polar night bird

香りの記録

105.冬と春の間《No.12 (Puredistance)》

着実に春になって行く。

私は冷たい外気が好きで寒い日には敢えてカフェでテラス席を選んで過ごすのだが、徐々に寒さが辛くなくなって行くことに気付いてふと寂しさを覚えた。

 

この日はピュアディスタンスのNo.12を付けてテラス席で過ごしていた。

外は人が疎らで、都心の休日らしくないゆっくりとした時間の流れる日であった。

 

No.12は10月前後に発売になった12番目の、コレクションを締め括る香りであるが、当時それを嗅いだ時、私はひとしきり寒い期間を共に過ごしてから所感を書いてみたくなった。

しかしそうこう考えながら日々共に暮らしていたらもう春が近い今になってしまっていたのだった。

早速記録を残したい。

所感は以下。

 

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(公式サイトより引用)

 

公開されている調香は以下になっている。

 

トップ:ベルガモットオイル、マンダリンオイル、カルダモンオイル、コリアンダーオイル、イランイランオイル、ナルシスアブソリュート

ミドル:ジャスミンアブソリュート、ローズオイル、ゼラニウムオイル、スズラン、オレンジブロッサム、オスマンサスアブソリュート、オリスバター、ヘリオトロープ 、へディオンHC

ベース:ベチバー、サンダルウッドオイル、パチュリオイル、オークモス、トンカビーン、アンブレットノート、アンブロキサン、バニラ、ムスク

 

肌に吹き付けると一瞬トップのさわやかな柑橘とスパイス系の混ざり合ったコロンめいた香りが広がるが、それを追うようにイランイランの酸味と平行脈の緑を伴う花の香りが凝縮された一群が奥から現れ瑞々しさを吸い込みながら嵩を増して行く。

それに回収されずに外側まで広がり切った甘さの控えめなスパイス類の内にこもった乾いた香ばしさは、よく聞くスパイスの粗目で拡散する粒子感よりきめ細かくどちらかというと種の青みのある表情に近い。それらはさらに細かく挽かれアイリスやヘリオトロープ系の、やや低調でひんやりとした調子を持つきめ細かいパウダリーへと変化しつつ外縁を取り巻き始めた。

一方で存在感を増して行った中心部はオスマンサスの甘みの強い蜜っぽさが幾分か増しており花粉と花の蜜がコンポートされている様な花弁の茶色く熟した濃厚さを思わせる湿り気を内包していた。そこを覗くと奥に行くに従って薄暗くなり最奥は見通せなくなっているた。それは薄い氷の膜を通して湖をのぞき込んでいるような色合いで、その淵には所々張り付くように縦に筋張った緑めいた花の香りが感じられ、鼻を動かすたびにその香が尾を引くように付いてくる。ただ、その湿潤した中心部は冷たさの根源ではなく、中心部から離れた外縁付近を取り巻くパウダリーの涼しさとは対照的に、動物的でもある春の汗ばむような気候の肌の温度を思わせた。

その濃厚な花のアニマリックな香りの集合体は時間と共に徐々に水分が抜けてゆくように、スズランの黄緑めいた鋭角的な花粉感やサンダルウッド、種のやや乾いたニュアンスのまろやかさが奥の方から明るさと共に増して行く。

そしてある時、それらに縁取られつつ未だ花の濃厚な凝縮感を保っていた塊の最奥が柔らかく割れ、その中から柔らかく甘いベビーパウダーの様なヘリオトロープとムスクの球が姿を現した。その様子が何ともこの中心の塊は生まれたてのあどけない生き物であるように思えて面白く感じた。

そのムスクの塊が現れると同時に、それが纏っていたきめ細かい温かいムスクとヘリオトロープの粉が滑らかな床に撒かれたように軽やかにあたりに広がって行った。その香りが既に外縁に溜まっていたトップの柑橘の痕跡を感じさせる白い粉っぽいアイリスの冷たさのある香りと合流すると、まるで辺り一面が淡い水色と乳白色のグラデーションを描いている様に映り始めた。

ふと中心に視線を戻すと、かつてムスクが包まれていたが今は陰影程度に感じられる花々の凝縮した層から、ローズの華やかな花弁の香りとクラシカルなやや金属めいた軋みを中心に、ゼラニウムの鼻に抜ける青みと酸味、縁に追随してゆく明度の高いジャスミンの蜜っぽい甘酸っぱさで構成された金色めいた光沢を持つ線が大きな円を描いて空間に広がり始めていた。

淡い水色と白で構成されたグラデーションの空間を走ってゆく密度の高い帯はそれらの質感と速度とは異質に映え、まるで近未来の線路であるような明るい光沢と滑らかさに感じられた。この煌めくローズの線は空間を走るほどに周囲のきめ細かい粒子に花のやや湿潤で重い緑めいた香りを染み込ませて行き、そしてまたローズの密度のある香りも徐々にアイリスやムスクの淡いパウダリーさに外側から染まって行っている様であった。

中心の生き物のような核はその産毛のような柔らかなムスクを広げ、私の肌の動きに合わせて緩やかに転がりながら金の帯から落ちてくる花の花粉をその身に受け入れていっていた。一方それが広げていたムスクの香りは時間の経過とともに溶け出すように外気のグラデーションに繋がっていった。それと同時に中心にはサンダルウッドの密度の軽いくぐもったウッドの香りが増し、そこにゆっくりと撹拌されながら混ざり込む様に仄かにジャスミンの甘酸っぱさとバニラがローズの熟した褐色のコクと相まってやや香ばしさを感じる香りが現れ始めていた。

時間的にラストを迎える頃になると、華やかに走っていた金の帯は時間と共に細く遠くなって行き、辺りの粒子が全面的に花の香りと混ざり切っ多と同時にふつりと姿を消した。この段階になると水色と白色のグラデーションは淡い白い空間に時折ごく仄かに点々と色が映り込んでいるような静かな色合いに落ち着いている。それらは賑やかさの余韻を残しながらやや酸味と瑞々しさのある白い花の花粉のような香りとなって静かに漂っていた。

核のパウダリーさもまた全体にほとんど同一化していたが、輪郭の曖昧になったその奥からはトップノートに回帰する様なパチュリとオークモスの湿り気が顔を出しているのに気が付いた。それらはパウダリーな層に守られながら息をするように微弱な膨張と収縮をゆっくり繰り返していた。

 

ここまでの一連の運動は、終始きめ細かいグラデーションで繋がって描かれ繋がっていたのがとても面白く感じた。

一見動きの性質も密度も違う核のムスク、ローズの金の帯、大気中のグラデーションの全てが細密なグラデーションで描かれている。

それらはどれもよくよく近付いて吸い込むと同じサイズの粒子で形作られていた。そのすべて均一に整えられたごく細かい粒子で構成されるグラデーションは、例えればCGでも油絵でもなく、シルクスクリーンで描かれた明るい近未来的なグラフィックの様で、そこにはアナログでどこか温かい懐かしさが付随する。

No.12は高潔で華やかな冬の香りであることは確かなのだが、私は不思議と毎回その香りの持つ温かさと懐かしさが一番印象に残った。

それはすべての香りが各々呼吸をするように他者を吸い込み、自分もまた他者に吸い込まれる。そういった香りの中で展開される有機的な関係性の温かみなのかもしれない。

 

No.12は1つの終わりでもあり、そして新たなスタート地点でもある。

そのパウダリーなグラデーションの感じさせるノスタルジーと明るい近未来感が、今後どのようなピュアディスタンスの香りに繋がってゆくのか楽しみであった。

 

ひとしきりNo.12を聞き終わった時、気が付いたら90年代のまだほんの幼い頃に白く清潔な壁に掛けられた色とりどりのシルクスクリーンで刷られたお気に入りの絵を見上げていた時の、これから先の全ての未来に対する浮つくような期待感と、その部屋に差し込んでいた明るい陽射しを思い起こしていた。

 

外は体感以上にまだまだ寒いようで、頼んだカフェオレはいつの間にか冷え切っていた。しかし肌や鼻で感じる風は確かに暖かな春の陽気であった。

白昼夢の様に明るく穏やかな午後の気に当てられて、全てが懐かしい記憶に結びついて行く様な気がした。

 

 

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