polar night bird

香りの記録

97.龍の根城《Winter Palace (Memo)》

引っ越した先は豊かな秋の香りに包まれている。

仕事帰りに歩いていると、イネ科の植物の垂れた頭のように降りて来る甘く乾燥した香りが丁度鼻のある位置を通り過ぎ、ある時は遠くの畑から野焼きの苦味のある香ばしい香りが風に乗って駅までやって来る。

春先に甘い花の香りで眩惑してきた小道も、確かに未だに芳しい不思議な香りを放っているのだが、その奥の緑には朽ちかける前の熟した香りが混ざり込んでいた。

そんな香りを感じるたびに引っ越して良かったと幸せな気分になるのだが、

この速さだとあっという間に冬になるだろう。

(秋が終わる前にこの記事が公開されていることを願う。)

 

 

夏に購入していたサンプルをまだ本腰を入れて試香していなかった。

因みにMendittorosaのTALENTO、ITHAKAその他諸々を取り寄せたのだがそれはまたの機会に書こうと思う。

その中にMEMOの新作であるWinter Palaceがあり、季節外れだったからか印象に残っていた。

しかし今では丁度良い季節だ。

改めて聞いてみる事にした。

 

 

所感は以下。

 

きめ細やかな泡立ちが表層を覆っており、そこに入り込み奥に潜って行くとそれがジュースのような瑞々しさと奥が見通せない不透明さを持っている事が分かる。

これは紅茶とマテの茶葉の発酵する深みが由来だろう。ただそればかりでなく、この香水は花々の代わりにベンゾイン、トル―バルサム、グルジャンバルサム、スタイラックスなどの樹脂系の香りがふんだんに使われている。

それらの凝縮された重量感があるものの、噛み潰した歯の間から滲み出るような液体的な甘さをもった香りのニュアンスが、周囲に点在している柑橘の水玉の様な甘みを伴った酸味のある香りを巻き込みながら、回転していると分からないくらいのゆっくりとした渦を描いて奥へ奥へと沈み込み熟してゆく。

その香りはまるで乳酸菌飲料のような、不透明で鼻腔の半ばで広がりその質量感を改めて感じるような圧を作り出している。表層の泡立ちは熟成の泡なのかもしれない。

しばらく時間が経つと熟成が進んでくるのか、泡立ちも弾けるような摩擦より溜まり込むようなクリーミーさが増してゆく。それに比例してバニラやベンゾインといったベースに配置された甘みの要素が、同じくベースのムスクの産毛めいたパウダリーさを纏って時折顔を出すようになった。ただそれらも静かなもので、鼻を掠めても特に目立った主張は無く、程なくして全体の流れに溶け込んで乳酸菌飲料の中に広がってゆく。

この辺りで、その歩みと共に全体は円柱型に伸びた構造をしていることに気が付いた。香りの先に意識を伸ばすと、端に行けば行くほど厚みは薄く軽くなってくる。最奧に至っては風を受けて揺らぎが起こるたびに細かな気泡が弾けるような明滅が起こっており、その先には冬特有の澄んだ強い日差しで真っ白になった銀世界の大地と清涼な冬の白んだ青空が広がっていた。

ただしこれはしばしばオークモスなどが入り込むことで作られる、そこに立っているような臨場感のある空間的な広さではなく、窓越しにそれを眺める静けさを伴う距離感と平面感で不思議なビューポイントのように感じた。

その地点を通過するとラストに配置されたラブダナムとアンバーが露わになるからか、全体に風の様なドライな圧が加わり始める。トップから続く茶葉の深みのある香りが表面に被さっているが、その奥は樹脂系の香りが多いため、ラストまで半固形的な密度と厚み、熟成されているような湿度は無くなっていなかった。

また、先に書いたように今回はバニラもまたその渦の中に巻き込まれている一要素だが、それがラストでムスクと主に結びついた様が良く見える様になる。それらはアイリスやバイオレットのようなパウダリーな香りとして白い陶器や磨かれた象牙や白骨を手でなぞるような滑らかな質感をもって感じられる。

 

 

全体の変化の流れには自分自身が揺れていると言うよりも自分を包み込む大きな何かが動いているような泰然とした緩やかさがある。

長い回廊を流されてゆくトップ、尻尾や立髪や髭のように軽やかに揺れる香りの縁が見つかるミドル、そして最奥にある骨とその周辺を吹き抜ける風は各々の質感とスピードは違えど、揺るがぬ軸となっている熟成するような流れの中で連続した一つの生命体として運動を行っている。しかし生命感はあるものの、不思議と分かりやすい体温感やある種の臭みは終始感じられないのだ。

香水の解説では、中国の城の上空に龍のいる情景が書かれていくが、私が終始感じていたのはその龍の体内にいる感覚であった。

 所感を銘へと落とし込んでまとめるとしたら、どんなに絢爛な根城があろうとも、自由に空を飛び回る龍の本当の城は、結局それ自身の身体の事なのだという事なのかもしれない。

 

 

 

 

この記事を書いているうちにサロンドパルファンも終わった。

その中で日本に上陸したHermeticaはあの会場にあって今のニッチ香水業界をうかがい知る事の出来る良いブランドであったように思う。

 

私はというと、矢継ぎ早に展開される華やかなニッチ・メゾン香水業界を追う作業からは半ば身を引き、やっと自作の香水の新作を完成させた。

世界は広い。

その無限に広がる空に放流されたちっぽけな龍として、同じく無限に散らばる香り達を自由に楽しみたい気分なのだ。

 

 

 

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