polar night bird

香りの記録

92.5 身近な香りたち

香水以外の嗅覚体験をとりとめなく書き留めようと思う。

平生漂うの香りは香水のように分かりやすくない。しかしやはり出会ってしまうと、どうしても、この香りを言葉や何かで残して忘れないようにしたいと思えてしまう。

試みを兼ねて3つ残したい。

 

 

1.ジャスミン

様々な場所でジャスミンが香っている。

会社の近くのイタリアンの脇だったり、住まいの近所の家だったり、隣の富裕層の敷地…と、この季節は朝から晩までジャスミンの香りを感じる事が出来る。

ジャスミンの香料は花を朝採取するか夜採取するかで大きく変わる事をどこかで耳にした。思い返せば確かにジャスミンは(他の花も然りだろうが)1日中同じ香りではない。

朝のジャスミンは、白い花の濃厚さの中に、青みがかったジャスミン特有のある種のえぐみが含まれた、朝露のやや湿った温度を感じる事が出来る。いわゆる香水のジャスミンの香りに近い。下から上へ徐々に水分が起きて行く様な、瑞々しい丸さとハリのある甘さがある。

昼のジャスミンは粉めいた濃厚な白い花の甘さが空気中に四散し、それぞれが自由に舞っているように感じた。甘さの明るさと粒子の立体感は朝よりも増し、その外部に向けられた花の甘さは柔らかく壁のような密度と厚みを持っている。近付くと温かさを感じる。

そして陽が傾き夜に近付くと、その空気中で遊んでいた柔らかな導線の奥に、ジャスミン茶のような、花粉に比べて直線的で、緑の香りを含んだ低調な香りの線が入り込んで来る。

そうしてすっかり夜になると、ジャスミンの香りは夕刻現れた下流に合流し、口をすぼめて吐く息を細くした時の様に、シルクの糸めいて滑らかに直線的に夜気の中を流れて行く。花の甘さは朝に感じた露の中を香りが回るような艶やかさと、細部に思わせぶりに動いて時間を遊ぶような揺れがある。

あるいはそう見せているだけなのか。

 

こんなことを考えていた時、友人からジャスミンの茂った甘い香りを漂わせる廃墟についての話を聞いた。

美しい話だと思った。

花も香りも私たちのものではないのだ。

例え人類がこの地球上から全て消え去っても、ジャスミンのあの芳香は変わらないのだろう。

 

 

 

 2.レザージャケット

 春先に覚えたレザージャケットの香りが印象に残っている。
映画館でふとした時に捉えた革の香りは、その素材の肌触りが想像できるくらい柔らかく、表面は新しいレザー特有のきめ細かい香りの粒が不透明に密接に組み合った微細な毛羽立ちのある厚い膜を作っていながらも、最奥は肌のような、パウダリーな粒子感と温かさがあった。

レザーもまた皮膚なのだ、とまとめて終える事もできるのだが、ジャケットは着て初めて香りが完成するものなのかもしれないとも感じた。

その温かさはレザーのみの時とは別物だった。まるでレザーと着用者との接着点が溶け合ってひとつになっているようで、香りだけを追いかけてレザーの最奥より先に進むと、優しいグラデーションでいつの間にか人の肌の体温に落ちてゆく感覚があった。

気持ち悪いのは百も承知だが、この予期せぬ多幸感に映画を観ながら驚いたのだった。私もいつか高いレザーのジャケットを買おうと強く思った。

これは先のジャスミンにも言えるもので、香りの先にある仄かにくすぐったさを伴う生命の気配を見つけた時、それと同じくらい仄かに己の心の表面のテクスチャをもなぞられるような一瞬に出会うときがある。

そんな時は好きだった猫や小さい頃に寝転んだ芝生や布団や春の風の香りを思い出す。

感情に任せて泣いてしまえば嗅覚が遮られるから、夢中で息を吸い込んでしまうのだが、最近は上手くいかない場合が多い。

 

 

 

 3.幻臭

最近、旅先で突然硫黄(硫化水素)の様な香りがする時があった。

1回目は山梨のキャンプ地だった。

その地は温泉はもちろん工業地帯やコンビニすら無いような開かれていない山地だったのだが、無人駅を降りたら硫黄のような香りがしたのだ。その香りは駅の降りた時ホームのみで、あとは何事もなかったかの様に香りが無くなったため、その後のキャンプでも何だったのか1人考え込んでしまった。

その2日後に訪れた茨城の海岸では、海が見える前の誰もいない公園で写真を撮っていたらふとその匂いとすれ違い、デジャヴを感じた。

海岸の近くには工業地帯があったものの、その近くでは全く硫黄の香りはしなかった。海はかつては生きていたであろう何かや海の様々なものが一緒くたに塩漬けにされた生臭い刺激臭がして、その様な硫黄の香りの方がありがたいと思えるくらいだった。

ここでも硫黄の香りは一瞬のみで、だからこそ印象に残っていた。

その硫黄の香りは、温泉のものという雰囲気でもなかった。煙の様に下から湧いて渦巻く暗いタマゴのような閉塞感のある香りに、表面に何かが反射する様な刺激を持つ何らかの金属製の硬質で表面がのっぺりとした黒みと光沢を帯びた香りが下流に広がって流れている香りで、上層と下層の綺麗に2分するような香り方の差異が印象的だった。

そこから、もしかしたら硫黄っぽいと言うより何か別の鉱物の香りなのかとも思えてきた。

温泉ならばもっと水っぽい動きと香り立ちになるはずで、何かの詰まりや腐敗の匂いであれば、奥を覗けばその原因の有機物の匂いが混ざるため分かりやすいはずなのだ。

 

だがこんな体験も、科学では一瞬で説明できてしまうのかもしれない。

答えの分かる人は言わないでほしい。

この場違いで奇妙な香りについて首を傾げながら眺めた、向かいの民家のたわわに咲いた八重桜が周りの時間よりもゆっくりと散る様は、中々私の中で思い出になっている。

 

92.微酔《PAS CE SOIR(bdk parfums )》

夕方、久々に新宿を訪れた。

相変わらずひどい混みようで、人観察に退屈しない所はやはり嫌いではなかった。
まだ日が明るいにも関わらず既に人が酒気を帯びている香りが漂っていて、さすが新宿だと嬉しくなったが、同時にこんな喧噪ごときが嬉しくなるほど東京から遠ざかった生活になってしまったのだと寂しさも感じた。

人生において、これまでも、たぶん今後も死ぬまで経験しないであろう状態の一つに

「楽しく酒に酔う」

がある。私は酔う事が出来ない。

酒を一口飲んだだけで思考が正常なまま頭痛に見舞われるので、今ここに人の形をして息をする事でさえうんざりしてしまうのだ。
だが、私がこの新宿に惹かれる理由も嫌悪する理由もそこにある気がしている。
 
 
さて、ついて早速新宿伊勢丹の香水カウンターを一巡し流行を覗き見した後、NeWomanのNose shopを覗いた。
 
店頭の正面には目新しい香水ブランドが陳列されていた。
そのbdk parfums はフランス発のパフューマリーらしい聞きやすさと華やかさのある都会的な香りが揃っている。テーマにパリを絡めたシリーズも出ており、雰囲気的には伊勢丹などで扱っていてもおかしくない類のブランドだと思う。
先ほどのようなことを考えていたからかもしれないが、その日気になったのはシャンパンのような淡い金色のPAS CE SOIRだった。

所感を以下に残したい。

 

PAS CE SOIR

フランス語で「今夜じゃない」という意味。

トップはジンジャーとマンダリン、ブラックペッパー。ジュースのような透明感、気泡のようなスパイシーさが相まって甘さ控えめのシャンパンのような華やかさと瑞々しさがある。が、その底に何やら色の濃い甘い香りが沈殿している様子が分かる。それは底からグラデーションを描いており、上方に行くほど木の実的な酸味が加わっている。トップとは違って鼻ざわりはやや弾力ととろみのあるジャムやシロップのような質感。上澄みの水っぽさがその透明感をもって底との距離を作り出しているため、この段階では気配が分かるばかりで何が混ざり合っているのか良く分からなかった。

その腹の内を明かさないような含みが何とも食前酒めいていて興味を惹かれた。

程なくすると、その底の沈殿物がマドラーで撹拌されるように全体に行き渡り始める。その明快に放射状に拡散する甘酸っぱさと奥の方にバラのようなチリチリとした鋭利で温かみのある粒を抱えた甘い果実の香りはイチゴのようだなと感じたが、正体はマルメロのようだ。

ミドルの調香はモロッコジャスミンとマルメロチャツネ、オレンジフラワー。

果肉の質感も含まれた煮込まれて柔らかくなった甘いマルメロの香りを白い花のつやのある透明で滑らかな甘みがコーティングし丸みを帯びたまったりとした動線シャンパンの中を漂うのだが、ここで一抹の不安がよぎった。ミドルの香りが、このままこの果実の香りが増してしまったらラストはひどい煮詰まりようになるのではないか、と感じる広がりを見せ始めたからだ。

そしてその広がりは更に速度を増して行き、予想通り煮詰めたイチゴシロップのような、トップに比べたらあどけなさとチープさのある平面的な濃さと甘さで肌に広がり切った。

この地面に引きつけられる様な重力感は、やはりラストのパチュリのもたらすコクと印影のある深い緑が所以だろうか。その熱を帯びたように表面がざらつき脈打つ甘みと下に落ちて行く重力感は、深夜に程よく酒に酔いしれ、時間も自制も忘れて開放感を楽しむ者達の表情とその時間特有の沈むような空気感を彷彿とさせた。

そこには見栄も、深遠で偏屈な思考も、シャンパンを飲んだ時の含みも駆け引きも必要無い。享楽に留まり自分をさらけ出すある種の浅さが許される。

ここでの甘さの極まりは、酩酊した時にありのままの素顔を見せるような、隙や緩みの一瞬のようだと思った。

ラストになると、緩やかにこの柔らかな飴のような甘さの奥がベースのウッドの無表情な板で遮られていることに気付く。その奥の香りはどの様な表情をしているのか分からない。実はこのベースの板のおかげでマルメロの甘さは不必要には広がっておらず、制御されている印象を受けた。その後の、何事もなかったかのように消え去るドライダウンと合わせても、香りは違えどトップのアルカイックスマイルを浮かべている状態に戻ったかのように思える。だから一層ミドルで一瞬見せるあの止めどなく上昇する情熱と高揚感が妙に印象に残って不思議な余韻がもたらされた。

 

公式HPのPAS CE SOIRの説明書きには、パリのとあるマダムのとある夜の出来事が描かれている。

深夜0時以降に繰り広げられる酒と煙草と大人の駆け引きは、文字面だけでは酷く気取って映るのだが、この香りがマダムのその夜の高揚感を補完しているとしたら、それはそれで愉しめる香水だと感じた。

 
 
 
 
久々に甘い香りを試して、頭がふらふらしたまま人混みに紛れた。
 酔いは何も酒だけから得られるものではない事は新宿にいる人々は多分当たり前のように知っていて、
新宿は今も昔も私の事は蚊帳の外で熱気の渦を作っていた。
 
これから新宿に溶け込んでゆくであろう人々の楽しげな横顔を尻目に地下鉄の階段を下った。
 
 
 
 
 
 

91.緑の物語《MIDORI(Y25)》

最近住まいを東京から緑と水の多い場所に移した。都心まで苦なく出られて、静かで、東京と比べたらもちろん何も無い。今まで気に留まるのは自宅から歩いて20分程の所にある大きな沼と崖の下に見える薄気味悪いプレハブ小屋だけで、そのどこか荒涼とした景観が気に入っていた。

しかしある日ふと、湖畔に続く道にそこだけ不思議と花の香りが立ち込めている小道を見つけた。

青さのある甘酸っぱい花の香りに、柑橘系のような爽やかさのある油脂めいた滑らかな香り。それら春の香りを凝縮したような香りが、良い意味で整然とせずに好き放題香っているのだ。

 

不意な出会いに、ふと今年の冬に購入した香水を思い出した。

その香水は、ベトナムのY25というブランドのものだった。

 

www.y25perfume.com

 

Y25は Hai Yen氏が2013年に立ち上げた若手のブランドだが、現在はオーストラリアのセレクトショップベトナム主要都市のホテルなどで扱っているようで、ボトルに関しても50mlはベトナム製の陶器を採用しており、ビジュアル的にも楽しい。

ベトナムへ旅行する際はチェックしてみてはどうだろうか。

普段日本には船便でしか発送できないそうだが、偶然Yen氏の友人が日本を訪れるタイミングだったらしく、そのおかげで比較的容易に手に入れる事が出来たのだった。

 

今回は、ブランドの中心コレクションである、

Scents of Vietnamのディスカバリーセット

MIDORI

の2種類を購入した。

 

Scents of Vietnamについてはやはりベトナムの都市と歴史を通るのは不可避のため後程充分に考えてから記事にしたいので、

今回はMIDORIについて所感を残したい。

 

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 MIDORI

トップノート:ヒヤシンス、ベルガモット、カフィアライム
ミドルノート:緑の芝生、ライラック、アイリス、バイオレット、ローズ、ブラックカラント
ベースノート:ベチバー、シーダーウッド、オリバナム、オークモス
といった調香。
このMIDORIは、トップから例えばジョーマローンやミラーハリスといった、西洋のガーデンのような、管理されて整然としたグリーンではない。また、フエギアのパンパのような、乾いた空の下、丘から低い草木を見渡すようなグリーンでもない。
 トップから見知らぬ暗緑の肉厚な草や葉に鼻を近づけた時の、葉全体のふくよかな香りが一気に鼻に入り込む様な直線の濃いグリーンに迎えられる。展開のスリリングさはあるもののトップらしい瑞々しさと拡散性は多少あり、するりと侵入してくる様子はやはり甘みの少ないベルガモットやライムの水気のおかげだろう。
この段階から、柑橘に半ば混ざる様に時折突出するヒアシンスの青みと甘さを揺れ動く香りと、ミドルのパウダリーな甘い花の香りを中心に感じる事が出来るが、これも花というよりは青みのあるグリーンの香りの延長線で香っている。その甘さと鼻への滞留感は常に皮膚や鼻の動きに沿って伸縮しており、グリーンの分かりやすく明るい記号をトーンダウンさせて良くも悪くも雑然とした濁りを作っている。だがそれが妙にリアルな湿気を帯びた茂みを思い起こさせる。
 
時間が経つにつれ、ミドルのアイリスやバイオレットなどのパウダリーな重みが強まり始め、それが葉が吐き出す水蒸気のように周囲に広がり緑の茂みの包囲網を濃いものにして行く。遠くで香らせると、アイリスたちのやや息の詰まるような石鹸的な硬質で清潔感のある香りが大部分を閉める時があるが、やはり奥にはグリーンの有機的で不透明な香りの一軍が内包されており、それらは綿の様な柔らかな繊維感でグラデーションが描かれている。両者の質感は同じパウダリーとして括る事ができるが、それ故に最奥から感じられる、葉のむせかえるようなえぐ味を持った苦さと甘さが異質なものとして鮮明に記憶に残った。果実系のブラックカラントが、己よりシャープな青みを飲み込み丸い水球のようなまとまりを作っているからだろう。
トップよりも落ち着いたその香りは、丁度葉を裂いた時に糸を引く繊維のような、瑞々しくもねっとりとした調子がある。
MIDORIの緑の甘さは水の粒の質感からして甘く滑らかだ。
その感覚は、パリから日本に帰ってきて空気を吸った時にも感じたことがあったのだが、それと同じ様に、通常のグリーン系の香りよりもパウダリーであるのに水の粒が大きく密集して感じた。それらが各々トップの葉の甘さを一杯に抱き込んでおり、だからこそ丸みのある甘さが立体的に引き立っている。
だが、立体的と言えどもMIDORIの表現は具体的なものの細密な彫刻ではなく、誰かの記憶の中の葉や草や花に向けられているような、所々背後を見透せそうなムラのある薄さで広がりを見せる。
ミドルの半ば、ふとデジャヴのようにトップの甘酸っぱさが鼻を通り過ぎる事があった。その時はアイリスは後ろに控え、その華やかさを支える役割に徹する。この変化のタイミングは何回か付けてみても予測できない。思い出したようにブラックカラントの作る水球に収まる形で浮かんできて、またアイリスとバイオレットの中に消えてゆく。
この段階が現れてから、緩やかな動線でラストのベースノートを感じられ始めた。オークモスとベチバーがパウダリーな霧を薄めてゆき、清浄な空間を広げてゆく。ただ、終始緑の運動が主軸にあり、ベースノートは地面に茂る深い茂みと地面のような不動(だがこれもまた霧のような質感だった)の立ち位置を崩さないため、こちらが地面に降下しているような感覚がある。ラストは夢から覚めたような低調さに着地することが少なくないが、不思議とそれはなく、浮き沈みの即興感が最後まで続く。
MIDORIは全体を通して、流れる表面の凹凸を追って行くように柔らかく緩やかな明滅が続く構成になっており、更に最奥の緑もある一つの緑の描写ではなく、常に草葉が行き交う様な複数性を持っている。その香り方から感じる、ある種の明るさと賑わいは、彼らから語られ示されているものよりも、私たち聞き手が不可侵な領域の輪郭の方を印象付けているような気がした。
 
公式HPの説明にも、森には物語がある。という一節が書かれている。
ただ、私個人の所感の結論はそこの解釈とは少し違っていた。
私たちに見せている姿が緑の全てではなく、緑には緑の物語があるのだ。
私たちはそのほんの一片を、香りで知ることができるだけなのだろう。
と、思ったのだった。
だからこそ私たちは長らく草花の香りに耳を傾け魅了されてきたに違いない。
 
 
 
この記事を書き終わった今日、外に出てみたら先週に比べて一層春らしく暖かな気候になっていた。
 
今日は用事を早く終わらせて、あの花の香りの小道に迷い込んでみようと思う。
 
彼らはそこでどのような物語を築いているのだろう。

 

 

 

Y25perfume

 

 

 

 

 

 

 

90.畑とビルと風《Stercs(Orto Parisi)》

久々に渋谷に出た夜、正直気分は最低な日だったが、この機会を逃したらずっと行かないであろう六本木を訪れた。

一時期は毎週のようにグランドハイアットへ通った見慣れていたはずの六本木は、何やら妙によそよそしく、ビル風も重く冷たく、一辺倒に感じた。

 なぜ六本木を訪れたかというと、六本木ヒルズにNose shopがオープンしており、そこのNasomattoとOrto Parisiを試香するためだった。

 

六本木ヒルズ閉店の30分前に滑り込んだので、あまり人がいなかった。

一目散に入店し、お目当てのそれらを一通り試香をしてみると、両者は今のアンチパルファム系ニッチ香水の礎の1つ言って良い、変わってはいるがクオリティは一定以上の安定した仕事をしている印象だった。ニッチの中堅と言える。

これらは合成香料を使用していないと謳ってはいるが、実際のところは分からないし、どうでも良い事なのだと感じる。

その中で興味を惹かれたのが、Orto ParisiのStercsだった。

Stercsは日本語では「糞」と題され、題名でまず人を大いに選ぶ銘になっている。

しかしコンセプトは生と死の輪廻であり、糞も悪臭としてのスキャンダラスなイメージよりも大地に捲く「堆肥」という側面から表現されている。

所感は以下。

 

Stercs

→敢えて調香を非公開にしているらしいので、冒頭に調香は載せないでおこうと思う。

カテゴリ的にはアロマティックフローラルウッディに含まれているが、テーマ

 通りアニマリックな香りもトップから感じる事が出来る。

店員さんも「撒かれた肥料のような」と形容していたように、肥料が撒かれた際の、やや息の詰まるような生き物の温かさと柔らかく練られた草の香りが、乾いた土の香りと共に空気中に舞う、春の香りだった。この空気中にふわりと広がる軽さと柔らかさはパウダリーな花の控えめな甘さのある香りが演出しているのだが、牧歌的な雰囲気はなく、あくまで淡々と細密に描写されてゆく。

更に注目して行くと、最奥にこれを「肥料」たらしめる動物性の気配を感じる事が出来る。アンバーグリスかシベットかカストリウムか。多分、このシベットよりも他の香りに浸透しない突き抜ける様な刺激はカストリウム由来かもしれない。それらは丸みを帯びた柔らかいまとまりの中で蒸気めいた緩やかさで混ぜ合わされ始めるものの、肌からは遠い場所で香る印象で、だからこそその具体的な描きこみ方と対照的な情景描写としてのクールな距離が興味をそそった。

ただ、それらが立ち上ったのは一瞬で、すぐに香りは乾いたベチバーの直線的な苦味のあるウッディな煙と共にレザーの質感へと整えられて行った。茶褐色の皮膚を彷彿とさせるそのテクスチャは有機的ではあるが、先程とは対照的に、陰影を帯びたなめされた革とワックスを手でなぞるような、滑らかで人工的な涼しさと硬さを持っている。

トップが一番情報量の多い珍しい香水に感じた。

その後、レザーの滑らかな不透明感は遠ざかり、それと交代するように外縁に遠ざかっていた甘みが中央に集中してゆく。レーズンなどの干した果実や樹脂のような凝縮された甘さが、アニマリックな酸味を帯びた香りと相俟って更に熟して広がってゆく印象だった。ここに来ると、トップでは宙を舞っていたアイリスやヘリオトロープ等の、パウダリーで静かな甘さのある石鹸の様な香りを上方の広がりを支える底に見出せる。

 ラストは甘みの少ないウッドが台頭した。甘さのないシャープな香りが芯となり、その周辺を有機的な湿潤感を持つアニマリックが半ば染み込む状態で隙間なく挟み込んでいる。その対比は骨と肉のようなイメージで、そのアニマリックとウッディーの間を絶えず嗅覚が行き来する感覚を覚えた。

ちなみに、調べるとバニラも含まれているらしいが、私の肌ではラストには一切残らなかった。しばしばジャスミンやバニラなどの白い花は動物的に香る事があるが、この香水でもどこかに擬態しているのだろうか。

最近の香水では、Zoologistのシベットやハイラックス、BogueProfumoのMaaiも動物の香りと植物の香りの関係性にフォーカスされているが(この話も後ほど書きたい)、このStercsもまた動物の食料となり、そしてまた肥料となって自らの養分となる植物にも輪廻の軸が設けられている。だからこそ、アニマリックな香りだけでなく、終始ベチバーやウッド、その他深みのある葉の乾いた野草めいた香りが全体を貫いている点に気付くことができる。

更に、植物性の香りと動物性の香りは隔てられておらず、時に花が動物の香りを演じ、一方で動物性の香りが熟した植物の表情を見せる。

それらが渾然一体となって繰り返される牧場の輪廻の先、私の肌でのドライダウンは、アンバーグリスのような鼻に抜ける勢いがあるが中層に定着して走るシンプルなアニマリックの香りだった。

アンバーグリスもシベットもカストリウムも動物の分泌物だ。それらは採取され、私達が着込む香水の一部となる。

輪廻はどこまでその輪を広げるのか。はたまたそれは本当にただ繰り返すだけの円環なのか。

 

個性的ではあるが、良い意味である程度以上の縦の深みを持たないクールな香水なので、女性も男性も手を出せる印象だった。

 

 

 

ドライダウンの香りを漂わせながら、閉店間際の六本木ヒルズを後にした。

忘れかけていたこの時間の東京特有の、誰からも何からも切り離された感覚が今は妙に心地良く、高層ビルの間を不機嫌な顔をしながら終電まで歩いた。

 

 

www.ortoparisi.com

 

 

 

89.大人になれば分かるのかも《KISS ME INTENSE(Parfums de Nicolaï)》

年が明け、香り初めに銀座を訪れた。

去年は訳あって半年以上香りから離れていたため、店もろくに回れていなかった。

その間嗅覚の癖も若干変わってしまった様で、かつて愛した香りが楽しめなかったらどうしよう、とか、いつもの様に聞く事が出来なくなっているのでは、というネガティブな気持ちが無い訳ではなかった。

 

今回は戦々恐々東急プラザのNOSE SHOPに行ったのだが、その日は不思議とニコライのキスミーアンタンスに目が止まった。

ニコライはパリ訪問の際にいくつか店舗を覗いたのだが、手堅い香りを作っている大人のメゾンの印象で、エッジの効いた香水を探していたその時は正直感想が薄かった。

おまけに、キスミーアンタンスは本来私の苦手とするバニラ入りの「ドラジェ」や「日焼け止めクリーム」などのモチーフも盛り込まれた滑らかな甘い香りだ。

一体どうした事だろう、と、さらに香りを聞いてみた。

所感は以下。

 

キスミーアンタンス

(KISS ME INTENSE)

トップにビターアーモンド、レモン、アニス

ハートにヘリオトロープジャスミン、イランイラン、オレンジフラワー、クローブ、シナモン

ベースにバニラ、オポポナクス、ムスク

といった調香。

テーマに幼少期の記憶、ドラジェ(フランスのお菓子)というワードが挙がる通り、トップからベースまで随所に焼き菓子を連想させる香りが配置されている。

トップを感じた際、私はドラジェと言うよりカリソンを思い出した(これもアーモンドを使ったフランスの焼菓子で、私が食べたカリソンは上にレモン味の砂糖のコーティングがされていたのだった)。

だが、分類がオリエンタルフローラルの通り、完全なるグルマンではない。

トップはこれらの菓子的な香りの他に、ハート部分の花々の香りをヘリオトロープのパウダリーさが包んで一まとまりにしている形で感じられた。その情報量を整理していると、ふと上方にお菓子の香りが通り過ぎて、それを追おうと意識を宙に漂わせる。すると後ろからミドルのジャスミンとイランイランに抱きしめられる様に捕らわれた。

ここでのジャスミンとイランイランは所謂バナナやメロン的なジューシーな香り立ちだった。そこに意識を向けると、柔らかくまとまった香りの奥に瑞々しい果実と濃厚な花粉を行き来する様に香る呼吸に似た揺らぎがある。それに力を込めて包まれながら、更に中心へと進んで凝縮する様な甘い香りを見出す作業は、浮き足立った気分で純粋に多幸感があり楽しめた。そのおかげなのか、グルマンとフローラルのどちらにも属さない様な、あどけなさや明るさが印象的だった。

トップでお菓子の様に感じたアーモンドの油脂めいたコクのある香りは、いつの間にかヘリオトロープやムスクと混ざり合い、日焼け止めクリームやベビーパウダーの様な、それを塗った肌質をも想起させる香りに変化していた。それと同時にフルーツの甘さはイランイランの濃密な花の香りへと落ち着いて行った。

今まで花々の華やかさに気を取られていたが、クローブとシナモンもこの段階で、菓子のアクセントではない粒子感を見せるようになった。

ミドル以降は私の肌ではゆっくりとそのパウダリーさが増して行き、きれいにラストノートに交代した。未だミドルのヘリオトロープが残っているからか、かつてクリームを塗った肌に鼻を滑らせた時に感じるその名残のような、肌の粒子に似た質感となっており、更に奥の肌に近い場所にはオポポナクスとバニラが濃く主体となって定着している。そのトップ〜ミドルとは別の沈着で張り付くような濃い甘みが、昼下がりに早くも半日を楽しみ尽くして満足げに眠った子供から漂う香りのイメージを受けた。

 そんな穏やかなラストに浸りながら、グルマン、オリエンタル、フローラル、フルーティのどれもを我儘に飛びつく事の出来るこの香水は、良い意味で散漫で、幼い子供の純粋な快楽への欲求のようだと思えてきた。

ここでの快楽は、甘いお菓子や、家族達から受けるキス(西洋の香りであるので)、日焼け止めクリームを塗って出た外の陽気などを一身に受けた時のような、愛や祝福を本能のままに享受する悦びなのだ。

「キスミー」は子供が愛という快楽をねだる言葉であると同時に、それは大人が子供に対して、そして大人同士で使う言葉にもなり得る。

ニコライは決して子供向けの香水ではない。トップからラストへの変化のレイヤーはトップから全て薄く予見できるような透明さで、その成熟した立体感と奥行きは、かつて同じ様に悦びの体験を経て、それらを与える側となった大人の眼差しを通した描写に思える。

大人になってしまえば子供のようには行かなくなるが、子供の頃と変わらず屈託無く言いたくなる言葉もあるのだ。

 

可愛らしく明るい香りだが、カジュアルのみとは言わずにどんなシーンでも使える香りのように思える。 

 

 

 

その日はキスミーアンタンスのみを肌に乗せて帰った。

その間ずっとこの香りについて考えていたのだが、分からない事だらけだった。

手首に顔を近付けたら、ふとある甘い香りの苦手な人の事を思い出した。

その人の事だから、香りを聞いた途端「甘い」と言って顔を顰めるかもしれないが、もしかしたらそうでないかもしれない。

 

もう少し先、暖かくなり春が来たら、持ち運びやすい小さなボトルで迎えてみたいと思った。

 

 

https://pnicolai.com/en/

 

 

noseshop.jp

【特別編】Tanu氏×ゆうれい Juliette has a gunクロスレビュー!

 

皆さまお久しぶりです。

大変お待たせしてしまいましたが、初企画記事が完成しました!

 

【特別編】Tanu氏×ゆうれい Juliette has a gunクロスレビュー

 

 

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あらすじ

この話は私、ゆうれいの

Juliette has a gunまた日本に来ないの?

という何気ないツイートによって兼ねてからリスペクトしていた香水ブロガーのTanu氏とJHAGについて話したことに端を発する。

Tanu氏のブログはこちら。

クラシカルからモダンまで素晴らしいレビューがそろい踏みです↓

lpt.hateblo.jp

 

 

何年か前に日本に来ていて、なんだかすぐに代理店が倒産したしないというしょっぱい噂は聞いていたが、確かな顛末を聞かないし、来日自体もすでに忘れ去られ始めているようだ。

JHAGとは何だったのか。

 真相が完全に風化し迷宮入りしてしまう前にJHAGについて調べてみよう。

という事で、JHAGクロスレビュー企画が形になったのであった。

 

目次

  • あらすじ
  •  Tanu氏レビュー ジュリエット・ハズ・ア・ガン奇譚
  • ゆうれいレビュー ジュリエットは二度死ぬ
  • 最後に

 

 

続きを読む

88.愚者の時間《???》

約2ヶ月も更新を止めていたのには何も理由が無いわけではないのだが、敢えて言わないでおきたい。

ただ、香水の出会いは変わらずあったので、その出会いが文章になるまでの運が残念ながらなかったという事もある。

不器用な者には世の中は難しい。

 

今回は近況を話そう。

6月の頭に生まれて初めて人を紹介してもらう機会に恵まれた私は、一週間前から普段は放っている爪を磨き、新しい服と靴を買った。

もちろん、最後に香水も選ぶ事になり、

「モテや人目を気にしないで純粋に自分の嗅覚を楽しんでみよう!」

という記事を執筆した矢先に、人に会って人に嗅がせるための香水を選ぶ事になろうとはなんとも皮肉な話だった。

 しかし、香水なので選ぶのも楽しい。

初対面の人に、私の精神を嗅覚でも知ってもらうため、香らない程度にウンハイムリッヒを肌に乗せ、その上から何かもう一本レイヤードしようと考えていた。

 

その日の前日、私は候補を3本に絞り、当日の朝にそこから一本選んで全身に乗せる様に吹きかけてみた。

タロットの愚者がイメージに含まれている、気に入りの一本だ。

品名は、これも敢えて言わないでおきたい。

香りもまた秘密にしたい気持ちの日もあるのだ。

(分かった人は心にしまっておいて欲しい)

 

その所感は以下。

 

???

→調香はローズ、ゼラニウム、イモーテル、クローブ、ペッパー、パチュリ,、カシュメールウッドと構成要素は比較的シンプルに思える。

ローズとゼラニウムの組み合わせならば最初から体温の低い金属質なローズが来るだろうと予想していたら、私の肌ではイモーテルの、ややスモーキーで柔らかな木にしみ込んだ蜜のような凝縮された甘い香りがまず広がった。その奥にゼラニウムが整った木目を彷彿とさせる清涼感をもって香っており、ローズが見当たらなかった点が意表を突かれて一気に引き込まれた。

ローズは程なくしてイモーテルの中から蜜を纏って咲き始める。クラシカル過ぎない、ふっくらとした甘いバラの香りだった。そのローズとイモーテルが揺れる様に交互に顔を出す中、ゼラニウムは変わらずその後ろでフラットに香り続けている印象。それが二者を繋いでいることでその三者のどれにも属さないグレーな状態が生まれており、良い意味で掴みどころが無い。もしかしたらローズはイモーテルが作り出した幻影かもしれず、また、イモーテルもローズの蜜めいた香りが作り出した幻のようでもある。

ベースにパチュリが流れているので、その香りの流れには程よく陰影が感じられ、ボトルから透ける色のように熟成された酒を思わせる粘度で低調に滑らかに広がって行く。

これはタロットの愚者からの先入観からかもしれないが、ミドル~ラストの直前までは確かにまとまりとしてそれなりの密度があるものの、その中はどの香りも良い意味で混ざり切っておらず、絶えず揺れ続けて何らかの香りに落ち着かない。だからこそローズに着地するラストが待っており、別の日にはイモーテルで終わるラストの分岐も用意されている。また、補助として奥に控えているハーブ→ゼラニウム→ウッドの清涼感のラインが最後まで途切れずに出来ており、そのおかげなのか、甘さがあってもくどくない。

いくつかのレビューを見ると「甘い土」と形容されているように、私の第一印象の総括も「甘い土」だった。土の冷たさというよりは、甘さに体温のような温かさがあるため、緑はまだ茂っていないが、確かにその生命の予感がする土の香りのように感じられたのだった。

母なる大地の中で、まだ1が始まらない0の状況で未来の無限の分岐に思いを馳せ、生まれる時間を待ち詫びる時間はまさに愚者のイメージに結び付く。これもまたこじつけになってしまっているだろうか。

しかし、この土と形容した質感は必ずしも地面的な表現を指す訳ではなく、むしろ全体は中心に浮いているような存在感で、浮遊感がある。漂う浮遊大陸のようなものなのかもしれない。

カードのイメージならばやはりライダース版よりもマルセイユ版の愚者だろう。

吸い込んだ後に得られる懐かしさとその記憶との距離が心地よい。

 

 

 

 

 確かその日は6月なのに汗が流れるほど暑く、緊張が理由の汗と相まって午後には大体香りが流れてしまっていたように思う。

よくよく考えたらそんな香水を人に吸わせるのは状況・段階的には完全に失敗で、無難でおしゃれなやつ(バレードとか)や、他者に開かれた万人が心地良い香りにしておくのであったと猛省しながら慣れないミュールで痛めた足を引きずって夜道を帰った。

 

7月のはじめには友人たちと富士山に登った。

そこにもこの香水を付けて行ったが、もちろん汗で早々に流れてしまった。

とてもとても辛かったが、平地にいたら気付けなかったであろう感謝すべきものや愛すべきものが鮮烈に見えて来た夢のような経験でもあった。

 

そしてもう少しで8月になる。夏はまだこれからもう少し続く。

思えば今までは愚者の時間だった。

それは無邪気で甘くて楽しいが、今はそこから1として生まれる力が欲しいとも思っている。