polar night bird

香りの記録

100.箱庭の香り(S.C)

コロナ禍で、外出時にはマスクを手放せない日々が続いている。

マスク生活の何と辛い事。

自分の動物性の香りが不織布によって鼻の前に押しとどめられ、おまけにいつもなら無数の香りのおかげで気にならずに済んでいた食べ物の香りやきついシャンプーの香りなどに限って、何の用があるのか真っ直ぐマスクの中に入り込んで来て半ば強制的に嗅がされるのだ。

6月の始めにふと無意識にマスクを外してしまった時があった。クチナシの甘やかな水っぽさと世界に変わらず満ち溢れる丸みを帯びた緑の香り、それをたっぷりと含んで地面から立ち上る雨の香りのどこまでも広がる豊かさに思わず落涙しそうになったが、実際はそんな情緒を持ち合わせていないために溜息を吐きながら帰った。

そこで私は自覚している以上に嗅覚と自然の香りによって生かされていたのだと痛感したのだった。

 

さて、最近は流石に狂わないように香水を服の奥に微量に付けて通勤している。

今日は今年の初めに満を持してオーダーした、自分のイニシャルのS.Cをそのまま銘とされたビスポーク香水にした。依頼したのは調香技術と香料の調達ルートが信頼できる気に入りのパフューマリーだ。(名前は明かしたくない。だが調べれば自ずと行き当たる名パフューマリーである。)

レシピを教えてもらえていないため、何が入っているかはあくまで予想である。

その所感は以下。

 

トップは王道のレモン、オレンジ、グレープフルーツなどの甘酸っぱい柑橘の香りが現れるが、ベースにあるベンゾインなどの樹脂の甘く凝固した透明な香りと相まり、ソーダの上で泡立つ硬めのクリームやバニラアイスの中に埋まるフルーツを思わせるきめ細かい泡立ちを感じられた。一方で先端は甘いウッド系とバイオレットなどのパウダリーな花々が由来であろう、ベビーパウダーの様に脆く崩れて行く質感を見せており、それら柑橘達の香りと鼻との間に何やら時間的な距離がある事を思わせる。次第に甘酸っぱい香りは平面的に広がり、一方で硬めのクリームの重さは先端の粉めいた香りと混ざり合い、凝固し蝋の様な固さを持ちながら柑橘とは分離し辺り全体を包み込んで行く。それは透明ながらいつしか分厚い層を形成し、外縁を完全に囲ってしまった。全ての香りと温度をその中に抱き込む様は、暑い日の温室、あるいは夏日和の春の昼間を思わせる。柑橘系の香りはその外に向かおうと縦の動線を描いていたが、透明なコーティングに反射され中央で滞留しながら溶けて行くように下層に沈殿し始める。

そのむせ返る様な閉塞的な暖かさの中で所在無く嗅覚を漂わせていると、地面に溶けていった柑橘の中から花の香りが見つかり始めた。

この蜜っぽさとそこから半音突き抜ける金属めいた仄かな青さはローズだろう。前の記事のナエマの様なローズだが、主役を背負った明確なローズではない。見つけたかと思ったらいつの間にか暖かな空気の中に消えて行く香り方は、照り付ける太陽の下何食わぬ顔で咲いている名も知らぬ野生の花の香りに近い。その他見つけられるのはライラックの薄い粉っぽい甘さに、オレンジフラワーの白い花特有のえぐみ。それらもまたその花自体としてではなく、バラバラと細切れに散らばり何の花とも分からぬ小さな花として咲いている。

蝋と樹脂といった生き物の分泌物が作る層のおかげで花の香りもその外に広がって行く事は無い。むしろその花々の表面に浮き出た油脂感も温室の香りを形成する一要素にもなっており、花粉を纏った香りが鼻を掠める度に内部の温度と閉塞感は増して行く。

花々の花々らしい香りは丁度その背丈と同じく足元を抑揚のない横の流れで循環し、下に敷かれた汗の様に染み出すトップの柑橘の果汁感と少しずつ混ざり合う。そしてその閉ざされた空間で花弁の縁から、空間の中心を虚ろに漂うような青みの中に樹脂の甘い重みを帯びた甘酸っぱい香りへと変わっていった。それは、この季節によく出会う枯れた花の香りに似ている。茶色く萎んだ花弁のその花の香りを凝縮したような下方に流れる湿った香りと、自らの花粉と木の乾燥した香りが混ざり合った香りである。

ラストに近くなる度にそれらは完全に朽ちた様にサンダルウッドの甘い香りの中に消えて行く。それに伴い温室の様な辺りの層の水分も失われ、木箱の様な固体感を見せ始める。初めて俯瞰できるその全貌は先程よりもこじんまりとした正方形で、中には木箱そのものの木の香りとベビーパウダーや古い化粧品のようなノスタルジックな香りだけが残されている。残り香は終始常に温室の透明な層を形作っていたそれである。だがこのラストの香りの方に臨場感があり、今まで自分が見ていたのはこの箱が見ていた白昼夢だったのではないかという気がして来た。

 

このように、この香水の密閉された箱庭の中では感情的な変化や物語性は排除され、永遠に続く明るい陽射しの中、熟して地に落ち土に帰る果実や少しずつ枯れて行く花だけに時間がもたらされているようでもあった。

香りを聞いている時は確かに私も箱庭の空間と時間の中に閉じ込められているが、その中の何にも感情移入する隙もなく、花々の朽ちて消える様を終始窃視的な視点で見せられる。

この奇妙な広がりの無さと、我々に無関心に見える香りたちの取りつく島のなさを失敗作だと嫌悪感を示す人間もいそうではあるが、この箱庭の牢獄は私にぴったりのビスポークであると思っている。

私はオーダーの際、「知らない街をさまよう事が好き」「1人が好き」「夜沼辺をあてもなく歩く」と書いた。調香師に悪いことをしたと感じる。かなり難しかっただろうと思う(一次サンプルが通常の倍届いた)。

だが、私はこの香りを嗅ぐと、誰とも感情を共有せず、ただただ何者でもない状態で目の前の私を知らない事物をニヤニヤしながら眺めて歩くような、こよなく愛する孤独な散歩の時間を思い出すのだ。

コロナウイルスのお陰でそんな時間を楽しむ心がすっかり弱まっているのかもしれない。

香水と共に散歩して文章を思いついたらカフェに入る。という楽しみもできなくなった。香水が届いた時にはこんな状況になるとは思っていなかったが、おかげでS.Cはかけがえのない存在となったのだった。

 

クーラーの効いた帰りの電車の中で項垂れて眠ると、丁度S.Cが鼻の近くで香った。

今日も終点まで、蒸し暑く愛しい箱庭を彷徨うことにした。

99.ナエマの赤い薔薇《NAHEMA(Guerlain)》

外は麗かな春だというのに外に出にくい日が続いている。

香水に会いに外を出歩いたのはいつだっただろう。

思い返すと、確かその日の日比谷は新型コロナウイルスの影響で人通りは少なかったが、今よりは活気があった。

だがやはり人混みの力は弱く、風の強い晴れた空の下陽の光とガラスへの反射がいつもより眩しく感じられて足早に店内に入った。

こんなご時世にわざわざ何故出向いたかと言うと、もう一度廃盤となったナエマを試香するためだった。

ナエマは長らく購入を考えながら決断を曖昧にしていた香水だ。

このくらいの名香なら無くならないだろうとたかを括っていた矢先の廃盤であった。

永遠に続きそうだった気分にまかせて散歩が出来る日常も、安定的な人気を誇る名香も、ある日簡単に消えてしまう儚いものだった。

 そんな私の感傷など関係なく、帝国ホテルのナエマは相変わらずの濃厚な薔薇の香りで私を迎えてくれた。

所感は以下。

 

 

この日は肌に載せた直後は薔薇や鼻の香りよりも、トップの水気の多い甘さのないライムを雫として含んだグリーンノートから始まった。

それから徐々にその奥に丸みを帯びた重い香りが浮かび上がってくるのだが、それが近くなる程に感じる、堅固な鉄の様な金属感とそれを覆う蜜のような滑らかな密度によって、これがローズの香りの塊だと気付かされる。

キンキンとした鋭角的な甲高いローズではなく、面として迫って来るような低音を思わせる不透明で深みのある濃厚な赤い薔薇である。

香りの縁は温度の低いパウダリーさを持つピーチやライラックなどが織りなすきめ細かい粒子感のやや彩度と粘度のある甘さを帯びているが、それはローズの香りの塊の内部から振動を伴いながらにじみ出ており、その塊から感じる密度と圧は純粋なローズの他にも様々な物を内包した重みなのだと感じられた。

一方、はじめに空間を作り出すグリーンと柑橘系の粒は、中心と比べると粒子間の距離が均一で、エモーショナルと言うよりはフラットな放射状の往来によって空間作りに徹している印象を受けた。

だがその下層にはヒヤシンスとイランイランが根を張っている。ヒヤシンスは中央のローズのスピードに並走しながら調整するように空間へ馴染み甘酸っぱさを付与させて行き、イランイランはその濃厚さを押し出すわけではなく、むしろその生っぽい薬草的な鼻に抜ける清涼感のある青味で存在を認識できる。

それを手がかりに外側から中心に目を向けると、イランイランはその塊の輪郭を描く様に回っている。それのおかげでローズの塊に実際の薔薇の花弁の端と端がが重なり合っているような肉厚な襞状の陰影が生まれ、それが時間と共に広がってゆく様子が認識できるようになった。

その間、時折薔薇の上空をミドルのジャスミンライラック、スズランが通り過ぎて行く。それは中心のローズに比べたら身体を持たない記号的な気配として、拡散する水蒸気のような青味に乗って均一な速さで軽やかに移動している。

そうやってローズと外界を行き来していると、いつの間にかローズの蕾が開き切っていた。青味のある水蒸気の走る空間は蜜と油脂めいた滑らかさと圧を持つ不透明な深紅の薔薇の質感に満たされている。そこでのローズは、トップの濃厚さはそのままに、固形感よりも粘土よりも柔らかくきめの細かい質感で、滑らかに呼吸する様に緩やかな波立ちを見せている。

トップまでは「鉄」「濃厚な固形」と感じられた赤いローズは、今や大きな生き物を満たす血潮のようにも感じられて来た。

さて、先程までの外界の花々の気配はどこに行ったのだろうか。そう考えながらローズの香りの呼吸に注意を向けていると、その波立つ半固型のローズの粘土で塑造するように、先ほどまでヒラヒラ飛んでいたジャスミンライラック、スズランなどの花々の香りがが局所的に浮かび上がってきた。

その香り方は先程よりもはるかに立体的かつ素材であるローズの油脂感と蜜めいた質感で、皆一様に深みのある赤い色を思わせた。そして一通り造形が終わると、花が蕾を萎ませる様にまた抽象的な形になりローズの波に戻って行く。

全てが中心のローズから生まれ、そしてまたローズに帰って行く。そのような流れるようなメタモルフォーゼがローズの呼吸に合わせて有機的にリズミカルに繰り返される。

 

時間の経過に従ってメタモルフォーゼのパートは弱まり収束してゆくが、それと比例してローズはまた中心に向かって丸く集まり始める。そしてバニラの目の彩度の高い細かいレース状のベールがそれを取り囲む。バルサムの透明で凝縮感のある甘みのある香りがローズの中に入り込み、コーティングがなされてゆく。それによってローズは先程の広がり続ける血のような臨場感のある半固形から突然時間が止まったように最初の鉄の様な固形に戻って行った。だが内包しているものを放出し切ったのか、香り立ちの体積感はトップに比べて小ぶりだった。

ローズを取り囲むベースノートは質感のみで透明でありながら、サンダルウッドの甘味を吸った粒子やバルサムの滲むような液体感、フルーツの水気を含んだシャープな粒が自由に動く香り方などが光を取り込むフィルターとして幾重にも目の前にかけられて行き、ローズの形は更に抽象的になりながら遠く離れて行った。そのラストの覚醒感、空間が再び明るく開けて行く様子は、今まで誰かの夢を見ていたような気分にさせられた。

 

ここまで濃厚なローズの独壇場の香水は今日では珍しいと思う。

だが決して重い訳ではなく、何時でもどんな時でもタイムレスに香る香水である。

 

このナエマは千夜一夜に出て来るナエマ姫の物語をテーマに作られているらしい。

(だがこの物語は実際の千夜一夜には無いとされる)

どんな内容かは「ナエマ 物語 ゲラン 」と検索すればすぐに出て来るので私の記事では割愛するが、この香りを聞いた後に読んでみると、ナエマの香りは自己犠牲のお姫様の物語と言うより旧約聖書においてアダムの従順な妻となる事を拒否して自らの意思で楽園を離れたリリスの姿と重なる。

薔薇のルーツは中東である。キリスト教と結び付く百合とは対照に、西洋の規範の外からやってきた魔術的な異端の花である。

本来誰にも何にも従う必要の無い自由な薔薇は、その意思のままに、どのような者にもなれ、どのような場所にも行け、どのようなものでも生み出す事が出来、そしてそれら全ての母になる事が出来るのである。

 

 

 

いつもなら試香をした後にはしばらく香りと一緒に遠回りして歩くのだが、今回ばかりは大人しく家に帰ろうと思った。

だが人が毎日何人も床に伏し世界全体が混乱に陥っている最中でも、崖の下の資産家の庭に生えた桜は去年と同様満開だった。

さらに近所の家のには赤・桃・白三色の丸く可愛いらしい桜が咲いており、そのついでに立ち寄ってしまった小径は相変わらず芳しい花々の香りの気配に満ちていた。

そうしてたどり着いてしまった先の、訪れるつもりのなかった沼辺のベンチに腰掛けた。

いつもと変わらない風に吹かれていると、腕に乗っていたナエマのローズはドライダウンのベールの奥に完全に消えて行った。

 

 

 

 

www.guerlain.com

※もう日本語HPには情報がないが、私が訪ねた時点ではまだ店舗にはナエマの在庫が極僅かにあった。

98.黄金の銀河《GOLD(Puredistance)》

香水の良い悪い関係なく所感を記すモチベーションがどうも上がらず、もうブログを書くのをやめようかと腐っていた去年の暮れ。ポストカードと共に舞い込んできた新作GOLDが染み込んだムエットに一瞬で退屈な気分を覆されたのを今でも覚えている。

モダンで均整の取れた香りだが、よくよく聞くと何やら重厚な渦の巻き方をしている。

そんな普段とは違うファーストインプレッションがあったため、その後試香の機会があったら是非とも実際に肌に乗せて試香したいという願いを持ち続けていた。

その矢先、1月の半ばに表参道にてピュアディスタンスのポップアップショップが期間限定で開店する知らせを受け取った。

 

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ポップアップショップにて撮影

GOLDを実際に肌で試せ、なおかつ他の香りとも比較できる貴重な機会を逃すまいと、その日私は全ての予定を後回しにして会場に向かったのだった。

 

会場ではピュアディスタンスの全商品がガラスの工芸品に囲まれて陳列されていた。

タヌさんを始め、運営の方々が丁寧に商品説明をして下さったおかげで全ての香りを思う存分試香できる素敵な環境だった。

 

そしてもちろん会場に入って一番に試香したGOLDは、やはり肌に乗せないとその真価の分からない香水だった。

ムエットでは分からなかったが、まず香り方の質が明らかに違った。

そもそもこのGOLDは香料の出所からして他の香りとは違う。会場でお聞きしたのだが、今回の香料は独立系の香料会社のものであるそうだ。

(その香料会社についてはタヌさんのブログで詳しく取り上げられている。)

巷に主に流通している、ジボダン、フェルメニッヒ、IFFと言ったメジャー会社の香料の製品としての硬質な隙の無さと比べ、香りの一つ一つが香油に近い有機的な柔軟さと湿度、良い意味での揺らぎを持っている事が分かる。

加えて、その後定期的に付けてみて思うのは、噂通りこの香水は日によって本当に香り方が違う。ただ、この香り自体が持つ揺らぎと柔らかさがGOLDの壮大な展開を可能にしている大きな一因とも感じる。

 

そのため、以下の所感は従来以上に香りの変化の一例だと思ってほしい。

 

トップはトップらしいマンダリンやベルガモットの爽やかかつ内に篭り気味の苦みの伴う香りがある程度全体に広がった状態で始まった。

速度としてはゆっくりとした拡散で、それは、すでにこの時点でトップの奥にそれ以降のジャスミンを始めとするミドルからベースノートまでの情報が1度に見渡せるように、均一な速度で提示されていることが理由だろう。

足を踏み入れると、一際湿り気のある花々の動物的な熟した香りを中心として、乳白色の陶器の手触りのような、密度の高い滑らかな質感の樹脂達がゆっくりと非常に大きな円を描いて全体の動きを作り出している。中でもミルラやスタイラックスのような樹脂特有の水気を含んだ甘みが一番外側を移動し縁を作り出していた。

次の瞬間、カストリウムの動物的な湿気が輪となり中心から外縁まで走り抜け、香りの間を縫うように染み入った。それが上層を覆う苦味のある彩度の低い緑色を帯びた柑橘の果汁の細かな粒と、時折渦から浮き上がりながら広がるベチバーの低調さとスパイスが作り出す表面のザラつきと微量な摩擦を起こすお陰で、その瞬間瞬間に視界に収まる限りの形状を把握できるようになっていた。

それは、この香水に使われた全ての香りが、熱されてまだ固まっていない液体の黄金の中に投入されゆっくりと銀河のような楕円型の渦を描いて混ざり合っているような印象だった。

しかし、香りは1方向に渦を形成しているわけではない。

トップの柑橘の香りの層はゆっくりと広がった後に外から内へ、尾を引きながらベースノートの流れの奥に潜水し、中心に向かって収縮して行く。そしてそれと入れ違いになる様に、かつて樹脂の甘さと共に中心に凝縮されていたミドルのジャスミンの、ややアニマリックさも感じられる甘い香りが広がり始めた。

ベースのパチュリはその深みのある青味と湿り気を残したまま最初から広がりきっている印象で、カストリウムと共に全ての香りに均一な重力をもたらす役割が与えられている。

それに加えてカストリウムの往来する速度と、先ほどよりも柔らかく粘度の低い滲み出る液体のように変化した樹脂の質感の影響か、往年の古典名香の様な動物的な熟した花の香りが肌と香りの微細な溝にまで染み渡り下に落ちて行くような匂い立ちが増してゆく。それは先に言ったようにトップと対照的に内から外へと拡張して行くが、トップの粒子が収縮する香りの引いた尾と交差する時、柑橘の酸味、クローブやペッパーの鋭利さのある粒子。と言ったような香りのイメージが連鎖的に結び付くことで、ジャスミンの花の香りの基軸を取り巻きながら螺旋を描く爽やかな青い酸味のあるゼラニウムや、パチュリの水蒸気を含みながら薄い雲の様に広がる甘いシスタス、しっとりした樹脂の中に散見されるシナモンの温かな細かい木端のような乾いた粒子の香りを認識出来るようになった。

ジャスミンが外縁の果てまで到達すると、その縁取りをする様に沿いながらレジンの流れに一体化する。ジャスミンと共に広がり切ったシスタスのある種の閉塞感のある香りの粒が割れる様に下層に落ちて行き、今度はその中からバニラとトンカのベビーパウダーめいたパウダリーなきめ細かい粉の粒がまぶされるように広がり始めた。一方、今まで柔らかかったレジンは半固形のマットな黄金のような強度を持ち蓋の様に上方にせり出し始めるが、そのさらに奥を覗くと、ゼラニウムの清涼なハーブの香りとベルガモットの滑らかな苦味を連想させる微細な粒子が、ベチバーの粒子に包まれ互いに絡まりながら渦を描いているのが分かった。そしてその中心にはトップを連想させる様な、ジャスミンやマンダリンの瑞々しく清涼感を伴う酸味のある甘い香りが今度は樹脂ではなくバニラとトンカビーンの白いレースめいた薄膜に包まれて溜まり込み、再び広がる時を待っている。

 

こうして香水自体は緩やかなフェードで終わって行くが、全体を通してGOLDにはトップ・ミドル・ベースと変化こそあるものの垣根は厳密には存在しないのではないかという印象を受けた。トップにはトップのトップ~ラストがあり、ミドル・ベースに関しても同じだ。

それが先に述べたように、全て同じ階層に詰め込まれ、調香ピラミッドの分類におけるトップ~ラストが全て瞬間ごとに同時に変化を見せて行く。

だからこそ私たちの香りを聞くアングル次第で、例えばトップがその瞬間のラストに、ミドルがトップに、ラストがミドルになり得る構造になっている。

「香水を吹いて香りが消える」と言った大きな始まりと終わりの中で、香水における一連の始終が同じ演者によって何度も役を変えて終わりなく行われ続けているのだ。

 

GOLDの香りは公式サイトにおいて「さまざまな階調のゴールドがおりなす黄金分割のハーモニー」という言葉で説明されている。

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公式サイトよりGOLDのビジュアルイメージ。

 

その表現はまことその通りで、その香りを総括しようとした時には、かなりざっくり言えば「近代香水の美しさを集めて一つにした香り」のような、数々の名香を名香たらしめた香りの記号を抽象したような香りの印象を持った。

近代香水がこれまで築いて来た黄金律は、柔らかく揺らぎ運動し続ける透明な1つのある大きな方向性の中へと落とし込まれ、それらはその中で更に黄金分割によりパズルの様に組み換えられて新たな黄金律へと有機的に変化してゆく事になる。

日によってGOLDの香りが変わるのも、私たちは最初からその非常に大きな香りの螺旋の只中にいて、その香り全体で幾重にも繰り返され張り巡らされる黄金分割のある部分のある変化にスポットライトを当てて輝いた一分岐を辿っているにすぎないからなのだ。

 

「ラグジュアリーな香水の上質な香り」と括って終わらせても良い香りである事には変わりはない。フォーマルにもふさわしい、美しい実用性のある香りだ。

だが、その奥を覗けば果てしなく続く宇宙的迷路の渦が展開されていた。

香りの宇宙を纏うという事の何と贅沢でロマンに溢れる事。

 

 

 

その日は会場から離脱した後、所感を軽くメモしていたカフェで不意に壮大な舞台装置の様な何かを垣間見てしまったのではないかという気持ちに襲われて胸が高鳴った。

そうなってしまうとソファからその外へと動く気分には到底なれず、暫くGOLDについて考えながらココアを啜っていた。

 

 

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97.龍の根城《Winter Palace (Memo)》

引っ越した先は豊かな秋の香りに包まれている。

仕事帰りに歩いていると、イネ科の植物の垂れた頭のように降りて来る甘く乾燥した香りが丁度鼻のある位置を通り過ぎ、ある時は遠くの畑から野焼きの苦味のある香ばしい香りが風に乗って駅までやって来る。

春先に甘い花の香りで眩惑してきた小道も、確かに未だに芳しい不思議な香りを放っているのだが、その奥の緑には朽ちかける前の熟した香りが混ざり込んでいた。

そんな香りを感じるたびに引っ越して良かったと幸せな気分になるのだが、

この速さだとあっという間に冬になるだろう。

(秋が終わる前にこの記事が公開されていることを願う。)

 

 

夏に購入していたサンプルをまだ本腰を入れて試香していなかった。

因みにMendittorosaのTALENTO、ITHAKAその他諸々を取り寄せたのだがそれはまたの機会に書こうと思う。

その中にMEMOの新作であるWinter Palaceがあり、季節外れだったからか印象に残っていた。

しかし今では丁度良い季節だ。

改めて聞いてみる事にした。

 

 

所感は以下。

 

きめ細やかな泡立ちが表層を覆っており、そこに入り込み奥に潜って行くとそれがジュースのような瑞々しさと奥が見通せない不透明さを持っている事が分かる。

これは紅茶とマテの茶葉の発酵する深みが由来だろう。ただそればかりでなく、この香水は花々の代わりにベンゾイン、トル―バルサム、グルジャンバルサム、スタイラックスなどの樹脂系の香りがふんだんに使われている。

それらの凝縮された重量感があるものの、噛み潰した歯の間から滲み出るような液体的な甘さをもった香りのニュアンスが、周囲に点在している柑橘の水玉の様な甘みを伴った酸味のある香りを巻き込みながら、回転していると分からないくらいのゆっくりとした渦を描いて奥へ奥へと沈み込み熟してゆく。

その香りはまるで乳酸菌飲料のような、不透明で鼻腔の半ばで広がりその質量感を改めて感じるような圧を作り出している。表層の泡立ちは熟成の泡なのかもしれない。

しばらく時間が経つと熟成が進んでくるのか、泡立ちも弾けるような摩擦より溜まり込むようなクリーミーさが増してゆく。それに比例してバニラやベンゾインといったベースに配置された甘みの要素が、同じくベースのムスクの産毛めいたパウダリーさを纏って時折顔を出すようになった。ただそれらも静かなもので、鼻を掠めても特に目立った主張は無く、程なくして全体の流れに溶け込んで乳酸菌飲料の中に広がってゆく。

この辺りで、その歩みと共に全体は円柱型に伸びた構造をしていることに気が付いた。香りの先に意識を伸ばすと、端に行けば行くほど厚みは薄く軽くなってくる。最奧に至っては風を受けて揺らぎが起こるたびに細かな気泡が弾けるような明滅が起こっており、その先には冬特有の澄んだ強い日差しで真っ白になった銀世界の大地と清涼な冬の白んだ青空が広がっていた。

ただしこれはしばしばオークモスなどが入り込むことで作られる、そこに立っているような臨場感のある空間的な広さではなく、窓越しにそれを眺める静けさを伴う距離感と平面感で不思議なビューポイントのように感じた。

その地点を通過するとラストに配置されたラブダナムとアンバーが露わになるからか、全体に風の様なドライな圧が加わり始める。トップから続く茶葉の深みのある香りが表面に被さっているが、その奥は樹脂系の香りが多いため、ラストまで半固形的な密度と厚み、熟成されているような湿度は無くなっていなかった。

また、先に書いたように今回はバニラもまたその渦の中に巻き込まれている一要素だが、それがラストでムスクと主に結びついた様が良く見える様になる。それらはアイリスやバイオレットのようなパウダリーな香りとして白い陶器や磨かれた象牙や白骨を手でなぞるような滑らかな質感をもって感じられる。

 

 

全体の変化の流れには自分自身が揺れていると言うよりも自分を包み込む大きな何かが動いているような泰然とした緩やかさがある。

長い回廊を流されてゆくトップ、尻尾や立髪や髭のように軽やかに揺れる香りの縁が見つかるミドル、そして最奥にある骨とその周辺を吹き抜ける風は各々の質感とスピードは違えど、揺るがぬ軸となっている熟成するような流れの中で連続した一つの生命体として運動を行っている。しかし生命感はあるものの、不思議と分かりやすい体温感やある種の臭みは終始感じられないのだ。

香水の解説では、中国の城の上空に龍のいる情景が書かれていくが、私が終始感じていたのはその龍の体内にいる感覚であった。

 所感を銘へと落とし込んでまとめるとしたら、どんなに絢爛な根城があろうとも、自由に空を飛び回る龍の本当の城は、結局それ自身の身体の事なのだという事なのかもしれない。

 

 

 

 

この記事を書いているうちにサロンドパルファンも終わった。

その中で日本に上陸したHermeticaはあの会場にあって今のニッチ香水業界をうかがい知る事の出来る良いブランドであったように思う。

 

私はというと、矢継ぎ早に展開される華やかなニッチ・メゾン香水業界を追う作業からは半ば身を引き、やっと自作の香水の新作を完成させた。

世界は広い。

その無限に広がる空に放流されたちっぽけな龍として、同じく無限に散らばる香り達を自由に楽しみたい気分なのだ。

 

 

 

us.memoparis.com

 

96.初めての調合《Silk Iris(パルファンサトリ)+メチオナール》

パルファンサトリのオープンアトリエがあると聞きいたので訪問させて頂いた。

 

パルファンサトリの香水は気に入っている香水がいくつかある。

また、最近私は香りの言語化と並行して実際に自分でも調香をしてみようと思いついており、作る側の視点からも学べる展示は行かない理由が無かった。

その日も午前中に別の調香の体験教室で初めて調香の面白さを実体験した。

(その体験と香りについては命名が出来たら後日記事にしたい)

 そして六本木の中華でいつもより丁子が効き過ぎな水餃子を食べた後、午後にアトリエを訪問し、生徒の方々の作品を試香させてもらったのだった。

どれも繊細に考えられて作られており、パルファンサトリの精神を引き継いだ澄んだ形の新しい世代のポストモダン香水的な香り方の香水が多かったように思う。

他には香料も展示しており、貴重なオポポナクスを嗅げたことが嬉しかった。

 

そしてその際、幸運にも人数の関係で調香体験に参加させて頂く機会に恵まれた。

その体験は、既存のパルファンサトリの香りに和の香りをプラスするという内容で、未知であった香料自体の面白さも同時に勉強できたことがとても良かった。

 私はシルクイリスに、醤油の香りであるメチオナールを混ぜる事になり、

シルクイリス2mlにメチオナール0.8mlの配合にした。

 メチオナール自体は、ポテトチップの香りが一番身近だと思う。他には紅茶や緑茶にも含まれているという事で、所謂しょっぱい醤油というよりは芋めいたタンパク質のようなまろやかな香りが発酵した厚みのあるコクが印象的の香りだった。醤油だけでなく、味噌にも魚醤にも、バルサミコ酢にも感じる、嗅覚の上の方に蓋をされるようなあのまろやかさだ。

有機的ながら、そこには化学的な艶のある直線的な繊維を彷彿とさせる管理された強さがあり、これを繊細なシルクイリスに混ぜて大丈夫なのかと素人は一瞬不安を覚えた。

 

 シルクイリスの動線は速度は滑らかだが横方向に足並みを揃えた光沢のあるきめ細やかな手触りの布を彷彿とさせる香りであり、そこにメチオナールが落とされると、その重みで中層に弛みが起こった。

 その重みはシルクイリスの半分を借りてその隙間に染み込んで行くのだが、先程の単体のメチオナールよりも塩辛さは薄まり、イリスの粉っぽさと相まって最奥に体温が停滞しているような柔らかな肌の弾力に似た塊になっていた。汗ばむ肌に似た塩気を含んだ肉厚な縁から中心に向けてゆっくり渦を描きながら、生き物の中で醸造されているある種の有機的な臭みが凝縮してゆくような香りの動き方をしている。

一方で表層では元のシルクイリスの持つマイペースな流れがその纏まりを包むように流れていた。シルクイリスが沿って走る縁では硬い香料の繊維との摩擦が起こり時折細かい金属質な香りが散るように生まれており、そちらに目を向けると一瞬光を反射する。

その気流が香りを聞いた時に1番先に中心の香りを後ろに引き連れる形で鼻を掠めるのだが、その温かさと丸い気配は人の吐息のようで、咄嗟に「人の気配の匂いですね」と所感を述べた。

その表層の気流に意識を向けていると、そのスピードで弛んだしなやかな繊維がまたゆっくりと張りつめられて、シルクに染み込んで幾分か軽くなったメチオナールの水玉が一瞬宙に浮く。そしてそれが再びシルクイリスの上に着地した時、水玉は前より細かく全体的に飛散していた。このように鼻を追うように布の上で跳ねる事を繰り返す度に徐々に粒子が細かくなり、全体にメチオナールの茶褐色が斑点状に染み渡るが塊としての匂いの動きは弱まり遠のいて行く。

最終的にはメチオナールはシルクイリスの糸の中にまで広がりきって質感の凹凸を与える立ち位置に収まった。不思議と茶褐色に染まる事は無く、シルクイリスの持つ白さが揺るがない所が印象に残っている。最初の段階ではシルクイリスにメチオナールが一方的に作用してゆくのかと思ったが、意外にもシルクイリスの方もまた動的なのだった。

それは生き物同士の化学反応の様で、シルクイリスがメチオナールを取込み自身もまたそれによって組織が組み替えられてゆく様子は、大仰な例えになってしまうが生き物の身体とその細胞の絶え間ない生と死を彷彿とさせた。

また、今回のワークショップで、シルクイリスに限らず一つの作品として完成している香水は、液体でありながら強度はもはや個体なのだなと改めて感じられた。

 

因みに最後に大沢先生に香りの所感メモ(予期しておらず本当に雑なメモであった)を見て頂く機会があり、緊張で血の気が引いた。サトリのスクールには香りの文章表現を学ぶソムリエコースがあるのだ。

しかし先生はとても優しく素敵な方で、お話しする機会は少なかったが大いに薫陶を受けた。

 

 

この体験の帰り、香りを聞き過ぎてふらふらになりながら電車内で早速最低限の調香の道具を一度に注文した。

この調香への熱がどれほど続くかは分からない。

ただ、パルファンサトリは私の中でその香りだけでなく憧れの場所としても輝いて行くのだと感じる。

 

 

parfum-satori.com

95.終わりの向こう側《Capri Forget Me Not(カルトゥージア)》

梅雨が明けてから一気に暑くなったが、それまでの寒冷な気候のおかげで今年はそれほど鼻が疲れておらず、仕事終わりに汗ばみながら銀座を歩き、試香する体力も残っている。

しかし一方で突如として暑くなった現状に付いて行けずに未だにどこか夢心地というか、現実から逸脱している気分でもある。

 

 

その日の気分で銀座の阪急メンズの香水売り場に立ち寄った。

伊勢丹メンズ館も良いが、ここの香水の品揃えはもちろん棚を一度に素早く横断できる陳列も気に入っている。

この日は当初お目当てだったオルファクティブスタジオやCIROではなく(これらの所管はまた後日)、カルトゥージアの中でも甘みのあるCapri Forget Me Not が印象に残った。

毎年夏といえばカルトゥージアのメディテラネオ一択というくらい夏でも私の鼻と相性の良い気に入りのブランドだ。

 

所感は以下。

 

 

Capri Forget Me Not

レモン、ライム、ベルガモット、マンダリン、イチジク、ユーカリ、ミント、バイオレット、シクラメンジャスミン、アルテミシア、ピーチ、バニラ、ライラック

と言った調香。

ブランドの中では甘く濃厚な香りであるのだが、暑い夏の夜の風のような透明感と軽さがやはりカルトゥージアである。

トップから甘みのあるミントと仄かな清涼感を担うユーカリが輪状に放射状に広がる形で認識できた。その開いた中心ではバニラとピーチがイチジクの甘さというよりも葉に近いやや青みのある肉厚な香りの下の中層に潜り込む形で合流し、ミドル以降に配置された穏やかなパウダリーな花の香りがまたその奥に内包されている形で認識できる。それ故か、バニラベースの甘さであってもフルーティーなグルマンではなくラクトンのような植物由来のミルクを思わせる香りになっていたように思う。

そこを先ほど一度広がったミントが線となり繋ぎとしてミドルとトップを貫くような構成で肌に吸着している印象で、その周辺ではその青みの一群と柑橘系の瑞々しさ。そして私の肌ではジャスミンとヒヤシンスが体温に近い場所で周囲と比べてアニマリック寄りに仄かに香っており、それらがゆったりとした中層のミルクに半分浸かりながら各々の呼吸で主張し合う。香り方は全体的には穏やかではあるが鼻に向いた香りの細波の尖端は時折やや鋭い印象を受けた。

しかし、ミドルに近づくに従って主軸がトップのフルーツとミルクの湿潤感から奥にあるミドルのバイオレットの人肌のような温かみの穏やかな粉っぽさと甘さへ飲み込まれるように置き換わって行く。

それは今まで肌に確かに乗ってそれぞれ角を出していた香りが静かに呼吸を揃えて1つに丸まり宙で少しずつ四散して消えて行く様は、香水にはいつも当たり前に用意されており当たり前に受け入れているはずの「終わり」を強く喚起させられた。

それでもまだ歯ですりつぶした時に染み出て口内に広がるように香るイチジクとミントの先端が丸まった様な独特の青みと甘さは、こちらに意思を向け湿潤さと辛うじてトップを思い出させる立体感とある種の圧を伴う香り方をしており、それらは絡み合うように肌と離れてゆくパウダリーな香りの球とをつなぎ留めていた。

その後のミドルからラストにかけて、パウダリーな香りからラクトンめいた温かさのある甘みはやがて遠のき全域が細かいパウダリーの霧になった。深く吸い込めばまろやかなトップとミドルの名残を感じられたが、それらは既に遠い場所にあり、何やら思い出しきれない過去の記憶を辿る様なおぼろげに揺らぐ香り方をしていた。

いつのまにかミントとイチジクの蔦も霧の中に回収されて行くが、そのイタリア的なふっくらとした丸みのあるパウダリーには優しさがあるものの、それと自分の間にはミント・イチジクの代わりに透明な薄い膜が張られており、それがその先の香りを具体的に認識する事から隔てている事に気が付く。

ラストになると、そのパウダリーな霧の中心にシクラメンの固形石鹸のような涼しい白色の底が見えた。それは初めからあった様な気もするが、固さはトップから今までの香りの質感とは明らかに違う実在感と不動感を持っていた。しかし、その全貌は明かされる事はなく、新たな誕生を予感させたままドライダウンを迎えて消えて行った。

 

某レビューサイトで「これはアマルフィのイチジク畑の広がるラヴェッロで体験した夏の夜の香りだ」というレビューを見つけたのだが、レビューの最後のこれを付けるとアマルフィの海岸に戻るという一文が印象的だった。

全体を思い返して、やはりForget Me Not はトップとミドルへの移行が一つの終わりとして設けられているのだと感じた。

その終わりによって、私たちは終わった後の世界へと誘導されて行く。

その景色は、かつてレビュアーがアマルフィでの夜の体験の後の日々の中の夜の香りであり、勿忘草伝説の恋人たちの悲恋のその後の追憶でもある。

彼らの中で体験がやがて完全な過去の記憶となり、いつの日かその過ぎ去った記憶を呼び起こして再体験するまでの静かな時間の流れを彷彿とさせたのだった。

実際全ては終わりのない移行の連続かもしれないが、そこに終わりとそれを礎とした始まりを見出す事は豊かな作業だと思う。

やや辛気臭い文章になったが、ラフな格好から改まった特別な日まで幅広く使える香りだった。イチジクが特徴的に香り続けるので、いつもと少し違うイチジクの香りを楽しみたい方にも合うのではないかと思う。

大切な人と一緒に付けてみてはどうだろうか。

 

 

 

さて、そろそろお盆が近い。

ゆうれいも幽霊らしく、Forget Me Notと共に久々に故郷に帰ろうと思う。

 

 

www.carthusia.wandp.co.jp

 

94.人工物の夏《Unsettled( Bruno Fazzolari)》

家の周りを走るのでも良かったのだが、せっかくの人生なので様々な場所を体験しておこうと思い、最寄りのジムに入会した。

明るく挨拶をよくするスタッフや、引き締まった身体の利用者たちが作り出す健康的な雰囲気は正直得意ではなかったが、目当てのプール利用のためなので耐えることにした。

プールはいつ行っても混雑しておらず、思う存分歩くことが出来る。しかし、眼鏡着用禁止のそこは極度の近視と乱視の私にはもはやフランシス・ベーコンの絵さながらの絶えず動き続ける色の集合にしか見えず、その絵の中をひたすら歩き続ける事は非日常で面白く感じた。(かわいそうに、視力の良い人々はこの視覚世界を味わえない)

プールは塩素の香りで人間の有機的な臭いがカットされていて非常に私好みだ。

ただ、エリア全体には水特有の生暖かい匂いがみっしりと充満している。

 

そんな中思い出すのはあまり明るさの無い夏の香水である。

夏香水と言えばマリンのようなビーチに降り注ぐきらめく太陽光やしぶきを上げる海水の香り、白い砂浜、日焼け止めの香り、開放的で情熱的な恋…などを連想するように作られがちだが、前日に試香したBruno FazzolariのUnsettledはまさにその「明るくないマリン」だった。

「Unsettled」という名前からして明るくない。

 

ブランドのオーナー件調香師のBruno Fazzolariの本職は芸術家である。

だからというわけでもないのだろうが、古典的な構造を取っていると言っていつつも香り方には現代的な偏屈さが見られ、そのマイペースな立ち位置には安定したインディペンデント感があり個人的には好感を持てるブランドだ。日本には来て欲しく無い。

 

所感は以下。

 

 Unsettled

ベルガモット、ブラックティー、クラリセージ、パイナップル、ニューカレドニアサンダルウッド、ラブダナム、バニラ、シーノート

という調香をみれば非常に明るくサッパリとしたマリンを思い浮かべるが、そこはBruno Fazzolariであるのでそんな事はない。

トップからパイナップルの果実の甘さとベルガモットが果汁的に溢れ出す。しかし、どこか澄ました様なそれらとは違う方向を向いたやや青みとレザーのようなコクと苦味のある、ミルク然とした半透明さを持つ香りの一軍が感じられる。ブラックティーとクラリセージとベースのバニラだろうか。葉の甘さの中に半分せり上がるハーブ系の独特の清涼感を覚えるクラリセージの香りは程なくして果汁の下に入り込んでゆくが、お茶の香りは終始クールダウンの役を引き受けている印象で、これのおかげでトップは明るすぎず、ミキサーにかけられる前のミルクの中で漂うフルーツのような印象で、テンションとしては早くも落ち着いた下降感を見せ始める。

それらは程なくして一つの平面的な丸まりに収まると同時にそれらトップの水分を乗せてやがて染み込ませてゆくであろう汗ばんだ温かさのある肌のような香りがあるのに気づく。これはラブダナムのどこかアニマリックな臭みのある染み入る様な重さがトップの果汁と合流したことと、受け止める側のサンダルウッドの若干粉めいたウッドの個体感やシーノートの塩気が由来なのだろう。が、バニラがシーノート側で主張していない点でわかりやすいマリン的な記号としては認識できなかった。その肌のような香りの一群は存在感を増し、隣に寝ているのではないかと思うくらいに視界全体に影を作っていった。

ここでもまだ主軸で香るパイナップルは、生果の弾けるフレッシュさと言うよりは缶詰にされて人工的なやわくささくれだった甘さのシロップにより味を画一化されたパイナップルを彷彿とさせる。これは決して悪い意味ではなく、他の香りに関してもある種の人工的で表情の読めなさが一貫しており、頭の揃った独特のニュートラルな秩序の世界観を作り出している。

さて、ミドルも半ばに差し掛かり徐々にバニラがマリンらしく現れてくることで、記号的に海を感じられ始めるが、これもやはりリアルな書き込みをなされた海ではなく、他の香りと同じ、実際にあるかどうかわからない表情の読めなさだった。

少し頭をもたげれば先に書いた遮る人の奥に窓が見え、窓のすぐ外に海あることを簡単に証明できるのだろう。しかしUnsettledはそこまで語る事はしない。ラブダナムと塩味が作り出す汗でやや酸味付いた動きの少ない人肌の香りの塊の縁から、逆光の光のように、マリンの弱めの波立つ動きが見て取れるが、それはあくまで人肌を介して気配のみ鼻に届く。

サンダルウッドはその間、徐々にウッドの表情を強めてゆき、ラストになると昼寝から覚めたように人肌は流木のような角の取れた滑らかな木に変わっている。

その浜辺で拾ってきた流木的な導線の甘さの抑えられたサンダルウッドの軽さのある個体感の木目に沿って鼻を滑らせると、奥にまだ完全に乾いていない海水とシャワーの淡水が混ざり合ったような湿り気を感じた。それを深く吸い込むと先程までの肌とフルーツの名残が感じられるが、それらは基本的に木目の中に一緒くたに詰め込まれており、今は個々の主張を見ることは難しそうだった。香りを探っている内に、水分は木に染み込んで行き、やがてミドルと同じ様に目の前にある木の肌を介してのみ伝わってくる様になった。

 

先にもパイナップルの香りで触れたが、Unsettledは画一化された無表情なマットさが終始面白かった。某情報サイトのレビューで「白いフェドラを被った金髪のヨーロッパ観光客」と称されていたのが頷ける。ただ、メタ的とも言うのか、そのありきたりな存在感がここでは没個性の一因ではなく一定以上の強度を持って浮かび上がってくる。

私が例えるなら、全体を通してレコードかカセットテープに吹き込まれて複製された自分あるいは誰かの、気怠く変わり映えも無いが隣の相手にはそれなりに愛があり(だが関係としては中途半端だ)、周囲に広がる見慣れた空や海は淡々といつも通り美しかったであろう何も起こらなかった夏の日の思い出を、Bruno Fazzolariの箱の外側と同じ色合いの壁紙の変わり映えのしない簡素な自宅で、一人掛けのソファーに身体を埋めて何度も再生して聴いているような妙な覚醒感がある。

そしてそこから感じられるパッケージ化された冷静で無機質な日常の「生々しさ」が癖になるのだ。何度も言うが決して悪い意味ではない。

 夏だから、海だから、休日だからと言って心を躍らせる必要は無い。

ふと記憶に蘇る、何と言うわけでも無い日常の1シーンに意識を傾けることこそ、自分に余裕が無いとできないものだったりする。

 

 

 

 

 

そんな香りの空想も絵画の中の散歩も、担当のインストラクターに見つかってしまったことでおもむろに分断されてしまった。

今は縦の色の線の集合体にしか見えない彼の自分のスクールへの勧誘を聞いて「調整してみます」という曖昧な返事をしながら、次はUnsettledを首筋に付けてプールを歩いてみようと思案した。

 

 

 

www.brunofazzolari.com