polar night bird

香りの記録

104.初夏の陰影《DES CLOUS POUR UNE PELURE(SEAGE LUTENS),THE GINZA(THE GINZA)》

珍しく資生堂を訪れた。

爽やかでやや暑い、気候だけなら平和な日であった。昼下がりのまだまだ明るい日差しから身を隠す機会を逃したまま表通りを彷徨っていた所、何の気無しに覗いた資生堂店舗の奥に置かれたボトルの、目を引く鮮やかさながらどこか薄暗い青い色に惹かれてつい扉を潜った。

 

私が見たのはセルジュ ルタンス、コレクションポリテスのデクループールユンヌプリュール[釘の花]だった。(直訳は和名と少し違う様だが、何故だかは聞きそびれた)

説明によるとシングルノートでの作りらしい。

確かにムエットでは基本的にはあまり変化は無さそうであったが、私の肌では中々大きく変わった。

トップはオレンジが主軸で弾けて香る。そのオレンジは同じ場所で形作る皮と青みと果実の汁感の差も具体的に描写されながら、主張は果実の甘さが強い。トップらしい瑞々しさはあるものの完熟した彩度の濃く重い橙色を彷彿とさせる。

調香ピラミッドを見るとミドルにクローブが含まれている。その甘みのあるクローブが全体の下部を中心に捻る様な暗く粗いチラつきで覆い、深い陰影を形作っているのが分かった。ただ、クローブの他にも色々と入っているはずである。そこにはラストに配置されたナツメグクローブよりも明滅が細かく体温の低い甘みとシナモンにも似た熱量が加わり、目を凝らせば絶え間なく生命活動を行なっている様な有機的な明滅がある。そこの香りに着目し導線とする事で、光の当たるオレンジの部分にも熟し切った果実特有の花粉に似た、鼻の奥がジリジリと焼ける様な鋭利さを内包していることが分かった。

その陰影の脈動とのコントラストによって光の当たっているオレンジの香りもまた具体的に細密に描写されてゆく書き込まれてゆく。主軸の香りは終始柑橘系だが、全体の運動は陰影部分のスパイスが司っているのように思えた。

この後は普通であればこのまま香りが凝縮し、さらに熟してゆくところなのだろうが、暫くするとオレンジの果肉の甘さと果汁感が遠のき、比較的運動がのっぺりした青みがオレンジを覆うように感じられるようになった。トップがオレンジそのものの重量感を感じられたのに対し、それを支えていた甘暗い陰影も青みが増すにつれて薄れていく様子は、オレンジから剥かれゆく薄皮、そして皮へと視点が移ってゆく印象を受けた。

オレンジの青みはその後も増してゆく。ナツメグもかろうじて感じられはしたが、それは冒頭のような陰影としてではなく、オレンジの皮の裏側の毛羽立ちのような質感として感じられ、コロンやトニック系香水のトップノートのベルガモットのような彩度の低い苦味を帯びた青み、そしてその周りを取り巻くのはトップのスパイスの熱とは対照的な香りの粒に冷たさのある液体となった。それは浅く広がるというよりは運動は緩やかで底がやや深い。先にトニック的と書いたが、イメージできる情景的にも剥きたてのオレンジの皮を冷えたトニックに放り込んだような透明感がある。

ドライダウンの段階になると、もはや柑橘の皮の香りは完全に透明なトニックの底に溶け込んでいた。ジュースの色とようやくリンクしたフラットな情緒の冷たい立ち上がりを見せ、あのトップの具体的なオレンジの鮮やかさや陰影の熱っぽい明滅や重厚感もなくなった。それは気分の悪いものではなく、香水のトップノートに立ち返った・あるいは漸くここでトップノートになったのかと思わせる全くの別物のような変わり身であったので寧ろ面白く感じられた。

 

さて、そうやって香りを吸い込みながら青い色を眺めていると、近くに陳列してあったTHE GINZAも目に入った。

前者とは対照的でもある明るいリンデンの色合いだ。

 店員さんに頼んでこちらも試香してみることにした。

 

調香は

トップ:スダチ、スイートオレンジ、バイオレットリーフ、レモン、スイートマジョラム

ミドル:リンデン(2種)、ブルーム、ローズ、ジャスミン、ミュゲ、イランイラン

ベース:三温糖、ベンゾイン、白檀、セダー、ムスク

 となっている。

トップはやや緑の葉にも似た淡い緑色を中心に始まる。一方でトップの段階から全体にパウダリーなリンデンや丸みを帯びた形の葉が明るく爽やかな風通しで広がっており、スダチもその酸味よりも青さと穏やかさをもってその大気の中から突出することなく、同じ大きさの粒子に揃えられて溶け込んでいる。その空気を深く吸い込むと、最奥に干し草に似た乾燥した香ばしい甘さが微弱に感じられる。分かりやすい柑橘の酸味は薄く、時折局所的に風が吹き抜けるように酸味が現れて鼻を通り抜けて消えてゆく。

上を見ると、全体よりも生っぽい個体のような密度と湿気のある香りに行き当たった。緑茶のような熟成したまろやかさとコクを伴った、緑めいた花の香りである。リンデンの様でもあるが、リンデンのみというよりもその背後の水気の様々な花々や青葉の香りも同時に風に乗って来るように捉えられる。それを見上げながら全体の輪郭を追ってゆくと、その花の重みのある層を表層として大きな円形にまとまっていることが分かった。そこでふと再び表層の質感に意識を戻すと、先程よりも水気が増しメロンのようなほのかに青い蜜めいたジューシーな甘みが、自分の位置する中心に向かって徐々に染み込む様に降りて来ていた。

その液体的なメロンの香りは、おそらくイランイランやジャスミン、ローズのアニマリックとも取れる熟した花粉が混ざり合って醸し出しているのだろう。スダチの香りの中から浮き上がってきたスイートオレンジの体温の高い甘酸っぱさと合流し、大気に当たるやや香ばしさのあるリンデンの明るい緑の空間とグラデーションを作ってゆく。そしてまったりとした肉厚な縁からは、今度はジャスミンやミュゲの仄かに鋭角的な甘さの棘を持つ外に向かう濃い緑の花の香りが現れ始めていた。

その縁は未だに分厚い幅が均一を保っており、そのボリューム加減は南欧の耐熱皿の縁を彷彿とさせる。遠目から感じれば滑らかな手触りの磁器的でもあるのだが、良く観察してみると中心と同じくパウダリーな粒子の集合である。目の細かい粉末を圧縮して固めたような密度ある質感が一見個体の重さを感じさせるが、粒の大きさとしては中心のリンデンなどと同じ大きさであることが分かる。

この時点で、今度は縁が纏っていたある種の緑の生っぽさが徐々に抜けていっているのだと気が付いた。香りを振らせ切ったのだろうか、風で砂山が崩れていくのと同様に圧縮して固められていた粒子の間隔が開き、その間を中心にそよいでいる明るく適度に乾燥したパウダリーな風が通り過ぎてゆく。それに合わせて一度は強まった縁の色合いも再び白さが増し、中央の明るい黄緑色に近づいてゆく。

 さて、時間の経過と共にパウダリーな層が風にかき分けられた先にムスクの透明な層が見え始めた。今までの香りに比べて無機質な鼻触りと流れ方で、これがラストの底なのだと感じさせる。縁にはジャスミンやイランイランの、やや外に巻くような癖のある花粉のニュアンスが未だ残っている。それらは内側からの風の遠心力でしばらく縁に留まった後、少しずつ遠退いていった。

代わりに、空間内にはセダーなどの乾いた仄かな苦味のある葉の様な香りがリンデンの空間に混ざり始めていた。そこで、その香りの質感と似た三温糖のややカラメルめいた香ばしさのある甘さも改めて感じられるのだが、この優しいが深みのある甘さが常に全体のリンデンに混ざって全体を循環しており、各情景での花の甘い香りのジューシーな染み出し方を担っていたのではないかと思えてきた。

THE GINZAのトップ〜ラストの動き自体はとても穏やかでほぼ等速で展開されているようではあるのだが、通りを歩いている際に鼻元まで降りてきた木々に咲く花の香りが風で舞って過ぎ去って行くように、外→内の運動であったものが、ゆっくりと内→外への運動に変化していくのである。

この大きな循環そのものが香りの中に終始感じる「風」であり、その中のリンデンの甘いながら情感をクールダウンさせるような香りによっても温度が調整され、湿気のない青空の広がる爽やかな風通しが実現されているように感じた。そしてその整然とした流れとシンプルな構成によって、舞台が香りが縦横無尽に飛び交う自然の中ではなく、あくまで人によって整えられた都会の通りとしてもイメージできるのである。

今も風がさまざまな季節の香りをどこからか運んで来る季節だが、晴れた良い日はこの香りのような香りの飛び方をしている。

 銀座の菩提樹の咲く並木通りをイメージしたと聞いたが、納得の描写であった。

そして一貫して彩度のきつくない色の集合のような明るさが続く点が純粋に心地よかった。

 

 

両腕に香水を拭いてもらった状態で店を後にし、早速人気のないカフェに入って香りを確かめた。

クループールユンヌプリュールは陰影で全体を形作り、対してTHE GINZAは光の点描で描かれている。

偶然対照的な2本を同時に試香できたことは幸いだった。

 

カフェで出てきたコットンケーキの皿は青い模様があしらわれており、コーヒーにはそよ風が吹き込む開いた窓の先の青空が写り込んでいた。

陰影や色合いを、いつもよりゆっくりと観察して食べた。

 

 

 

セルジュ・ルタンス - SERGE LUTENS

 

ザギンザ‐THE GINZA