polar night bird

香りの記録

106.罪作りな者達《Tubereuse criminelle(セルジュ・ルタンス)》

人を連れて銀座の香水を巡った。

阪急メンズ館、Nose shop、Le labo、FUEGUIA1833…

知り合って間もない相手の事は良く知らないままであったが、香水初心者への配慮も忘れて香水店に連れ回した。

 

私が香りについて話して、ムエットを渡し、相手がそれを受け取る。その単調なやり取りや挟まれる他愛無い会話の中で私はその所作や香りへの反応から目の前の者の正体を探り、その人もまた時折私の事を観察している様であった。

ただ、説明へ耳を傾け、率直な所感を返してくれる姿勢に安易な満足を感じられてしまったのは、良くも悪くも私も歳を重ねたという事だろうか。

 

GINZA SIXを後にし、セルジュ・ルタンスを改めて嗅ぎ直してみようという事で資生堂へ向かった。

1人で回る時と誰かと回る時では求める香りが変わるのが面白い。その日は何故だか普段ならあまり試さないであろうレザーや苦味のある不透明な香りばかりを追っていた記憶がある。中でも

Tubereuse criminelle[罪作りな月下香]

が印象的だった。

 

調香は

チュベローズ、ジャスミン、オレンジブロッサム、ヒヤシンス、ナツメグクローブ、スタイラックス、ムスク、バニラ

が公表されている。が、他の記事でも言われている通り、1番奥底にスタイラックスを始めとした樹脂が由来であろう弾力がゴムのようなガソリンめいた香りの不透明な密度と弾力のある層が最初から確認できる。それはその上に注がれた色で言えば暗めの黄緑色をした樟脳の類に似て青苦くその粒の奥の瑞々しさには薬品めいた甘みが混じる液体の揺れに合わせて波立っていた。その液体の表面では鮮烈な青さを伴った花々の甘みが明滅しながら鼻に向けて突き上げる様に主張をしており、その両脇から薬の瓶を開けた時に湧き出す煙の様にガソリンのガス質が悠然と上方に立ち上ってきた。

やがて花々の火花が収まると、その液体へ向けて上方から白い花の香りが散り散りに舞い降りて来た。それは大ぶりの白い花のまろやかな気配を感じるが、まだ具体的な花の形ではなく花粉の小さな粒として認識できる。境界に接した後は液体にゆっくりと沈んで溶けて行く様だった。一方花粉のいくつかは薬めいた液体と共に最奥まで到達し、無機質に揺れるゴム層はそのチュベローズの花粉の動物的なニュアンスを取込んでいる様だった。その吸収が進む程、ゴムはこくの深い有機物の硬い堆積を思わせる質感と暗い不透明感を持った使い込まれたレザーの様な様相を呈し始めていた。そこからやや鼻を遠ざけて聞くと、工業的なガソリンの香りと鼻に抜ける青みが相俟って車のシートのレザーの艶を思わせる。

ゴムレザーに気を取られている隙に、表面近くに一際大きなチュベローズの蕾が現れていた。それはまだ完全なチュベローズの形をしていない。全体は白く丸い瑞々しい塊のフォルム、それに沿ってくすぐるように鼻に追随するきめ細かく無垢な表面の質感とその奥の白い花に特有の濃厚で湿ったアニマリック感として認識でき、周りの明度の低い苦味やゴムレザーの暗がりとの対比で一層異質に白さとその造形が際立っていた。

かつて薬めいていた液体は、チュベローズからグラデーションを描きやや青さを増させた茎の様に細く平たく伸びており、そのもう片方の先はゴムレザーに繋がっている。ゴム質はその茎を伝ってチュベローズの瑞々しさを吸い更に肉厚な弾力を持ち始めていた。

さて、チュベローズの丸い香りの集合体はいつしか徐々に解れて花粉を自身から放出し始めるようになった。しかしこの段階で、かつてチュベローズの蕾が持っていた重さのある湿潤感と凝縮感をゴムレザーの方が担うようになっている様であった。重さが更に下に掛かることで全体の陰翳と白い花の動物性が成熟して行くのが感じられる。チュベローズのある位置からはパウダリーな質量の軽い白い花の香りが舞い、そしてそれらもまた、薬品の茎を通ってレザーへと向かって行く。薬品はチュベローズの往来によって脂肪の様な厚みのある柔らかさを持ち始めており、チュベローズの軽やかな動きに合わせて揺れ、その振動でその奥に繋がるゴムレザーも揺れ動く。二者の間で伸縮するその苦い茎が動くたびにそこから染み出す花とレザーが混じり合った苦甘さによって、絶えず近付き離れる両者の距離が伝わって来る様であった。

この様に均衡を保っていた香りもラストになる程に少しずつ距離を縮め混ざり合い、バニラとムスクの花弁をなぞった質感の様なパウダリーさが増したチュベローズの花びらが満開となって辺り一面を覆い尽くしていた。二者の間の薬品は気化したのだろうか、その苦味もまた粉っぽい質感となりチュベローズの中にあってチュベローズの他の白い花に比べて青々しい縦に伸びるえぐみを担っていた。

そして、ゴムレザーはどこへ消えたのか。

辺りに鼻を向けて探ると、チュベローズ全体がゴム質の香りで覆われている。その聞く各度によって反射させる滑らかでつるりとした光沢はチュベローズの花粉をそこにとどめて花の形を保たせている様で、ここへ来て初めてチュベローズの霊魂が器に収まり地上のチュベローズとなった様に思えてきた。ゴムレザーはついにチュベローズの全てを包容したのだ。

花の形の中でサラサラと漂うチュベローズの中の清潔な白いムスクが徐々に存在感を増させて行く。それらは今まで感じられた輪郭のレザーの動物性の中にも浸透し、その密度ある湿潤感を分解して行った。両者の関係性に終わりが近付いているのだろう。それがハッピーエンドか否かは分からない。この時点ではもう完全に一体化した両者の間に距離は必要なく、チュベローズは淡くほろほろと解れてホワイトアウトして行った。

 

テュベルーズ クリミネルは、全体を通してチュベローズとゴムレザーの距離の変化の緊張感が快感を誘った香水であった。

前回記したNo.12は全体が密接に繋がり一体になる様な有機的な呼吸があったが、こちらはいくら互いに繋がったとしても最後を省けば両者は常に他者であり、そこには摩擦があった。間に入る青みのある液体層はその不協和音をも写し取って正直に揺れ動く。

そしてゴムレザーは常に受け身の様でありながら自由な軽さのあるチュベローズの手綱を握ってその動きを少しずつ制御して行く。二者の関係は互いに同じ力で引き合う様に見えて決して力は対等ではない。その含みもまたスリリングであった。

チュベローズは確かに分かりやすく罪作りである。しかし、素知らぬ顔で蕾の香りと露をその包容力で吸い込み続けて放蕩なチュベローズにさせてしまうゴムレザーこそが1番の罪人なのではないか。

 

 

香水を聞き過ぎた私は、その夜のディナーの時間には酒に酔った様に余計な事も話し過ぎた。話すのは苦手なはずなのに、完全に律されていない感情の中で何かを沢山話した記憶だけがあった。ただ話しただけで、次はない。

 

帰ってすぐにベッドに潜り込み、すっかり正気に戻った頭で己の痺れる様に重くなった血流を感じながら暫く微睡んだ。

完全に目を閉じる前、ふとテュべルーズ クリミネルの残り香が横切った気がした。

 

 

www.sergelutens.jp

105.冬と春の間《No.12 (Puredistance)》

着実に春になって行く。

私は冷たい外気が好きで寒い日には敢えてカフェでテラス席を選んで過ごすのだが、徐々に寒さが辛くなくなって行くことに気付いてふと寂しさを覚えた。

 

この日はピュアディスタンスのNo.12を付けてテラス席で過ごしていた。

外は人が疎らで、都心の休日らしくないゆっくりとした時間の流れる日であった。

 

No.12は10月前後に発売になった12番目の、コレクションを締め括る香りであるが、当時それを嗅いだ時、私はひとしきり寒い期間を共に過ごしてから所感を書いてみたくなった。

しかしそうこう考えながら日々共に暮らしていたらもう春が近い今になってしまっていたのだった。

早速記録を残したい。

所感は以下。

 

f:id:mawaru0:20220210035224j:plain

(公式サイトより引用)

 

公開されている調香は以下になっている。

 

トップ:ベルガモットオイル、マンダリンオイル、カルダモンオイル、コリアンダーオイル、イランイランオイル、ナルシスアブソリュート

ミドル:ジャスミンアブソリュート、ローズオイル、ゼラニウムオイル、スズラン、オレンジブロッサム、オスマンサスアブソリュート、オリスバター、ヘリオトロープ 、へディオンHC

ベース:ベチバー、サンダルウッドオイル、パチュリオイル、オークモス、トンカビーン、アンブレットノート、アンブロキサン、バニラ、ムスク

 

肌に吹き付けると一瞬トップのさわやかな柑橘とスパイス系の混ざり合ったコロンめいた香りが広がるが、それを追うようにイランイランの酸味と平行脈の緑を伴う花の香りが凝縮された一群が奥から現れ瑞々しさを吸い込みながら嵩を増して行く。

それに回収されずに外側まで広がり切った甘さの控えめなスパイス類の内にこもった乾いた香ばしさは、よく聞くスパイスの粗目で拡散する粒子感よりきめ細かくどちらかというと種の青みのある表情に近い。それらはさらに細かく挽かれアイリスやヘリオトロープ系の、やや低調でひんやりとした調子を持つきめ細かいパウダリーへと変化しつつ外縁を取り巻き始めた。

一方で存在感を増して行った中心部はオスマンサスの甘みの強い蜜っぽさが幾分か増しており花粉と花の蜜がコンポートされている様な花弁の茶色く熟した濃厚さを思わせる湿り気を内包していた。そこを覗くと奥に行くに従って薄暗くなり最奥は見通せなくなっているた。それは薄い氷の膜を通して湖をのぞき込んでいるような色合いで、その淵には所々張り付くように縦に筋張った緑めいた花の香りが感じられ、鼻を動かすたびにその香が尾を引くように付いてくる。ただ、その湿潤した中心部は冷たさの根源ではなく、中心部から離れた外縁付近を取り巻くパウダリーの涼しさとは対照的に、動物的でもある春の汗ばむような気候の肌の温度を思わせた。

その濃厚な花のアニマリックな香りの集合体は時間と共に徐々に水分が抜けてゆくように、スズランの黄緑めいた鋭角的な花粉感やサンダルウッド、種のやや乾いたニュアンスのまろやかさが奥の方から明るさと共に増して行く。

そしてある時、それらに縁取られつつ未だ花の濃厚な凝縮感を保っていた塊の最奥が柔らかく割れ、その中から柔らかく甘いベビーパウダーの様なヘリオトロープとムスクの球が姿を現した。その様子が何ともこの中心の塊は生まれたてのあどけない生き物であるように思えて面白く感じた。

そのムスクの塊が現れると同時に、それが纏っていたきめ細かい温かいムスクとヘリオトロープの粉が滑らかな床に撒かれたように軽やかにあたりに広がって行った。その香りが既に外縁に溜まっていたトップの柑橘の痕跡を感じさせる白い粉っぽいアイリスの冷たさのある香りと合流すると、まるで辺り一面が淡い水色と乳白色のグラデーションを描いている様に映り始めた。

ふと中心に視線を戻すと、かつてムスクが包まれていたが今は陰影程度に感じられる花々の凝縮した層から、ローズの華やかな花弁の香りとクラシカルなやや金属めいた軋みを中心に、ゼラニウムの鼻に抜ける青みと酸味、縁に追随してゆく明度の高いジャスミンの蜜っぽい甘酸っぱさで構成された金色めいた光沢を持つ線が大きな円を描いて空間に広がり始めていた。

淡い水色と白で構成されたグラデーションの空間を走ってゆく密度の高い帯はそれらの質感と速度とは異質に映え、まるで近未来の線路であるような明るい光沢と滑らかさに感じられた。この煌めくローズの線は空間を走るほどに周囲のきめ細かい粒子に花のやや湿潤で重い緑めいた香りを染み込ませて行き、そしてまたローズの密度のある香りも徐々にアイリスやムスクの淡いパウダリーさに外側から染まって行っている様であった。

中心の生き物のような核はその産毛のような柔らかなムスクを広げ、私の肌の動きに合わせて緩やかに転がりながら金の帯から落ちてくる花の花粉をその身に受け入れていっていた。一方それが広げていたムスクの香りは時間の経過とともに溶け出すように外気のグラデーションに繋がっていった。それと同時に中心にはサンダルウッドの密度の軽いくぐもったウッドの香りが増し、そこにゆっくりと撹拌されながら混ざり込む様に仄かにジャスミンの甘酸っぱさとバニラがローズの熟した褐色のコクと相まってやや香ばしさを感じる香りが現れ始めていた。

時間的にラストを迎える頃になると、華やかに走っていた金の帯は時間と共に細く遠くなって行き、辺りの粒子が全面的に花の香りと混ざり切っ多と同時にふつりと姿を消した。この段階になると水色と白色のグラデーションは淡い白い空間に時折ごく仄かに点々と色が映り込んでいるような静かな色合いに落ち着いている。それらは賑やかさの余韻を残しながらやや酸味と瑞々しさのある白い花の花粉のような香りとなって静かに漂っていた。

核のパウダリーさもまた全体にほとんど同一化していたが、輪郭の曖昧になったその奥からはトップノートに回帰する様なパチュリとオークモスの湿り気が顔を出しているのに気が付いた。それらはパウダリーな層に守られながら息をするように微弱な膨張と収縮をゆっくり繰り返していた。

 

ここまでの一連の運動は、終始きめ細かいグラデーションで繋がって描かれ繋がっていたのがとても面白く感じた。

一見動きの性質も密度も違う核のムスク、ローズの金の帯、大気中のグラデーションの全てが細密なグラデーションで描かれている。

それらはどれもよくよく近付いて吸い込むと同じサイズの粒子で形作られていた。そのすべて均一に整えられたごく細かい粒子で構成されるグラデーションは、例えればCGでも油絵でもなく、シルクスクリーンで描かれた明るい近未来的なグラフィックの様で、そこにはアナログでどこか温かい懐かしさが付随する。

No.12は高潔で華やかな冬の香りであることは確かなのだが、私は不思議と毎回その香りの持つ温かさと懐かしさが一番印象に残った。

それはすべての香りが各々呼吸をするように他者を吸い込み、自分もまた他者に吸い込まれる。そういった香りの中で展開される有機的な関係性の温かみなのかもしれない。

 

No.12は1つの終わりでもあり、そして新たなスタート地点でもある。

そのパウダリーなグラデーションの感じさせるノスタルジーと明るい近未来感が、今後どのようなピュアディスタンスの香りに繋がってゆくのか楽しみであった。

 

ひとしきりNo.12を聞き終わった時、気が付いたら90年代のまだほんの幼い頃に白く清潔な壁に掛けられた色とりどりのシルクスクリーンで刷られたお気に入りの絵を見上げていた時の、これから先の全ての未来に対する浮つくような期待感と、その部屋に差し込んでいた明るい陽射しを思い起こしていた。

 

外は体感以上にまだまだ寒いようで、頼んだカフェオレはいつの間にか冷え切っていた。しかし肌や鼻で感じる風は確かに暖かな春の陽気であった。

白昼夢の様に明るく穏やかな午後の気に当てられて、全てが懐かしい記憶に結びついて行く様な気がした。

 

 

puredistancejapan e-store

【特別企画】 CHANEL N°5 あるいは私達だけの素肌

目次

 

 

仕事終わりに新橋から出発し夕方の銀座7丁目界隈のクラブ街を歩いていると、これから出勤する華やかな夜の蝶や同伴の男性たちの中の他に、ムスクのパウダリーな香りとコロンの香りが混ざったような香りとすれ違う。

派手な香水の香りではない。風呂上がりのような熱と湿気を下敷きに粉っぽく香り立つ、石鹸の香りに近いがより肉感的な温かさの伴う香りだ。

それがもしかしたらすれ違った何者かの皮膚の香りなのではないかと気づいたのは、今回テーマにするCHANEL N°5 について考えていたからであった。

N°5がどのような香水であるかはK氏のN°5評にも詳しく書かれている。

*No.5/ CHANEL, 香水について書く - incidents

 

ローズでもジャスミンでもアイリスでもなく「N°5の香り」と言える様な名香は今年で100周年を迎えた。

大量のアルデヒドを間違って配合した事で誕生した。と語り継がれる伝説や先入観を抜きにしても正直個性的なその香りは、何故長きに渡って我々を惹きつけるのか。

この夜もN°5に向き合ってみようと銀座に差し掛かる前に肌に吹いた。

 

CHANEL N°5

吹いた直後は、一瞬すべてが撹拌された状態で放出されるが、程なくトップから油脂めいた滑らかな圧が表層に位置し、その半透明の白い層から下へ行くほど柑橘系やフルーツを凝縮した酸味を思わせる薄い黄色のグラデーションを描くようになった。それは小刻みに弾けるケミカルなシャープさも併せ持つきめ細かい気泡が含まれた、石鹸をホイップしたような弾力のある鼻ざわりである。

一方で、それと私の肌との接地面近くにも表層と同じ類のケミカルな圧とスピードを持つドライな油脂が走っており、その下にはまだ全体像をはっきりと見通せないが一つの重く不透明な空間があることに気付いた。それは表層の泡とは対照的にほとんど動きが感じられず、そのコントラストに興味を惹かれた。その空間の内部を観察していると、まろやかで分厚く堆積したようなアイリス系のパウダリーな香りが補填されて行っている様だった。そのパウダリーな部分にはベースのムスクの質感も相まっているのだろう、植物よりも体温が高く質量のある粉っぽさであると感じた。それらが空間にぎっしりと詰め込まれたがゆえに何かもったりとした肌のような厚みをもっている印象で、香りはそれ以上奥にも表にも移動しない。

表層の泡もこの部分には侵入することはなく、やがて天井を取り巻いていた油脂の膜はフルーツの黄色味と合流する。もこもことした泡立ちは落ち着き、その代わりにシャンパンめいた小粒の明滅を繰り返す気泡を上に登らせる一方で、重みのある酸味の果汁は奥の油脂の膜を目指して降りて行った。

やがてその柑橘系の酸味の下部からからグラデーションを描くように、先端にやや薬めいた枝葉を伴ったような青さのあるイランイランのヌッとした甘みを伴う酸味と苦味、ジャスミンの肉厚な花弁を歯ですりつぶしたように染み出る甘いシロップ、レトロなローズの重く滑らかだが仄かに鉄分の含まれているような軋みなどの花々の蜜が一緒くたにパウダリーな空間の表面を伝い滲むように広がってゆく。それらは一様にその汁感の他に汗ばんだ湿り気を有しており、気泡の中を通ってきたと思わせる果物に通じる酸味をその中心に抱えている。それが何とも動物的でもあると感じさせたが、従来であれば強く主張するその要素が不思議と主軸にならない印象を受けた。

一方それを受け取る下層の油脂の膜は表層よりも透明感と強度が増しており、それに合わせて差し込んだ光が当たるようにその下のアイリスやムスクも徐々に軽い浮遊感を得始めていた。ゆっくりと炊かれているような下から上へ循環する動きを見せ、その動きによって染み込んで来た花々の動物的な甘さの露を囲む様な動きで奥に取り込んでいる。

その中に体温めいた温かさとともに時折感じられ始めるバニラの周囲よりまろみのある尾を引くような香りは、気泡の層とパウダリー層を分かつ透明な油脂の膜に時折柔らかく当たりながら浮遊している。その動きを追っていると、この膜の内側は派手な動きこそないものの、全体的に単に蝋のような固形であるというよりはミドルの花々の水分を含んで脂肪のような柔らかさと弾力、火照ったような動物的な体温を持ち始めているように思えてきた。それは呼吸するように内部を絶えず撹拌させており、バニラはその中を呼吸に合わせて縫うように漂っている。
時間の経過とともに上層の上に向かって泡立つ柑橘系の酸味の伴うケミカルな層と下層の膜の下で香りを沸き立たせながらも下に沈着してゆくような粉めいた層の二つのコントラストが曖昧になってきた。気泡の炭酸が抜けたように、上方に向かっていた煌めくケミカルな油脂の泡の名残は明滅をやめてミドルの花の湿潤感に回収された。それを受け止めるのはムスクと、ここで周囲のパウダリーさに幾分か乾いた木材質の差異を持ちこんだ形で認識できる透明な甘さを持つサンダルウッドとバニラである。仕切られていた天井の膜が消え主軸となったパウダリーな層は、一気にその分厚い柔らかな毛布や布のような質感で優しくそれらの動物的な鋭角さを持つ甘さを巻き込んでゆく。しばらく香り全体の両極に煮詰まったような甘さが見え隠れしていたが、そのほとんどが混ざり切り、ベチバーやオークモスのやや苦味の伴う乾燥感のお陰か、丁度布から感じる人間の残り香の様なと重さに落ち着いた。それは今までで一番フラットな人間の肌に近い香り方であるように感じた。

この段階で初めてパウダリーの層は底に到達できる濃度までになったように感じたが、その底にもまたトップで感じた油脂の膜が張られていたことに気が付いた。パウダリーな香りは最後までそれを越えて私の肌に近付くことはなく、その油脂の上に乗った状態で、上方からほろほろと崩れる様に消えていった。

天井と底を油脂で挟まれていたからこそ、私の本来の肌を油脂で覆って隠しながら、言わば第2の肌のような不透明で独立したパウダリーさを持続させていたのである。

 

全体を通して、N°5は肌に擬態する香水なのではないかと感じた。

ベースの部分がストレートに肌のようなパウダリーであるという点はもちろんだが、それだけではない。

石鹸や香水、食べ物、飲み物といった日頃皮膚で受けとる全ては私たちの血肉となり、そして肌の香りとして表出される。その一連の素肌の香りの形成が香水の中で展開されているのではないか。そう感じずにはいられなかった。

 

N°5のアルデヒド

ところで、上記の所感のN°5の香りの傾向を大きく分類すると、「気泡」「花々の動物性」「パウダリー」に分類できそうである。そしてそれらをときに遮るような動きをしていた「油脂」の層は一体何だったのであろうか。
おそらくそれが有名なアルデヒドの効果であると漠然と予想をしつつ、合成香料のアルデヒド単体を試香してみた。
単体のアルデヒドそれ自体の香りとしては具体的に何にも結び付かない無色透明であるが、まず一番表層にクレヨンを引いたように油脂の膜を勢いよく張るような運動をする。そのほかの運動はその膜を基準にその外側になると膜の圧を感じる密度の高い閉塞感に比べて粒子の置かれた幅が広く、チリチリと散じているように思われた。

その特徴は確かにN°5において、冒頭から上の肌と下の肌の間に形成される境界線として認識できる「油脂」の動き方につながる。

N°5以前にアルデヒドを使用した香水としてウビガンのケルクフルールがあるが、その中でのアルデヒドは、花々の香り全体を底から押し出すようなあくまで姿の見えない、アルデヒドの名を出さずとも成立する効果として辛うじて確認できる。

一方N°5は先述した通り、例えばジャスミンであったりアイリスと同じような独立した質感で香りに大きく関わってゆく。このアルデヒドの明らかに意図的な効果がなければ素肌の香りは香りの移り変わりの中でも完成しなかっただろう。

娼婦か淑女か

さらに、上記の所感をアルデヒドの油脂感の仕切りに合わせて、「甘酸っぱさと油脂っぽさがきめ細かく泡立つ上層に位置するオイリーな肌」もう一つは「ムスクとアイリスの粉っぽさが厚く堆積しているようなパウダリーな肌」の2つに分類できる。

書籍『シャネルN°5の秘密』の中でシャネルは当時分断されていた「淑女か娼婦か」という二項対立を越えてゆく香水としてN°5を考えていたと言われている。
彼女はその際に、とある娼婦の清潔な香りをヒントに娼婦と結びつくセックスや体臭の香りを想起させない風呂上がりのような清潔な、もともとそのようなものとは縁のない体臭であるかのような香り。そしてスミレやスズランといった、シャネルに少女の頃を想起させるノスタルジックな花の香りの記憶を参考にしたという。

N°5は、上記の所感にも残した通りミドルにおいて花々の動物的な表情を見ることが出来る。かつてローズやスミレはしとやかな淑女の記号で、一方で派手で官能的な白い花の香りは娼婦の記号を負う香りでもあった。N°5の中ではそれらが一様に混ざりあい、等しく有する生ける者の臭みと共に動物である人間の素肌の血肉となってゆく。

そのある種のイノセントさはどちらの記号からも解放された動物的で本能的な「女の肌」であると同時に、どちらの要素も取り込んだ肌はこれから「淑女」か「娼婦」のどちらの記号とも戯れられる自由な肌ということでもある。

そして素肌の香りのN°5を嗅ぐ者が欲望するのはプライベートな肌である。

N°5は我々の社会的に開示した肌を覆い隠し、剥き出しの肌へと擬態する。

それは香る場所が例え公共の場であっても、社会で背負っているペルソナを脱ぎ去った2人だけの時間に知る2人だけの素肌の香りの記憶を想起させる。そこには秘密を覗く・覗かれる快楽性もまた潜んでいるのかもしれない。

かつてマリリン・モンローが寝るときに何を纏うかという問への「N°5」という答えに、聴衆は何を考えだろう。

今こうして N°5を纏って会う目の前の人間は何を思い、己は何者でありたいのだろう。

N°5を纏う時、女は相手の前において淑女にも娼婦にも自由になる事が出来、その相対する者もまた、目の前のその者が淑女か娼婦かはたまたどちらでもない何者か自由に知る事が出来るのである。

 

 

さて、肌というと現代では「スキンフレグランス(あるいは「ボディフレグランス」)」と言う小カテゴリを思い出せる。

(これに到達する前にも「スキンフレグランス」的な香水は脈々と発表されてきてはいる。それの詳細に関しては長くなるので後ほど完全版を出す際にでもまとめたい)。

例えばジュリエット・ハズ・ア・ガンのNot Perfume、ラボラトリオ・オルファティーボのニードユー、ドルセーのM.A、ルラボのAnother、そしてabelのナーチャー などなど。

これらは時に「自分だけの香り立ち方をする」と謳われている。現代的である。

この中でもナーチャーに関しては、母親のための赤子にも使えるナチュラル由来の香料を使用したフレグランスを謳う、ある種N°5とは対極にある香水であった。

 

比較のために軽く所感を残してみたい。

 

ナーチャー(NURTURE)

T:オレンジフラワー、ブルガリアンローズ、マスティック
M:ジャスミンサンバック、ジンジャー
B:サンダルウッド

※公式サイトにてすべての使用香料のリストが公開されている。

透明なオレンジ系の甘酸っぱい瑞々しさの中に明るさのある主にマスティック由来であろう緑の角の丸い苦みと奥の方に仄かなスチームのようなスモーキーさがある。

一番表層は吹いた直後はジンジャーのチリ付いた炭酸のような爽やかな甘みを覚えたが、徐々にその表層は仄かに動物を想起させる生っぽさのある温かい質感の香りに柔らかく覆われ、ジンジャーはその先端をその下を所々で覗かせる程度になった。その下をサンダルウッドが軽さと粉っぽい内向的なくぐもりを持ってまっすぐに走っているのが分かる。表層を覆い始めた香りの一群の先端は絞られており、その凝縮加減は汗ばんだ柔らかな子供の皮膚のような酸味、そしてそれと対比して中心の広い面には仄かな乳臭さを表面に感じる事ができる。それが乗っている最奥の層にはサンダルウッドのまろやかな粉っぽく優しい甘さにアンブロキサン系のわずかな閉塞感のある内にくぐもった透明な樹脂香が混ざるのを感じられた。
やがて中腹に位置していたジンジャーが上方に拡散されてゆき、マスティックの角の丸い緑の苦みが上に重なり始めた。ジンジャーはその上に被さっている甘く優しいブランケットのような香りの一群を鼻の前に押し出してゆく。それらが未だ表層に位置している酸味の控えめになった柑橘の透明な露に反射しつつ、ジンジャーの下敷きの粒の大きな煌めきを透かした状態で近付くほどに、動物性の生っぽい質感はジャスミンや白い花、ローズの面影で形作られているのだと気付いた。独特の乳臭さはベースのサンダルウッドが母体のようであった。この香りだけベースの深くに根差し、拡散が他の香りより遅く尾を引くような粘性を感じた。時間が経つほどにこの粘性に捉えられて拡散し切らない緑や花の甘さを含んだ柑橘系の香りが鼻の前にまばらに残されて行き、それらのトップからベースまで一筋ごとにへその緒のように編まれたつながりが更に立体的に感じられて面白かった。

それらもまた徐々に柔らかく筋を切って拡散してゆき、最後はサンダルウッドのかすかなドライさを持つパウダリーな乳めいた優しい甘さとアンブロキサンの硬質さをそのままに横に走るようなニュアンスがきれいに残される。

 

 

共有される肌

このように、ナーチャーは花や果実の酸味が人の体臭を喚起させる香りとして配置され、さらに本来の肌にパウダリーな最奥の香りが張り付き素肌に擬態するような、全体を「気泡」「花々の動物性」「パウダリーな素肌」に分類できる構造はN°5と共通している。

しかしながら、違いでまず上げたいのが、終始トップからラストの香りまで見通せる透明な構造になっている点である。N°5が全体を通して「素肌の香り」を作り出す展開であり、核であるパウダリーさがトップ~ラストを通して徐々に育ってゆく上から下に移動する構成に対し、ナーチャーは早々にトップのマスティック、中腹のジンジャー、不変である最奥のアンブロキサンとサンダルウッドまで全貌を見せてしまい、

完成系である素肌の香りが最初からベースノートとして存在することが前提にある状態で、ベースノートはその上に乗った主に変化を見せてゆく層である香りの一群に干渉できるが己はほとんど他の香りには影響されないといった関係性。つまり下から上へ放出される形でN°5とは対照的に展開してゆく。

第2の皮膚の形成されるという点は同じだが、Chanel N°5が「淑女」か「娼婦」どちらも取り込んだことでどちらも選べる素肌の香水であることに対し、素肌の部分が固定された現代のスキンフレグランスは選ぶことができない。いや、もはや何者か選ぶ必要がないと言えるのかもしれない。

「選択できる多様な個性」こそが表向きのペルソナであり、その奥は皆同じ清潔かつ(そのコミュニティ内で)理想的な上位の皮膚の要素を持っているということ。そしてその価値を同じ所有者として共有すること。N°5とは対照的に、Ck1を経た現代スキンフレグランスの欲望はその集団知的なものにあるのではないかと思えてくる。

 

 

100年もたてば人の望むものも変化する。

両者に優劣の問題はなく、担う欲望が対照的なのである。

ただ、人間の肌、そしてそれの香りに対する欲望は今も昔も変わらず存在し、香水は常に人々の望む肌を演じてきたということだ。

それであっても、その奥の本当の肌の香りが無ければ完成しない。

 

そんなことを考えて歩いていたら、気付いたら丸の内まで来ていた。
ここまで来るともう銀座のあの肌の香りは消え失せ、辺りは高級で清潔な洗剤のようなベースノートの香りしかしなかった。
ふと今まで当たり前のように隣にいた誰かがいなくなったような気がして、コートの中に一層身体を埋めて地下鉄への階段を急いで下りた。

 

 

フレグランス Official site | CHANEL シャネル

Shop | 100% Natural Eau de Parfum | Abel

 

 

この記事を書くにあたり、TANUさん(https://lpt.hateblo.jp )からのサンプル提供等で多大なご助力を頂きました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

今回は駆け足での記事となりましたが、改めて完全版を執筆してゆこうと思います。

来年も精進してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

 

104.初夏の陰影《DES CLOUS POUR UNE PELURE(SEAGE LUTENS),THE GINZA(THE GINZA)》

珍しく資生堂を訪れた。

爽やかでやや暑い、気候だけなら平和な日であった。昼下がりのまだまだ明るい日差しから身を隠す機会を逃したまま表通りを彷徨っていた所、何の気無しに覗いた資生堂店舗の奥に置かれたボトルの、目を引く鮮やかさながらどこか薄暗い青い色に惹かれてつい扉を潜った。

 

私が見たのはセルジュ ルタンス、コレクションポリテスのデクループールユンヌプリュール[釘の花]だった。(直訳は和名と少し違う様だが、何故だかは聞きそびれた)

説明によるとシングルノートでの作りらしい。

確かにムエットでは基本的にはあまり変化は無さそうであったが、私の肌では中々大きく変わった。

トップはオレンジが主軸で弾けて香る。そのオレンジは同じ場所で形作る皮と青みと果実の汁感の差も具体的に描写されながら、主張は果実の甘さが強い。トップらしい瑞々しさはあるものの完熟した彩度の濃く重い橙色を彷彿とさせる。

調香ピラミッドを見るとミドルにクローブが含まれている。その甘みのあるクローブが全体の下部を中心に捻る様な暗く粗いチラつきで覆い、深い陰影を形作っているのが分かった。ただ、クローブの他にも色々と入っているはずである。そこにはラストに配置されたナツメグクローブよりも明滅が細かく体温の低い甘みとシナモンにも似た熱量が加わり、目を凝らせば絶え間なく生命活動を行なっている様な有機的な明滅がある。そこの香りに着目し導線とする事で、光の当たるオレンジの部分にも熟し切った果実特有の花粉に似た、鼻の奥がジリジリと焼ける様な鋭利さを内包していることが分かった。

その陰影の脈動とのコントラストによって光の当たっているオレンジの香りもまた具体的に細密に描写されてゆく書き込まれてゆく。主軸の香りは終始柑橘系だが、全体の運動は陰影部分のスパイスが司っているのように思えた。

この後は普通であればこのまま香りが凝縮し、さらに熟してゆくところなのだろうが、暫くするとオレンジの果肉の甘さと果汁感が遠のき、比較的運動がのっぺりした青みがオレンジを覆うように感じられるようになった。トップがオレンジそのものの重量感を感じられたのに対し、それを支えていた甘暗い陰影も青みが増すにつれて薄れていく様子は、オレンジから剥かれゆく薄皮、そして皮へと視点が移ってゆく印象を受けた。

オレンジの青みはその後も増してゆく。ナツメグもかろうじて感じられはしたが、それは冒頭のような陰影としてではなく、オレンジの皮の裏側の毛羽立ちのような質感として感じられ、コロンやトニック系香水のトップノートのベルガモットのような彩度の低い苦味を帯びた青み、そしてその周りを取り巻くのはトップのスパイスの熱とは対照的な香りの粒に冷たさのある液体となった。それは浅く広がるというよりは運動は緩やかで底がやや深い。先にトニック的と書いたが、イメージできる情景的にも剥きたてのオレンジの皮を冷えたトニックに放り込んだような透明感がある。

ドライダウンの段階になると、もはや柑橘の皮の香りは完全に透明なトニックの底に溶け込んでいた。ジュースの色とようやくリンクしたフラットな情緒の冷たい立ち上がりを見せ、あのトップの具体的なオレンジの鮮やかさや陰影の熱っぽい明滅や重厚感もなくなった。それは気分の悪いものではなく、香水のトップノートに立ち返った・あるいは漸くここでトップノートになったのかと思わせる全くの別物のような変わり身であったので寧ろ面白く感じられた。

 

さて、そうやって香りを吸い込みながら青い色を眺めていると、近くに陳列してあったTHE GINZAも目に入った。

前者とは対照的でもある明るいリンデンの色合いだ。

 店員さんに頼んでこちらも試香してみることにした。

 

調香は

トップ:スダチ、スイートオレンジ、バイオレットリーフ、レモン、スイートマジョラム

ミドル:リンデン(2種)、ブルーム、ローズ、ジャスミン、ミュゲ、イランイラン

ベース:三温糖、ベンゾイン、白檀、セダー、ムスク

 となっている。

トップはやや緑の葉にも似た淡い緑色を中心に始まる。一方でトップの段階から全体にパウダリーなリンデンや丸みを帯びた形の葉が明るく爽やかな風通しで広がっており、スダチもその酸味よりも青さと穏やかさをもってその大気の中から突出することなく、同じ大きさの粒子に揃えられて溶け込んでいる。その空気を深く吸い込むと、最奥に干し草に似た乾燥した香ばしい甘さが微弱に感じられる。分かりやすい柑橘の酸味は薄く、時折局所的に風が吹き抜けるように酸味が現れて鼻を通り抜けて消えてゆく。

上を見ると、全体よりも生っぽい個体のような密度と湿気のある香りに行き当たった。緑茶のような熟成したまろやかさとコクを伴った、緑めいた花の香りである。リンデンの様でもあるが、リンデンのみというよりもその背後の水気の様々な花々や青葉の香りも同時に風に乗って来るように捉えられる。それを見上げながら全体の輪郭を追ってゆくと、その花の重みのある層を表層として大きな円形にまとまっていることが分かった。そこでふと再び表層の質感に意識を戻すと、先程よりも水気が増しメロンのようなほのかに青い蜜めいたジューシーな甘みが、自分の位置する中心に向かって徐々に染み込む様に降りて来ていた。

その液体的なメロンの香りは、おそらくイランイランやジャスミン、ローズのアニマリックとも取れる熟した花粉が混ざり合って醸し出しているのだろう。スダチの香りの中から浮き上がってきたスイートオレンジの体温の高い甘酸っぱさと合流し、大気に当たるやや香ばしさのあるリンデンの明るい緑の空間とグラデーションを作ってゆく。そしてまったりとした肉厚な縁からは、今度はジャスミンやミュゲの仄かに鋭角的な甘さの棘を持つ外に向かう濃い緑の花の香りが現れ始めていた。

その縁は未だに分厚い幅が均一を保っており、そのボリューム加減は南欧の耐熱皿の縁を彷彿とさせる。遠目から感じれば滑らかな手触りの磁器的でもあるのだが、良く観察してみると中心と同じくパウダリーな粒子の集合である。目の細かい粉末を圧縮して固めたような密度ある質感が一見個体の重さを感じさせるが、粒の大きさとしては中心のリンデンなどと同じ大きさであることが分かる。

この時点で、今度は縁が纏っていたある種の緑の生っぽさが徐々に抜けていっているのだと気が付いた。香りを振らせ切ったのだろうか、風で砂山が崩れていくのと同様に圧縮して固められていた粒子の間隔が開き、その間を中心にそよいでいる明るく適度に乾燥したパウダリーな風が通り過ぎてゆく。それに合わせて一度は強まった縁の色合いも再び白さが増し、中央の明るい黄緑色に近づいてゆく。

 さて、時間の経過と共にパウダリーな層が風にかき分けられた先にムスクの透明な層が見え始めた。今までの香りに比べて無機質な鼻触りと流れ方で、これがラストの底なのだと感じさせる。縁にはジャスミンやイランイランの、やや外に巻くような癖のある花粉のニュアンスが未だ残っている。それらは内側からの風の遠心力でしばらく縁に留まった後、少しずつ遠退いていった。

代わりに、空間内にはセダーなどの乾いた仄かな苦味のある葉の様な香りがリンデンの空間に混ざり始めていた。そこで、その香りの質感と似た三温糖のややカラメルめいた香ばしさのある甘さも改めて感じられるのだが、この優しいが深みのある甘さが常に全体のリンデンに混ざって全体を循環しており、各情景での花の甘い香りのジューシーな染み出し方を担っていたのではないかと思えてきた。

THE GINZAのトップ〜ラストの動き自体はとても穏やかでほぼ等速で展開されているようではあるのだが、通りを歩いている際に鼻元まで降りてきた木々に咲く花の香りが風で舞って過ぎ去って行くように、外→内の運動であったものが、ゆっくりと内→外への運動に変化していくのである。

この大きな循環そのものが香りの中に終始感じる「風」であり、その中のリンデンの甘いながら情感をクールダウンさせるような香りによっても温度が調整され、湿気のない青空の広がる爽やかな風通しが実現されているように感じた。そしてその整然とした流れとシンプルな構成によって、舞台が香りが縦横無尽に飛び交う自然の中ではなく、あくまで人によって整えられた都会の通りとしてもイメージできるのである。

今も風がさまざまな季節の香りをどこからか運んで来る季節だが、晴れた良い日はこの香りのような香りの飛び方をしている。

 銀座の菩提樹の咲く並木通りをイメージしたと聞いたが、納得の描写であった。

そして一貫して彩度のきつくない色の集合のような明るさが続く点が純粋に心地よかった。

 

 

両腕に香水を拭いてもらった状態で店を後にし、早速人気のないカフェに入って香りを確かめた。

クループールユンヌプリュールは陰影で全体を形作り、対してTHE GINZAは光の点描で描かれている。

偶然対照的な2本を同時に試香できたことは幸いだった。

 

カフェで出てきたコットンケーキの皿は青い模様があしらわれており、コーヒーにはそよ風が吹き込む開いた窓の先の青空が写り込んでいた。

陰影や色合いを、いつもよりゆっくりと観察して食べた。

 

 

 

セルジュ・ルタンス - SERGE LUTENS

 

ザギンザ‐THE GINZA

103.水の苦味〈O'FRAICHE(ギャラガーフレグランスGALLAGHER FRAGRANCES)〉

最近ハーブの調合に興味があり、手作りのハーブ煙草なども作成してみたいと考え、ひとまずいろいろと材料を採取して準備をしていた。

 そんな中、長らく手を付ける暇の無かった新鋭のニッチ香水「ギャラガーフレグランス(GALLAGHER FRAGRANCE)」のサンプルを一度に試したのだが、その中のO'FRAICHEという香りが印象的だった。

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ウェアラブルなタバコの香水を作る」という目的で作成された背景を持つ香水である。

世に出回るタバコの香りはやはり火を点けて喫煙するイメージと、それらのお供である夜や酒などと抱き合わせられ、香りも熟成された深みのあるものや濃厚で重めな調子のものが多い先入観があった。

葉そのものの香りを表現した香水もあるが、そちらに関してもタバコの葉を嚙み潰した感を強く押し出したような、やはり口に含んだ際のイメージのものが多い先入観がある。

どちらにせよタバコの香水は避けがちな種類であった。

その点でいうと、堂々と喫煙のイメージとは相反する様な「O'FRAICHE」という名前を冠している点から興味深く思えて真っ先に試したのだった。

HPには

ベルガモット、ブラックカラント、乾燥タバコ、コンコードグレープ、オレンジフラワー、トマトの葉、スモーキーバーチタール、ベチバー、パチョリ、オリスバター、ムスク、サンダルウッド、ミネラルアンバーグリス

といった調香が公開されていた。確かにタバコの香水としてはフルーティーな構成が目立つ。

 

所感は以下。

 

吹いた直後、一瞬トニックめいたシャープに抜ける透明感と、みずみずしい甘酸っぱさが鼻を通り過ぎた。この透明感に鋭角的な清涼感を与えているのがタバコの葉だろうか。そこにベルガモットの瑞々しさを土台にしたブラックカラントの大粒の甘い水分感も並行して感じられる。そのため、乾燥タバコの熟成した下に降りる様な暗色めいたコクと苦味というよりは、あくまでまだ火をつける前、パイプの葉の缶を開けた際の青さと、湿気の広がりが切り取られて感じられた。しかし程なくしてバーチタールの影響か青さの拡散は押さえつけられて、一本の輪郭が明確なタバコの香りへと変化してゆく。トップの段階では、まだこの二層はしっかり敷き詰められたタバコの葉の上に水を注いだ直後の様に混ざり切ってはいない。

そこへ徐々にベチバーらしき青い苦味と乾いた土に生える根強く硬めの野草めいた香りが上からタバコの香りへ合流した。その新たな野草の香りの筋は、暫くその乾いたスピードをもって水を吸って表層付近まで上がって来たタバコの密な層に縦に伸びる穴を開けて全体の水の流れを加速させていたが、やがて底へ根を下ろす事でトップの冒頭よりも太いメントール的なドライな清涼感と、瑞々しい苦味のあるゆったりとした回流を中心部分に作り出した。

その回流の上に乗る様にゆっくりと動くブラックカラントの甘酸っぱく明るい層に目を向けると、その色素の濃い甘い木の実の香りが割れる様に、奥からグレープの張りのあるややワインの熟成したまろやかさを感じさせる丸い香りが姿を表す。しかしそれは主張の強いグレープと言うわけではなく、甘さと主張で勝るブラックカラントの甘酸っぱく真っ直ぐに拡散する香りの中で質感の違いとしてその淡い緑色の果肉感が立体的に伝わってくる。

やがて中心を流れるメントールを含んだタバコの層は水を含んで更に柔らかく膨張し、解れる様にゆっくりと広がり始める。一方で水流の速度の落ち着きに比例して木の実たちは底へと下降を始めた。その木の実の丸くまとまった香りが四散する後ろから仄かにオレンジブロッサムの甘いがや抑揚は抑え気味の白い花の香りが感じられた。それは花や木の実から果汁や蜜の香りが水中ににじみ出て溶けて行くような広がり方で、劇的な変化は起こさないものの、確実に香りを抱き込んでいる水の空間全体に重みが加わって行くのが分かった。

ただ、土台になっている水の流れとして認識できる運動とその中で漂うように運動している草花の香りは、確かに連動した動きと速度を見せているが完全には同化はしない。オリスバターやトマトの葉は奥まっている上に動きが見られない印象で、あまり気配を感じられない。にも関わらず、それらの持つ他の香りと比べてひと際フラットで動きの抑揚が少なく止まっているようにも感じる無機的なパウダリーさは、リズムの隔たりとして確かに存在感があり、両者の境界線の役割を果たしているように思えた。

そのオリスバターのどこか深海めいた明度の低い圧に注意を向けていると、徐々にせり上がってくるように明るく軽くなり、清潔で現代的なムスクに変化していった。

気が付けば周りの水分を草木果実が吸い切ったようにブラックカラントとタバコの葉、ベチバーが満遍なく広がっていた。アンバーグリスはやはりミネラル表記故かアニマリックさを醸し出す訳ではなく、パチュリと相俟って下へ沈着する様な湿潤感と重さを最後まで全体に持続させている。それ故か、ラストに至っても残されたタバコの葉や木の実、草めいた香りの一群は陽の光を反射しているような水濡れた艶を帯びており、広がり切ってやや粘ついた香りをなおも半立体的に感じさせていた。

 

思い返すと、確かにスモーキーでタバコを想起させる香りであるものの、やはり全体的に重い個体の間を縫って染み込んでゆく無重力な煙的な香り方というよりは大きないくつかの流れに沿って香りが展開しその各々の運動が影響しあう様は、液体的な構成であると感じる。

 澄んだ水たまりの中で枯葉や草が撹拌されているような情景である。

枝から水たまりに落ちてきた草や木の実はその重さで勢いよく深くまでダイブしたり表面に波紋を作る。そしてその変則的な波立ちで水中にいた先客たちもまた水流によって揺れ動く。そしてそのしずる感はどこか美味しそうで、喉の乾きが極まったときに飲む清涼飲料の美味さを連想することで水をじっくりと吸う干からびた植物の追体験したような気分にもなった。

 

そしてGALLAGHER FRAGRANCE全体に感じたのは、アメリカ的なポップさやチープさもありながら、苦味の演出がクールである点だった。

時にはべたつくような甘く濃い香りがメインストリームにある種類もあるが、それでもその中のどこかに感じる苦味は別人格的で、冷たく心地よい渋味を感じさせる。それが香り全体の陰影となっているのである。

肩の力は抜けているが読み切れないところがとても現代的なブランドであった。

 

 

この記事が書き終わる今日、煙草ではなくまずチンクチャーの作成を始めた。

花やハーブをアルコールに浸して香りを転写させる製法なのだが、この香水に出会ったことで存在を思い出した。

そしてやはり冷たいアルコールの中でふやけてゆく乾燥した木の実や花を眺めていると、O'FRAICHEの苦味を思い出すのだった。

 

 

gallagherfragrances.com

102.コートの中の白い花《チュべルーズ・アブソリュ(ペリス モンテカルロ)》

「厚手コートやスーツの下から香らせるなら白い花の香り」

と事あるごとに繰返し説いてきたが、当の自分はコートの下から香らせるための香水は未だ購入していなかった。

 

実際はもう購入しており、誕生日に箱からボトルを取り出す予定になっている。

しかしその日を迎えるまで存分に他の香りに目移りしたいというのが遊び人の性であった。

個人的に厚い布地と合わせる白い花の香りは直球で正統派のものに惹かれがちである。勿論コンポジションの妙を楽しむのも好きだが、そういう類の香りは肌に近い場所に置きたい。(逆にローズはどんな用途でも複雑な構成の中に見出すことに快感を覚えるのは不思議である)

 

まずペリス・モンテカルロを試しに銀座へ出た。

記事にこそ書いていないが、日本において実用香水にオーセンティックさを求める時は早い段階で頭に上る。香水を愛する作り手による香水を愛する人々に向けた誠実さが垣間見えるブランドである。価格帯にも納得が行く。

そこでチュべルーズ・アブソリュに改めて出会った。

題名通りのチュベローズである。

近くにあったNISHANEのチュベローズも同時に試したが、テーマとしては前者があまりにもハマってしまった為に記録をつけるのを忘れてしまった。後日また改めて試香しようと思う。回る順番を反省した。

所感は以下。

 

 

トップはベルガモット、カルダモン、ラベンダー、ガルバナム
ミドルはチュベローズ、ジャスミンサンバック、ガーデニア
ベースはオレンジブロッサム、シダーウッド、ベチバー、ムスク

という調香ピラミッドとして公表されている。

私の肌では彩度が低めの落ち着いたグリーン系の香りから始まった。甘さの無いベルガモットとガルバナムが前面に出るがラベンダーの篭った香りの質感がそれらの拡散を落ち着けている。カルダモンはあまり主張せずに香りの粒のシャープさと速度を担っている様だった。均質な霧状となったトップは横に滑るように敷かれる。

そこに不意に、ベースのシダーウッドだろうか、柔らかな木の香りが紛れ込んだ。それは新品の木の正方形の升箱のようで、トップの香りの周辺を囲むように感じられる。

その中にトップの香りが入っているような状態になるが、それは木箱になみなみと張られており、動くたびにゆるく表面が揺れる所を見ると、水よりも弾力のある半液体の様な質感になっているのが分かった。そこに感じられる透明で瑞々しい甘さはミドルの白い花々が由来である。その水が徐々に上方へと盛り上がる様にチュベローズが立体として形成され始める。その香りは細く伸びる青みと白い花粉めいた柔らかく肉厚の面に覆われたきめ細やかなチュベローズであり、花畑のような平面的な展開というより大輪が一輪咲いているような風情がある。

そのチュベローズの香りを楽しもうと鼻を近づけると、それは単なるチュベローズとは少し違う様だった。

遠目には紛う事なき一輪の花であるが、それはある角度から見ると内側に雨水を含んだように丸く膨らんだ、苦味のないガーデニアの瑞々しくぬめらかな質感、またある角度からはジャスミン特有の青いえぐみの細かい凹凸とその表面を流れるアニマリックな凝縮感のある白い花の表情を見いだせた。それらの白い花の一つ一つの造形とそれにかかる印影が寄せ集まって「チュベローズ」を形成している、無数の白い花の集合体のようであった。

同じく白い花の集合が圧巻である香りとしてDUSITAのmelodie de l'amourがあるが、それが白い花のある空間を形成するような展開であるのに対して、チュべルーズアブソリュの場合、1つのチュベローズという具体的な立体としてその中で展開して行く。そしてその造形の細部がとても緻密で立体的なのだ。その豪華さに、不思議と欧米というよりアジア建造物の彫刻の細密さを見ている気分になって来る。

ミドルの時点で「チュベローズ」はその花弁を開ききり、芳香としては最もはっきりとした立体感のある白い花の香りを中央に築き上げるが、そこからラストに移行するに従って、不思議と香りに明るさと瑞々しさが増して行った。

調香ピラミッドを見るとラストにオレンジブロッサムが配置されているが、それが原因なのだろうか。濃厚なチュベローズの内側で密に膨らむ花粉めいた香りにトップで見た彩度の低い等速で横に滑るグリーンの水っぽさと、オレンジブロッサムの比較的明るく爽やかな、甘さを含んだ水球が小粒の白い花の香りが上からコーティングするように混ざり始めるのである。

チュベローズの形はその水分の重さを含むにつれて抽象的になってゆき、緩い噴水の様にフォルムを揺らしながら中央に寄せ集まる形で収縮を始める。そこにムスクの粉っぽさがありながら直線的な清潔感のある香りが造形を霞ませ、いよいよチュベローズであった液体は木の箱の中に還ってゆく。そして香りがムスクのちらつきの中に消え去るまで、トップの様に表面を横に穏やかに揺らしていた。

オレンジブロッサムにより明るさがもたらされるこのラストは朝の到来なのではないかと今になって思えた。

チュベローズの和名は月下香と書く通り、夜にその催淫作用があるとも言われるほどの甘美で危険な芳香を振るう花である。この香水の一連のメタモルフォーゼからも、夜が深まる中その魅力を存分に開花させたチュベローズは朝日と共に香りの花弁を閉じてまた夜を待つ。その様な情景を想像した。

全体的に角の取れた滑らかな質感と変拍子の無いテンポが整った運動を見せていた。加えてボトルの高級感の通り、上質な装いの時に伴いたい香りであった。

 

情報が整理され洗練されたチュベローズは、やはりカシミアコートの分厚い生地に似合った。

ガーデニアもジャスミンも好きだが、私は印象に残る香りとしてチュベローズが多い。しかし思えばチュベローズの香りは一本も所持していなかった。

分かりやすいが実の所捉え所の無いチュベローズの白い花の香りは、自分の香りとしてそばに置くと言うよりは、今回の様に期待や偶然の中で他人として出会いたいという気持ちがあるのかもしれない。その距離がチュベローズのあのやや青い毒気のある濃厚な香りを忘れ得ぬものにしていると感じる。

もしも夜に本物のチュベローズの芳香と出会ってしまったら、やはりコートの中に香りだけを抱き込んで帰るだろう。

そう考えながら香りを乗せた手首をポケットに深くしまい、人がまばらになった夜の銀座を歩いた。

 

 

perrismontecarlo.com

 

 

 

 

さて、この記事をまとめるまでに大晦日になってしまった。

振り返ればこの不安定な状況にも関わらず様々な国から香りを取り寄せた一年だった。(この話は機会があれば後程)

来年はもう少し街中の香水を改めて聞いて回りたい気持ちがあるため、引き続き白い花の香りと遊ぶ日々が続きそうである。

来年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

 

101.含み笑いの暗闇《Rubikona(Puredistance)》

鉄の光と味が好きで、幼い頃は血にはその鉄が含まれるという事が興味深かった。

ルビーはしばしば血に例えられ、上質なルビーは『鳩の血』と言われる。以前その鳩の血を拝む機会があったのだが、光沢の奥の混濁した黒色にすら思える程深い有機的な赤い色が印象的であった。

 

 

10月の半ばにピュアディスタンスの新作、「ルビコナ」が届いた。

それまで自然にばかり赴いて香りものから遠ざかった生活を送っていたが、そろそろそれも限界の所だった。やはり香水と共に都会をあてもなく彷徨う時間がないとだめなのだ。

そんな矢先の嬉しい贈り物であった。

 

本来なら4月の発表だったらしいが、最初ルビコナのクリスピーさは葉が落ち始める季節に相応しいと思ったのを覚えている。

その後こうしてこの記事を公開するまでに一ヶ月以上を要したわけだが、それほど一つのテーマに絞ってまとめるのが難しい、楽しい香水であった。

それほど様々な解釈ができるということである。

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 「ルビコナ」はイメージ通りルビーをモチーフにしているが、アトマイザーが黒といった所が気に入っている。

また、ルビコナという名前は「4つのサウンドが一つになって小さなシンフォニーになる」といった意味の込められた造語であるそうだ。

それを忠実に解明してゆくのも楽しいが、あえてそこに直接的に切り込まずにまとめてみたい。

 

所感は以下。

 

調香ピラミッドは

トップ:グレープフルーツ、ベルガモット、マンダリン

ミドル:オレンジブロッサム、クリーミィノート、ローズ、イランイラン、クローヴ

ベース:パチュリ、シダーウッド、バニラ、ソーラーノート、ムスク

となっている。

吹いた直後、細かく甘酸っぱいトップの柑橘が明るい色味で散り散りに突出する。柑橘は私の肌ではベルガモットとグレープフルーツが強めに出ており、殊の外甘さが控えめで、香りの光沢が落ち着いた先端がシャープな透明感があった。

一方それらの活動的な動きの下地になっているのは、ココアのような細かい粉めいた苦みと香ばしさを伴う、最上層の柑橘系とは対照的なマットで彩度の低い薄暗闇のような色合いであった。ベースのスパイス群やウッド、ソーラーノートに影響受けているように思えるちり付きである。覗いていてもその香りの一群自体にはあまり動きを感じられず、代わりにそれらの粒子の中で水気を含んだ柑橘の香りの粒が点々と反射して明るく光っているのが対比として分かる。

静かなトップであると思った。表面上に明るい光の動きを感じる事はできるのだが、土台の甘さが控えられた暗部の奥部は既に音や運動を吸収してしまうような動きの鈍いくぐもった厚みがある。それ故か柑橘の動きも等速に近く、ドラマチックな運動は見られない。

柑橘の光のきらめきに注視していると、やがて霧状に広がっていた暗部がこっくりとした不透明な重量感を持ち始め、その重力によって下に垂れ始めた。目の前で全体に散ってゆく柑橘の明かりもそれに呼応するように認識できる粒子の数は多くなり、今までのような抽象的な集中ではなく暗部の縁に膜の様に張り付いた境界面として認識出来るようになっていった。

先程から「暗部」と呼んでいる土台部分は、ミドルに到達しても光沢は無く、極小さな同じ大きさの粒に揃えられた香りが整然と積み重なって一体化した様な隙の無い密度で構築されている。トップよりも強固な闇として、厚さや何らかの形として推し量れない程に下方に広がって全貌を隠している様に思える。クリーミィノート由来か、動きのごくゆっくりとした不透明な重さのある甘い香りだという事は感じられるが、香り自体は重いわけではない。全体に染み渡る甘さは凝縮する鮮やかさの中に黒糖の様な細かく刻まれて空気を含んだ香ばしさがあり、トップの柑橘のハリのある透明な甘酸っぱさのある膜の中の下でゆっくり充満するような運動をしていた。

ここで全体に広がって上層の下地となった柑橘の粒の中からオセロが翻る様に感じ始めるオレンジブロッサムの香りは中心をつまんで絞られたような甘さがあり、明るく透明で丸い。そしてその水球の中に他の花々が入り込んで行くことで、個々の花が具体的に主張するというよりは内に凝縮する動物的な濃厚さを持つ花の香りの一群として抽象的に香り始める印象を受ける。それ自体は鮮やかで立体的なのだが、やはりその香りの球が接合した下層が透けて見えており、その陰影と動きの緩やかさに気を取られてしまったが、そこは相変わらず動きはなく、柑橘の水分を吸ったのかその不透明さを一層滑らかに密度を高めている印象を受けた。一方、その表面の花の水球を縁取るようにイランイランやローズの薬草めいた鼻に抜ける香りが一番鼻の手前に感じられ始めた。それらを辿ってみると、その粒子感が布の手触りのように鼻に追随してくる事で、その下の暗い動かない部分の表面にも時折なだらかな大きな緩急があることに気付いた。その丘にあたる一番明るい部分に注意を向けると、その表面にパチュリやバニラ、ムスクを始めとしたベースの、くぐもったような甘く粉めいた香りを認識できた。その運動は風の全く吹かない静かな空間でごくゆっくりと重力によって砂が流れる砂漠を思わせる。

その丘陵は、厚手の光沢のある布、絵で言えばレンピッカ的な均一で無機質なグラデーションの陰影をイメージできた。一番光のあたる明るい部分部分は色で言えばバーガンディーやクリムゾンのような、深みのある赤だろうか。

時間から切り離されたような空間で全体を眺めていると、そのうち徐々にウッドの粒子感とクローブのくぐもったようなちり付きがサンドブラストのような細かい粒子となって花の光沢をマットにコーティングして行く。

一番外側のオレンジフラワーの白い花の甘さはそのまま全体に広がり、周囲の暗闇のクリーミーな不透明さとマーブル状に混ざり合ってゆく。その表面でバニラやシダーウッドがムスクの不透明なパウダリーさに包まれてちり付いて静かに香る王道のラストノートの様でありながら、徐々に一番手前に、ある種の乾いた苦みを感じるような軽さのある粒が散見できるようになった。これはトップのココアのような細かな粉めいた質感で、トップで下層として認識していた層が今度は最上層の柑橘のポジションで香っているような不思議な感覚を覚えた。この粒子感の影響か、最後までカラメリゼされたような苦みのある大粒の粒子感が全体をちり付かせ続いていた。

 

ルビコナは一見分かりやすい親しみのある香りであるが、全貌はというと全く隠された状態で香りは進んでゆく。

その陰影を司るのはソーラーノートとクリーミィノートのグラデーションであった。ソーラーノートの放射状の乾燥感に照らされ個々がドライで立体的な描写で分散を見せる香りの一群から離れるほどに香の粒はまったりと滑らかで深い暗闇として渾然一体となっている。それは香りの具体性も比例していて、光のあたる部分はやはり「見やすい」のである。調香ピラミッドとして公表されている王道あるいはフェミニンな香水のベーシックとも取れる香りはあくまで全体のごく一部である一番明るい部分であり、光の部分が親しみのある「明るい=見やすい」香りであるほど、その光の最も届かない隠された部分を対比として知ることになる。

さらに、このグラデーションのコントラストは香り全体を見たときにも大きな丘陵として認識できるが、陰影の中にも、丘にあたる明るく見える部分にもまた、トップの柑橘におけるグレープフルーツの鋭角的な香り、ミドルの花々におけるイランイランやローズの薬草の香り、ラストのちり付きにおけるココアのような粉っぽさといった、その中でもさらに質感の異なる明るい頂上があり、光度の異なる細かな陰影を形作っているのである。

実のところ私はその絶えず反射し変化する稜線に誘導されて、同じ空間をぐるぐると回っていたに過ぎないのかもしれないと感じている。

陰影の最奥は終始不動の姿勢を崩さなかったように思えたが、香りが個々に持つ甘さや酸味などの香りの濃さやジューシーさといった水気を含んだ旨味がこの部分に集約されていたように思う。見えている香り以外の香りは全てこの中に見出せる。この暗部は明るい部分と完全に分離された別の世界という訳ではなく、かつて明るい部分であった香りが影になり見えなくなった状態なのである。

位置や時間が変われば影も景色も変わる。

女はしばしば海に例えられるが、ルビコナを女性とすれば山で、その神秘性や怪しさですっかり弄ばれてしまった気分であった。

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ルビコナの1番好きなビジュアル。

 

ルビコナは卸したてのウールのコートに良く合った。

今年はこれらを着込んでレストランに行こうと思う。

そして食後はルビコナを付け直し、街を歩きたい。

マスクの中に不意に飛び込んでくる時のルビコナは、明らかに自分の香りではなく、特別な日に含み笑いを浮かべた誰かを伴って歩いているような錯覚を引き起こすのだ。

 

 

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