polar night bird

香りの記録

【特別企画】 CHANEL N°5 あるいは私達だけの素肌

目次

 

 

仕事終わりに新橋から出発し夕方の銀座7丁目界隈のクラブ街を歩いていると、これから出勤する華やかな夜の蝶や同伴の男性たちの中の他に、ムスクのパウダリーな香りとコロンの香りが混ざったような香りとすれ違う。

派手な香水の香りではない。風呂上がりのような熱と湿気を下敷きに粉っぽく香り立つ、石鹸の香りに近いがより肉感的な温かさの伴う香りだ。

それがもしかしたらすれ違った何者かの皮膚の香りなのではないかと気づいたのは、今回テーマにするCHANEL N°5 について考えていたからであった。

N°5がどのような香水であるかはK氏のN°5評にも詳しく書かれている。

*No.5/ CHANEL, 香水について書く - incidents

 

ローズでもジャスミンでもアイリスでもなく「N°5の香り」と言える様な名香は今年で100周年を迎えた。

大量のアルデヒドを間違って配合した事で誕生した。と語り継がれる伝説や先入観を抜きにしても正直個性的なその香りは、何故長きに渡って我々を惹きつけるのか。

この夜もN°5に向き合ってみようと銀座に差し掛かる前に肌に吹いた。

 

CHANEL N°5

吹いた直後は、一瞬すべてが撹拌された状態で放出されるが、程なくトップから油脂めいた滑らかな圧が表層に位置し、その半透明の白い層から下へ行くほど柑橘系やフルーツを凝縮した酸味を思わせる薄い黄色のグラデーションを描くようになった。それは小刻みに弾けるケミカルなシャープさも併せ持つきめ細かい気泡が含まれた、石鹸をホイップしたような弾力のある鼻ざわりである。

一方で、それと私の肌との接地面近くにも表層と同じ類のケミカルな圧とスピードを持つドライな油脂が走っており、その下にはまだ全体像をはっきりと見通せないが一つの重く不透明な空間があることに気付いた。それは表層の泡とは対照的にほとんど動きが感じられず、そのコントラストに興味を惹かれた。その空間の内部を観察していると、まろやかで分厚く堆積したようなアイリス系のパウダリーな香りが補填されて行っている様だった。そのパウダリーな部分にはベースのムスクの質感も相まっているのだろう、植物よりも体温が高く質量のある粉っぽさであると感じた。それらが空間にぎっしりと詰め込まれたがゆえに何かもったりとした肌のような厚みをもっている印象で、香りはそれ以上奥にも表にも移動しない。

表層の泡もこの部分には侵入することはなく、やがて天井を取り巻いていた油脂の膜はフルーツの黄色味と合流する。もこもことした泡立ちは落ち着き、その代わりにシャンパンめいた小粒の明滅を繰り返す気泡を上に登らせる一方で、重みのある酸味の果汁は奥の油脂の膜を目指して降りて行った。

やがてその柑橘系の酸味の下部からからグラデーションを描くように、先端にやや薬めいた枝葉を伴ったような青さのあるイランイランのヌッとした甘みを伴う酸味と苦味、ジャスミンの肉厚な花弁を歯ですりつぶしたように染み出る甘いシロップ、レトロなローズの重く滑らかだが仄かに鉄分の含まれているような軋みなどの花々の蜜が一緒くたにパウダリーな空間の表面を伝い滲むように広がってゆく。それらは一様にその汁感の他に汗ばんだ湿り気を有しており、気泡の中を通ってきたと思わせる果物に通じる酸味をその中心に抱えている。それが何とも動物的でもあると感じさせたが、従来であれば強く主張するその要素が不思議と主軸にならない印象を受けた。

一方それを受け取る下層の油脂の膜は表層よりも透明感と強度が増しており、それに合わせて差し込んだ光が当たるようにその下のアイリスやムスクも徐々に軽い浮遊感を得始めていた。ゆっくりと炊かれているような下から上へ循環する動きを見せ、その動きによって染み込んで来た花々の動物的な甘さの露を囲む様な動きで奥に取り込んでいる。

その中に体温めいた温かさとともに時折感じられ始めるバニラの周囲よりまろみのある尾を引くような香りは、気泡の層とパウダリー層を分かつ透明な油脂の膜に時折柔らかく当たりながら浮遊している。その動きを追っていると、この膜の内側は派手な動きこそないものの、全体的に単に蝋のような固形であるというよりはミドルの花々の水分を含んで脂肪のような柔らかさと弾力、火照ったような動物的な体温を持ち始めているように思えてきた。それは呼吸するように内部を絶えず撹拌させており、バニラはその中を呼吸に合わせて縫うように漂っている。
時間の経過とともに上層の上に向かって泡立つ柑橘系の酸味の伴うケミカルな層と下層の膜の下で香りを沸き立たせながらも下に沈着してゆくような粉めいた層の二つのコントラストが曖昧になってきた。気泡の炭酸が抜けたように、上方に向かっていた煌めくケミカルな油脂の泡の名残は明滅をやめてミドルの花の湿潤感に回収された。それを受け止めるのはムスクと、ここで周囲のパウダリーさに幾分か乾いた木材質の差異を持ちこんだ形で認識できる透明な甘さを持つサンダルウッドとバニラである。仕切られていた天井の膜が消え主軸となったパウダリーな層は、一気にその分厚い柔らかな毛布や布のような質感で優しくそれらの動物的な鋭角さを持つ甘さを巻き込んでゆく。しばらく香り全体の両極に煮詰まったような甘さが見え隠れしていたが、そのほとんどが混ざり切り、ベチバーやオークモスのやや苦味の伴う乾燥感のお陰か、丁度布から感じる人間の残り香の様なと重さに落ち着いた。それは今までで一番フラットな人間の肌に近い香り方であるように感じた。

この段階で初めてパウダリーの層は底に到達できる濃度までになったように感じたが、その底にもまたトップで感じた油脂の膜が張られていたことに気が付いた。パウダリーな香りは最後までそれを越えて私の肌に近付くことはなく、その油脂の上に乗った状態で、上方からほろほろと崩れる様に消えていった。

天井と底を油脂で挟まれていたからこそ、私の本来の肌を油脂で覆って隠しながら、言わば第2の肌のような不透明で独立したパウダリーさを持続させていたのである。

 

全体を通して、N°5は肌に擬態する香水なのではないかと感じた。

ベースの部分がストレートに肌のようなパウダリーであるという点はもちろんだが、それだけではない。

石鹸や香水、食べ物、飲み物といった日頃皮膚で受けとる全ては私たちの血肉となり、そして肌の香りとして表出される。その一連の素肌の香りの形成が香水の中で展開されているのではないか。そう感じずにはいられなかった。

 

N°5のアルデヒド

ところで、上記の所感のN°5の香りの傾向を大きく分類すると、「気泡」「花々の動物性」「パウダリー」に分類できそうである。そしてそれらをときに遮るような動きをしていた「油脂」の層は一体何だったのであろうか。
おそらくそれが有名なアルデヒドの効果であると漠然と予想をしつつ、合成香料のアルデヒド単体を試香してみた。
単体のアルデヒドそれ自体の香りとしては具体的に何にも結び付かない無色透明であるが、まず一番表層にクレヨンを引いたように油脂の膜を勢いよく張るような運動をする。そのほかの運動はその膜を基準にその外側になると膜の圧を感じる密度の高い閉塞感に比べて粒子の置かれた幅が広く、チリチリと散じているように思われた。

その特徴は確かにN°5において、冒頭から上の肌と下の肌の間に形成される境界線として認識できる「油脂」の動き方につながる。

N°5以前にアルデヒドを使用した香水としてウビガンのケルクフルールがあるが、その中でのアルデヒドは、花々の香り全体を底から押し出すようなあくまで姿の見えない、アルデヒドの名を出さずとも成立する効果として辛うじて確認できる。

一方N°5は先述した通り、例えばジャスミンであったりアイリスと同じような独立した質感で香りに大きく関わってゆく。このアルデヒドの明らかに意図的な効果がなければ素肌の香りは香りの移り変わりの中でも完成しなかっただろう。

娼婦か淑女か

さらに、上記の所感をアルデヒドの油脂感の仕切りに合わせて、「甘酸っぱさと油脂っぽさがきめ細かく泡立つ上層に位置するオイリーな肌」もう一つは「ムスクとアイリスの粉っぽさが厚く堆積しているようなパウダリーな肌」の2つに分類できる。

書籍『シャネルN°5の秘密』の中でシャネルは当時分断されていた「淑女か娼婦か」という二項対立を越えてゆく香水としてN°5を考えていたと言われている。
彼女はその際に、とある娼婦の清潔な香りをヒントに娼婦と結びつくセックスや体臭の香りを想起させない風呂上がりのような清潔な、もともとそのようなものとは縁のない体臭であるかのような香り。そしてスミレやスズランといった、シャネルに少女の頃を想起させるノスタルジックな花の香りの記憶を参考にしたという。

N°5は、上記の所感にも残した通りミドルにおいて花々の動物的な表情を見ることが出来る。かつてローズやスミレはしとやかな淑女の記号で、一方で派手で官能的な白い花の香りは娼婦の記号を負う香りでもあった。N°5の中ではそれらが一様に混ざりあい、等しく有する生ける者の臭みと共に動物である人間の素肌の血肉となってゆく。

そのある種のイノセントさはどちらの記号からも解放された動物的で本能的な「女の肌」であると同時に、どちらの要素も取り込んだ肌はこれから「淑女」か「娼婦」のどちらの記号とも戯れられる自由な肌ということでもある。

そして素肌の香りのN°5を嗅ぐ者が欲望するのはプライベートな肌である。

N°5は我々の社会的に開示した肌を覆い隠し、剥き出しの肌へと擬態する。

それは香る場所が例え公共の場であっても、社会で背負っているペルソナを脱ぎ去った2人だけの時間に知る2人だけの素肌の香りの記憶を想起させる。そこには秘密を覗く・覗かれる快楽性もまた潜んでいるのかもしれない。

かつてマリリン・モンローが寝るときに何を纏うかという問への「N°5」という答えに、聴衆は何を考えだろう。

今こうして N°5を纏って会う目の前の人間は何を思い、己は何者でありたいのだろう。

N°5を纏う時、女は相手の前において淑女にも娼婦にも自由になる事が出来、その相対する者もまた、目の前のその者が淑女か娼婦かはたまたどちらでもない何者か自由に知る事が出来るのである。

 

 

さて、肌というと現代では「スキンフレグランス(あるいは「ボディフレグランス」)」と言う小カテゴリを思い出せる。

(これに到達する前にも「スキンフレグランス」的な香水は脈々と発表されてきてはいる。それの詳細に関しては長くなるので後ほど完全版を出す際にでもまとめたい)。

例えばジュリエット・ハズ・ア・ガンのNot Perfume、ラボラトリオ・オルファティーボのニードユー、ドルセーのM.A、ルラボのAnother、そしてabelのナーチャー などなど。

これらは時に「自分だけの香り立ち方をする」と謳われている。現代的である。

この中でもナーチャーに関しては、母親のための赤子にも使えるナチュラル由来の香料を使用したフレグランスを謳う、ある種N°5とは対極にある香水であった。

 

比較のために軽く所感を残してみたい。

 

ナーチャー(NURTURE)

T:オレンジフラワー、ブルガリアンローズ、マスティック
M:ジャスミンサンバック、ジンジャー
B:サンダルウッド

※公式サイトにてすべての使用香料のリストが公開されている。

透明なオレンジ系の甘酸っぱい瑞々しさの中に明るさのある主にマスティック由来であろう緑の角の丸い苦みと奥の方に仄かなスチームのようなスモーキーさがある。

一番表層は吹いた直後はジンジャーのチリ付いた炭酸のような爽やかな甘みを覚えたが、徐々にその表層は仄かに動物を想起させる生っぽさのある温かい質感の香りに柔らかく覆われ、ジンジャーはその先端をその下を所々で覗かせる程度になった。その下をサンダルウッドが軽さと粉っぽい内向的なくぐもりを持ってまっすぐに走っているのが分かる。表層を覆い始めた香りの一群の先端は絞られており、その凝縮加減は汗ばんだ柔らかな子供の皮膚のような酸味、そしてそれと対比して中心の広い面には仄かな乳臭さを表面に感じる事ができる。それが乗っている最奥の層にはサンダルウッドのまろやかな粉っぽく優しい甘さにアンブロキサン系のわずかな閉塞感のある内にくぐもった透明な樹脂香が混ざるのを感じられた。
やがて中腹に位置していたジンジャーが上方に拡散されてゆき、マスティックの角の丸い緑の苦みが上に重なり始めた。ジンジャーはその上に被さっている甘く優しいブランケットのような香りの一群を鼻の前に押し出してゆく。それらが未だ表層に位置している酸味の控えめになった柑橘の透明な露に反射しつつ、ジンジャーの下敷きの粒の大きな煌めきを透かした状態で近付くほどに、動物性の生っぽい質感はジャスミンや白い花、ローズの面影で形作られているのだと気付いた。独特の乳臭さはベースのサンダルウッドが母体のようであった。この香りだけベースの深くに根差し、拡散が他の香りより遅く尾を引くような粘性を感じた。時間が経つほどにこの粘性に捉えられて拡散し切らない緑や花の甘さを含んだ柑橘系の香りが鼻の前にまばらに残されて行き、それらのトップからベースまで一筋ごとにへその緒のように編まれたつながりが更に立体的に感じられて面白かった。

それらもまた徐々に柔らかく筋を切って拡散してゆき、最後はサンダルウッドのかすかなドライさを持つパウダリーな乳めいた優しい甘さとアンブロキサンの硬質さをそのままに横に走るようなニュアンスがきれいに残される。

 

 

共有される肌

このように、ナーチャーは花や果実の酸味が人の体臭を喚起させる香りとして配置され、さらに本来の肌にパウダリーな最奥の香りが張り付き素肌に擬態するような、全体を「気泡」「花々の動物性」「パウダリーな素肌」に分類できる構造はN°5と共通している。

しかしながら、違いでまず上げたいのが、終始トップからラストの香りまで見通せる透明な構造になっている点である。N°5が全体を通して「素肌の香り」を作り出す展開であり、核であるパウダリーさがトップ~ラストを通して徐々に育ってゆく上から下に移動する構成に対し、ナーチャーは早々にトップのマスティック、中腹のジンジャー、不変である最奥のアンブロキサンとサンダルウッドまで全貌を見せてしまい、

完成系である素肌の香りが最初からベースノートとして存在することが前提にある状態で、ベースノートはその上に乗った主に変化を見せてゆく層である香りの一群に干渉できるが己はほとんど他の香りには影響されないといった関係性。つまり下から上へ放出される形でN°5とは対照的に展開してゆく。

第2の皮膚の形成されるという点は同じだが、Chanel N°5が「淑女」か「娼婦」どちらも取り込んだことでどちらも選べる素肌の香水であることに対し、素肌の部分が固定された現代のスキンフレグランスは選ぶことができない。いや、もはや何者か選ぶ必要がないと言えるのかもしれない。

「選択できる多様な個性」こそが表向きのペルソナであり、その奥は皆同じ清潔かつ(そのコミュニティ内で)理想的な上位の皮膚の要素を持っているということ。そしてその価値を同じ所有者として共有すること。N°5とは対照的に、Ck1を経た現代スキンフレグランスの欲望はその集団知的なものにあるのではないかと思えてくる。

 

 

100年もたてば人の望むものも変化する。

両者に優劣の問題はなく、担う欲望が対照的なのである。

ただ、人間の肌、そしてそれの香りに対する欲望は今も昔も変わらず存在し、香水は常に人々の望む肌を演じてきたということだ。

それであっても、その奥の本当の肌の香りが無ければ完成しない。

 

そんなことを考えて歩いていたら、気付いたら丸の内まで来ていた。
ここまで来るともう銀座のあの肌の香りは消え失せ、辺りは高級で清潔な洗剤のようなベースノートの香りしかしなかった。
ふと今まで当たり前のように隣にいた誰かがいなくなったような気がして、コートの中に一層身体を埋めて地下鉄への階段を急いで下りた。

 

 

フレグランス Official site | CHANEL シャネル

Shop | 100% Natural Eau de Parfum | Abel

 

 

この記事を書くにあたり、TANUさん(https://lpt.hateblo.jp )からのサンプル提供等で多大なご助力を頂きました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

今回は駆け足での記事となりましたが、改めて完全版を執筆してゆこうと思います。

来年も精進してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。