タイトルの通り、ブログタイトルを日々の糧ー香り日記ーからpolar night birdー香りの記録に変更しました。
理由は特にないのですが、「日々の糧」の敬虔な響きよりは、極夜の徘徊者の方が自分自身の生き方や香りに対する姿勢には合うのではないかと思った次第です。
今後、もしかしたら気分によっては日々の糧に戻すかもしれませんが、今は生活を抜け出し夜の徘徊を楽しもうと思います。
タイトルの通り、ブログタイトルを日々の糧ー香り日記ーからpolar night birdー香りの記録に変更しました。
理由は特にないのですが、「日々の糧」の敬虔な響きよりは、極夜の徘徊者の方が自分自身の生き方や香りに対する姿勢には合うのではないかと思った次第です。
今後、もしかしたら気分によっては日々の糧に戻すかもしれませんが、今は生活を抜け出し夜の徘徊を楽しもうと思います。
雪の降る日にnoseで注文していたUNUMのサンプルが届いた。
雪で再び外に出る気もせず、若干時間を持て余していた私にとって丁度いい到着だった。
UNUMというと、マルチにアーティスト活動をしているFilippo Sorcinelliが立ち上げたイタリアのブランドで、アーティックなボトルは遠くに陳列されていてもすぐにUNUMと分かる。
前にはパリでの思い出としてRosa Niglaの所感を書いた。
57.パリの夢(Rosa Nigra 他) - 日々の糧—香り日記—
この酷く寒い今日ではもうこの記事の体験が大昔の記憶のようなのだが、最近ふとイタリアの香水に興味が出て来たので、他のいくつかの香水と併せて Io Non Ho Mani Che Mi Accarezzino il VoltoとLAVSを取り寄せたのだった。
パリの旅行以降も様々な香水に出会ったが、やはりUNUMのアートワークはニッチパフューマリーの中でも群を抜いて格好良い。それらの帯びる重厚な黒が、思慮深い香りにとても映えている。
今回は2つのうちのLAVSのほうから所感を残したい。さり気ないが深い雪の日にぴったりの香りだ。
lo Non Ho Mani…の方もこれまた趣向の凝らされた濃い目のレジンの香りだったので、二種類同時だと所感をまとめきれないと思った。
所感は以下。
LAVS
→トップから澄んだ香りが染み出すように香る。スモーキーだが燻製、みたいな印象ではなく、水蒸気のようなきめ細かい湿潤感と粒子感だが、同時に冬の外気のようなドライな突き抜け感がある。その中心はフランキンセンスのような密度を持ったすっきりとした線が走っており、その香りの一群を補強するようにカーネーションやバラに通じる青さのあるフランキンセンスと比べてやや粘度の高い花の香りが並走しているイメージを受ける。その部分は混ざり合った状態でとてもゆっくりと漂っているので、寺院に漂う香の薄い香りのミストのような印象を受けた。
調香を見ると、ジャスミン、カルダモン、ブラックペッパー、エレミ、コリアンダー、クローブ、カーネーション、ラブダナム、オポポナックス、ローズウッド、アンバー、オークモス、トンカビーンとなっている。
確かに、澄んだトップの水蒸気のような点在感はカルダモンやクローブのクラシカルなハーブの調香が由来だった。その中央に感じていたフランキンセンスの香りは、調べてみるとどうやらエレミとオポポナックスの香りだそうだった。
がっつりとした樹脂ではないからだろうか、樹脂の香りの密度の高い重さよりライトで柔らかい印象を受ける。しかし、ハーブの香りと合わせて、そのスッと鼻を通り抜ける香りの筋が張ったやや酸味のある清浄な香りからは、やはりキリスト教におけるフランキンセンスやミルラのイメージを受け取れる。
時間が経つにつれて、ベースのオークモスとウッドが地平を広げて行き、煙もそこへと広がってゆくので幾分かは薄まってゆく。香りの調子はラストまでこのようなテンションで展開されてゆくのだが、スモーキーさは最後までトップの状態以上にはならない。私の肌では不思議とラストの方がエレミがモスとウッドに乗った調子ではっきりと香った。やはりオークモスから感じる石のようなある種の冷たさが心地良い。ジャスミンやトンカビーンといった特徴的な香りは良い意味で最後まで目立たなかった(残り香が時折若干甘いと感じる程度)。
このような香りの分類はスパイシーウッドなのだろうか、オリエンタルなのだろうか。終始雑味のない、金属の振り香炉から噴きこぼれる聖なる香煙を思わせる。それに包まれた時の、心身が清められてゆくような、何とも言えない厳かで静かで、それでいて視界が新しく開いてゆくような祈りと儀式の体験を、煙に乗せて遠い異国の私にも情緒として味わせてくれた。
煙といっても、最後まで火を連想させる気配は感じられなかった。トップで湧きたったやさしい軽さの煙だけがしっとりと揺らめきながら消えてゆく。
オークモスがベースの、大変私好みの静謐系の香りだった。
その時間が止まったような静寂が心地よく、周囲の布製品にもLAVSを吹きかけてみた。
こうしてLAVSの香りに包まれていたら、ふと、どこかの映画で見た昔のヨーロッパの家族の祈りのシーンを真似てみたくなった。
電気を消して、ろうそくだけを灯してみた。
この夜は雪のおかげで全くといって良いほど外の音が聞こえてこなかった。隣の大学生も今日は家にいないようだった。
ろうそくの小さな火が微かに低い音を立てているのが分かる。
漆黒の中には私たちの目には見えないだけの様々な何かが無限に内包されているのだと、どこかで教わった記憶を思い出した。
LAVSのモノクロの静けさが入り込んだ小さな自室は、本当に雪に閉ざされた、周囲の世界とは隔絶された空間のように思えた。
香水を人に勧めることが多くなったが、 男性からモテる香水を聞かれるとまだ正直困ってしまう。
香りは香りで、人は人だと切り離して考えたい私は、香水を付けること自体の美学や人への効果みたいなものにはてんで疎い。
しかし、だいたいの人々は当たり前だが付ける香水を探している。
そんな時、特によく考えずにお勧めしてしまってもだいたい評判が良いのはペンハリガンだ。
何故だろう。
「癖がない」という答えはすでにあるのだが、もう一つ自分の中で視点を持ちたい。
以前もペンハリガンの色気について考えたことがあった。
63.ペンハリガンについて考える①(オーパス1870) - 日々の糧—香り日記—
この段階では、なぜペンハリガンが色っぽいのかには答えを出せずじまいだった。
しかしやはり考えるならその部分なのだと思う。
また答えには到底行きつけなさそうだが、色々と考えて行きたい。
今回はそのポートレートコレクションを中心にしてみようと思う。
ポートレートコレクションはその名の通り、架空の貴族とその関係者の肖像がテーマになっている。
以前の記事でペンハリガンのいくつかを社会へ臨むための香水と表現したが、このコレクションのテーマはある貴族一家の肖像とその狭い社交内での人間模様といった、外から内情を垣間見るようなスキャンダラスな話が扱われているといった対照的な点がある。
今回はその中で「冷酷無情なドロシア伯爵夫人」について所感を残してみたい。
ザ ルースレス カウンテス ドロシア
(THE RUTHLESS COUNTESS DOROTHEA )
→ベルガモット、レッドジンジャーオイル、シェリー、シナモン、蜜蝋、セージ、マテ、カシュメラン、バニラなどの調香。
トップはジンジャーオイルとシナモンなどのスパイスがベルガモットのフレッシュさと相まってジンジャーエールのようなはじけ方をする。しかし軽いというわけではなく、その下には蜜蝋、バニラなどの甘くこっくりとしたグルマン調の大きな層が流れており、その中に含まれるマテの熟成されたようなコクのある暗い色の茶葉めいた香りが優雅な動線を作っている。
老女家主をイメージしたこの香りは、トップ以降のシナモンやカシュメランが時折グルマンと混ざり合いクッキーを連想させる他にも、どこかアンティークのような乾いた調子を醸し出しているのだが、そこにシェリーの香りが甘く広がってゆくために、ある種の現代的な解放感とデカダンを感じさせる。
ミドルに差し掛かったあたりから、トップの華やかな広がりの水気が何となく雰囲気から浮くようで気になり始めた。蜜蝋の存在感が強くなったように感じたからかもしれない。その蜜蝋は上品な赤いルージュのように滑らかに引かれている印象で、トップの香りとの対比で明快なグルマンで終わらせない含み笑いのような陰影を感じさせる。遠くに見つけた白い花のような香りは何が由来なのだろう。それもまた、家主と同じ含み笑いを浮かべているようだった。(もしかしたら清らかな花ではないかもしれない。)
トップが一気にこちらに歩み寄る様な広がりと肌への定着を考えると、ここのある種の断絶感は興味深く思えた。
ラストはカシュメランの温かさで硬質なウッドを底に感じることが出来る。そのベースはトップからすでに存在感は奥のほうに感じられているのだが、色でいうと屋外の光のみが差し込む部屋の影の部分のような暗さを持っている。そこに目を向けてしまうと、トップからの楽しい時間は影を潜め、カーテンが閉められるように積年の深みのような奥行が芳醇なグルマンを眠りに就かせて行く。
全体的に丸みのある落ち着ける類の香り。
このドロシアのように、ポートレートコレクションは基本はクラシカルな調香だと感じるが、その中に含まれた酒の香りにより、香りの質感が緩み、芳醇な広がりを見せていた。
それは香り全体の印象をぐっと現代的にしているし、銘の持つ物語性へ構成のドラマチックさを忠実に引きつけさせているものが多い。「ブランシュ夫人の復讐」なども終盤にむかうにつれ、トップのスイセンなどの禁欲的な様とは全く違った変化を見せた。
そのように、ある程度香りがそれ自身で完結しているのだ。
それと比較すると、従来のペンハリガンの香りはそもそも、その香り自体を纏うというよりは、己の美学に引き付けて纏う、いわば仕上げの香水に適しているブランドだということが良く分かってくる。
タヌさんのブログLa Parfumerie Tanuでも、ペンハリガンの正規の価格帯と品質、あり方について言及されていたが、やはりそこからもペンハリガンは本来それ自体が高級な嗜好品・芸術品を目指す立ち位置にいない、トータルグルーミングの一環と分かる。
擬人化ならぬ擬香化されたそのラグジュアリーで快楽主義的な香りを、階級も日々の役割も違う私たちが敢えてペンハリガンの香水として身に付けるということは、仮面をつけるような楽しさもあり、欧州の階級社会ならではの皮肉とも読めるかもしれない。
何にせよ、ペンハリガンは香水の使い方について考える良いきっかけになるだろう。
どんな香水でもそうだろうが、殊にペンハリガンの癖のない調香は、私たちの生活の中の香りと容易に溶け込む。
私たちは常に様々な香りに取り巻かれている。毎日のシャンプー、シェービングフォーム、整髪剤、ボディークリーム、洗剤、着ている服の布地の香りから、極端にいえば先ほど食べた食事まで。それらが香水の香りでグルーミングされて一つの香りへと再構成された時、初めてペンハリガンの香りが完成する。
その香りそのものには隙があるということなのかもしれない。その部分に私たちが入り込み、互いを埋め合う形で結合してゆく。
ペンハリガンの官能性はそこなのではないか。
今の時代、珍しい香りを探して付ける事は容易だ。
しかし自らが日々堆積させてきた生活を香りとして纏うのはどうだろう。
私は男の装いの美学については分からない。
しかし、己の日々の営み、生きざまへの覚悟のある男性は魅力的なのだとは言える。
という一応のまとめをして今回は終わりたい。
前回からの「ペンハリガンの色気」に関してはまたも明確な答えを出せずじまいだったが、今後は少しだけ自信を持ってお勧めできるかもしれない。
2018年が始まった。
2017年は個人的にはウンハイムリッヒとの出会いによってしっかりと終わりを迎えられた気分なので、今年は初心に帰ってさらに香水の探検を進めて行こうと思っている。
香り始めは、年始早々に取り寄せたいくつかのブランドのうちのZoologist Perfumesで始めた。
Zoologistは香港出身のVictor Wongが創始者のカナダのブランドだ。
残念ながら日本には未上陸だが、日本人では稲葉氏(彼のポータルサイトは日頃から愛読している)が調香で参加している他、ビジュアル面での他にない熱量などが最近の新鋭ブランドの中でも一際目を引く存在だった。
ブランド名の通り、それぞれ動物がテーマになった銘が揃っている。
しかし「動物学者」であるので、動物=香りは私たちの研究の対象としてあくまでフラットに扱われている。
今回は悩みに悩んで
エレファント、キャメル、ドラゴンフライ、ナイチンゲール、パンダ、シベット
を取り寄せた。
パンダの文字が切れてしまった…
この記事ではどれの所感から始めようかとここでも悩みに悩んで、新作のエレファントとキャメルから書き始めることにした。
エレファント(ELEPHANT)
ミドルはココア、ココナッツ、ミルク、インセンス、ジャスミン、ウッディーアコード
ベースはアンバー、ムスク、パチュリ、サンダルウッド となっている。
トップから深いグリーンが全面に香るのだが、それを奥まで吸い込むと、マグノリアやジャスミンのややパウダリーで濃厚な花の香りや茶葉のコクのある香りがウッドの乾燥した香りに包まれながら内に凝縮するように瑞々しく香るのを感じた。ユニークなグリーンだと思う。中間にやや重めに不透明なミルキーさのある香りが配置されている構成で、トップのやや渋みを伴うグリーンは出だしから徐々に華やかな広がりへと変化するのだが、やはりココアの鼻の中腹で留まるようなふくよかなパウダリーさとココナッツの繊維感のある乳白色の香りがグリーンをスパークしたままでは終わらせず、まったりとした流れで明るく温かい色を差してゆく。
ミドルはトップの木の葉が生い茂るグリーンから考えればずいぶん日向のような香りへと変化している。ココアのなのかココナッツなのか、やや毛羽立った質感の仄かな気配は感じるが、他の甘さが控えめでミルキーな香りが沈着な調子で流れる中、その上に香り立つのはジャスミンの芳香なのだろうか。花と果実の丁度中間くらいの体温を感じる甘酸っぱさのある香りは、木々の開けた場所で感じる日光の温かさとそれを浴びる南国の木の実をイメージできた。ただしここはあくまで森の中なのだ。トップからのウッドのちりちりとした粒子感の香りは常に周囲に配置され、ラストまで続く。
ラストはココナッツや花の香りは遠のくものの、パチュリの影響か、トップのグリーンの渋みが再び現れる。ミルクの部分を引き継いだサンダルウッドのまろやかさとグリーンの相まったリラックスのできる香りは、やはり日本人の考える森的な爽快感というよりは、さらに深い森の湿潤感に近い。
全体的に興味深かったのは、主な香りのグリーンが割と下の方に感じられた所だった。像の視点という事だろうか。HPでは木々をなぎ倒して進む像について書かれているが、そう考えるとラストにさしかかる頃には自分が像になったような気分さえしてくる。自分がなぎ倒した木々の新鮮な香りや身体に纏わりついた葉の濃い香り。にも関わらず不思議と攻撃的でない。スケールの大きな像だからこその不思議な穏やかさなのかもしれない。
キャメル(CAMEL)
→トップはドライフルーツ、フランキンセンス、プラム、デーツ、ローズとオリエンタルなフルーティーさが広がる。しかし重すぎずドライフルーツやデーツの煮詰めたような茶褐色のこくのある甘みをローズとフランキンセンスの鼻に抜けるような香りが奥の方に空間を作り出しているようなイメージがある。そのローズもオリエンタルな石鹸的なローズであり、ドライフルーツのとろけるような甘さの外縁を流れている。
ミドルはアンバー、セダー、シナモン、インセンス、ジャスミン、ミルラ、オレンジブロッサム。私の肌だとミドルへの移行が早かった。このままどんどん甘くなってゆくのかと思ったが、急に重力(スピードだろうか)が変わりセダーやインセンスの甘みのないスモーキーさが前面に現れた。それは軽やかで穏やかな動きで香りを囲い始めているのが分かる。それまでのフルーツなどのとろけるような甘い部分は徐々に控え目な様子で混ざり合い、煙のベールの奥へとしまわれる。時折、そのインセンスのベールを揺らすように瑞々しい花の香りが一瞬通りすぎるが、それはこの距離ではジャスミンともオレンジブロッサムとも判断がつかない。ローズの蝋のような滑らかさはかろうじて分かるのだが、長い夜の間にいたずらに思い描く空想の花を思わせる。
ここでベールと表現したミドルの香りは、遠くの花やフルーツへ思いを馳せているうちに徐々にラクダの毛皮の様に思えて来た。シベットやムスク由来なのだろうか。それは砂漠の砂で乾燥した、粒子感を乗せてややごわついているが撫でれば手の動きに合わせてしっとりと落ち着くような毛並みを感じさせる。気付くとその毛皮に直に触れたくなって香りを乗せた手首に鼻を付けて吸い込んでいた。(実際にラクダに触ったことがないので何とも言えないが…)
ラストは意外にも穏やかで控えめだった。ムスクとトンカが優しく肌に染み入り、バニラに乗ってトップからのドライフルーツの甘い香りが再び仄かに顔を出した。
オリエンタルというと、とにかく中東的なインセンスやベンゾイン、ミルラが渦巻く濃厚で不透明な様という先入観があったが、このオリエンタルは王道のオリエンタルの様相ながらトップから最後までどこかに突き抜けた風穴があるように風通しが良く、全体から想起できる茶褐色は固形物然としたまとまりはあるものの宝石の様に透き通っている。それは夜の砂漠を流れる風のようでもあり、ボトルのラクダの悠然とした表情と眼差しとも何とも重なるのだった。
全体的に砂漠のテントで過ごす夜のようなイメージ。何かの香りが変に突出しているわけでもなく、とてもまとまっている印象を受けた。久々にオリエンタルで多幸感を味わえた。
Zoologistは総じて鼻当りはFUEGUIA1833と似ているように感じた(アンバーや合成香料の割合が似ているのだろうか)。そのFUEGUIAにしばしば見られる女性的な曲線をシャープに男性寄りにしたような感覚も覚えた。甘い香りも鼻当りは良いがそこまでエモーショナルな広がりがある訳ではなく、モダンなシャープさがある。
調べると、創始者は香水マニアかつコレクターらしい。
確かに、Zoologistの香水はどれも個性的だが、先行している各ジャンルの香水からの引用がしっかりなされている印象を受けた。それが懐古的な気分にさせる時もあるのだが、その王道のノートを踏まえた香りは初心者も一通り香水を楽しんだ者も明確に香りの探究が出来るようになっていると感じた。
残りの香水も追って所感を残して行ければと思う。
新年早々個性的で楽しい香水に出会えたのは嬉しい限りだった。
今年はこの他にもどんな香水に出会ってゆけるのだろうか。
Zoologistperfumesのおかげで今から探究心が止まらない。
早いものでもうクリスマスが去った。
どことなく空いている電車やあわただしい空気感が独特の年末感を感じさせる。
今年の香り納めはどうしようかと考えている中、ピュアディスタンスを本格的に試香する機会に恵まれた。
(ピュアディスタンスについては末尾のURLを是非見ていただきたい。)
それは前々から愛読していたブログで知ったイベントだったのだが、実はクラシカルコアなニッチ香水の試香はあまり経験が無く、当日の夜まで不安半分好奇心半分という状況だった。
そんな不安定な愛で飛び込みで伺ったそのファンミーティングで温かく迎えてもらったことは12月の嬉しい思い出のひとつだ。和やかな雰囲気の中で、たくさんの知見を得た。
ピュアディスタンスは本当に滅多に見られない硬派なクラシカルな香水ブランドだった。クラシカル・ヴィンテージ香水愛好家にはたまらないだろうと思う。香水が気になりだしたころに通販サイトで一本サンプルを取り寄せて「大人の香りである」と感じた記憶があったが、今全種類試香するとその本気さがよく分かった。
私はその中ではMとアントニアが印象に残った。
今回はアントニアについて所感を残そうと思う。
アントニア(ANTONIA)
→私の肌に乗せるとトップから直線的なローズエッセンスの香りを始めとした石鹸のようなパウダリーで固形物の硬さと重さのある清潔な香りが展開してゆくのだが、トップのアイビーグリーンのせいだろうか、それは完全に固まっているというわけではなく、程よくしっとりした水気を感じた。それはちょうど湿った布をピンと張ったような張りと線ではなく面としての質量があり、その布地が前面に広がったその奥から人の温かみを彷彿とさせるジャスミンやイランイランの花の青さと熟した甘さの気配が伝わってくるような印象を受ける。しかし、その布の奥は透ける事は無く、その人がどんな表情をしているのかは定かではない。
ミドルに差し掛かり、トップの湿気が徐々に抜けてくると布地のテクスチャに目が行き始める。時間が経つにつれてイリスとイランイランのパウダリーさが増してきたからなのだが、イリス特有のあの内に丸まるような滑らかな甘さはあまり無く、重さも不思議と無い。その中盤の強度のあるパウダリーさはある種の繊維の網目を彷彿とさせた。パウダリーな花の香りの粒がまんべんなく、それでいてしっかりと積まれて広がっているキャンバス地のような丈夫で厚い質感は、トップからの緊張感を失っていない。それと同時にベチバーのような仄かな苦みがぴったりと肌に張り付く。布地めいた硬さは必ずしも自分とその先との断絶ではなく、むしろその繊維の揺れを通してその奥のまったりとした体温と表情を探ってゆく興奮感を覚えた。
ラストになると、パウダリーな粒子の密度は増してゆき、布は完全に乾く。その先の気配は完全に読めなくなっている。しかし今まで布越しに感じ探っていた温かさがすぐそばにある事が分かる。そのトップにはない温かさは、己の体温なのか、布の先にいた人物の体温なのか、はたまた布の温度なのかは分からない。今度はその張られていた布にくるまれて穏やかでささやかな達成感に包まれるラスト以降の底は、バニラやガルバナムが布とはまた違った優しい弾力のある粒子感を持って深いところまで道を作っている。その様子は、今まで求め探っていた者が目を細めて微笑むような心地がした。
再三使った「布」という表現は、「皮膚」とも言い換えることが可能かもしれない。しかし、身体レベルではなく、さらに大きなスケール(大仰で壮大という事ではない)で包まれるラストの安心感を考えれば私の鼻ではやはり「布」なのだ。
この香水が強く優しい社長の母君をモデルにしたというエピソードは頷ける。銘も調香も女性を彷彿とさせるのはもちろんだが、香りの構成自体も私の鼻が探ることを受け止める包容力がとても大きいと感じた。
全種類通して、個性的ながら流行や時代を超えたピュアディスタンスの香りは、母のように広く深かった。
赤子のように嗅覚体験を享受させてくれるこの安心感は、やはり有難い香水体験だと思った。
孤独は好きだが、そうであっても年末は内省的なあるいは恋しさに似た気持ちになる。
2017年の香水の振り返りをしていると、ふと
最後に帰る場所として愛す香水があるのもまた素敵なことなのかもしれない。
と遊び人の末路のようなことを考えている自分に少し驚いた。
すでにもう街中に流れるクリスマスソングに飽きてきた。
クリスマスが来ると私の誕生日も同じくやってくるのだが、それについてももうどうでもいい事柄で、出来る限り静かに誰とも会わずに過ごしたいというのが今一番の願いだ。
仕事終わりに通りがかった日比谷公園ではクリスマスマーケットが開催されていた。
気まぐれに中に入ってみると、遠くから美味しそうな甘い香りがする。
それにつられて奥まで進むと、電飾で飾られたおもちゃみたいないくつもの店がグリューワインを出しており、ワインとシナモンなどのスパイスの香りに負けて少し高めのキンダープンシュを一杯購入した。
冬の寒い空気に温かなスパイスの香りが滲みる。
ふと、その前日に試香した香水が丁度このような香りだったと思い出した。
伊勢丹にさり気なく陳列された、リキッドイマジネの血液を彷彿とさせる聖なるワインをテーマにしたラインナップのレ ソウ サンギーヌだった。
残念ながらラインナップ内のブラッディーウッドは試香できなかったのだが、ドム ローザとベッロ ラベッロは記憶に新しいので所感を残したい。
ドム ローザ(DOM ROSA)
→シャンパンアコード、グレープフルーツ、ペア、ダークローズ、クローブ、インセンス、ウッディーアコード、シダーウッド などの調香。
シャンパンアコードの通り、トップからシャンパンの軽快な香りとペア、グレープフルーツの青みがかった果実の香りが混ざり合い、そのきめ細かい気泡のように立ち上がってくる。瑞々しすぎず、肌からやや浮いた角のなだらかな香り方は、やはり良い香料を使っているのだと分かる。調香に表記はされていないが、説明通り終始ブドウやフランボワーズのような果汁感があるが、果実そのものと言うよりは、甘口のカクテルのような、スパークリングの中に浮いている果実を眺めているような澄んだ軽さが食前酒の様に心地よい。
一概に軽く明るい香水というわけではなく、ミドルあたりからアルコール由来の熟した甘さと揺れるような温かさが増してゆく。ペアの香りはトップの華やかな弾け方から徐々に丸くなってゆき、青みのある爽やかさは健在ながら、サングリアが作られる様にシャンパンの描く流れに一体化してゆくように落ち着いて行く。
ここの時点で、ようやくローズの香りにフォーカスできた。銘にも入っているふくよかな香りの落ち着いたダークローズは、私の肌では最前面には現れなかった。トップの気泡の自由さに流されず、アルコールの広がる温かさを乗せてその蜜めいた滑らかな質感の香りで常に香り全体を血流として流れている印象を受ける。トップの名残とその動きの対比がある種の印影と感じられた。
ラストまでアルコールを感じる香りは続く。ただ、トップのペアやフルーツの外に広がる粒子はすっかりローズと酒の中に溶け込んでいる。やや重みを増したシャンパンの香りは、ゆっくりとした速度でなおも動き続けている印象を受けた。
ボトルから見える赤の通り、複雑でどこか陰のある赤色のイメージ。
癖が無いので華やかな場所にも一人で落ち着きたい時にも幅広く使える香りだと思う。
ベッロ ラベッロ(Bello Rabelo)
→調香はポートワイン、ドライフルーツ、イモーテル、サンダルウッド、バニリン
と表記されている。こちらはドムローザと対照的に下に沈むようなワインの濃厚な香りで始まる。そこにはサングリアの様にドライフルーツが浸っているようなイメージで、杏のような酸味のある熟した甘い香りが溶け込んでおり、その温度に安らぎを感じる。丁度こってりと温かいグリューワインのような深い赤を彷彿とさせ、香り立ちも各々が軽快に転がるというよりは全体が鍋の中でゆっくりと混ざり合うような動き方で、吸い込んだ時も粘度のある不透明な液体が流れ込むような重みがある。イモーテルの濃厚で独特の癖のある香りにシスタス、バルサムやサンダルウッドといったレジンとウッド系の香りは、トップ~ミドルの始まり辺りまではワインに入ったシナモンなどのスパイスのようなちらつきをもって香る。
そこにバニラではなく敢えてなのかバニリンが含まれているという表記は面白いと感じた。確かに、ここでのバニリンの位置付けは個として主張する香りではなく、ミドルではバルサムやイモーテルと合わさり、どこかアンバーを思い出させる香りがメープルシロップのような甘さと質量を醸し出していた。その中でもともと蜂蜜めいたイモーテルの香りは、それ故なのか薬草的な側面が比較的大きく表れている。
全体を思い返すとベース部分が器のように上層の香りを受け止めている構成に感じた。ミドル以降はそれらのウッドがトップのスパイスとはまた違った、ワインを充分に含んだ木の温かみを見せ始める。ワインの香りは健在だが、樹脂のゆっくりと練られて熟成させたような香りへと凝縮されていった。
大航海時代のポルトガルのラベロ船をテーマにしている香り。勇敢さや冒険そのものというよりは、その数々を経験した先の、昔の伝説と古傷に包まれた穏やかな老兵の船の血液をイメージ出来た。
血液とワインというどうしても官能性やエモーショナルなアプローチに留まってしまいやすいテーマであるはずなのに、この2品に関してはどこか孤独で内省的なイメージを持てる。
HPの解説にも自己の内面に向き合う旅、また、香りの魔法にかけられるのは、信仰心をまとうような感覚だとも書いてあった。後程他の香りも試してみたいと思う。
温かなキンダープンシュを持ちながら、気付いたら東京駅まで歩いていた。
聖なるワインの香りはそれの温かさと共に血液のように冷え切った全身に行き渡る。
私も寒さや温かさを感じる生身の人間なのだとささやかに思い出させてくれた。
手袋を買うのも好きだが、冬の寒空の下、敢えて手袋をしないで外を歩くのも好きだ。今年の冬もそんな楽しみが出来る時期が訪れた。
暖かくても出来ないし、寒すぎても辛いだけになってしまう。
微妙な移り変わりの中での一瞬の楽しみだ。
先日、 久々にNeWoManに行った。行く用事など無いのにいつもふらつきたいと思えるのは不思議だ。
その日も冷やした手をすり合わせながら屋内に飛び込んだ。
特にウィンドウショッピングもせずにうろついて、帰り際にNOSESHOPを覗くとエイト&ボブのポップアップのエリアが出来ていた。
エイト&ボブと言うと、
コンランショップでたまに売っている気がする
という程度のぼんやりとした印象しかなかったので、まとめて試香出来る機会に恵まれて嬉しかった。
また、毎回購入しない私にも親切に接客してくれる店員さんには本当に感謝と申し訳無さがある。
エイト&ボブは創始者の生きた1930年代がモチーフになっているものが多い。創始者の出自と併せて貴族的な優雅さと飾りすぎる必要のない余裕を感じられる。
ナチスの手を逃れるために本の中に隠されていたというのも何ともお洒落なエピソードだ。
今回はその中でカップ ダンティーブについて記録を残したいと思う。
所感は以下。
カップ ダンティーブ(CAP D'ANTIBES)
→1930年代の、富裕層が夏を過ごすアンティーブの村での朝のセイリング、夜のパーティーなどがイメージされている。
ミント、バイオレットリーフ、バーチリーフ、モス、シナモン、シダーウッド、バニラ、インセンスなどの調香。トップはミントとバイオレットリーフ、バーチリーフ、いくつかのグリーンノートで始まる。やはりミントが入っているからか、グリーン由来の仄かな甘さが爽やかに香る。ミントはしばしばこのように葉の清涼感と合わせて緑の甘みの部分も引き立って香り、時間が経つにつれて冷たさは薄れてゆく印象があったのだが、ここでのミントはトップ以降、清涼感の方に比重を置き始める。トップのバーチリーフも鼻に抜ける香りだが、それも相まってなのだろうか。私の肌では大きく広がり主張しがちなラストのバニラも、ミントに冷やされて霜のようなシャープな輪郭で現れる。ミントとは対照的なシナモンも、従来の内側から暖かくやや癖のあるそれというよりは現れ方はウッドや漢方に近く、温度よりもチリチリと点在する粒の鋭利さの側面が強調されて感じた。
このミドルの清涼感の加速は、香水の中でも珍しい部類なのではないかと思った(同じくNOSESHOPでお目にかかれるマドエレンのミントが使われたスピリチュエルと比較してみると面白かった)。やはりモスがフラットな空間を作り出していることもあるが、この突き抜けたクールさの奥ではバニラとグリーンの香りが混ざり合い、マリンノートのように香るのも分かった。その部分は店員さんが「スイカのよう」と形容していたが、確かに、ここでのマリンは海ではなくミントの透明な水面の奥に瓜の香りのように丸く香っている。
ラストに向かうに従って、ゆっくりとした調子で全体を巻き込んでゆくインセンスと混ざり合う苦みのあるシダーウッドに、仄かにトップのバーチリーフの気配が沁みるように残る。甘いフレッシュさというよりはグリーンの調子は暗緑然とした深まりを見せるため、ややメンズ寄りに思うかもしれない。しかしそれらのうちどれかが変に主張することも無い。煙が地面に落ちる様に沈着して行く終わり方は、テーマに絡めて思えばパーティーが最高に盛り上がりを見せる中、こっそりと外に出て喧噪を背にして感じる静かな夜の気配をイメージ出来た。
変化は華やかながら内省的でもある。
テーマも調香も夏だが、これを敢えて冬に、素肌から香らせてみるのも粋なのではないだろうか。
ミントの入ったカップ ダンティーブは、肌に乗せている部分がひんやりとして感じられ、それはちょうどその日の空気の冷たさに似ていた。
この記事を書いているうちに12月に入った。
12月の朝は殊の外寒いが、東京の乾いた寒さを楽しむにはちょうど良い。
手を冷やした後は誰かと手を繋いで温めるのが良いのだろうが、 生憎私は今年も新しい手袋を準備してしまったのだった。