれはしばしばオークモスなどが入り込むことで作られる、そこに立っているような臨場感のある空間的な広さではなく、窓越しにそれを眺める静けさを伴う距離感と平面感で不思議なビューポイントのように感じた。

その地点を通過するとラストに配置されたラブダナムとアンバーが露わになるからか、全体に風の様なドライな圧が加わり始める。トップから続く茶葉の深みのある香りが表面に被さっているが、その奥は樹脂系の香りが多いため、ラストまで半固形的な密度と厚み、熟成されているような湿度は無くなっていなかった。

また、先に書いたように今回はバニラもまたその渦の中に巻き込まれている一要素だが、それがラストでムスクと主に結びついた様が良く見える様になる。それらはアイリスやバイオレットのようなパウダリーな香りとして白い陶器や磨かれた象牙や白骨を手でなぞるような滑らかな質感をもって感じられる。

 

 

全体の変化の流れには自分自身が揺れていると言うよりも自分を包み込む大きな何かが動いているような泰然とした緩やかさがある。

長い回廊を流されてゆくトップ、尻尾や立髪や髭のように軽やかに揺れる香りの縁が見つかるミドル、そして最奥にある骨とその周辺を吹き抜ける風は各々の質感とスピードは違えど、揺るがぬ軸となっている熟成するような流れの中で連続した一つの生命体として運動を行っている。しかし生命感はあるものの、不思議と分かりやすい体温感やある種の臭みは終始感じられないのだ。

香水の解説では、中国の城の上空に龍のいる情景が書かれていくが、私が終始感じていたのはその龍の体内にいる感覚であった。

 所感を銘へと落とし込んでまとめるとしたら、どんなに絢爛な根城があろうとも、自由に空を飛び回る龍の本当の城は、結局それ自身の身体の事なのだという事なのかもしれない。

 

 

 

 

この記事を書いているうちにサロンドパルファンも終わった。

その中で日本に上陸したHermeticaはあの会場にあって今のニッチ香水業界をうかがい知る事の出来る良いブランドであったように思う。

 

私はというと、矢継ぎ早に展開される華やかなニッチ・メゾン香水業界を追う作業からは半ば身を引き、やっと自作の香水の新作を完成させた。

世界は広い。

その無限に広がる空に放流されたちっぽけな龍として、同じく無限に散らばる香り達を自由に楽しみたい気分なのだ。

 

 

 

us.memoparis.com

 

96.初めての調合《Silk Iris(パルファンサトリ)+メチオナール》

パルファンサトリのオープンアトリエがあると聞きいたので訪問させて頂いた。

 

パルファンサトリの香水は気に入っている香水がいくつかある。

また、最近私は香りの言語化と並行して実際に自分でも調香をしてみようと思いついており、作る側の視点からも学べる展示は行かない理由が無かった。

その日も午前中に別の調香の体験教室で初めて調香の面白さを実体験した。

(その体験と香りについては命名が出来たら後日記事にしたい)

 そして六本木の中華でいつもより丁子が効き過ぎな水餃子を食べた後、午後にアトリエを訪問し、生徒の方々の作品を試香させてもらったのだった。

どれも繊細に考えられて作られており、パルファンサトリの精神を引き継いだ澄んだ形の新しい世代のポストモダン香水的な香り方の香水が多かったように思う。

他には香料も展示しており、貴重なオポポナクスを嗅げたことが嬉しかった。

 

そしてその際、幸運にも人数の関係で調香体験に参加させて頂く機会に恵まれた。

その体験は、既存のパルファンサトリの香りに和の香りをプラスするという内容で、未知であった香料自体の面白さも同時に勉強できたことがとても良かった。

 私はシルクイリスに、醤油の香りであるメチオナールを混ぜる事になり、

シルクイリス2mlにメチオナール0.8mlの配合にした。

 メチオナール自体は、ポテトチップの香りが一番身近だと思う。他には紅茶や緑茶にも含まれているという事で、所謂しょっぱい醤油というよりは芋めいたタンパク質のようなまろやかな香りが発酵した厚みのあるコクが印象的の香りだった。醤油だけでなく、味噌にも魚醤にも、バルサミコ酢にも感じる、嗅覚の上の方に蓋をされるようなあのまろやかさだ。

有機的ながら、そこには化学的な艶のある直線的な繊維を彷彿とさせる管理された強さがあり、これを繊細なシルクイリスに混ぜて大丈夫なのかと素人は一瞬不安を覚えた。

 

 シルクイリスの動線は速度は滑らかだが横方向に足並みを揃えた光沢のあるきめ細やかな手触りの布を彷彿とさせる香りであり、そこにメチオナールが落とされると、その重みで中層に弛みが起こった。

 その重みはシルクイリスの半分を借りてその隙間に染み込んで行くのだが、先程の単体のメチオナールよりも塩辛さは薄まり、イリスの粉っぽさと相まって最奥に体温が停滞しているような柔らかな肌の弾力に似た塊になっていた。汗ばむ肌に似た塩気を含んだ肉厚な縁から中心に向けてゆっくり渦を描きながら、生き物の中で醸造されているある種の有機的な臭みが凝縮してゆくような香りの動き方をしている。

一方で表層では元のシルクイリスの持つマイペースな流れがその纏まりを包むように流れていた。シルクイリスが沿って走る縁では硬い香料の繊維との摩擦が起こり時折細かい金属質な香りが散るように生まれており、そちらに目を向けると一瞬光を反射する。

その気流が香りを聞いた時に1番先に中心の香りを後ろに引き連れる形で鼻を掠めるのだが、その温かさと丸い気配は人の吐息のようで、咄嗟に「人の気配の匂いですね」と所感を述べた。

その表層の気流に意識を向けていると、そのスピードで弛んだしなやかな繊維がまたゆっくりと張りつめられて、シルクに染み込んで幾分か軽くなったメチオナールの水玉が一瞬宙に浮く。そしてそれが再びシルクイリスの上に着地した時、水玉は前より細かく全体的に飛散していた。このように鼻を追うように布の上で跳ねる事を繰り返す度に徐々に粒子が細かくなり、全体にメチオナールの茶褐色が斑点状に染み渡るが塊としての匂いの動きは弱まり遠のいて行く。

最終的にはメチオナールはシルクイリスの糸の中にまで広がりきって質感の凹凸を与える立ち位置に収まった。不思議と茶褐色に染まる事は無く、シルクイリスの持つ白さが揺るがない所が印象に残っている。最初の段階ではシルクイリスにメチオナールが一方的に作用してゆくのかと思ったが、意外にもシルクイリスの方もまた動的なのだった。

それは生き物同士の化学反応の様で、シルクイリスがメチオナールを取込み自身もまたそれによって組織が組み替えられてゆく様子は、大仰な例えになってしまうが生き物の身体とその細胞の絶え間ない生と死を彷彿とさせた。

また、今回のワークショップで、シルクイリスに限らず一つの作品として完成している香水は、液体でありながら強度はもはや個体なのだなと改めて感じられた。

 

因みに最後に大沢先生に香りの所感メモ(予期しておらず本当に雑なメモであった)を見て頂く機会があり、緊張で血の気が引いた。サトリのスクールには香りの文章表現を学ぶソムリエコースがあるのだ。

しかし先生はとても優しく素敵な方で、お話しする機会は少なかったが大いに薫陶を受けた。

 

 

この体験の帰り、香りを聞き過ぎてふらふらになりながら電車内で早速最低限の調香の道具を一度に注文した。

この調香への熱がどれほど続くかは分からない。

ただ、パルファンサトリは私の中でその香りだけでなく憧れの場所としても輝いて行くのだと感じる。

 

 

parfum-satori.com

95.終わりの向こう側《Capri Forget Me Not(カルトゥージア)》

梅雨が明けてから一気に暑くなったが、それまでの寒冷な気候のおかげで今年はそれほど鼻が疲れておらず、仕事終わりに汗ばみながら銀座を歩き、試香する体力も残っている。

しかし一方で突如として暑くなった現状に付いて行けずに未だにどこか夢心地というか、現実から逸脱している気分でもある。

 

 

その日の気分で銀座の阪急メンズの香水売り場に立ち寄った。

伊勢丹メンズ館も良いが、ここの香水の品揃えはもちろん棚を一度に素早く横断できる陳列も気に入っている。

この日は当初お目当てだったオルファクティブスタジオやCIROではなく(これらの所管はまた後日)、カルトゥージアの中でも甘みのあるCapri Forget Me Not が印象に残った。

毎年夏といえばカルトゥージアのメディテラネオ一択というくらい夏でも私の鼻と相性の良い気に入りのブランドだ。

 

所感は以下。

 

 

Capri Forget Me Not

レモン、ライム、ベルガモット、マンダリン、イチジク、ユーカリ、ミント、バイオレット、シクラメンジャスミン、アルテミシア、ピーチ、バニラ、ライラック

と言った調香。

ブランドの中では甘く濃厚な香りであるのだが、暑い夏の夜の風のような透明感と軽さがやはりカルトゥージアである。

トップから甘みのあるミントと仄かな清涼感を担うユーカリが輪状に放射状に広がる形で認識できた。その開いた中心ではバニラとピーチがイチジクの甘さというよりも葉に近いやや青みのある肉厚な香りの下の中層に潜り込む形で合流し、ミドル以降に配置された穏やかなパウダリーな花の香りがまたその奥に内包されている形で認識できる。それ故か、バニラベースの甘さであってもフルーティーなグルマンではなくラクトンのような植物由来のミルクを思わせる香りになっていたように思う。

そこを先ほど一度広がったミントが線となり繋ぎとしてミドルとトップを貫くような構成で肌に吸着している印象で、その周辺ではその青みの一群と柑橘系の瑞々しさ。そして私の肌ではジャスミンとヒヤシンスが体温に近い場所で周囲と比べてアニマリック寄りに仄かに香っており、それらがゆったりとした中層のミルクに半分浸かりながら各々の呼吸で主張し合う。香り方は全体的には穏やかではあるが鼻に向いた香りの細波の尖端は時折やや鋭い印象を受けた。

しかし、ミドルに近づくに従って主軸がトップのフルーツとミルクの湿潤感から奥にあるミドルのバイオレットの人肌のような温かみの穏やかな粉っぽさと甘さへ飲み込まれるように置き換わって行く。

それは今まで肌に確かに乗ってそれぞれ角を出していた香りが静かに呼吸を揃えて1つに丸まり宙で少しずつ四散して消えて行く様は、香水にはいつも当たり前に用意されており当たり前に受け入れているはずの「終わり」を強く喚起させられた。

それでもまだ歯ですりつぶした時に染み出て口内に広がるように香るイチジクとミントの先端が丸まった様な独特の青みと甘さは、こちらに意思を向け湿潤さと辛うじてトップを思い出させる立体感とある種の圧を伴う香り方をしており、それらは絡み合うように肌と離れてゆくパウダリーな香りの球とをつなぎ留めていた。

その後のミドルからラストにかけて、パウダリーな香りからラクトンめいた温かさのある甘みはやがて遠のき全域が細かいパウダリーの霧になった。深く吸い込めばまろやかなトップとミドルの名残を感じられたが、それらは既に遠い場所にあり、何やら思い出しきれない過去の記憶を辿る様なおぼろげに揺らぐ香り方をしていた。

いつのまにかミントとイチジクの蔦も霧の中に回収されて行くが、そのイタリア的なふっくらとした丸みのあるパウダリーには優しさがあるものの、それと自分の間にはミント・イチジクの代わりに透明な薄い膜が張られており、それがその先の香りを具体的に認識する事から隔てている事に気が付く。

ラストになると、そのパウダリーな霧の中心にシクラメンの固形石鹸のような涼しい白色の底が見えた。それは初めからあった様な気もするが、固さはトップから今までの香りの質感とは明らかに違う実在感と不動感を持っていた。しかし、その全貌は明かされる事はなく、新たな誕生を予感させたままドライダウンを迎えて消えて行った。

 

某レビューサイトで「これはアマルフィのイチジク畑の広がるラヴェッロで体験した夏の夜の香りだ」というレビューを見つけたのだが、レビューの最後のこれを付けるとアマルフィの海岸に戻るという一文が印象的だった。

全体を思い返して、やはりForget Me Not はトップとミドルへの移行が一つの終わりとして設けられているのだと感じた。

その終わりによって、私たちは終わった後の世界へと誘導されて行く。

その景色は、かつてレビュアーがアマルフィでの夜の体験の後の日々の中の夜の香りであり、勿忘草伝説の恋人たちの悲恋のその後の追憶でもある。

彼らの中で体験がやがて完全な過去の記憶となり、いつの日かその過ぎ去った記憶を呼び起こして再体験するまでの静かな時間の流れを彷彿とさせたのだった。

実際全ては終わりのない移行の連続かもしれないが、そこに終わりとそれを礎とした始まりを見出す事は豊かな作業だと思う。

やや辛気臭い文章になったが、ラフな格好から改まった特別な日まで幅広く使える香りだった。イチジクが特徴的に香り続けるので、いつもと少し違うイチジクの香りを楽しみたい方にも合うのではないかと思う。

大切な人と一緒に付けてみてはどうだろうか。

 

 

 

さて、そろそろお盆が近い。

ゆうれいも幽霊らしく、Forget Me Notと共に久々に故郷に帰ろうと思う。

 

 

www.carthusia.wandp.co.jp

 

94.人工物の夏《Unsettled( Bruno Fazzolari)》

家の周りを走るのでも良かったのだが、せっかくの人生なので様々な場所を体験しておこうと思い、最寄りのジムに入会した。

明るく挨拶をよくするスタッフや、引き締まった身体の利用者たちが作り出す健康的な雰囲気は正直得意ではなかったが、目当てのプール利用のためなので耐えることにした。

プールはいつ行っても混雑しておらず、思う存分歩くことが出来る。しかし、眼鏡着用禁止のそこは極度の近視と乱視の私にはもはやフランシス・ベーコンの絵さながらの絶えず動き続ける色の集合にしか見えず、その絵の中をひたすら歩き続ける事は非日常で面白く感じた。(かわいそうに、視力の良い人々はこの視覚世界を味わえない!)

プールは塩素の香りで人間の有機的な臭いがカットされていて非常に私好みだ。

ただ、エリア全体には水特有の生暖かい匂いがみっしりと充満している。

 

そんな中思い出すのはあまり明るさの無い夏の香水である。

夏香水と言えばマリンのようなビーチに降り注ぐきらめく太陽光やしぶきを上げる海水の香り、白い砂浜、日焼け止めの香り、開放的で情熱的な恋…などを連想するように作られがちだが、前日に試香したBruno FazzolariのUnsettledはまさにその「明るくないマリン」だった。

「Unsettled」という名前からして明るくない。

 

ブランドのオーナー件調香師のBruno Fazzolariの本職は芸術家である。

だからというわけでもないのだろうが、古典的な構造を取っていると言っていつつも香り方には現代的な偏屈さが見られ、そのマイペースな立ち位置には安定したインディペンデント感があり個人的には好感を持てるブランドだ。日本には来て欲しく無い。

 

所感は以下。

 

 Unsettled

ベルガモット、ブラックティー、クラリセージ、パイナップル、ニューカレドニアサンダルウッド、ラブダナム、バニラ、シーノート

という調香をみれば非常に明るくサッパリとしたマリンを思い浮かべるが、そこはBruno Fazzolariであるのでそんな事はない。

トップからパイナップルの果実の甘さとベルガモットが果汁的に溢れ出す。しかし、どこか澄ました様なそれらとは違う方向を向いたやや青みとレザーのようなコクと苦味のある、ミルク然とした半透明さを持つ香りの一軍が感じられる。ブラックティーとクラリセージとベースのバニラだろうか。葉の甘さの中に半分せり上がるハーブ系の独特の清涼感を覚えるクラリセージの香りは程なくして果汁の下に入り込んでゆくが、お茶の香りは終始クールダウンの役を引き受けている印象で、これのおかげでトップは明るすぎず、ミキサーにかけられる前のミルクの中で漂うフルーツのような印象で、テンションとしては早くも落ち着いた下降感を見せ始める。

それらは程なくして一つの平面的な丸まりに収まると同時にそれらトップの水分を乗せてやがて染み込ませてゆくであろう汗ばんだ温かさのある肌のような香りがあるのに気づく。これはラブダナムのどこかアニマリックな臭みのある染み入る様な重さがトップの果汁と合流したことと、受け止める側のサンダルウッドの若干粉めいたウッドの個体感やシーノートの塩気が由来なのだろう。が、バニラがシーノート側で主張していない点でわかりやすいマリン的な記号としては認識できなかった。その肌のような香りの一群は存在感を増し、隣に寝ているのではないかと思うくらいに視界全体に影を作っていった。

ここでもまだ主軸で香るパイナップルは、生果の弾けるフレッシュさと言うよりは缶詰にされて人工的なやわくささくれだった甘さのシロップにより味を画一化されたパイナップルを彷彿とさせる。これは決して悪い意味ではなく、他の香りに関してもある種の人工的で表情の読めなさが一貫しており、頭の揃った独特のニュートラルな秩序の世界観を作り出している。

さて、ミドルも半ばに差し掛かり徐々にバニラがマリンらしく現れてくることで、記号的に海を感じられ始めるが、これもやはりリアルな書き込みをなされた海ではなく、他の香りと同じ、実際にあるかどうかわからない表情の読めなさだった。

少し頭をもたげれば先に書いた遮る人の奥に窓が見え、窓のすぐ外に海あることを簡単に証明できるのだろう。しかしUnsettledはそこまで語る事はしない。ラブダナムと塩味が作り出す汗でやや酸味付いた動きの少ない人肌の香りの塊の縁から、逆光の光のように、マリンの弱めの波立つ動きが見て取れるが、それはあくまで人肌を介して気配のみ鼻に届く。

サンダルウッドはその間、徐々にウッドの表情を強めてゆき、ラストになると昼寝から覚めたように人肌は流木のような角の取れた滑らかな木に変わっている。

その浜辺で拾ってきた流木的な導線の甘さの抑えられたサンダルウッドの軽さのある個体感の木目に沿って鼻を滑らせると、奥にまだ完全に乾いていない海水とシャワーの淡水が混ざり合ったような湿り気を感じた。それを深く吸い込むと先程までの肌とフルーツの名残が感じられるが、それらは基本的に木目の中に一緒くたに詰め込まれており、今は個々の主張を見ることは難しそうだった。香りを探っている内に、水分は木に染み込んで行き、やがてミドルと同じ様に目の前にある木の肌を介してのみ伝わってくる様になった。

 

先にもパイナップルの香りで触れたが、Unsettledは画一化された無表情なマットさが終始面白かった。某情報サイトのレビューで「白いフェドラを被った金髪のヨーロッパ観光客」と称されていたのが頷ける。ただ、メタ的とも言うのか、そのありきたりな存在感がここでは没個性の一因ではなく一定以上の強度を持って浮かび上がってくる。

私が例えるなら、全体を通してレコードかカセットテープに吹き込まれて複製された自分あるいは誰かの、気怠く変わり映えも無いが隣の相手にはそれなりに愛があり(だが関係としては中途半端だ)、周囲に広がる見慣れた空や海は淡々といつも通り美しかったであろう何も起こらなかった夏の日の思い出を、Bruno Fazzolariの箱の外側と同じ色合いの壁紙の変わり映えのしない簡素な自宅で、一人掛けのソファーに身体を埋めて何度も再生して聴いているような妙な覚醒感がある。

そしてそこから感じられるパッケージ化された冷静で無機質な日常の「生々しさ」が癖になるのだ。何度も言うが決して悪い意味ではない。

 夏だから、海だから、休日だからと言って心を躍らせる必要は無い。

ふと記憶に蘇る、何と言うわけでも無い日常の1シーンに意識を傾けることこそ、自分に余裕が無いとできないものだったりする。

 

 

 

 

 

そんな香りの空想も絵画の中の散歩も、担当のインストラクターに見つかってしまったことでおもむろに分断されてしまった。

今は縦の色の線の集合体にしか見えない彼の自分のスクールへの勧誘を聞いて「調整してみます」という曖昧な返事をしながら、次はUnsettledを首筋に付けてプールを歩いてみようと思案した。

 

 

 

www.brunofazzolari.com

 

 

 

93.ベースノート《Aenotus(Puredistance)》

仕事終わり、霞ヶ関から二重橋駅まで散歩をして帰る。

回り道をして銀座の高級クラブ街を通過し丸の内仲通りに出るのが毎度のルートだ。

銀座の繁華街では、これから仕事に向かう夜の女性たちの風呂上がりの蒸気感と粉っぽい化粧品と上質なムスクの香りが鼻を掠める。そして時折、その彼女らに会いに行くであろう男性の香らせている暗い薄紫色のフゼアが並走している。

 

 

その日は私は以前ピュアディスタンスのイベントで頂いたアエノータスを仕事終わりに身に付けていた。

新作であるこの銘は今までのクラシカルな要素を持った女性的なイメージの香りの傾向よりも一気に現代的な流行の香りに近付いた印象だったが、香りの鮮度や解像度は相変わらず高く安定したピュアディスタンスだったのも興味深かったので、一度共に散歩をしてみたくなったのだった。

 

 

所感は以下。

 

 

アエノータス(Aenotus)

→トップはオレンジ、マンダリン、レモン、ユズから始まる。

柑橘の苦みと酸味が透明な細かい粒となって広がる。果実の甘さは無く、どちらかというと柑橘を剥いた時の果汁とそれを纏った皮の香りを彷彿とさせる。ミドルに配置されているミントが由来か、その清涼感が柑橘の速度を直線的に高めている印象だった。

一方で、そこから振り返ると中腹に流れの違う柔らかい蒸気のように水分が滞留する厚い層を見つける事ができる。その明らかに何かの皮膚のような不透明さとひと塊としての流れがあるものの、触ればすぐに指の痕が付いてしまいそうなどこかパウダリーな質感は、ザボンの肉厚な白綿を彷彿とさせた。

尚もプチグレンの苦味を境に上層に位置していたユズやレモンの酸味は上方に尖端を向けてさらに上昇し始める。ミドルに差し掛かってもトップの柑橘が立体感を持って前衛に立っているのは非常に新鮮な感覚だった。全体的にパウダリーな甘さが強まったのは、その清涼感で柑橘の速度を助長させていたミントのどこか甘いグリーンの本体がいる場所である中腹に降り始めているからかもしれない。トップから確認できていたあの柔らかな白綿の皮膚の中に入り込んで行く感覚だった。

このように本格的にミドルに入って行く中、ふと鼻の近くに意識を向けると甘さを感じないプチグレンやパチョリの厚い葉のグリーンとピュアディスタンスらしいふっくらとしたオークモスが肌に浸透して行き、やや苦味の伴う粒を点在させていた。それと同時にやや上方ではちょうど柑橘の表皮のような滑らかな固さを持つ、トニックのような密度の高いドライな気泡が肌の波立ちに沿って張り詰め始めるが、その表面に注目すると、まだ形作られる途上であるかのように湯気のような不規則な揺らぎ方をしているのが分かる。

香りの存在感は決して軽くないのだが、トップの人工的なクールさが堅固に持続してゆく。意思を持ってある種の軽さに留まっているようだった。

トップの終盤で上昇していった冷たい水蒸気の一群は、気付くと人工的な角を持った氷山のような透明な柱となってまっすぐにそびえていた。

その沈着な柱の間を、ミントやオークモスの空間を広げるような冷たい霧が風に乗って均一な速さで駆け抜けている。そこのオークモスの誘導によって己の肌の温かさと湿気が霧に混ざってゆくことで、このトップから今までの一連の変化は肌の上での出来事なのだと再確認できた。その運動を繰り返した後、周囲の空気の温まり方に合わせて緩やかにラストへと落ち着いて行く。

ラストはそれまでの鋭角的なスピードが落ち着きミドルの仄かな草花の香りが移った水のような穏やかな流れが生まれた。長い旅を経てようやく自分の体温に戻ってきた印象で、しっとりと潤う春の夜のような温かさを感じた。

ここになって今まで隠れ続けて来たトップのオレンジの甘酸っぱさとブラックカラントブロッサムだろうか、花らしい香りが顔をのぞかせた。トップの速度の抜けた柑橘の香りは相変わらず柑橘の肉厚な白綿に包まれており、この正体はオークモスだったとこの時点でようやく分かった。

 この爽やかで軽い質感は、ラストであるはずだがコロンのトップノートのようでもあった。これより肌に近い層ではシャープなトニックのような香りが弱い電流を帯びて肌の表面に逆毛を立てている。これはトップ~ミドルで見られた揺らぐ湯気が相まった途上のものではなく、ミドル終盤の氷の柱を取り込んだ物質的な固さを含んだ密度と強度があり、その空気に反応してさざ波立つ様子は新しく貼られた皮膚の敏感な様を思い出した。コーティングとも思える。

 アエノータスはトップからラストまで、肌の香りを巻き込んで何かをビルドして行く作業が繰り返されていたように思えた。

 創業者であるフォス氏は、この銘はテニスの後にシャワーを浴びるという個人的な体験と身体性に着想を得たと語っていた。

アエノータスはコロンを浴びる前の、私達の本当のベースノートである皮膚を作る作業の体験なのかもしれないと感じた。

 今までの皮膚が纏っていた香りをシャワーで洗い落とし、そこに幾重にも何時も使うシャンプーやボディーソープ、オイルや整髪剤などの香りを儀式の様に重ねて補完して行く。そして新たな身体が完成したラストにして、ようやくこれから振りかけるコロンのトップノートにたどり着くのだ。

 

この香水を着れば(フォス氏のような)良い男の皮膚を手に入れた事になる、というのは半ば希望の入った極端な解釈になる。

が、そこに近付く手掛かりとして、アエノータスは今日の肌に馴染むスキン系の香りよりも一回り強度のあるベースノートの積み重ね方を教えてくれたのだった。

 

 

 

そうこう香りについて考えていたら、いつのまにかごみごみとした銀座を越えて丸の内仲通りまで出ていた。

周囲は夜の街の粉っぽいムスクから仕事終わりの小ぎれいな会社員らの、今朝方付けたのだろう香水の残り香と丁寧に管理された洗濯洗剤や整髪剤の清潔な生活の香りに一変していた。

空白に一本引かれた線の様なパウダリーなその香りは、仲通りの直線の道を吹き抜ける風とそっくりで、他人行儀に表層だけを撫でて行った。

 

 

 

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92.5 身近な香りたち

香水以外の嗅覚体験をとりとめなく書き留めようと思う。

平生漂うの香りは香水のように分かりやすくない。しかしやはり出会ってしまうと、どうしても、この香りを言葉や何かで残して忘れないようにしたいと思えてしまう。

試みを兼ねて3つ残したい。

 

 

1.ジャスミン

様々な場所でジャスミンが香っている。

会社の近くのイタリアンの脇だったり、住まいの近所の家だったり、隣の富裕層の敷地…と、この季節は朝から晩までジャスミンの香りを感じる事が出来る。

ジャスミンの香料は花を朝採取するか夜採取するかで大きく変わる事をどこかで耳にした。思い返せば確かにジャスミンは(他の花も然りだろうが)1日中同じ香りではない。

朝のジャスミンは、白い花の濃厚さの中に、青みがかったジャスミン特有のある種のえぐみが含まれた、朝露のやや湿った温度を感じる事が出来る。いわゆる香水のジャスミンの香りに近い。下から上へ徐々に水分が起きて行く様な、瑞々しい丸さとハリのある甘さがある。

昼のジャスミンは粉めいた濃厚な白い花の甘さが空気中に四散し、それぞれが自由に舞っているように感じた。甘さの明るさと粒子の立体感は朝よりも増し、その外部に向けられた花の甘さは柔らかく壁のような密度と厚みを持っている。近付くと温かさを感じる。

そして陽が傾き夜に近付くと、その空気中で遊んでいた柔らかな導線の奥に、ジャスミン茶のような、花粉に比べて直線的で、緑の香りを含んだ低調な香りの線が入り込んで来る。

そうしてすっかり夜になると、ジャスミンの香りは夕刻現れた下流に合流し、口をすぼめて吐く息を細くした時の様に、シルクの糸めいて滑らかに直線的に夜気の中を流れて行く。花の甘さは朝に感じた露の中を香りが回るような艶やかさと、細部に思わせぶりに動いて時間を遊ぶような揺れがある。

あるいはそう見せているだけなのか。

 

こんなことを考えていた時、友人からジャスミンの茂った甘い香りを漂わせる廃墟についての話を聞いた。

美しい話だと思った。

花も香りも私たちのものではないのだ。

例え人類がこの地球上から全て消え去っても、ジャスミンのあの芳香は変わらないのだろう。

 

 

 

 2.レザージャケット

 春先に覚えたレザージャケットの香りが印象に残っている。
映画館でふとした時に捉えた革の香りは、その素材の肌触りが想像できるくらい柔らかく、表面は新しいレザー特有のきめ細かい香りの粒が不透明に密接に組み合った微細な毛羽立ちのある厚い膜を作っていながらも、最奥は肌のような、パウダリーな粒子感と温かさがあった。

レザーもまた皮膚なのだ、とまとめて終える事もできるのだが、ジャケットは着て初めて香りが完成するものなのかもしれないとも感じた。

その温かさはレザーのみの時とは別物だった。まるでレザーと着用者との接着点が溶け合ってひとつになっているようで、香りだけを追いかけてレザーの最奥より先に進むと、優しいグラデーションでいつの間にか人の肌の体温に落ちてゆく感覚があった。

気持ち悪いのは百も承知だが、この予期せぬ多幸感に映画を観ながら驚いたのだった。私もいつか高いレザーのジャケットを買おうと強く思った。

これは先のジャスミンにも言えるもので、香りの先にある仄かにくすぐったさを伴う生命の気配を見つけた時、それと同じくらい仄かに己の心の表面のテクスチャをもなぞられるような一瞬に出会うときがある。

そんな時は好きだった猫や小さい頃に寝転んだ芝生や布団や春の風の香りを思い出す。

感情に任せて泣いてしまえば嗅覚が遮られるから、夢中で息を吸い込んでしまうのだが、最近は上手くいかない場合が多い。

 

 

 

 3.幻臭

最近、旅先で突然硫黄(硫化水素)の様な香りがする時があった。

1回目は山梨のキャンプ地だった。

その地は温泉はもちろん工業地帯やコンビニすら無いような開かれていない山地だったのだが、無人駅を降りたら硫黄のような香りがしたのだ。その香りは駅の降りた時ホームのみで、あとは何事もなかったかの様に香りが無くなったため、その後のキャンプでも何だったのか1人考え込んでしまった。

その2日後に訪れた茨城の海岸では、海が見える前の誰もいない公園で写真を撮っていたらふとその匂いとすれ違い、デジャヴを感じた。

海岸の近くには工業地帯があったものの、その近くでは全く硫黄の香りはしなかった。海はかつては生きていたであろう何かや海の様々なものが一緒くたに塩漬けにされた生臭い刺激臭がして、その様な硫黄の香りの方がありがたいと思えるくらいだった。

ここでも硫黄の香りは一瞬のみで、だからこそ印象に残っていた。

その硫黄の香りは、温泉のものという雰囲気でもなかった。煙の様に下から湧いて渦巻く暗いタマゴのような閉塞感のある香りに、表面に何かが反射する様な刺激を持つ何らかの金属製の硬質で表面がのっぺりとした黒みと光沢を帯びた香りが下流に広がって流れている香りで、上層と下層の綺麗に2分するような香り方の差異が印象的だった。

そこから、もしかしたら硫黄っぽいと言うより何か別の鉱物の香りなのかとも思えてきた。

温泉ならばもっと水っぽい動きと香り立ちになるはずで、何かの詰まりや腐敗の匂いであれば、奥を覗けばその原因の有機物の匂いが混ざるため分かりやすいはずなのだ。

 

だがこんな体験も、科学では一瞬で説明できてしまうのかもしれない。

答えの分かる人は言わないでほしい。

この場違いで奇妙な香りについて首を傾げながら眺めた、向かいの民家のたわわに咲いた八重桜が周りの時間よりもゆっくりと散る様は、中々私の中で思い出になっている。